第八十話 子爵の要求
数時間後。輝星たちとエリー・ボ-ゼス子爵の部下たちは、帝国砲兵隊の排除に成功していた。多少の妨害はあったものの、少々のストライカーや多脚戦車の部隊ならば輝星によって簡単に排除することが出来る。そして、帝国側の事情を知っているボーゼス子爵の案内があれば、砲兵隊が潜んでいる地区の割り出しも難しい事ではなかった。
「無論、我々とあなた方皇国の利害は一致している。主家に刃を向けた都合上、なんとか皇国に勝ってもらわねば、領地の安堵もままならんわけだからな。しかし、だからと言って無条件で皇国の走狗になるとは思わないでいただきたい」
「ええ、それはわかっています。つきましては、皇国の持つ通商利権の一部を……」
いまだ黒煙の上がる戦場跡で、輝星たちは休憩していた。コックピットハッチを解放した状態でだらしなくシートに身を預ける輝星の眼下では、シュレーアとボーゼス子爵が激論を交わしている。味方に撃たれた怒りから即座に帝国を裏切ったボーゼス子爵だが、このままでは損を被ったままだ。どうやら、シュレーアと交渉して少しでも自分に有利な条件で自分を売り込みたいようだった。
「貴族ってのも大変だねえ」
輝星は無責任な口調でそんなことを言いながら、コックピットのラゲッジスペースを漁っている。戦闘に入ってから、すでにかなりの時間が経過していた。いい加減空腹になってきたので、レーションでも食べようというのだ。
「エナジーバー……ハバネロ味ィ? 誰が入れたんだよこんなもん。仕方ないな……」
ぼやきながら輝星が取り出したのは、安っぽいプラスチック製の使い捨てドンブリだった。パッケージには『完全栄養食・ビタミン牛丼』と書かれている。それをそのままコックピット備え付けの電子レンジに突っ込み、指定の時間加熱する。
「牛丼は一生分食った気がするんだけどなあ……」
愚痴を言ってもしょうがない。輝星はため息をついて、加熱の終わったドンブリを取り出す。蓋を取ると、白米の上に無造作に合成ミートのブロックとネギが乗っただけのシンプルな牛丼が現れた。この牛丼はレーションとしてはもっとも普及している代物であり、輝星にとってはおふくろの味より馴染みのある料理だ。
「むぐむぐ」
何とも言えない表情でドンブリをかき込みつつも、輝星の目はいまだに交渉を続けているシュレーアとボーゼス子爵に向けられていた。特に興味があるわけではないが、暇つぶしくらいにはなる。
「しかしだ、こうもスムーズに砲兵隊の制圧に成功したのは我々の助力があってこそ。少しくらい役得があっても良いのではないかな?」
金髪ポニーテールを揺らしながら、ボーゼス子爵が熱弁を振るう。二十代後半といった様子の彼女だが、子爵というのは本当らしく自らの利益を求めて貪欲に要求を出す姿は堂に入っている。
「そうですね。では、鹵獲した機動砲八門はそちらへお譲りしましょう」
「いや、そんなものは必要ない。機動砲など貰ったところで、我々では活用できないからな」
首を左右に振るボーゼス子爵。彼女の手勢はストライカーが三十機ほど。子爵と言ってもピンからキリまで居るが、どうやらボーゼス子爵はキリの方らしい。機動砲は一門につき二機のストライカーを付けなければ運用できない。少ない部下たちをそんなものに割くのは得策ではないと彼女は考えているようだ。
「う、売り払えばいいのでは?」
「中古の機動砲など売ったところで二束三文だろう!」
正論を突き付けられて、シュレーアは口をへの字に曲げた。鹵獲した機動砲は、旧式で市場によく出回っているモデルだ。八門すべて売ったところで、"ウィル"一機ぶんの代金になるかすら怪しい。
「で、ではあなたは何を求めるというのです? 自慢ではありませんが、我が国の財政は火の車ですよ!」
「私は騎士だ! 金などのために戦いはしない」
「ほう?」
「そして騎士が求めるものといえば、二つだけ。名誉と愛! というわけで、私はあの"凶星"殿のキスを要求する!」
突然自分の話になり、輝星は思いっきりむせてしまった。ゴホゴホと咳き込む彼に、一瞬シュレーアが心配そうな目を向ける。しかし子爵の発言を考えれば、輝星に構っている隙はなかった。
