5話 水上バレー

「そろそろお昼食べましょうー!」


 彼女の提案により、近くの時計を見上げる。


 時刻は十二時半。僕達がプールに来たのが九時過ぎ。スライダーには二時間以上も費やしていたことになる。

 時間に気を配る余裕がないほど夢中になっていたらしい。


 純粋に楽しめていたとは……まだ子どもっぽいところがあったんだな。

 我ながらそれを嬉しく思っていたり、悲しくなっていたりと複雑だ。まだ高校生なわけだし、子どもというのも強ち間違いではないのだが。


 心中で議論しそうになっていると、僕を変な目で見た彼女は僕の背中を押してきた。


「どうせくだらないこと考えてるんでしょ」

「なぜ分かった」

「やっぱり……それはまあ、分かりますよ」

「ほう。やるではないか」

「なんで上から目線なんですか」


 呆れる彼女に、「自分で歩ける」と告げて隣を歩く。


 お昼はどうするか聞きたかったが、彼女の足取りが軽いところを見るにとっくに目的地は決めてあるようだ。


 僕も段々彼女を分かってきたな。

 妙に誇らしい気持ちになるのは良いとして……最終的な行き先が同じであっても、せめて僕に意見を聞いてほしかった。


「さあさあ速く行きましょう! 私お腹ペコペコで」

「僕も」


 彼女が選んだ売店は麺類の店だった。

 焼きそば、うどん、そば、ラーメン……など。


 もちろん豚丼やビビンバ丼などのご飯もの。メジャーなものを提供している売店もある……が、正直言ってナンセンスだな。


 それらを召し上がっている人達を貶している訳ではない。

 豚丼やビビンバ丼は僕も好きな部類。控えめに言っても大好きだ。

 だとしても、プールで選ぶかと問われればノーと答える。


 麺の方が食べやすい。例え食後の満腹度が同等になるとしても、麺類の方が喉を通しやすいから麺類にしようと決めていた。


 そのことを彼女に見抜かれていたわけではなさそうだ。

 メニューを真剣に選ぶ彼女はただ単に自分が食べたかっただけに見える。


 僕は冷やし中華、彼女は温かいざるそばを注文して席につく。

 後方に重心が行くようにぐったり座ると、よりはっきりと疲労感がどっしりきた。


 はあー疲れた。息を吐きながら脱力する。


「せんぱいがお年寄りみたい」

「それは僕にもお年寄りにも失礼」

「いやそれこそ失礼だと思うんですけど」


 確かにと肯定しつつ、話を変える。


「昼食後……何か希望は?」

「うーん……」


 彼女は頬杖のままプールの方へと顔を向け、ボケーッと眺める。


 その横顔には僕の思いとは違って、寂しさのような感情が見えた気がした。


 聞いておかなければ。

 奇しくもふつふつと湧き出てくる焦燥感に駆られ、どうしたと口を開けかけた時。間が悪いことに──


「あっ……せんぱい。注文取りに行きましょう」

「……ああ」


 やたらとうるさい呼び出し音が響く。作り終えたらしい。

 お互いに品を取りに行くために立ち上がる。


 それにより、彼女に聞く機会と瞬時に感じたざわつきを逃してしまった。


 お盆を受け取り席に戻ると、早速食べ始める。

 感じたことを尋ねるべきかで逡巡していたが、案外彼女がけろっとしていたのでやめておいた。



 何度か小話を挟みつつ、麺をすすること数分──

 彼女は満足そうに口元を拭いた。


「はあー……おいしかったです」

「僕も」

「では、この後はあそこにしましょう!」


 彼女がビシッと指差す方へ、体ごと動かす。

 背後を見てみると、


「波……あんなものまであるのか」

「……いくらなんでも知らなすぎでは? 本当にお年寄りなんですか」

「ここに来たことはない。だから知らないことは知らない」

「なら、私と一緒に知りましょうよ」


 返事を言う前に歩き出す後輩。


 何度も言わせるな。

 僕にも案を求めてから決めろ。

 控訴したところで彼女の選択が覆るとは思えないが。


 なんだかんだでそれを良しとしてる僕も僕なんだろうな。

 まったく……仕方ないな。


 苦笑する僕へと嬉しそうに破顔する後輩。

 またそんな彼女を見て、また苦笑いした僕だった。




 ──昼食後の休憩を取り。

 それなりにお腹を休ませた。


「せんぱいほらほらー! はやくー!」


 無邪気にはしゃぐ後輩の声は目の前のプールから。


 かなりデカい。

 立体的でそこまで面積を必要としないスライダーに反して、波プールはシンプル故にプール自体が広い。この施設の中で一番だ。


 構造として、プールの底は斜面。

 波をよりリアルなものにするためか、波だからこそこうせざるを得ないのか。

 恐らく両方だろう、手前は浅く奥が深いという構図になっている。

 

