4話 プールデート

 ──翌日の屋内プールにて。


 天井がガラス張りになっているドーム。その中にアトラクション様々なプールが入っている。

 一応日光は浴びているが、ここは屋内。


 プールならではの塩素の匂いや、スライダーなどの大型プールからの騒音、売店や波付きプールなどには水着姿の人達。

 それを見ればここはプールだと分かるけれど、どちらかといえば遊園地に見える。


 夏休みだけあって、人が多く賑わっている。

 親子、友達、恋人、スカウトやらで……スカウト? 

 色々な人達が水着姿で戯れ、夏を大いに満喫している。


 ああ、これこそ夏休みと言える。

 ならば僕も僕でこの夏を楽しむべきで。

 やはり、ここに来たからには確認すべきことがあるのだ──


「……帰るか」

「まだ水すら浴びてないですけど!?」


 隣の後輩が突っ込む。いい勢いだ。さてはボケより向いてるな? 


 だって、売店にはゴリゴリ君がなかったんだからしょうがないじゃないか。ダブルソダーはあったのに……ちっ。あの店主はダメだ。分かっていない。


「あのー……水着姿の可愛い後輩より先に売店覗くとか、先輩の脳は溶けてるんですか」

「ノー。屋内プールの醍醐味。売店の確認は必須」

「一応聞きますけど、何探してたんですか?」

「ゴリゴリ君。あそこの店長は愚かだから置いてなかったようだ」

「やっぱり。ゴリゴリ君がないだけでその評価は酷いですよ……」


 呆れから一転、「そ、そんなことより!」と大きめの声を張り上げる。

 どうしたと顔を向ければ、不敵な笑みを浮かべながらパーカーを脱ぐ。


 それにより、彼女の健康的な白い肌が露出。

 昨日の白い水着だ。僕が勧めたと言うか、着てほしかったフリル? 付きのビキニ。

 試着せずの購入だっただけに不安しかなかった。

 だが、さすがはこの後輩。見事なまでの着こなし。

 清楚であり、イマドキ感もある。可愛いと美しいが八体二、完璧なまでに実現させている。


 当然僕も含め、近くにいた男性の視線を独占した。まるで主人公が彼女であるのを裏付けるように、周りの騒音が一瞬にして止む。

 それだけ彼女の魅力は、誰がどう見ても最強ということを証明していた。


 彼女もこれを見越して、相当粘っていたのかもしれない。


「可愛いし美しいな」

「……あのー、私まだ心を準備できてなかったんですけど」

「……自分から見せておいてか」

「も、ももももしかして惚れちゃいましたか!」


 僕が今まで素っ気なく対応していた故なのか、ここぞとばかりに攻めに転ずる。


 そういえば普段から小悪魔と自称していたな。

 あまり調子に乗られたくないし、可愛い後輩とは言え彼女に照れるわけもないので忘れていた。


 なるほど。僕を照れさせ小悪魔としての印象を強めようとしているのか。

 ならばと僕は鼻で笑ってやった。


「はっ」

「なんですか! そこは照れるところでしょ!」

「そもそも、惚れてるのかどうか分からないから笑うしかないでしょ」

「……え」

「なんだ、どうした?」

「い、いえ、そ、その……惚れてない、とは言わないんですね」

「……まあ、分からないからな」

「そ、そうですか」

「……なんか含みがある」

「嬉しいって、ことです!」


 余裕そうな態度がすぐさま崩れ、あたわたとパーカーを着直す後輩。

 やけに周りが静かになったと思えば、様子が急変した彼女を見て、胸を押さえながら床に倒れる周りの人間達。

 ……なにしてんだ? 