「は、破廉恥な! そんな要求、飲めるはずがないでしょう!」
「馬鹿を言うな! あんな可愛い男の子とキスできる機会など、一生のうちに一回あるかないかだ! 私は断固要求するぞ!」
「し、しかし」
「なにも一晩共にしてくれとか、額にキスしてくれとかまでは言わない! ほっぺた! ほっぺたでいいんだ! それさえ飲んでくれれば当家は皇国に忠誠を誓ってもいい!」
「バカみたいな理由で忠誠を誓われても困るんですが!!」
恥も外聞も捨てて縋り付くボーゼス子爵を振り払いつつ、シュレーアが叫ぶ。
「ええい、無理を言うようなら協力の話も解消ですよ! 放しなさい!」
話の雲行きが怪しくなってきたため、輝星はあわてて牛丼の残りを無理やり口にねじ込み飲み込んだ。そして立ち上がり、シートの座板を外す。そこにあったのは、丸く深い穴だ。ダストシュートとしてもトイレとしても使える優れものである。そこへドンブリを無造作につっこみ。コックピットから出ようとする。
「……いや、流石にな?」
だが、すぐに思い直して引き返してくる。再びラゲッジスペースを漁り、引っ張り出したのは歯磨き液だ。それを使って口内を手早く洗浄し、今度こそ機外へ飛び出す。
「はーなーせー!!」
「そこをなんとか! そこをなんとか!」
ボーゼス子爵はまだシュレーアに張り付いていた。輝星はあきれながら引きはがすのを手伝う。
「何やってるんだ、まったく」
「す、すいません」
シュレーアは恐縮しきりだ。しかし子爵は満面の笑みを浮かべてしゃがみ、輝星に視線を合わせる。
「ここに! ここに頼む!」
そう言って指さすのは右頬だ。輝星は深々とため息を吐いた。
「キスの一つで味方になってくれるんならそりゃあやらない手はないけどね。やるからには真面目に働いて欲しいなとおもう訳よ」
「無論だ! 騎士に二言はない!」
明らかに興奮した様子で何度も頷く妙齢の美女。その姿は、騎士というよりエロ猿だ。なぜ自分がこんなことをせねばならないのかと、輝星はもう一度ため息を吐く。
「き、輝星さん! 駄目ですよ!」
止めようとするシュレーアに、輝星はどんよりとした目を向けた。そしてするりと近づき、耳打ちする。
「ただでさえ……」
「み、耳に息が! 息が! ほああああああっ!?」
発作のように興奮し始めるシュレーアを、輝星は耳元で「わっ!!」と叫ぶことで黙らせた。突然の大声に涙を浮かべる彼女が文句を言うより早く、さらに言葉を続ける。
「ただでさえ戦力が少ないんだから、こういう機会は逃しちゃダメだろ」
「し、しかしキスというのは……」
「実際にやる俺が良いって言ってるの!」
「ですが……」
輝星がほかの女にキスしているところなど、見たいはずもない。シュレーアの脳裏に浮かぶのは、ヴァレンティナにキスされる輝星の姿だ。そこでふと、彼女は思いつく。
「じゃ、じゃあ……後で私にもキスしてください。それも額に。そうしたら私、文句を言いませんから」
「ええ……」
なぜ譲歩するかのような言い草で新たな要求を突き付けられなければならないのか。輝星は唸ったが、しかし彼女に自分の願望に正直になれと言ったのは自分自身であることを思い出した。
「わかったわかった。後でね!」
無言で小躍りを始めるシュレーア。交渉がまとまったことを察した子爵が、ご満悦顔で「んっ!」と頬を差し出してくる。輝星はキリキリと痛み始めた胃を抑えつつ、嫌そうな表情で彼女の頬に唇を付けた。
「……これでい━━」
「よっしゃあああああっ!!」
輝星が言葉を言い切るより早く、ボーゼス子爵が輝星を抱き上げた。お姫様抱っこの姿勢だ。そのまま彼女は、少し離れた場所でたむろしている自らの部下の元へ走っていく。
「キスしてもらった! キスしてもらったぞ! いいだろうお前たち! ふははははははっ!!」
「ま、待ちなさい! その人は私のですよ!!」
その背中を、シュレーアは慌てて追いかけるのだった。
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