Self Paymenter ;Ride In Devil :Alvalk

 静寂と死が支配した部屋で動くものは、男だけとなった。右腕がゆらめきをもたない炎の如くに、現実感の乏しい質感でぼうと光る。肉体はおろか魂魄をも消化する右腕によって、撒き散らされたはずの骸はとうに無い。伽藍堂となった事務所には、まさしく空虚さが真冬の霜のように迫っていた。


「さて……」


 肥大した右腕の男が呟いた瞬間――。事務所の奥から、唐突に姿を現した大男の左眼から、触手が放たれた。本人を含めて、一人の人間のそれを優に超える質量は、科学的見地からは当然に否定されるべき現象であるのだが、第三次大戦後世界に蔓延るオカルト的知見では異なる。そもそも、科学の限界を超えるもの、科学とは別境地で世界を視るのが魔導であり、魔術であり、魔法であるのだ。


 触手は分厚い肉の鞭であると同時に、槍でもあったようだ。怒張した穂先は鋭く、なまくらな刃物など両断せしめる硬度と靱性を持ち得ていた。


「なかなか面白い演物だしものだな、ロウ?」


 だが、その肉の穂先は半ばまで両断されていた。生々しくも勢いよく飛び散る鮮血は、いきり立った怒張の硬さを説明する。


「チッ!」


 痛覚はないようで、ロウは不意討ちで男を殺せなかった一点で舌を打った。襤褸襤褸と、急激にくさちていく肉鞭。呪詛で形を成していたものは、それが解かれれば失せて消える。爛れて崩れていく触手は、ロウが咒いを手離した証左だった。


 銀の軌跡が虚空に、秒にも満たぬ内に生まれ消えゆく三日月を映した。悪臭を発生させる暇もなく腐ちていく肉を両断せしめたのは、無機物の刃だ。無論、尋常な刃物ではない。これこそ、日の本は平安時代、酒呑童子を斬首せしめたとされる太刀童子切の持つ魔力――それを魔術的見地から再現した、童子切レプリカの一振り。鬼の調伏はおろか、悪魔祓いをはじめとする魔呪現象に効果を及ぼす、対オカルト咒装である。


 太刀であるオリジナルと比べ、取り回しの良さと携帯性を重視し短く、そして反りを排除した刀身は忍刀にも似た。更に室内戦を考慮し、突きの威力を活かしながらも、斬撃にも対応できる鋒両刃造きっさきもろはづくり。あえての古風な造りは、オカルトといういにしえの迷信が復興を遂げた現代の、温故知新の考えに合致していた。


 魔導剣――ドウジギリ。柄に巻かれた紐も、複雑な咒的意味合いを持った文様が刻まれている。振るうだけで下等な悪霊など祓えるほどの、強度の破邪術式は風切音さえもが呪文となり、切り口そのものが清められる。それは、悪魔がもたらす魔の祝福さえも同じだ。だからこそ、ロウは破魔のちからが自らを脅かす前に、血肉を分け与えた触手をあっさりと解呪したのだ。


「どうした、眼病でも患ったか。目薬はささなくていいのか?」


 嘲る右腕の男。左手のドウジギリが、かそけい照明の中でやけに鮮烈な照り返しを見せる。


「貴様、?! まさか、支払った者セルフ・ペイメンターに?」

「そう見えるか?」


 男の首筋に卑猥な亀裂が生じ、生まれた口が涼やかな女の声で笑う。


〝ほほ、何をわかりきったことを。自らの肉体をそのまま支払う者など、お主くらいのものよ〟


 そうだ。いくらセルフ・ペイメンターだとしても、魔導具を介せずに肉体を支払う者など……。


 否、男の瞳に宿る、憎しみを可燃物として燃える鬼火。文字通り総てを――それこそ、今生はおろか来世までを復讐の炎に焚べる狂人ならば、或いは……。


「見えるだろう。そうだ。あの時、俺たちを見捨てたお前らに、俺は復讐を誓った」


 ドウジギリを握った左の手首にチラリと見える、ドッグタグ。やはり、あの絶望的生還不能な状況から生還したというのか。仲間の血肉さえも貪り喰らって……。


「忘れたとは言わせない。償いなどさせない。許しを乞わせるつもりもない。お前らの血と魂魄を、地獄で待つ仲間に届くまで流し続けてやる」


 アヴァターラ頭領ロウ。非合法、特に暴力を生業としているだけあり、彼の判断は速やかだった。有無を言わせぬ弾丸の雨霰。超音速の飛礫が男を狙うも、ロウ自身が弾丸が男の体躯を貫くことがないことを悟っている。振るわれる右腕とともに人間をゴミクズに変える量の銃弾が。どうやら、右腕の悪魔は大した大喰らいらしい。そんな悪魔に直接肉体を喰ませていて、よく人の形を維持できていると感心する気持ちもあるが、そこは問題ではない。問題は、本来ならば過剰殺傷オーバーキルに相当する火力が、意味を成していない事実だ。


