第百二十八話 ぶかぶか

「はあ……」


 驚くほど不満げな表情をしたシュレーアが、深い深いため息を吐いた。そして自分の服装を見て、もう一度ため息を吐く。彼女の眉間には深い深い谷が出来ていた。

 彼女は今、帝国の軍服を纏っている。しかも手足の裾がぶかぶかの、かなりのオーバーサイズのモノだ。なんとこの軍服、ヴァレンティナの私物である。二人の身長差はちょうど二十センチ……当然、その姿はひどく滑稽で情けないものだ。


「はははははははは、いい格好じゃないか? ン?」


 ヴァレンティナが心底愉快そうな表情であざ笑う。必要に駆られて共闘を決意したものの、シュレーア個人に対してはむしろ恋のライバルと認識している彼女にとっては、この光景はなかなか楽しいものだった。


「くっ……」


「後先考えずに抱き着くからこんなことになるんだ。将たるもの、軽挙妄動は控えた方が良いのではないかな?」


「むぐぐぐっ……!」


 顔を真っ赤にして唸るシュレーア。なぜこのような状況になっているかといえば、ヴァレンティナの言う通りシュレーアが輝星に抱き着いたせいだった。


「腐ってもキミは皇国の総大将だからねえ? 風邪がうつったりしたら……わかるだろう? 迷惑なんだ。全身消毒の上、服も洗濯! 当然の処置だとは思わないかな?」


「ええ、私が悪かった。それは認めましょう。しかしなぜ、私があなたの服なんか着なければならないのです?」


 シュレーアの着てきた服はクリーニング中であるわけだが、当然着替えなどこちらの艦には持ち込んでいない。まさか下着姿で過ごすわけにもいかず、服を借りることになったのだが……ヴァレンティナが無理やり自分の軍服を押し付けたのである。もちろん身長の低い(それでもヴルド人女性の平均よりは数センチ高いのだが)シュレーアに対する嫌がらせが目的だ。


「キミも皇族なんだ。まさか一兵卒の服など着せられるわけがないだろう? 必要な配慮だ。ははははははは」


 大笑いするヴァレンティナに、シュレーアは口をへの字にしてそっぽを向いた。そしてちらりと輝星の方を見る。ベッドに横たわった彼は、シュレーアと目が合うと楽しげな様子で小首をかしげた。


「……まあ、いいですよ。ふん」


 少しばかり恥ずかしい思いをしても、それで輝星が笑ってくれるならそれはそれで構わないと思ったのだ。完全に腕より長い軍服の袖をめくりあげ、なんとか手を出しつつ輝星に向き合う。


「こほん! ……とにかく、無事で何よりです。あの女にさらわれた時点で、正直もう駄目かもと思ってしまって……不安で不安で」


「意外と丁重に扱ってくれたよ。暇だろうからって、将棋に誘ってくれたりしてさ」


 苦笑しながら、輝星は言った。正直に言えば彼自身シュレーアと同じように思っていたのだが、ディアローズが噂ほどひどい人間ではなかったと知れただけでも儲けものだ。


「将棋?」


「チェスのようなゲームさ。そういえば、わたしもやったことがある……姉上とね」


 何とも言えない微妙な顔で、ヴァレンティナが説明する。


「強かっただろう? わたしは一回も勝てなかった」


「……かなりね」


「そうだろうとも。……もう、二度と姉上と将棋を指すこともないだろう。勝ち逃げされてしまったな」


 小さな声で、ヴァレンティナはぼそりと呟く。ディアローズははっきり言って嫌いな相手だが、それでも肉親であることには変わりがない。決定的に袂を別ってしまったことに、今さら感慨を覚えていた。


「仲直りできるものなら、仲直りしたほうがいいと思うけどね。向こうはヴァレンティナの事、別に嫌ってるわけじゃなさそうだし」


「そうはいかねえよ」


 輝星の言葉を止めたのは、サキだった。彼女は難しい顔で腰に佩いた軍刀の鞘をいじりつつ、つづける。


「次の戦いで完全に白黒がつく。ヤツは虐殺を主導した大罪人だ、ひっつかまえて法廷にかけなきゃなんねえ……そうなりゃ、処刑は避けられないだろうよ」


「うっ、そうか……」


 なにしろ、彼女が皇国侵攻部隊の総司令官だ。戦争犯罪の追求から逃れるのは難しいかもしれない。暗澹たる気分で、輝星は息を吐いた。どんな理由であれ、命が散るのは気分の良いものではない。多少でも同じ時間を共有し、人となりを知っている相手ならばなおさらだ。


「……攻撃開始はいつなの?」


 いつまでもこうしてダラダラとしているわけにはいかないだろう。シュレーアやヴァレンティナからすれば、帝国本国からの増援が来る前にカタをつけたいはずだ。ヴァレンティナ派と皇国軍の合流作業が終わり次第、ディアローズに対して攻撃を仕掛けるはずだ。


「明日です」


 腕を組みながら、シュレーアが答えた。手を動かした拍子にまくっていた袖がすべり落ち、プラプラと揺れる。彼女は赤面しながら袖をまくりなおした。


「あ、明日かー……頑張れば、なんとか参戦できるかな?」


「だ、駄目です! 安静にしていてください!」


 案の定と言えば案の定の輝星の言葉に、シュレーアは慌てて手を振る。神妙な表情でヴァレンティナもうなずいた。


「その通りだ。なに、安心したまえ。我が愛がいなくとも、負けるような戦力ではない」


「え、嘘ぉ……」


 表情を凍り付かせる輝星。そんな彼に、ヴァレンティナは優しい声で言った。


「病状が悪化しても困る。勝手に出撃などしないよう、悪いが監視を付けさせてもらうよ」


「ま、マジですか」


 輝星は口元を引きつらせながら唸った。

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