第2話:塔へ
ミドレスト東区に位置する職人街――通称【
そこは、【天晶塔】で見付かったアーティファクトを元に魔導具や武具の作製や修理を行う機工士達が集まってできた街で、今も無数のアーティファクト工房が軒を連ねている。
高ランクの探索者ならば、誰もが一つや二つほど通う工房があり、機工士の中には自ら探索者となり、アーティファクトを発掘しに行く者もいるほど、その関係性は深い。
そんな街の外れに一軒の小さな工房があった。知らない者が見ればただの一軒家に見えるが、建物の横に設置されている魔晶炉が、そこが工房である事を物語っていた。
そんな工房の門を開ける少女がいた。探索者協会本部からの帰りに、いつものように購入した一輪の結晶花を片手に持ったティルマリアだ。彼女は門を通ってその先にある扉を開いた。その手にある花は透き通っており、夕日に反射してキラキラと瞬いている。
「ただいま戻りました」
人の気配が全くないその工房にティルマリアは入ると、そのまま玄関兼作業場になっている場所を通り過ぎていく。脇には小さなキッチンとテーブルセットがあるが、シンクもテーブルも、エーテル供給が止まり動かなくなった魔晶式冷蔵庫も、全てうっすらと埃が積もっている。ただ、廊下側にある一つの椅子だけが綺麗に清掃されていた。
ティルマリアは廊下を通り裏口から再び外へと出ると、そこには小さな裏庭があった。庭と言っても、あるのは鉄くずを組み合わせて作られた無機質なオブジェとその周りに山積みになった結晶花だけだ。
オブジェの周囲に積もった結晶花の山は、下の方が重さに耐えられず砕けているが、それでも青く美しく輝いている。
彼女はその山の上にそっと持っていた結晶花を置いた。その妙なオブジェは傾いた十字架に見えないこともなく、周りの結晶花は墓標に飾られた献花のように見えた。
「一年……経過しましたよ、マスター。結局その間、私は何一つ思い出せず、そして記憶を取り戻す必要がないほどの経験を、思い出を、作れませんでした。一年前と同じ真っ白なまま、毎日、南区の花屋まで花を買いに行くだけです。ですが今日初めて私は行動しました」
ティルマリアは微笑みを浮かべたままその奇妙な墓標へと語りかける。
「知らない物や事だらけでした。不思議な人もたくさんいました。私は探索者になりましたよ」
ティルマリアの記憶の中で、とある女性の声が再生される。
『一年。一年経っても、お前が何も思い出せず、そして思い出す必要がないほど思い出をもし得られなかったのなら……まだ、お前が白紙のままだったのなら――
それはティルマリアが持つ、数少ないの記憶の一つだった。
マスターの顔も仕草も、もはや思い出せない。ただ、口調だけは覚えていたせいか、今日の本部での会話では、自然とその口調になっていた。不思議と話していて違和感はなかった。
「私は……私を探しに登ろうと思います。それが――マスターとの約束ですから」
彼女はそう墓標に向かって語りかけると、しばらく無言で墓標を見つめ、その後工房の中へと戻っていった。彼女はいつもの椅子に姿勢良く座ると、そのまま目を閉じた。
普段なら何も考えず、次の日の花屋が開く時間までこうして座っているのだが、今日は違う。
明日どう動くかを考えなければいけないからだ。
まず探索者の本登録証を本部に取りにいく。今日、花屋のついでに探索者向けのアーティファクト屋を覗いてみたが、戦闘用のアーティファクトはどれも高価で手を出せるような金額ではなかった。なので明日は早速ゲートで特別講習を受けてアーティファクトを支給してもらう事にした。そうしてようやくあの塔が登れるのだ。いや、その前に初心者講習を受けた方が良いかもしれない。
これまでと違い、考えることが山ほどあることに、ティルマリアは自分が少し興奮していることに気付いた。それは彼女にとって――大きな一歩であった。
☆☆☆