「分からないにしても、可愛い後輩だから。ここまで来てる」

「……も、もうやめてください」

「なぜだ?」

「照れるからです!」

「……なぜだ?」

「もうこの話はいいですから!」


 今度は男女ともに、なぜか満ち足りた表情で成仏しそうな顔をしていた。耳を澄ませば「なにあのカップル……」「チッ。見せつけてきやがって」「尊い」など。

 理解し難いことを呟く周りはいいとしても……なんだ? なんか様子が変だ。


「じゃあ、どうする?」

「ウォータースライダー!」

「乗りたいのか?」

「は、はい! さっきのことも綺麗さっぱり水に流せますので!」

「それなら、シャワーだけでも」

「いや流れに乗らないで突っ込んでくださいよ」

「流れるプールならあっちだぞ」

「あ、確かに! ──じゃなくて!」

「はは、やっぱり君はツッコミの方がいい」


 なんとなく後輩の頭を撫でる。

 こういう状況が初めてだからなのか。後輩と来ているからなのか。今の僕には分からないし、違いも見出せない。

 どちらにしてもいつもの僕らしくないのだけは分かる。

 けど、自然とこうしたいと思った。


 後輩は後輩でいきなりの僕の行動に驚いているせいか、ビシッと固まってしまった。

 その反応を見ても、この行動が正解だったのかは判断しづらい。

 それでもこれだけは言っておきたかった。


「力抜け」

「……あ」

「なんかいつもより固い」

「……」


 指摘が的を射ていたのか、彼女は俯く。


「帰ろうとしたのは冗談。ただ自称小悪魔の可愛い後輩をいじめたくなっただけ」

「……」

「だから肩の力を抜け」


 今だに緊張しているようなので、ほっぺをぷにーっといじる。

 それで緊張が解けるならいいのだが……うーん。すべすべで柔らかい。


 まだ解けそうにないな。うん。ぷにぷに。柔らかい。

 まだまだのようだ。仕方ない。ぷにーん。いい触り心地だ。

 まだかかるようだし。やれやれ。ぷにぷにぷにーん。なんだこれ病みつきになりそうだ。


 そして、解すこと暫し──


「あのー……」

「どうした? 柔らかいな」

「ひふはで…………ほっぺ触ってるんですか?」

「君の緊張が解けるまでだ。……うん。餅みたいだ」

「もうとっくに解けてますけど」

「そうか、ならよかった。……あと十秒だけ」

「せんぱいが触りたいだけじゃないですか!」

「ああ、一割ほどな」

「嘘だー! さっきからめっちゃ真剣にぷにぷにしてました!」

「……よし、堪能した」

「今『堪能した』って言いましたよね!?」


 見れば普段と変わらずの後輩だ。見える範囲の肌が真っ赤なこと以外は。


「その調子だといつも通りだな」

「なんかしてやられた感が……」

「ウォータースライダー行かないのか?」

「行きますけど……せんぱいは」

「ん……?」

「その……女性と見るやほっぺに手を出す、頬フェチなんですか?」

「フェチではないが初めて触ったものだからつい……すまん、無遠慮だった」

「い、いえ……それなら許します」


 明らかな照れ顔を隠そうと、そっぽを向く後輩。

 やけにすんなりと引くとは……いつもなら、自称小悪魔ムーブをかましてくるのに、ほんとに大丈夫か? 