 手前側は子どもでも入れる深さで、そこが密集地帯でもある。

 いわば擬似的な海。


「分析はいいですからー!」


 そんなプールの端っこ。膝下までの浅瀬で。

 ビキニ姿の可愛いJKが僕に来いと手を振っている。


 昼食後ということもあり、少し眠気が出てきたらしい。

 これは夢……? と頬をつねりたくなるけど、これはちゃんと現実だ。

 しかし例えプールに来ていたとて、暖かい昼のポワポワとした空気には敵いっこない。下手したらこのまま昼寝してしまう恐れも……。


 目を覚ますためにも彼女の待つ場所まで移動する。


 誰かと来ている時に寝れるほど図太くはない。なれるものならなりたいものだ。

 この後輩は今までのことを鑑みるに、図太いに違いない。


 声を張り上げ、返事をしておく。


「そんなはしゃぐと疲れないかー?」

「私はまだ若いので大丈夫ですよー!」


 君は大丈夫でも他の方にとっては大丈夫ではない。

 周辺から複数のため息が耳に入ってしまう。

 その何気ない言葉はどれほど鋭い一撃か。

 子ども連れの方々にダメージが入っているので、お静かに。


「準備体操はー? 昼休憩後だから、やっておくべきだー」

「大丈夫ですー! 若さは力でーす!」


 周りをうかがう。……おーう。


「黙ろうかー」

「どうしてですかー?」

「なんでもだー」

「……? 若さは売りなんですよー!」


 ゆっくり、しかし着々と。ゾンビ感染していくかの如く。


「もうしゃべるなー!」

「若さをバカにしちゃいけませんよー!」


 主に、お近くの奥様方の目が死んでいく。

 だからやめなさい。言葉は暴力です。

 

 わざとか疑いたくなるくらい、若い若い言うではないか。

 周りに無差別攻撃を敢行する後輩は口を慎むべきだ。


 これ以上の被害者を出さないために、急ぎ足で彼女のもとへ。


「せんぱいは若い感じしないですね」

「自覚はある」

「あるんですね……」


 毎度お馴染み。呆れからの素早いシフト。

「さて!」とテンションを上げる後輩。


 彼女に意識が向いていたせいか気が付かなかった。そういえば、


「……波はどうした?」

「今は休憩タイムです」

「インターバルがあるのか」

「赤ちゃんとか小さなお子さんにとってはかなり危険ですからね。ずっとやるわけにもいかないんですよ」

「確かに」

「プールによって違うと思いますけど、ここは波十分と休憩五分ですね」

「ほう」

「それを一時間くらいやって、一時間の大休憩。みたいな感じだったはずです」


 なるほど。

 言われてみればというか、少し考えれば分かることだ。


 擬似的とは言え、ここは海と何ら変わらない。

 生物の類いがいないだけで溺れる可能性はある。

 もちろん自然の波よりかは規則的で優しいものになっているだろうけど。


 どちらにしても、波プールは決して楽しいだけではないと。


 僕達はもう高校生だから……で済ませて、無視するわけにもいくまい。

 ハメを外しすぎるといざと言う時に困るだろうから、警戒とまでは行かずとも心に留めておくくらいは必要だ。


 つまり、先輩である僕が意識しておけば良い話だ。

 

 波は危険だ。君も気を付けろ。など忠告しなくてもいいだろう。

 彼女も高校生。ましてや、あの後輩のことだ。大丈夫だろう。

 

 なにより……楽しそうな気持ちに水を差すのは野暮というもの。


「で、何をする?」

「私としては……二人でできることをしたいですよね」


 今は波の休憩時間。だだっ広いだけで普通のプールと同じ。

 そのせいか、周囲の人達も今は休んでいる。


 波と人の休憩は連動しているのか。この後輩は除いて。


「君は休憩しないのか?」

「昼にいっぱいしたので大丈夫です!」


 そういう問題か……? 

