Demon's Arms; spotted :Sacrifice

 ビル内は戦争直前の混乱に満ちていた。火薬庫に近しい。一つの火種だけで爆発し、全てを吹き飛ばす危険度があった。だが、アヴァターラの構成員に尋常な人間などほとんどいない。文字通り悪魔に魅入られた者しかいない。ヒトを脱した強靭さと生命力を獲得した彼らは、魔物と入り混じった斑人間といえる。


 カメラに映った男は愚かにも真正面から突っ込んでくるらしい。いくら男が強かったとしても、あくまで人間としての領域では彼らの一人さえ殺せない。況してや、ボスに下知を受けたまだらどもは二十名を超えている。一人相手に充分すぎるどころか過剰に過剰を重ねた歓待である。


 複合合金製の扉がこじ開けられる。人間の膂力では到底不可能な芸当だが、それに驚愕の念を持つ者など、この場にはいない。なるほど、通常の人間ではないようだ。機化処置メタルブーストでも行っているのか、もしくは魔呪強化バイオブーストか。だが、アヴァターラ構成員は生え抜きのまだらだ。機化も魔呪も何ほどのものか。


 その油断が命取りだった。


 長い前髪で双眸が隠れた男の――瞳孔に鬼火が灯り、大気を灼く軌道が揺れる。悪魔に魅入られた者の深淵と呼べる、供物を捧げた者の瞳。これに比べれば魔呪強化など、もはやただの獲物のスパイスに過ぎない。


 男の唇が言葉を紡ぐ。声は聞こえぬながらも、そのかたちどった印は明らかだった。曰く。


 ――喰らえ。


 阿鼻叫喚とはこのことか。力を得るために悪魔に魂を売ったはずの男たちが、涙を流して逃げ惑い、または諦観に立ち尽くす。実力を理解できず、またはせめてもの抵抗に立ち向かった者はむしろ僥倖だった。物理的、そして魔法的に上半身を奪い取られ、残った脚の切断面から血を迸るのみ。もはや理解する暇も痛みを感じる暇も与えぬ、ある意味では慈悲深い殺戮――否、生贄の儀。


 男の無くしたはずの右腕にはコラージュめいた巨腕があった。生えているとはいえない。巨腕は、右腕の切断面から十センチほど離れた宙空からしているのだ。おおきさも然ることながら、質感も陰翳も断じて人のそれではなかった。


 兇暴な陰翳。鋭い刃を思わせる刺々しさは、視認しただけで串刺しにされそうな心持ちにさせられる。巨大さと鋭さ、そして具現化された暴力性があれば、人体を重ねて刳り取ることも可能だろうと思わさせられる。魂魄を肉体ごと奪い取り、咀嚼する――。そう、は腕でありながら、顎門あぎとでもあった。


 そして、質感。おおよそ現実感の乏しい質感は、この世のものでない幽世からの出土かと感じらせられた。決して揺れぬあおぐろい鬼火が物質と化したかのような――質感と言える質感が存在しない、


 * * *


 蹂躙は瞬く間。右腕が揮われるたびに、呪術結界を編んでいた壁面に裂傷が生まれ、人体は魂を失った肉塊と成りて、黒いコートだけが愉しげに踊る。


 最後に残った男は、己の不幸を悟ってしまった。死の瞬間を知らずにこの世を去ることが、どれほどの救いであるかを知ってしまったのだ。そう、決して戻れぬ無の暗黒が足元にまで迫っている事実は、狂信者でない限り耐えきれぬものではない。


〝こんな半端な味わい、むしろ無い方がありがたいわ。元々の素材が悪かろうて〟


 何処からか声が響く。いや、不幸な男は見てしまった。


「ひうぃ!」


 黒いコートの男の襟元。生々しい粘質性の音を奏でて、首に縦割れの亀裂が生じ、破瓜の血を流す女性器となり、そこから歯と舌が生えてくる。その横では、同じく肌を切り裂いた女性器から剥き出した目玉がこちらを見ている――。


〝やはり供物は、穢れのない童貞か処女に限る。無垢な魂と肉体こそ最高のぜいであり、にえ。わかるかえ?〟


「趣味が悪いことだ」


わたしに言わせれば、人間こそ――じゃ。強制給餌させ、自らの嘔吐物に溺れ窒息し、汚物と油にまみれた鳥の屍体から取り出した肝を珍味と称して食すなど、悪魔も思いつかぬ残忍さよ。しかも、適さぬとされる雌は産まれて即、生きながらに挽肉にするとは大した趣味の良さよのう〟


 悪魔に右腕を捧げた男の双眸と、更に首元の一ツ眼が哀れな生存者を見つめている。


「や、やめろ……死にたくない」


 圧倒的な死の予感。絶望的な感触は、決定的な瞬間を本能で察していた。だが、それでも死を回避しようとするのも、また本能。無駄とわかりつつ、震える声がまろび出ていた。


「お前はそう言って命乞いした者を何人殺してきた?」

「はぇ?」


 隻腕の冷徹な瞳は、男の背後を一瞥する。まさか、魔的強化の犠牲になった者の――男が背負っている魂魄が見えているのか。命乞いをする、その恐怖の感情が高ければ高いほど、切実であればあるほどに、生贄としての質が上がる。


「お前も俺も、同じ穴の狢だろ?」


 ささやく声は穏やかで優しげで、そして感情が欠落していた。股間に温かい感触を覚えたが、それを恥じる矜持すら残されていない。そう、己が幾度としてきたように、悪魔の右腕は男の魂魄が悪魔にとって上質になるように、恐怖を煽り、絶望の底へと叩きつけているのだ。理性が理解できても、感情は理解を拒む。脚に縋り付いて、慈悲を乞う。


「お願いです! もう恐ろしいことはしません! 心を入れ替えます! 人に尽くします! だから、だから!」

「じゃあ、尽くしてくれ。俺の糧となって、な」

「あ……」


 最高潮に高まった絶望感に手が力を無くした瞬間、男は自ら

が咀嚼される音と痛みを同時に味わった。悪魔に魅入られた者の末路。終着点がここだった。

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