第百二十三話 またも襲われるエース
月夜の海を、真っ赤な軍艦が列をなして進んでいく。その隊列の中央を航行する大きな戦艦に、輝星は乗っていた。
「あー疲れた……」
その戦艦、"プロシア"の上甲板に、輝星はだらしなく寝そべる。生まれて初めてのSMプレイを強制されたあげく、クーデターにまで付き合わされたのだ。その疲れからか、いつになく身体が重く感じていた。
「……」
無言で空を見上げる。軌道爆撃で吹き上がった粉塵がまだ残っているのか、あまり星は見えない。代わりに、ジャガイモのようないびつな形状の月が煌々と輝いていた。
「なに黄昏てるんデスか」
短いグレーの髪に赤いメッシュを入れた独特の容姿の少女が、皮肉げな笑みを浮かべて輝星を覗き込んだ。"天轟"の称号を持つ帝国のトップエース、ノラである。外の空気を吸いに行きたいと要求した彼に護衛を申し出たのが、彼女だった。ヴァレンティナやテルシスは、今後の方針を話し合うために作戦会議室にこもっている。
「いやさ、予想外のことばっかりで参っちゃうなって」
「ハ、天下のエース様が随分と情けないことを言うんデスねぇ?」
挑発的な口調でそう言いながら、ノラは輝星の隣に腰を下ろす。
「まあね。流石に鞭でシバかれるとは思わなかった」
「……ろくでもないド変態だろうとは思ってましたが、やはりそっち系デスか」
にやにやと笑って、ノラは輝星を鞭で叩く真似をする。そしてケラケラと笑うと、すぐに表情を真剣なものにして聞いてきた。
「で、ケガとかはあるんデスか?」
「ないよ。ちょっと跡が残ってるだけ」
「ああ、一応手加減してたんデスね……あの女。存外へたれだったわけか」
鞭で打たれれば、普通は痛みで動けなくなるくらいのダメージは負うものだ。まだ打たれてから丸一日とたっていないのに輝星はケロリとしているので、ディアローズはかなり加減していたことがわかる。冷酷なサディストとして知られる彼女の知られざる一面に、ノラは嘲笑とともに肩をすくめる。
一方、輝星は意外そうな表情でノラをまじまじと見た。戦場で何度か戦ったとはいえ、自分とノラは今日は初顔合わせだ。しかし、今の彼女は戦場での荒々しい態度が嘘のように親身な様子で輝星と向き合っている。
「心配してくれるとは有り難いね」
「……っ」
輝星の何気ない一言に、思わずノラは口をへの字に曲げた。そして腕を組み、鼻息荒くそっぽを向く。
「……下手にケガをして、操縦に障ったらマズイと思っただけデス。万全のアナタに勝つのが、ワタシの目的なんデスから」
「いいねえ、そういうの。面倒なことが終わったら、相手になるよ」
「ふん……」
不愉快そうな様子でノラは立ち上がり、輝星の襟をつかんで無理やり引き起こした。
「んん!?」
突然のことに輝星は驚くものの、小さいとはいえノラはヴルド人であり貧弱
「うわっ!」
そのまま輝星は床に押し倒され、その上にノラが馬乗りになった。淡い月光に照らされた彼女の顔は赤く染まっており、八重歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべている。
「だったら今すぐ相手になってもらいましょうか?」
「ちょ、ちょっとこれは予想外だなあ……」
まさか自分より身長の低い少女に押し倒されるとは思わなかった輝星は、冷や汗をかきながら困惑する。
「小さいと思ってナメてたでしょ? ワタシはこう見えて肉食なのよ」
妖艶な表情で、ノラは輝星ののど元に口を付けた。牙を押し付けるように、絶妙な力加減で甘噛みする。甘い痛みが走り、輝星は小さく声を上げた。
「ワタシもディアローズを笑えないわ。そりゃあ目の前にこんなおいしそうな獲物が現れたら、襲うなってほうが無理だもの」
口を離したノラは普段のぎこちない敬語を捨て、ささやくような声でそう言う。獣じみた荒い吐息が頬にあたり、輝星は思わず顔を引きつらせた。逃れようと身をよじるが、ノラの拘束は思った以上に強力だった。こんな小さい子相手にも力負けするのかと内心ショックを受ける輝星。
「うっそだろ……」
「無駄よ無駄。もうアナタは、ワタシから逃れられないの。わかる?」
優しい手つきで、ノラが輝星の胸元を撫でた。くすぐったさを覚えて身をよじらせる彼を押さえつけ、その唇を奪おうとするノラ。
「……冗談デス」
が、その寸前で彼女は悪戯っぽく笑って動きを止めた。そして鼻と鼻が触れるほど近い輝星の顔を真っすぐに見ながら、言葉を続ける。
「アナタ、無防備すぎるんデスよ。こんなガキ一人に抑え込まれるような貧弱なヤツの態度じゃないデス」
「そ、それは……」
実際、フリとはいえこうして
「アナタには、ワタシが勝つまで元気でいてもらう必要があるのデス。不用意な行動は避けるように」
「はい……」
うなだれる輝星に、ノラが小さくため息を吐く。
「ふん、わかればいいんデスよ。全く……手間のかかる男デス」
そう言って悪戯っぽくほほ笑んだ彼女は顔をすこしずらした。先ほどの甘噛みと同じような動きで唇を輝星の額に向け、そっとキスする。だが、彼女は即座に顔色を変えて体を起こした。
「な、なんか滅茶苦茶熱いんデスけど!? 大丈夫なんデスかこれ?」
「え……?」
どこかぼんやりとした様子で小首をかしげる輝星に、ノラは慌ててその額に手を当てる。明らかに尋常ではない熱さだ。興奮して体温が上がっている様子ではない。
「や、やば……」
どうやら妙に言葉数が少なかったのは、たんに疲れていただけではないらしい。ノラは冷や汗をかきながら、輝星の身体を抱き上げて医務室へと向かうべく走った。
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