 まあ若いらしいので大丈夫だろう。僕は除いて。


「それにほぼ……一時的な貸切状態ですよ! こんなこと滅多にありませんからね!」

「一理ある……」


 大人はもちろん高校生でさえ、今は近くのベンチや持参したシートに座っている人がほとんどだ。

 寝っ転がっている方も見受けられ……その大多数が先刻の奥様方なのは気のせいとして。


 今もなお遊んでいる、もしくは遊ぼうとしているのは元気の有り余る子どもくらいだ。この後輩も含めて。


 座る大人達は遠い目でその光景を眺めている。

 ……うん。なぜか。その視線に含まれる感情が今なら分かってしまう。

 若いというのは良いものだな。


「せんぱい、また変なこと考えてません?」


 考えてない考えてないと曖昧に否定して、話を戻す。


「決めたか? 何をするのか」

「ずばり……バレーです!」


 そう言って、彼女は膨らませたボールを取り出す。


 そして彼女は得意げな笑みを浮かべる。どこか僕に対して挑戦的というか、勝ち誇っているというかそんなにやけ顔。

 そこまで珍しいアイディアとは思えないから余計に腹が立つ。


「さては、僕を侮っているな?」

「そうですよ。せんぱいは普通に運動できなさそうですもん」

「失礼な。確かに運動は苦手だが小学生までは習い事をしていた」

「えっ……何をですか?」

「ピアノ」

「……」

「なぜ黙る」

「ピアノ習ってたから運動してた、とは普通ならないでしょ」


 後輩から「何言ってるんですか」と軽蔑に近い感想をもらってしまった。


 運動が出来ない奴の負け惜しみと思われたのか。

 実際負け惜しみ以外の何者でもない。けど、何か勘違いしているぞ。


「僕は確かに言ったぞ、『運動は苦手だが』と。要するに手先だけは器用ということだ」

「いやなんで誇らしげなんですか……そんな戯言いいですからやりますよ」


 これ以上の問答は価値なしという判断で後輩がルール説明に入った。

 僕としてもただの恥さらしになるだけなので甘んじて受け入れる。


 ルールと言っても大層なものではない。

 プレイヤーは二人だし、ただの遊びレベルに制限はかけない。


 一度に触れていいのは三回まで。水や波を利用し、相手を妨害するのも可。

 一セットは十点。セットごとに休憩。セット数は飽きるか疲れるかまでで特に決めはしない。

 周りの人には注意。もし迷惑をかけた場合はマイナス二点。

 負けたら帰りにアイスを奢る。


 ──くらいなものか。


 ほほーん。奢り狙いなのが手に取るように分かるぞ。


「いいだろう。受けて立つ」

「私のセリフですけどね」


 軽口を交わして、彼女はサーブの構えをする。


 お遊びとは言えど、勝負は勝負。勝者と敗者を決めるもの。

 お互いに勝負事には真剣なのか、それともアイス欲しさにか。

 考えるまでもないが、負けられないのは事実。


 視線が交錯。架空の火花を散らす。

 つい燃えてきたぜと主人公を気取って言いたくなってきた。

 確かに、負けたくない戦いが今まさにこれだ。この場において、緊張感と気分が高まるのも致し方ない。


 スポーツ漫画の世界に共感していると、始まってもいないのに、彼女は勝ったと言いたげに笑みを咲かせた。

 それは悪役側の笑みだ。

 僕も邪悪な微笑みを返す。なぜか、うわっ……と真顔になったがまあいいだろう。


「……行きます」


 サーブを見ろ。と暗に観客へと訴えているようで。

 目測五メートルほど。上空にボールを上げた。目で追うと、天井が視界に入る。


 さながらエースによる絶対的な一撃を見たいと言っているようで。

 彼女のキレイなフォームは観客の視線をかっさらい、釘付けにして離さない。


 完璧と言える演出に誰かが息と水をのんだ。


 だが、高すぎる。悪手だ。

 上げれば上げるほど、落下プラス空気抵抗により打つタイミングがズレる。

 プールに波、という環境は安定しない。助走もつけられず、走り出すのも難しい。

 自然と位置も移動し、難易度が格段に跳ね上がる。

 

 彼女はバカなのか──否だ。

 違う。断じてバカではない。彼女はわざとやっている。


 彼女の目が物語っている。まさしく業物の日本刀の如きギラつきは勝者のそれ。


 はは。面白い。それが君の本気か。

 ならば、こちらも相応の力を見せねば失礼というもの。


 適度を心がけつつ。

 腰を落とす。足腰に力を入れる。


「来い」


 屋内施設、波付きプールにて。

 賭けるは、己のプライド。得るは、己のプルーフ。


 これ以降は、言葉では語れまい。いや、語るべきではない。


 僕達の熾烈な攻防は彼女のサーブから始まった。


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