塔を登るティルマリア・ドール
虎戸リア
第1話:探索者教会本部
【天晶塔】の麓に広がる魔導都市――ミドレスト。
南区にある探索者協会本部――皆はただ単に本部と呼ぶ――の登録者受付ロビーに、背の高い十代後半と思わしき少女が現れた。
腰まで届く美しい陽光のような金髪がなびく。
スラリと背の高いその少女はスレンダーな体に、町娘が着るようなシンプルな服を纏っており、物々しい装備を纏った探索者が多いこの場所ではやけに浮いていた。
少女の膝まで覆う黒いブーツの、床を叩く音が静かにロビーに響く。
好奇の視線を一身に受けるその少女が、受付に辿り着くとまっすぐに受付係の女性の目を見つめ、口を開いた。
「私の名はティルマリア。塔を登るためには、ここで登録をする必要があると聞いたからやってきたのだが」
その声は決して大きくなかったが、不思議とよく通る声で、ざわついていた周囲の探索者達がなぜか次第に静かになっていく。
何よりも目を引いたのは、同性すらも魅了する整った顔と、赤い光を宿す瞳だった。
受付係も、自分をまっすぐに射貫くその赤い瞳から目を離せなかった。しかし彼女は、その少女――ティルマリアが自分の返事を待っていることに気が付いて、慌てて口を開けた。
「え、えっと! ティルマリアさんは探索者登録を希望されているということですね!」
「その、たんさくしゃ? とやらになれば塔が登れるというのなら、たぶんそうだ」
真剣な表情でそう返事するティルマリアに、一瞬笑っていいのかどうか迷った受付係は、顔を引き締めて真面目に答えた。
「探索者、ですね。塔というのは、あちらのことですよね?」
受付係がそう言って、東側の壁にある窓を指した。その窓の向こうにはミドレストの
それは、あまりに巨大すぎて窓から見える範囲では壁にしか見えないが、実際は曲面であり、この街の中心に立っている。それが、あらゆる意味でこの街の柱となっている存在――【天晶塔】だった。
その頂きは地上からは見えず、天気の良い日であってもその頂上付近は霞んでいる。いまだかつて誰も到達したことのないその頂きには神々が住んでおり、辿り着いた者を楽園へと導くという伝説。それは、この街に住む者なら誰でも知っているおとぎ話だ。
塔の頂上を目指す、または内部で見付かる魔導具や武具――〝アーティファクト〟を狙う人々は探索者と呼ばれ、この探索者協会本部で登録、管理されている。
【天晶塔】はこの街の設備、技術、産業、全てに直結している為、内部への立ち入りに関しては厳重に管理されており、探索者と認められた者しか中に入ることは出来ない。
ゆえに、ティルマリアはやってきたのだ。
「そうだ。あの塔を登りたい」
「で、ではこちらの申請用紙に必要事項を書き込ん――」
受付係が申請用紙をティルマリアに渡そうとしたその時、横から太い腕が伸びてその紙をひったくった。
「おいおいおい、だから本部は温いって、いつも言っているんだよ。こんな見るからに素人なやつをホイホイ探索者にされて困るのは、
紙を奪い取ってティルマリアを睨んでいるのは、黒い金属質の鎧を纏った大男だった。腰には、魔晶が機関部に埋めこまれた二本の魔導剣がぶら下がっている。
それを見た周囲の人々が再びざわつく。
「うわ……【黒鬼のバゼル】がまた登録希望者に絡んでるよ……」
「あれがBランクアーティファクトの、【黒竜の鎧】か。実物は初めて見たよ。あの鎧だけで一等地に豪邸が建つらしいぜ」
「でもよ、あいつ間違ったことは言ってないぜ? 何も知らない素人にこられて、〝
そんな風に周りがヒソヒソと喋る中、ティルマリアはその男を一瞥すると、すぐに視線を受付係へと戻した。
「……すまないが紙をもう一枚貰えるか」
「えっ!? あ、はい!」
受付係が紙をティルマリアへと渡そうとした瞬間、彼女の細い首に刃が突きつけられた。抜刀した瞬間が見えないほどの速さで抜かれたその刃は黒鎧の大男――バゼルの魔導剣だ。
「聞こえなかったか、小娘。お前みたいなやつにこられても迷惑なんだよ。探索者になるのは諦めて大人しく街で働いとけ」
「ば、バゼル様……ロビー内での諍いは、げ、厳禁です」
受付係が恐る恐るそうバゼルへと忠告するも、
「黙れ!」
と一喝され、震え上がった。
しかし瞬き一つしないティルマリアは、自らの首と肉薄する刃に目もくれず、固まった受付係の手にあった紙を受け取るとその場で記入をしはじめた。
まるで刃など存在しないとばかりに。
「……お前、もしかして俺には殺す気がないとでも思っているのか? 本部の中だから流石に暴れないだろう、どうせハッタリだろうって思っているんだろ?」
バゼルは低く、しゃがれた声でティルマリアを脅す。その身体からは、今にもティルマリアの細首を刎ねんばかりの殺気が溢れている。
「あー、すまない。この【あーてぃふぁくと】って欄は何を書けばいいんだ?」
しかしティルマリアはその脅しを無視して受付係へと質問する。
「ええっと……それはお持ちのアーティファクトを記入していただく欄で……」
わなわなと震えるバゼルなど眼中にないとばかりに、ティルマリアは会話を続けた。
「持っていない場合は、空欄でいいのか?」
「え、あ、はい。ですが、その場合はパーティを組めない可能性がありますし、特別講習を受けていただく必要がありますが」
「ぱーてぃ?」
ティルマリアは首を傾げた。キョトンとしたその顔は、迫る危機に一切気付いていないように見える。
「……うっし決めた、お前殺す!」
バゼルが無視された怒りのまま、持っていた魔導剣をティルマリアへと薙いだ。
しかし、その刃が首へと届くことはなかった。
「へ?」
轟音と衝撃がロビーに響く。バゼルが気付いた時には、彼は床にうつ伏せになって倒れていた。見えるのは割れた床だけで、何が起こったか瞬時に理解できなかった。
怒りに任せ、剣を振ったまでは分かる。本部内では抜刀はまだしも、いくら特権持ちである高ランク探索者であるバゼルであっても、傷害や殺人など行えば当然逮捕され、処罰される。だが、そんなことは彼にはどうでも良かった。警察にはコネがあるので、ほとぼりが収まればすぐに釈放されることを彼は分かっていたからだ。
だが、なんだこの状況は?
