第五十七話 酒盛り姉妹
その夜。シュレーアの自室にて、フレアは透明なグラスに入った日本酒を揺らしながら、上機嫌な様子で笑っていた。
「いやー、シュレーアちゃんと呑むのも久しぶりだねー。戦争が始まってから、それどころじゃなかったし」
「そうですね……半年ぶり以上ですか。私は艦隊指揮官、そして姉上は兵站総監ですからね。活動範囲が重ならない」
フレアの対面に座ったシュレーアが苦笑する。二人はテーブルを挟んで、小さな酒宴を開いていた。卓上には中身が満タンに入った酒瓶がいくつか乗せられている。
「前線に行くのは死んでもゴメンだったからねー、わたしはさ。ドンパチするのなんて、怖いじゃない」
天井に懸けられたシャンデリア風照明を遠い目で見つつ、酒で口を湿らせるフレア。その表情は複雑だ。妹が前線で戦うなか、自分は後方で安全に過ごしていることに思うところがあるのかもしれない。
「何を言うのです。姉上の働きがあってこそ、我々が前線で十全に戦えるのですよ?」
「ははは、そう言ってくれると嬉しいよ。どうしても侮られがちだからね、私らの仕事は」
フレアの皇位継承権がシュレーアより低いのも、そのあたりが関係している。戦うもの、危険を冒すものほど貴いというヴルド人の貴族主義は、逆に言えば戦わない貴族への侮蔑を生んでしまう。
「ま、皇位を目指しているわけではなし。そのへんはどうでもいいんだけどねー」
「それは私も同じですよ。皇王なんて器じゃありません。政治だの大局的な戦略だのとかいう小難しいものは、エイリア姉上に丸投げしたいところ」
次期皇王と目されている出来のいい姉の顔を思い出しつつ、シュレーアはグラスの酒を飲み干す。空になった杯に、フレアが即座に次を注いだ。
「おっとっと、ありがとうございます」
ニヤリと笑って礼を言うシュレーア。
「いやー、しかしまさかエイリア
「相手があの、"常勝"のディアローズですからね。流石に分が悪かったのでしょう。重傷とはいえ命に別状なく帰ってこられたのが、不幸中の幸いです
ヴァレンティナの口からあの女の名前を聞かされた時は、輝星の手前大きな声では言わなかったもののシュレーアも驚いたものだ。
「しかし次に勝つのは我らです。ヤツには、相応の対価を払っていただく」
グラスを持つ手に、自然と力が入った。敬愛する姉を傷つけただけでは飽き足らず、好いた男も狙うとは……許せるものではない。
「その意気だ! 頑張れ!」
上機嫌に同調し、フレアは肴の糠漬けを口に運ぶ。よく漬かったキュウリの酸味がすがすがしい。
「そうですね、そのためにも力をつけねば」
うんうんと頷きつつ、シュレーアは立ち上がった。そしてそのまま、部屋の隅に置かれた棚へと向かう。そこに置かれていたのは、古びた電子ジャーだった。躊躇なくそれを解放すると、中に入っているものは当然炊き立ての米。
「あっ、姉上もいりますか?」
「い、いらない」
先ほどとは一転、若干引いたような表情でフレアが断った。シュレーアは小首をかしげつつ、どんぶりのような大きさの茶碗へとご飯を盛る。当然のように大盛だった。湯気のたつごはんを携え、ほくほく顔で席に戻るシュレーア。
「前から思ってるけどさー、ご飯を肴にお酒飲むのってどうなの?」
ジト目でそれを見ながらフレアが言う。
「しかも今日はサケだよ? 米から醸造されてるわけじゃん。米で米呑んでるじゃん」
「いいんですよ、美味しんだから」
「そっかあ……」
あきらめたように、フレアはため息をついた。
「まあいいけどさ、輝星くんの前でそういう奇行しちゃだめだよ」
「き、奇行」
ひどい言い草に、シュレーアの動きが止まる。
「だ、大丈夫ですよ。輝星さんお酒飲めないらしいし」
「そうなの? 可愛いじゃん」
「ええ。とっても」
ほわほわとした笑顔で同意する妹に、思わずフレアも笑ってしまう。
「いや、しかし……姉上が輝星さんをそこまで気に入るとは思いませんでしたよ。初対面でしょう」
「まあね」
すまし顔でフレアは頷いた。
「なんだかんだ言って、わたしも女だからね。魅力的な男の子がいたら、自分のモノにしたくなるよ。それに……」
「それに?」
「シュレーアちゃんが、本気で輝星くんのことを好きだっていうのが一目でわかったからね。容姿だけ見てのぼせ上ってるんじゃない、心の底から何もかも好き! そういう感じでしょ?」
「うっ……は、はい。流石姉上、お見通しですね」
明け透けな言い方に盛大に照れつつも、シュレーアはその言葉を否定しなかった。
「真っすぐで、熱くて、私に正面から向き合ってくれる。ぜひとも人生の伴侶になってもらいたい。私はそう思っています」
「ふ、ふーん。そうなんだ」
正面からそう言い放ったシュレーアに、今度はフレアの方が照れてしまった。アルコールのせいではなく火照った頬を突き合わせ、よく似た容姿の二人は笑いあう。
「ま……ほら、私とシュレーアちゃんって付き合いが長いじゃない」
「それは、まあ。母上のお腹の中に居た時からの付き合いですからね」
「そうそう。だからさ、シュレーアちゃんが本気で好きになれる相手なら、私が愛せないはずがないんだよ。そこがよーくわかってるから、シュレーアちゃんと協力してカレを射止めようと思ったわけ」
「なるほど……」
頷いてから、シュレーアはご飯を口に運ぶ。良く味わってから、ごくんと飲み込んだ。
「実際のところ、輝星さんをめぐるライバルは多い……そして、ご存じの通り私は猪武者です。足りない部分は多い」
「そこのところを補うのが私ってわけだねー? 任せてよ」
自信ありげにフレアが胸を張った。
「さてさて、それじゃあ輝星くんを攻略する方法をさっそく考えようじゃないの」
そうして、姉妹水入らずの飲み会はどんどんと盛り上がっていくのだった。
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