本部で受け取った本登録証を携えてティルマリアがやってきたのは、ミドレスト南区にある、【天晶塔】と街の境界に位置するゲートと呼ばれる場所だ。
ここまで来ると、もはやその白亜の塔はただの壁にしか見えない。ティルマリアは上を見上げるも、広がるのは青い空とそこへとそそり立つ白い壁だけだ。彼女は視線を下ろし、正面にある大きな門を見つめた。
門の周囲には物々しい雰囲気の建物が並んでおり、街の衛兵らしき者達が厳しい視線を門と、門へと続く通りへと注いでいた。
しかしそんなものは気にしないとばかりに、パーティを組んだ探索者達がティルマリアの横を通り過ぎ、次々と門の中へと入っていく。彼女もまた、まっすぐにその門へと歩みを進めた。
門の横で暇そうにあくびしている黒髪短髪の衛兵を見付けて、ティルマリアは微笑みを浮かべながら声を掛けた。衛兵は支給品である白い鎧と魔導槍を装備しているが、あまり緊張感のない様子だ。
「すまない。初めて来たのだが、特別講習とやらはどこで受けられる?」
「んあ? 君、探索者?」
衛兵はめんどくさそうに返事すると、目を細めた。
「ああ。これがその証拠だ」
ティルマリアが胸を少し張りながら、受け取ったばかりの本登録証を衛兵へと見せ付けた。衛兵はポケットから小さな魔晶の付いた器具を取り出すと、ティルマリアの登録証へと
「えーっと、ティルマリアさんね。あー、確かに要特別講習ってなってるな。んー……」
衛兵は値踏みするようにティルマリアを見つめた。それから、何度か口を開いては閉じを繰り返す。
「なんだ? 呼吸ができないのか? すぐに医者を呼んでこよう」
本気で心配し踵を返したティルマリアを、衛兵が慌てて制止する。
「ちげーよ! いや、なんで探索者になったのか知らないけどよ……やめといた方が良いぜって忠告しようかどうか迷ってさ。いらない世話かもしれねえし、そもそも衛兵の職務でもねえしな」
頭をぽりぽりとかきながら衛兵がそうティルマリアへと伝えた。
「なぜだ? 私はちゃんと登録したぞ。登る権利はあるはずだ」
「いや、それはそうなんだが……中は君が思っている以上に危険な場所なんだ……君みたいな女の子が行くとこではないんだよ」
「どういうことだ? そうか……若い女性のみを阻害する何かが漂っているとかか。なるほど、それならば納得はいくが、だがそれに関しては心――」
「あ、いやそうじゃなくて……ほら、君って見るからに、か弱い感じだろ?」
「そうか? こう見えて、そこそこの性能はあるぞ?」
腰に手を当てて自信たっぷりといった表情を浮かべるティルマリアだが、衛兵の目にはやはり、か弱い少女が無理しているようにしか見えなかった。
「……もし思い直せるなら思い直した方がいいぞって話だ。あー、まあとにかく特別講習に関しては、門入ってすぐの黒い建物の受付でその登録証を見せれば案内してくれる」
「なるほど、忠告共々感謝する」
「……俺はイグリスだ。イグリス・エンドラス。なんか困った時に俺の名前出してくれもいい」
衛兵――イグリスがそう言ってまたぽりぽりと頭をかいた。
「そうか、イグリスか。覚えたぞ。私はティルマリアだ。困ったらイグリスだな。それも覚えた」
「お、おう。変なことに使うなよ?」
「変なことってなんだ?」
「……なんでもねえよ」
「そうか。では、行ってくる」
大股で、門へと進もうとするティルマリアへと、イグリスがもう一度声を掛けた。
「ティルマリア。良いか、命は大事にしろよ。やばかったら逃げろ。やばそうでも逃げろ。やばくなるかもって分かった時点で逃げろ。それは、何も恥ずかしいことじゃねえから」
「逃げるか。分かった、全力で逃げることにするよ」
「じゃあ、達者でな」
「そちらもな」
今度こそイグリスに別れを告げて、ティルマリアは門の中――つまり【天晶塔】の中へと足を踏み入れたのだった。
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