「おいおいバゼルの野郎、勝手に転びやがったぜ」
「意気込んだわりにダセえ」
「床の弁償代、高そうだな……」
周囲の探索者達がバゼルを見て笑っている。バゼルは恥ずかしさと怒りで爆発しそうになるも、それよりも何が起こったか分からないことの方が勝ち、混乱していた。どうやら端から見たら自分は勝手に転んだように見えたらしい。
そしてそこで初めてバゼルは両足に感覚がないことに気付いた。
「……なるほど。つまりアーティファクトを持っていないと戦力として数えられず、パーティ募集の条件から外れてしまうのか」
「あ、はい、そうです。塔登する当日までに用意出来ない場合でも、特別講習を受けていただければ我々から低ランク品ではありますがアーティファクトを支給いたします。その後にパーティ募集、または参加という流れになりますね」
あっという間に申請用紙を書き終えたティルマリアの、探索者登録が進んでいく。
「であれば構わない。パーティとやらも後日検討する」
「では、これが探索者仮登録証です。本登録証については明日には発行出来ますので取りに来ていただければと。えっと、一応新規登録者には塔登初心者講習を受ける事をオススメしているのですが」
「……それも検討しておく。以上か?」
「今日のところは。あとは実際に塔登される際にいくつか注意事項がありますが、それはゲートにて担当官から説明があると思いますので、その指示に従ってください。特別講習も担当官が行います」
「了解だ。世話になったな」
そう言ってティルマリアは踵を返すと、横でもがいているバゼルに視線すら送らず、颯爽とその場を去っていった。
「くそ!! 足が!!」
起きあがろうとするバゼルを遠目に見て嘲笑していた探索者達も、関わるのを嫌がり次第に去っていく。
閑散としたロビーに残ったのはバゼルと、壁にもたれかかったままバゼルを静かに見つめる青年だけだ。
暗い青色のローブを纏い、フードで顔を隠したその青年は、バゼルの足へと視線を向けている。
「……Bランクアーティファクトの脚甲を
バゼルが纏っている黒い金属質の鎧は、塔の中層に生息するBランクモンスターである黒鎧竜の素材を使った、古の時代に作成されたアーティファクトであり、その頑強さは竜の突進すらも受け止めるといわれている。しかしその脚甲の部分は、無残にも割れて砕けていた。
バゼルの足自体に傷は一見内容に見えるが、実は中の骨が粉々に砕けていることを青年は見抜いていた。今は鎧に仕込まれた魔晶の効果で痛みはないが、しばらくすれば激痛がバゼルを襲うだろう。
周りの探索者達やバゼル自身すらも、何が起こったかに分かっていない様子だが、その青年だけはその一部始終を把握していた。
ティルマリアが攻撃をされた瞬間に、恐ろしいほどの速度で足払いをバゼルへとかけていたことを。
そしてバゼルの脅しや攻撃を平然と受け流し、そのまま何事もなかったかのように去っていったその胆力。それが何よりもあの少女の実力を証明していると青年は考えていた。
「ただ速いだけじゃ説明が付かないな。あのブーツがアーティファクトなのか? いずれにせよ……面白い新人が増えそうで何よりだ」
青年がフードの奥で顔を歪ませた。そんな彼に、この探索者協会本部の制服を着た女性が駆け寄ってくる。
「……こちらにいらっしゃいましたか、シメオン様。【到達者会議】がもう始まりますよ」
「すまない。面白い気配を感じたから来てみれば……中々面白いものを見れた」
「はあ……」
「すぐに行く。遅刻すると後が怖いからな」
そういって青年――シメオンはその女性と共に去っていった。
「くそ……! あの小娘っ!! あいつだけは絶対に殺す!!」
バゼルの怒りの声だけがロビーに響いた。
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