1-02
「ああ、怪我をしているね……。授業は始まってしまったみたいだけど、仕方ないね。早く手当てしてもらわないと。保健室に行こうか」
その男は、突然現れた。
いつものように独りで屋上で食事を摂っていたところいつものように絡まれた。今日は少し頭に血が上ってしまったのでいつものように、とはいかないが適当にあしらっていたところ、いつもとは違うことが起きた。そう、ただ一つだけ違ったのは、助けが現れたこと。
この宝條高校一年生にして、入学時からその人並み外れて整った端麗な容姿で一躍有名人となった、いわば学校のアイドルというやつで、この学校では知らない者はいなかった。
しかも成績はいつもトップで、テスト、というかまだ五月なので入試ではほとんど満点を取り、新入生総代を務めた。かといって運動ができないのかというとそんなことはなく、どんな競技をやらせても全国に通用するほどの記録を叩き出す。性格は穏和で、誰にでも分け隔てなく接する、と話には聞いていたのだが。
性格については疑う余地が十分にありそうだと、ついさっき知ってしまった。
「ねぇ、大丈夫?」
一言も発しないのを心配に思ったのだろうか、千里は本気で心配そうにこちらを覗きこんでくる。
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
全く心がこもっていないと自分でも思ったが仕方ない。感謝など、これっぽっちもしていないのだから。
千里は特に気にする様子もなく、
「いや、こっちも余計なことをしてしまったかもしれないし」全くだ、と思った。「君、C組の子だよね? 名前を聞いてもいいかな?」
笑顔でさらりと流した。
なんで教えてやらなければならないのだと思いつつも、
「月城レイラ。レイラでいいよ、藤原くん」
皮肉をこめて言ったつもりだった。が、しかし千里はこれまたさらりと流した。
「じゃあ、レイラちゃん。あ、僕のことは千里でいいからね」この男は本気で言っているのだろうか?「脚、血が出てるけど……」
言われて見てみると、確かに結構な量の血が滲んでいた。どうやら座り込んだときにすりむいてしまったようだ。
気づいてみたら痛みを感じ始めたがこれ以上千里と関わりたくないレイラはそっけなく言った。
「別にこれくらいかすり傷だし、怪我ってほどのものじゃ」
それを聞いた千里は押しの強い笑顔でレイラに詰め寄った。
「駄目だよ、女の子なのに。痕が残ったりしたらどうするの? ちゃんと手当てしてもらわないと」
千里は笑顔のまま半ば強引にレイラの手を引くとフェンスから離れ、階下へと下りてい階段のほうへ歩き始めた。レイラはなんとなく断りづらく、黙ってそれに従った。
レイラはおとなしく手をひかれながら考えた。
この千里という男は、なぜここまで自分に構うのだろうか?
今までは誰も助けるどころか、話しかけてもこなかった。誰もが自分には関係ないと、対岸の火事のように傍観しているだけだったのに。
なのに、この千里は違った。
ためらいもせず、それが当然のように自分を助けてみせた。
でも、と私は思う。私は誰にも期待しないし、頼りたくなんてない。したくもない。関わりたくない。人は結局一人なのだから。独りで、自分の力で生きていくしかないのだから。
それなら最初から独りでいればいい。
そうすれば、寂しさなんて感じないし、失う辛さも味あわなくて済む。
距離を置きたいのはこの男に対しても同じ。
みんな私を放っておいてくれればいいのに。
「……だよね?」
「え?」
レイラは不意に我に返り、立ち止まって肩越しに振り返っている千里を見上げた。
千里は目を細めて柔和な微笑みを浮かべた。
「だからね、君って美人だよね、って言ったんだけど」
気づけばもう階段を下りはじめていた。授業中特有の雰囲気が漂う、薄暗くて冷たい空気がたちこめる階段。屋上の日差しに慣れていた目には、ここだけがやけに暗く見えた。
どこからかの微かな笑い声を聞きながら、レイラは未だ引かれたままだった手を振り払った。
「そんなこと言われて私が喜ぶと思ってたのなら大間違い。そういうことは、言い寄ってくる子たちに言ってあげたら?」息を吸った。「私にこれ以上関わらないでよ」
言ってやった、と思った。突き放しておけば、この男はもう自分に関わろうとしないだろう、そう思った。ところがそんなレイラの予想とは裏腹に、予想外の反応が返ってきた。
千里は、微笑んでいた。
立ち止まっているレイラにつられて千里も立ち止まった。
「……僕は別に、喜ばせようとして言ったわけじゃない」レイラよりも五段ほど下の段にいる千里はレイラを見上げた。「僕は、思ったことしか言わないよ。ついでに言うと、君が僕に関わりたくないって言っても、僕は君に関わりたい」
僕は勝手だからね、と千里は肩をすくめた。
「君は本当に綺麗だと思うよ。
……見た目だけの話じゃない。心もね」
レイラは頬が熱くなってくるのを感じながら唇を噛んだ。なぜこんなに私に関わろうとするのだろうか。
拒絶、したのに。
なのにどうして、心の中に入り込もうとするのだろうか。
理性は嫌だと、入り込まれたくないと言っているのに。
知りたいと思う自分がいる。
顔の赤さを悟られたくなくて、レイラはうつむいた。見上げてくる千里の視線を感じる。ちらりと千里の顔を盗み見たが、窓の光が逆光となってよく見えなかった。
「どうして」振り絞るように声を出した。「どうして私に構うの? ……名前も知らなかったような、私に」
千里は照れ笑いしながら答えた。
「実はね、本当は君のこと知ってたんだ、ずっと前から」口元がそっとつりあがるのがかろうじて見えた。「でも、そんなことは言えなくて……。
覚悟しておいて。
僕が欲しいのは君だけなんだ。
他の誰でもない、君」
言い終えると、千里は踵を返した。
窓越しの淡い光に縁取られる後姿が、レイラにはやけにきれいに見えた。
「僕は絶対に諦めない。…何があっても」
低い声で囁くように言うと、後はちゃんと保健室に行くんだよ、と言い置いて、行ってしまった。
たった一度だけ振り向いた千里の笑顔は、切なげで優しい、―――愛しい人に向ける笑顔だった。
レイラは目をそらした。
その笑顔があまりにもまっすぐで。
あまりにも、眩しかった。
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