第百二十九話 ディアローズ、荒れる

 翌朝。総旗艦"オーデルバンセン"の艦橋を、ディアローズがうろうろと歩き回っていた。その表情は憔悴しきっており、目の下には大きな隈がある。驚くべきことに、彼女は気絶から目覚めて以降一睡もしていなかった。輝星に逃げられたショックで、寝ようとしても寝られなくなってしまったのだ。


「で、殿下……少し落ち着いてください。マグロじゃないんですから、そんなに動き回らなくても……」


「誰がマグロだ!」


 部下の諫言にも耳を貸す様子はなく、ディアローズは苛立たしげに怒鳴った。


「そんなことより、反乱軍どもはまだ見つからんのか!」


「は、はい……残念ながら。偵察機は飛ばしているのですが……」


「くっ……能無しの駄犬どもめ!」


 口汚く罵るディアローズ。だが対する部下たちの反応はしらけたものである。男を手籠めにしようとした挙句反撃され、実の妹に気絶させられた女を畏れろというほうが無理がある。今ここに残っている部隊はヴァレンティナの反乱に参加しなかった者ばかりだが、しかしだからといってディアローズに忠誠を誓っているかといえばそうでもない様子だった。

 とはいえ、当の本人であるディアローズはそんなことを考えている余裕など微塵もなかった。頭の中では後悔ばかりがぐるぐると渦巻いている。


(失敗した……)


 口を一文字に結びながら、ディアローズは深い深いため息を吐く。


(鞭で打ったりしたから、逃げられたのだ。わらわが間違っていた……。縛られるのはわらわで良かったし、鞭で打たれるのもわらわであるべきだったのだ!)


 輝星がこの心の声を聞けば、『違う、そうじゃない』とツッコミを入れていたことだろう。しかし、とうとう自分の本当の性癖を自覚してしまったディアローズは、後悔と寝不足の合わせ技で思考を暴走させ続ける。


(とにかく今はさっさと反乱軍を叩きのめし、速やかに輝星を奪還せねば……。そしてしっかりと謝罪し、オシオキを貰わねば……)


 疲労・不眠のせいで彼女はすっかりおかしくなっていた。ブツブツとよくわからないことを呟きながら、突如にへらと緩んだ笑みを浮かべたディアローズに幕僚が不気味なものを見るような目を向ける。


「しかし……離反者の数は、あまりにも多い。半数以上が寝返ったわけですから……。殿下、いかがされるおつもりです? 正面から当たれば、我々も無傷では済まないのでは」


 敵は当然、ヴァレンティナ派だけではない。皇国もいるのだ。この二者が結託する可能性は、十二分に考えられた。


「ふん……そんなことか。それならば、何とでもなる。貴様らが気にする必要はない」


 ディアローズは馬鹿にしたような表情で肩をすくめ、豊満な胸を張って答えた。幕僚は訝し気な様子で聞き返す。


「と、おっしゃられますと……?」


「反乱軍などと言っても、連中は別に我が愚妹の人徳に惚れて離反したわけではない。あの北斗輝星の色香に血迷って行動を起こしただけだ」


 自分も輝星の色香に血迷っていることを棚に上げつつ、ディアローズはニヤリと笑って手をひらひらと振る。


「で、あれば……目の前にぶら下がったニンジンを奪い取ってしまえば、連中は目的を失いあっという間に瓦解する。簡単なことであろう?」


「な、なるほど」


 テルシスの提案で輝星が"ご褒美"にされたのは、ディアローズも承知している。あれがなければ、反乱に参加したのはせいぜいヴァレンティナの手勢とその他少数くらいだろう。反乱軍の柱はヴァレンティナではなく輝星なのだ。付け入るスキはそこにある。


「しかし、あの男の戦闘力は異常です。今の戦力で攻略するのは……」


 本隊にも大きな被害を出しつつ何とか消耗させ、四天全員とディアローズ・ヴァレンティナ両名を投入してなんとかギリギリ勝利できたのだ。むしろ、被った被害だけ見れば完敗といっていいレベルである。戦力が文字通り半減した現状では、同じことをやれと言われても絶対に不可能だ。


「大丈夫だ。ヤツはわらわが攻略する」


 だが、ディアローズは自信に満ちた顔で頷いた。


(とりあえず、花束と口説き文句は用意してある……あとは当たって砕けろだ)


 睡眠不足のせいで彼女は完全にトチ狂っていたが、残念ながら幕僚たちはそんなことにはまったく気付いていなかった。さすが不敗の姫だと感心した様子で驚いて見せる。


「なるほど、そういうことでしたか。申し訳ありません、出過ぎた真似を……」


「ふん……」


 まんざらでもない様子でディアローズは腕を組んだ。そこへ、索敵担当のオペレーターが緊迫した声を上げる。


「多数の敵艦が西方より接近中! かなりの大部隊です……こちらより多い!」


「やはり皇国の駄犬どもと合流したか! だが、待っていたぞ!」


 ディアローズは獰猛な笑みを浮かべた。獲物を見つけた肉食獣の表情だ。圧倒的に不利な状況にも関わらず、まったく怯みもしない彼女の様子に、幕僚たちはほっと胸を撫でおろす。


「距離は……ふむ、近いがまだなんとかなるな」


 手元の端末に転送されてきたデータで敵艦隊の位置を確認しながら、ディアローズは軽く頷く。そして端末を操作し、この海域の地図を表示した。


「南西に群島があるな? そこに誘い込め。大部隊を相手に正面から戦う愚を犯すわけにはいかぬ。ゲリラ戦だ」


「了解!」


 命令にしたがい、帝国艦隊は全速力で南下を始めた。

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