 セルフ・ペイメンターに生半可な攻撃が通じぬのは重々承知だが、機関砲をもってしても動じぬとなると、相当に肉体と魂魄を捧げているとみえる。


 機関砲――。この場に人がいたのなら、機関砲の制圧力を痛痒ともしなかった男よりも、ロウの方に怖気を催しただろう。ロウの左腕は変質し、肉と鉄の混合物めいた機関砲と化していた。浮き出た血管の脈動の生々しさが禍々しい。


「通じると思っているのか? その程度の銃弾タマが」


 黒いコートを翻し、男が疾風の勢いで駆ける。閃く銀色の輝線が、生肉仕立ての砲身を切断。生身とは思えぬ膂力は、男がセルフ・ペイメンターである何よりの証拠だ。科学的なサイバネティックスに対する、オカルティックスブーステッド。


 瞬く間にロウの頭上へと舞い上がった男は、足元の草を刈るが如くに払い薙ぐ。首を狙った軌道は、まさにドウジギリのオリジナルの伝承の再現だ。しかし、狙いを弁えていたロウが、やすやすと首級みしるしを与えてやるわけもない。


「――っ」


 火花。衝撃は、ドウジギリの退魔破邪の切れ味を凌ぐ、硬さを誇る何物かとの衝突を意味している。


 ロウの頭蓋を、分厚い装甲が守っていた。どこからともなく顕れた甲殻めいたそれに、男は目を剥くでもなく、平静そのもの。まるで、この装甲の意味も、自らの必殺を期したはずの一刀が無為に終わった事実も、総て承知の上といったようで――。


 見開いたロウの右目――生まれ持ったものではない、義眼が金属の輝きを灯した。


 宙に固定された甲殻を蹴り、間合いを取る男。弛く掲げた右腕に沿うように構えた左の刀剣。寸分の空隙もない。そこでロウは、眼前の右腕の男を確実に打倒するには〝鬼札〟を出すしかないと決断した。


「来いや、アルバルク」


 ロウ右眼を糧に、召喚されるモノがある。かつて右眼が収まっていた虚から巨大化した義眼が弾け飛ぶ。結界強化されたビルの天井を破り、更に屋上までを貫いたソレから発せられるのは、原初的な生理的不快感。瘴気とさえ言える虚たる空気がそうさせるのか、或いは自分たちが土台としている世界を否定する存在への忌避感か。ロウが宙に浮いた義眼――もはや直径五メートルの鉄球と化していた――へと跳躍する。


 驟雨の名残りを湿気として残し、二つの月が並んで浮かぶ大空。鉄球が凶々しい三つ月となる。そして、爆ぜる。呪詛の臭いを撒き散らしながら顕現したのは、まさしく鋼鉄の肌持つ悪魔の擬態。山羊めいたアモン角、四足獣の後ろ足、たくましい両腕――まさしく悪魔のそれ。更に、白蝋めいた装甲が繋ぎ止められ、無理矢理に人型に仕立て上げられる。否、これでは拘束具だ。屍喰鬼のおぞましさを持つ拘束具が、悪魔の姿を強制的に人型へと留めようとしている。強引な均衡を強いられた機械悪魔――しかし、黒目のない紅の両眼の内、右眼だけが均整を崩した巨大さで顔面を主張していた。


 アルバルク――。この世界に顕現した悪魔を素材として仕立て上げられた、人型機械悪魔。鬼導妖魔――デモンズドゥル。第三次世界大戦中、偶然発見された悪魔召喚術。そこから、悪魔を兵器として制御可能な兵器へと加工したものそこ、デモンズドゥル。げに恐ろしきは人の業、か。元来、人間には及ばぬ世界の条理を超える存在をも利用する、神も魔も恐れぬ宿業こそが、デモンズドゥルという兵器なのだろう。


 甲高い鳴き声を上げるアルバルク。死の宣告を叫ぶバンシーの怪異さで、二つ並んだ月の色が変わった。現実を侵食する、魔導のちから――。青白い月の光は病魔に侵された顔のない死人のそれ。即ち、右腕の男の死を予言している。


 ロウがアルバルクへとされる。右眼の紅の光が一際輝きを放った。今、鬼導妖魔デモンズドゥルロウという意思が乗せられたのだ。


「よかったじゃないか。喰いでがありそうだぞ――」

〝何をいうか。大物は得てして大雑把で美味には遠かろうが〟


 だが、条理を捻じ曲げるが魔の導きならば、その加護は男も得ている。男は首筋の卑猥な口から放たれる減らず口に、嘲りの笑みを浮かべた。

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