Demon's D'or /Demon's Doll :I Pay Myself Dear Demon

 手招きする装甲妖魔に応じ、黒いコートの男は尋常にあらぬ跳躍で、屋上へと舞い立った。魔都白京バイジンの堕ちた星屑たちの灯りが、空の星を殺して、月を残して墨を塗ったような空が広がっている。それでも、視認がかなう明るさが確保されているのは、第三次世界大戦時の魔導事故が原因とされる双子月の照度ゆえだろう。


 天文学的には地球の重力に影響するはずの第二の月であるが、実際には月の重力は三度目の大戦以前と変わっていないという。本来の月と鏡写しになったもう一つの太陰は、科学的には実在しない虚構――しかし、実際に目視で観測されている以上、確かににあるのだ。


 或いは、失われた宇宙開発技術の産物ならば、直接その真実を目の当たりにできるかもしれぬが、現代ではかなわぬ夢に過ぎない。誰が言ったか、魔に魅入られた月――魔酔いの月。信憑性も怪しい一説によれば、この月は不可視である魔導力を地上へと降り注いでいるのだという。確かに、咒いも魔力も月の満ち欠けに影響を及ぼしているのは、経験則的な常識として定着している。安易ではあるが、その結論は多くの者の腑に落ちるのは間違いない。


 そんな、魔に魅入られた月明かりが支配する屋上で、今、肉体を賭け金に魔から力を借りた者同士が衝突する。


 アルバルクが海棲猛獣の如きヒレを広げると、ビルの屋上に先ほど去った驟雨に似た飛礫が五月雨の勢いで迫ってきた。


「喰らえ」


 巨大化した右腕を薙ぐも、波濤の圧は右腕の一度の摂食量を上回っていた。当然、薙いだ先には、人肉を簡単に挽き肉に変える殺意の降雨が――。


「――フン」


 予想はしていたのか、男は慌てずに左に握るドウジギリを振るう。鋭い音色と火花を散らして、触れるモノを切り刻む弾丸は男に着弾することなく、屋上の床面に突き刺さった。取り回しの良さと携行性を優先した刃渡りのドウジギリは、その分だけ加速力と連続性に優れる。そして、鍔には刀身を回転させるための機構が設けられていた。間合いと威力を犠牲にした造りは、なるほど、受け応じ禦するにはうってつけだ。本来は握りの甘さを補う意味合いで取り付けられた、トリガーガードに似た鈎部分に指を掛ければ――指先での精妙な操作は要求されるものの、弾丸程度を斬り凌ぐには充分な回転が得られる。


 曲芸めいた剣舞が自らの魔弾を退けられるに足ると判断したロウが無駄を悟り、五月雨を止ませた。男は右腕を、ドウジギリを肩に担いでロウの次の手を待っている姿勢だ。とことんまで相手を侮辱するつもりらしいが、その驕慢がいつまで続くか見ものだな――とロウはアルバルクの中で笑みを浮かべた。


「どうした? 狐雨はもう終いか?」


 男の周囲一メートルにはきれいな床面が残っているが、他は凄惨なものだ。青白い月光を照り返す、禍々しくも美しい金剛石に似た輝き。


「ほう。鱗、か。面白くはあるが、無駄が多いな。人っ子一人のために使うには、如何せん大味すぎる」


〝最初からそう申しておる。所詮デカ物には繊細な味は期待できんとな〟


「――だ、そうだ。残念ながら、姫のお眼鏡にはかなわなかったようだな」

「だが、お前もこのままだと手出しもできまい」


 ロウの指摘はもっともだった。そもそも、宙空にいるアルバルクに対して、所詮は地から飛び跳ねるが関の山の人間風情――千日手になろうとも、帰趨するところは明らかだ。ただ、安全圏からロウは男を疲弊させてからじっくり仕留める。それだけだ。


黒銀ヘイイン、いい加減にせよ。わたしはこんな面倒な奴といつまでも接していとうない〟


「なるほど。姫も焦れてきているとみえる。では、終わらせるか」


 ドウジギリを納め、男は印を結ぶ。複雑な印を立て続けに結び、そのたびに周囲の空気が変質していくのがロウにもわかった。


「お前も出すか、ドゥルを」


 凶々しい笑みを浮かべ、男――黒銀ヘイインもまた人型機械悪魔を喚ぶ。右腕が顕在化し、それが屋上の壁面に爪を立てる。巨体が、徐々に男の身体から抜け出るように姿を顕してくる。


「お前――正気かッ。依り代を自分にしているのか?!」

「正気でことを為せるのならば、この身、端から悪魔に喰わせてなぞいない」


 殻から抜けでた人型機械悪魔。義眼を依り代としたロウのアルバルクと比較して、あまりにも生々しい輪郭ディテール鬼導妖魔デモンズドゥル。五体の均衡性を崩している右腕は、それこそが黒銀ヘイインが捧げたモノを殊更に主張している。背中が裂け、男を招き入れる。その亀裂もまた女性器のグロテスクさを持ち、生々しい現実感があった。


ロウ。貴様は何を喰わせた? 俺が喰わせたモノと貴様の喰わせたモノ……。どちらの黄金が重いのか、試してみようじゃないか」


 右腕を失った男が鬼導妖魔デモンズドゥルへと乗り込む。同時に、うめき声とも諷経ふうぎんとも言えぬ、音が流れてきた。鬼導妖魔デモンズドゥルを呪術制御するための仕組みだろう。本来ならば、このような代物は必要ない。つまり、それだけ男の鬼導妖魔デモンズドゥルは強大な力を持つのだ。つまり、それだけ男の捧げた右腕は強大な代償ちからを持つのだ。


 立ち上がる鬼導妖魔デモンズドゥル。有機的な陰翳フォルムは虚無僧にも似た。深編笠に似た頭部を縦三文字に横断する異形の目。笠の頭部から垂れ下がっている神符しんぷとおぼしい紙札も、莫大な鬼導妖魔デモンズドゥルの魔力を運用可能な域へと抑え込んでいると思われる。外套の如き袈裟が右腕以外の機体を覆っているも、陰翳から見られるたくましさは魔的な素養がない者でさえも、強大さを理解させられるであろう。身じろぎのたびに擦れる金属音は、咒的な意味を持つ形状を持った鎖の音色だ。それが袈裟から出た右腕を雁字搦めに縛っている。


〝参るぞ? せいぜい足掻いてみせよ〟


 紅い縦三文字がぼうと妖しい光を灯らせた。

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