ぼっち女子高生と魔王の求婚
啾吾
第1章 私と魔王と使い魔と
1-01
人は変わることができないなどと、いったい誰が言ったのだろう。
それを信じきっていた私は、いったいどれほどの世界を見落としてきたのだろう。
私は自分が何の取り柄もなく変哲もない、ただの女子高生だと思っていたし、信じていた。
私は普通であることを、いつの日からか己に課していたのだと思う。誰かのせいにして逃げ出すのは何よりも簡単で、だからこそ私はそれに甘えて、逃げていたのかもしれない。
人と関わることをせずに、いつだってひとりでいた―――それが正しいと、思いこんでいた。
でも私は、気づくことになる。
世界の広さと、自分の弱さに。
たくさんの出会いが、人を変えていく。
人は変わることができる。
そして私は知ったんだ。
私はただ逃げているだけの、卑怯な臆病者だったということを。
1
昼休みも終わりに近づいて、人がまばらになり始めた屋上。
天気は良好で、初夏らしい澄んだ青空がどこまでも広がっていて、涼しい風はゆったりと午後の空気を運んでいく。
昼寝でもすれば気持ちがよさそうで、このまま授業をさぼっ てしまおうかと考える生徒がいてもおかしくないほどの陽気なのに。
昼休みの余韻を残したまま教室へと帰っていく人影が妙に足早だ。
理由は極めて単純だった。
巻き添えになりたくないから。
それも無理からぬことだろう、何しろ屋上の隅では、数人の上級生と思われる女子の集団が、いたいけなひとりの下級生を囲んでいたのだから。
「だいたいさぁ、お前ナマイキなんだよ」
グループのリーダーと思しき上級生が、下級生の背後のフェンスを思い切り蹴りつけた。
下級生と思しき影は身じろぎひとつしない。
「ちょっと顔がよくて頭いいからって人のこと見下してんのが見え見えなんだよっ!!」ヒステリックな叫びとともに、上級生のひとりが下級生の髪をつかんで無理やり立たせた。「そんな態度じゃ世の中渡っていけないってこと、先輩が教えてやるよ」
下級生は眉を顰めただけで、あとはなにも言わなかった。
「分かる? あんた目立ってんだよ。見てるとムカつく」
ただ手足をだらんとさせるのみで何も言わず無表情な下級生が余計上級生の怒りに拍車をかけているのだろう、上級生は口元を歪めて下級生の背後に立った。
上級生の一人が下級生をはがい締めにした。
「言っても分かんないんだ?」上級生の一人がわざとらしく哀れみの表情をつくってみせた。「言っても分かんないやつには体に教えてやるよ」
その時、初めて下級生の少女に表情と呼べるものが宿った。我慢の限界だ、と言わんばかりに少女は身をよじって上級生の手から逃れた。
「……よ」
「はあ?」いやらしいくすくす笑いを洩らす上級生たちが、仰々しく少女に耳を近づけて見せた。「聞こえないんですけど」
少女は髪をつかまれたまま吐き捨てた。
「先輩方に教えていただくことは何一つありません。私はそこまで落ちぶれていないつもりですから」
その瞬間、少女の正面に立っていた上級生の顔が一気に紅潮し、少女に向かって手を振り上げた。が、
その手が少女の頬を叩くことはなかった。
「イジメはいけないよ?」
背後から上級生の手をつかみながら、現れた少年は微笑んだ。
「せ、千里くん!?」「なんで千里くんがこんなところに!?」
上級生たちは突如として動揺し始めた。
千里と呼ばれた少年はつかんでいた手を放しながら微笑んだ。
「あまりにいい天気だったから昼寝していたんだけど……」少女の髪をつかんでいる上級生の手をおろさせると、千里はゆっくりとあたりを見回した。
勢い、座り込んでしまった少女は呆然としているのか、無表情に千里を見上げている。
「黙って聞いてみれば、かなり穏やかじゃない会話だし」優しく少女の手を取り、立たせてやりながら上級生たちを再度眺めた。「これは放っておくわけにはいかないな、と思ってね」
微笑みながらも迫力のある眼差しで見られた上級生たちは慌てて弁解し始める。
「ち、違うの千里くん、アタシらはただ……」
そんな上級生たちを目で制し、千里は口を開いた。
「ただ、押さえつけて痛めつけようとしただけ?」
その時、初めて千里の顔から表情が消えた。
「――見苦しいな」
「自分たちのしていることの意味がよく分かっていないようだね」
何を言われたか理解していない顔で立ち尽くす上級生たちを冷たい瞳で睥睨しながら、千里はさらに言い募った。
「君たちのしていることはただの嫉妬だ」嘲笑の形に唇を歪めながら、千里は先ほどの穏やかさを微塵も感じさせない底冷えのする声で言い放つ。「自分が持っていない玩具をうらやむ幼児と同じだよ、それは。……なにも出来ない自分への引け目を他人にぶつけて憂さを晴らそうとしているだけだよ。
見苦しい。君たちはとても醜い」
言い終えると、千里の顔に穏やかな微笑みが戻った。
だが先刻までとは明らかに違う、穏やかでいて冷たく、鋭利な笑みが。
上級生たちはようやく我に返ったようで、青い顔をして後ずさった。
そのなかの一人が千里を指差しながら、震える声で叫んだ。
「あ、あんた……、騙してたんだ、みんなのこと!ホントはそんな性格して――」
「へえ。それって人のことが言えるのかな」千里の口調は柔らかだったが、有無を言わせぬ何かがあった。
「それにもうひとつ言わせてもらうと、僕のイメージなんて君たちが勝手に作り上げた偶像はどうでもいい。
僕は誰にどう思われようと関係ない」
上級生たちはさらにもう一歩後ずさった。やがて訪れた沈黙に耐えきれなくなったかのように、一人が叫びだした。
「い、言いふらしてやるっ!! あんたがだましてるんだって、みんなにっ!!」
千里は一瞬虚をつかれたかのようにめを見開いたが、すぐに余裕のある笑みを取り戻し、嘲笑った。
「好きにすればいいよ。だけど、よく考えてみて?
君たちみたいな卑怯者と僕、まわりがどちらを信用するか」
上級生たちはそれ以上なにも言おうとはしなかった。千里に背を向けると、我先にと屋上から出て行ってしまう。
「大丈夫?」
後には千里と少女と、誰にも気づかれることのなかった本鈴の余韻だけが残された。
夏の始まりを予感させる風が広い屋上を吹き抜け、千里の髪を揺らした。
少女はただ無表情に千里を見つめているばかりで。
その出会いが自分を変えたのかもしれないと、誰もが後から気付くのだ。
日常を戦う者たちは、まだ気づかないけれど。
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