第三十五話 ルボーア会戦(5)
「第805、第808ストライカー連隊は撤退しました。ポイントC707への攻勢は完全に失敗です」
「カズミアエ子爵が討たれたそうです。相手は北斗輝星とのこと」
「同じく! マスタ男爵も北斗輝星に撃墜されたとのことです」
「またか! しかも二人もか! これで何人あの男に貴族が討たれた?」
部下から上がってくる耳を疑う報告に、ディアローズは頭を抱えながら聞いた。
「緒戦のロージア様を入れて五人です」
「あの男に一騎打ちを挑むのは禁止せよ! このままでは士気がガタガタになるぞ!」
皇国第三艦隊が戦域に到着したとの報告からすでに一時間がたっていた。それまで戦況は圧倒的に帝国有利だったにもかかわらず、先ほどからずっと不利な報告ばかり上がっている。
ゼニス三機が大暴れしていると聞いて増援にやってきた指揮官クラスの貴族が輝星によって大量撃墜されているのだ。こんなことが続けば平民主体の末端兵士の士気が保てなくなる。
「で、殿下! クルトヴァ軍務伯が撃墜されました! またしても北斗輝星です!」
「ええい、わが軍のストライカーは豆腐で出来ているのか!?」
ディアローズは天を仰いで大きくため息を吐き、深呼吸で精神を落ち着けた。動揺すれば勝てる戦も勝てなくなる。実際、全体的な戦況では勝っているのだ。あまり精神をかき乱されてはいけないと自分に言い聞かせる。
「……寿司だ。寿司を持ってこい。マグロでいい」
「は、はっ! ただちに」
侍従が立ち上がり、速足で艦橋から退出する。しばらくして戻ってきた彼女の手には、マグロ寿司の乗った皿があった。ディアローズは無類の魚好きだ。こういったリクエストは決して珍しくはないため、いつでも要望に応えられるよう専属のシェフがスタンバイしている。
「うむ。……うむ!」
上品に寿司をつまんだディアローズは、しょうゆを軽くつけてから口に運ぶ。期待通りの味に、自然に彼女の頬がほころんだ。すさんだ精神が癒されていく。
ネタは地球の青森で水揚げされた天然マグロを鮮度を保ったまま高速船で取り寄せた超高級品だ。シャリもこれまた遺伝子改造されていないオーガニック・コシヒカリであり平民どころか並みの王侯貴族ですら手の出る代物ではない。もしこの場にシュレーアが居れば、これが国力の差かと悔しがったことだろう。
「姉上!」
そんな彼女のもとに、ヴァレンティナからの通信が入った。モニターに映る妹の顔に、ディアローズが不愉快そうな目を向ける。
「……姉上。戦闘中に何を食べているのです」
もっとも、不愉快な様子はヴァレンティナも同じだ。彼女はディアローズの手元へ咎めるような視線を向けている。
「寿司だが」
「戦いの真っ最中に、部下の前でわざわざそのようなものを食べるのは感心しませんよ」
作戦中だけでも、出来るだけ部下と同じものを食べるべしというのがヴァレンティナの信条だった。とても手が出ないような高級食材をわざわざ見せびらかすのは気が引ける。部下とはいえ食べ物関係で恨みを買うのはよろしくない。
「EPAとDHAを補給しているのだ。頭脳の冴えをより研ぎ澄ますためにな」
「……左様ですか」
納得はしていないものの、ヴァレンティナはそれ以上文句を言うはやめた。これ以上彼女の興をそいで本来の要件が通らなくなったら困るからだ。
「ところで、例の男が現れたと聞きましたが」
「ああ、気持ちがよくなるほどの大暴れをしているそうだ」
寿司をもしゃもしゃと食べ、ごくんと飲み込んでからディアローズは答えた。
「やはりそうでしたか。姉上、わたくしをお使いください。必ずや彼奴を止めて見せます」
「ならんならん。馬鹿か貴様は」
深々と頭を下げながらそう言うヴァレンティナに対し、ディアローズは取り付く島もない様子で手を振る。
「いくら愚妹とはいえ貴様も帝室の末席、一端の象徴であり一端の戦力なのだ。むざむざ墜とされて皇国の駄犬どもを勢いづかせる必要はない」
「しかし!」
「しかしもなにもない! 後で適当な雑魚を食わせてやるからじっとしておれ!」
そう言い切ってディアローズは通信を強引に切った。そして最後の寿司を食べてから、部下に告げる。
「北斗輝星の居る戦域から部隊を引け。代わりに直掩に出している部隊をぶつける」
「は……? 直掩の部隊ですか? お言葉ですが、前衛部隊で無理な相手を直掩部隊でなんとかできるとは思えませんが……」
疑問の声を上げる参謀。現在艦隊の直掩を担当している部隊は、練度も装備も二線級の部隊だ。怪物といっていい戦闘力を持つ傭兵にぶつければ全滅の憂き目は避けられないだろう。
「愚かな……。その程度のことを
「いっ、いえ! 申し訳ありません」
しかし、参謀はディアローズからの厳しい視線に身を震わせ、すぐに謝罪してしまった。
「強すぎる相手に正面から戦うのは下策! しかし相手も人間、物資も体力も有限なのだ。弱卒でも延々とぶつけ続ければやがて消耗して戦えなくなる! 精鋭をぶつけるのはそのあとだ!」
「はっ! 畏まりました、そのように手配いたします」
これ以上何かを言って不興を買ってはいかないと、参謀は慌てて部下に連絡を始めた。
「一気にぶつけるでないぞ、撃破されることが前提とはいえ部隊は有限なのだ。最小の損害で最大の成果を得るには波状攻撃しかあるまい」
参謀に言い含めてから、ディアローズは手元のモニターに表示された戦術マップに目をやる。
「ふん、ずいぶん煩わせてくれたが……最終的に勝つのはこの
ピシリと鞭を鳴らすディアローズの表情には、はっきりとした興奮の色があった。
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