第5話 軟体ストレンジャー

「それでは私たちもいくぞ。ショウリー、背中に乗れ」


 光の翼を展開したウィーナは、しゃがんでショウリーに向かって背中を向けた。


「ウアチャーッ!」


 ショウリーは顔を真っ赤にした。ウィーナにおぶさることに緊張しているのであろう。その光景を見て思わずウィーナに笑みがこぼれてしまった。


「フフ……どうした、怖気づいたのか?」


「アチョーッ!」


「そうか、なら早く乗れ」


 数秒の後、ショウリーは背中にしがみついた。背中にずっしりと重みがかかる。


「お前重いな」


「アタタタタターッ!」


 ショウリーが非力なウィーナに同情の意を投げかけた。


「それはそうだ。私に本来の力があればお前の体重なんて感じもしないだろう」


「ウィーナ様、最近はそればかり言ってますね」


 肩のハチドリが小声で言った。


「ああ、そうだな」


 ウィーナはそう返しながらふらふらと空中へ上昇し、冥界の城下町を飛翔した。


 確かに近頃は何かにつけて「私に女神の力さえあれば」と愚痴を言っているような気がした。彼女としてもどうにもならず、自分はどこまでも落ちぶれるものだと自虐的な思考が周期的に巡るばかりである。


 眼下には、冥界の住人が住む石造りの無骨な家々が並んでいる。あちこちが角ばっており、いつ見ても冥界の連中は建造物の趣味が悪いと感じていた。


 もっとも、死んだ者の魂を引き受けるような世界だからこのくらい殺風景な方が似合っているのかもしれない。


「アイヤーッ! アチャチャチャーツ!」


「何? どういうことだ?」


 突然、ショウリーが背中の翼を見ろと騒いだので、慌てて首を後ろに曲げた。


 すると、あろうことか、いつの間にか右の翼が消滅しているのである。


 肩のハチドリも「うわっ!」と声を上げた。


「ちょ、ちょっと待て、バランスが」


 ウィーナは右回りに高速回転を始めた。うまく飛ぼうとしても、これではどちらが空でどちらが地面かも分からない。こんな上空から墜落したら確定的に死ぬので、ウィーナはとにかく姿勢制御に全力を注ぐ。


「ギャアーッ! オチャーァァァ!」


 必死にしがみついているショウリーが狂ったように悲鳴を上げる。


 気づくと、彼女達はすでに高速スピンで蛇行しながらゆっくりと落下していた。


「ウィーナ様、ウィーナ様!」


 ハチドリはさっさと肩から離れたらしく、ちゃっかりと上から呼びかけているだけだ。


 そうこうしているうちにウィーナはできる限り速度を落とし、街の路地裏に不時着した。まるで戦の跡地のような瓦礫だらけの裏路地で、激しい砂埃が巻き起こった。


 腰に激しい痛みを感じる。打ち身らしい。思わず彼女は目をつぶった。


 しかし、飛んでいる最中に翼が消えるのは予想外であった。まさかここまで女神としての力が失われているとは思わなかったのだ。


 弱体化は日に日に進んでいる。勝利の女神ともあろう者が、何たるざまであろう。


「ウィーナ様、お怪我は? 今、薬草を買ってきました」


 ハチドリが二人分の薬草を自らの羽に持って、猛スピードで駆けつけてきた。


「すまない……。おい、ショウリー、生きてるか?」


 受け取った薬草を奥歯で噛みしめながら上半身を起こした。ショウリーは仰向けにぶっ倒れている。


「ゥゥウアチャー!」


 ショウリーは突如その姿勢のまま、バック転で立ち上がり、腰につけているヒョウタンに入った酒を何口か飲んだ。そして、自分の顔の周りスレスレで華麗にヌンチャクを振り回した。どうやら己の無事を誇示するパフォーマンスらしい。


「私と比べると全然平気ではないか」


 従者が無事なのに、自分は腰を痛めてしまった。ウィーナはプライドを傷つけられた。落下した体勢で言えば、ショウリーの方が衝撃は強いはずである。


「平気なら、それも私がもらうぞ」


 ウィーナは顔をしかめて、ハチドリがショウリーに渡そうとしていた薬草をひったくって乱暴に口に突っ込んだ。


 青臭い香りを放つ薬草をモグモグと食べていると、前方の、レンガがぼろぼろに砕けた小屋の影から一匹の軟体生物が飛び出してきた。


 スライムである。


「騒々しいと思って来て見れば、貴様は噂の女神ウィーナだな! ここで貴様を血祭りに上げ、この俺の実力、冥界にとどろかせてくれるわ!」


 軟体は渋い声で豪放に言い放った。


 スライムは道の真ん中に陣取り、青く透き通った、人の頭部程度の身体をプルプルと震わせた。


 つぶらな瞳の丸っこい二つの目だけがついた愛らしい姿が、妙に哀愁を誘った。


「どうしたゴミども、早くかかって来い! 貴様らごときまとめて肉体を滅ぼしてやろうぞ!」


 何とも形容し得ない気分で様子を見ていたウィーナ達をスライムは激しく挑発した。いかにもやる気マンマンといった感じである。


「口もないのによくしゃべるものだ……」


 ウィーナは一人で感心した。


「……まったく、冥界のスライムは気が荒いな。おいショウリー、始末しろ」


「ウアチャァーッ!」


 ハチドリの命令に従い、ショウリーはヒョウタンの酒を飲み、ヌンチャクを手にスライムに突っ込んでいった。


「待て、ショウリー。私が倒す」


 ウィーナはとっさにショウリーを制止した。このスライムを従者の見ている前で綺麗に片付けてみせて先ほどの失態を挽回しようと思ったのである。


「チョアッ!」


 ショウリーは彼女の言葉を聞き、バックジャンプで身を引いた。しかし、ハチドリは不安そうにウィーナを見上げる。


「あの、恐れながら、ウィーナ様のお手をわずらわせる相手ではないかと」


「私がやる」


「いや……。その、申し上げにくいのですが、ウィーナ様の今のお力では、万が一のことがないとも言えませんし……」


 ハチドリのおっかなびっくりの物言いに対し、ウィーナは啖呵を切った。


「お前、馬鹿にしているのか? この私がスライムごときに負けると言うのか! 私は勝利の女神であって、天界でも指折りの戦神だ。たとえ力はなくとも、私が数百年もの時を経て磨いてきた剣の腕は失われはしない!」


 ウィーナは腰の鞘から剣を抜いた。長過ぎず短過ぎず、虚飾を廃したシンプルな剣こそ一番使い勝手がよいものである。


「いいだろう! 力なき者が不相応な態度をとると早死にすることを教えてやろう! 我がプルプルの肉体を用いて貴様の肉体を滅ぼしてくれるわ!」


 そう言ってスライムはつぶらな瞳でこちらを睨みつけた。迫力は全然ない。


 下段に構えたウィーナは敵に肉薄し、斜めに剣を振り下ろした。剣は見事スライムを捉えたが、割れたのは敵ではなく剣の方であった。スライムに当たったとたんに刀身がポッキリと折れてしまい、刀身は回転しながら地面に突き刺さってしまったのだ。


「ええっ? どんなナマクラだ?」


「貴様ごときにこの俺はほふれぬ! 肉体を滅ぼしてくれるわ!」


 ウィーナが呆気に取られているとスライムは柔らかく飛び上がり、先ほどウィーナがしたたかに打ち付けた腰にわざとらしく体当たりをかました。腰にプニョンという弾力のある感触が走った。


た、たたた……」


 腰にズキリと痛みが走り、たまらず手で押さえた。思わず歯を食いしばる。


「身の程知らずめ! 我が力思い知ったか! フハハハハ」


 口もないのにスライムは、その目をパチパチさせながら、ウィーナを見上げ言い放つ。


「ああ……、ウィーナ様……」


「アッチャァ……」


 ハチドリもショウリーも、困惑しながら遠目にこの戦闘を見守ることしかできない。


 ウィーナは腰の痛みを心中の闘志でねじ伏せる。万が一こんな敵に負けようものなら、もはや笑うしかない。


「ヒャッハー! 勝利の女神もまったくもって大したことないときている! 肉体を滅ぼしてくれるわい!」

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