 しかし見た限りでは表情からも力は抜けて自然体だ。幾つか気になる点はあるが、なにはともあれ、さっきの解しが効いたようで何よりだ。


 羞恥から逃げるようにズンズンと進む後輩。その背に親じみた声をかける。


「準備体操はー?」

「し、しましたから! 速くスライダー行きますよ!」


 後輩ももう高校生。もはや子どもではない。過保護すぎるのも良くないか。

 こういうのが親心だったりするのか……分からんがなかなか複雑だ。

 不思議な気持ちになりながら、スライダーの乗り場に向かう。


 そこは予想通りの大行列。子どもから大人まで、男性も女性も。

 学校や海との決定的な違いは、やはりウォータースライダーだろう。

 人工的なアトラクションに意見は分かれるだろうけど、これ目当ての客も多い。

 現に、僕達も数分の待ち時間の末にようやく入り口が見えてきたぐらいだ。


 後少しで僕達の番が来るという時に、僕はあることに気付いた。


「これって二人乗り?」

「そうですよ? 知らなかったんですか?」

「普通一人乗りじゃないのか」

「……この列は二人乗りです」

「……ってことは一人乗りもあると」

「ええ、まあ」


 微妙に顔を逸らす後輩。

 僕の知識が及んでいなかっただけなので深くは追求できないが、何か勘違いがあったのだろうか。それとも後ろめたいことか。


「どうしてこっちを選択した」

「一人乗りは一人の時に乗れます。でも二人乗りは二人の時にしかできません」

「それはそれだけど……僕である必要はない」

「……し、知らないんですか? このスライダーはカップル限定で異性としか乗れないんですよ」

「カップル限定スライダー……」

「そうです。私は休みの日にこういう所に一緒にくるほどの友達はいませんから」

「だから選ばれたのは僕だったと」

「そうそう」


 その割に、目線を合わせようとしない。

 まあぶっちゃけ、何組か同性同士で乗っている組がいたのは見ていたから嘘なのは一目瞭然だ。


 問題はなぜバレそうな嘘を言ったのだが……。


「…………なるほど。理解した」

「な、何にですか」

「怖いんだろ」

「………………はい?」

「怖いには怖いけど乗りたい気持ちもある。そして友達もいないから僕と乗るしかなかった」

「……はぁ」

「それを悟らせないために分かりやすい嘘を言ったんだな?」

「地味にあっててコメントに困ります……」


 僕達の会話の間にも、どんどんと人がスライダーに乗り込み、列が前進する。

 あと五組ほどで僕達が乗り込む。


 ふと前方に視線を向けると、ある組が浮き輪を手に移動していた。

 通常のものよりも大きめの浮き輪が入り口付近に用意されているらしく。乗る組は乗る前に浮き輪を選び、それに二人が乗ってからスライダーを降りていくようだ。


 これは完全に意表を突かれた。

 でもここで逡巡していてもいいことはない。


 人気スポットだけあって、有名スイーツ店に匹敵するほど行列は凄まじい。

 後ろに控える人達のためにも僕達が詰まって、不快な思いをさせるわけにもいくまい。


 だから先に決めておかなければならないことがある。


「……乗る時だけど、君が前後好きな方を選んで」

「……私が決めていいんですか」

「僕としてはどっちでも同じだから」

「いや私もどっちも嫌でどっちも好きなので……同じなんですが」


 どっちも好きで嫌い……? 

 何を言っているんだ。なぜここで哲学チックなことを言い出す。


 自分でも意味が分からなかったのか。彼女は腕を組んで「うーん」と悩みだした。

 すると、結論が出たようで顔をこちらに向ける。


「せんぱいが決めてください」

「聞いてた? 僕はどっちでもいいと言った。それにこういう事は女子の方が気にするんじゃないのか」

「確かにそうかもですけど……うー。私じゃ決定打に欠けるんです」


 決定打って……。なんのだ? 


 そうこうしているうちに列は次々と前進。ついには目の前の一組が終われば、次は僕達だ。

 もうタイムミリットは迫っているというのに、選択権を委譲しないで欲しかった。


 だが決定権は完全に移ってしまったようで、彼女は「せんぱいが決めたのなら文句は言いません」と腕を掴んで訴えている。


 どうしたものか。

 頭を抱えていると、前の組が発進した。その光景に解を見出せたのは幸運と言える。


「よし。決めた」

「私はどっちもバチこい、です! どっちがあすなろ抱きをしても結果オー──」

「左右にしよう」

「…………左右?」


 一瞬の間が空いたのは、彼女が僕の発言に意表を突かれたからだろう。


「前の組もそうしてたから問題はない」

「……そうかもですけど」

「どっちでもいいってお互いに言ったはず」


 だというのに、なぜちょっと不満そうなんだ。


 しかし、ここで争える時間があるわけではないので。


「いいから乗る」

「はーい」


 浮き輪と言うよりはボートの近い物に二人で座る。

 元々前後で乗るのが前提とされているせいか、横向きで左右に座れば結構なスペースが出来てしまう。


 ここで、気を利かせてスマートに距離を詰めるのがモテ男なのだろうけど……僕にはできない上にする必要もあるまい。

 そう思っていたのだが係員と後輩からの圧力を感じた。


「あのー……スライダーに落ちてしまう恐れがありますので、出来るだけ寄り添ってください」

「……せんぱい。ヘイ、カモン」


 仕方ない。

 聞かれないようにそっと溢した僕は彼女との隙間を埋める。

 スライダーに落ちるかもしれない。

 そう忠告を、しかも係員から直接言われては……やるしかないではないか。


 ただ寄り添うだけでは後輩が飛ばされそうなので、ほぼ密着状態と言えるくらい接近する。

 肩同士が触れ合い、体温が直に伝わる。


 いきなりの肌の接触に彼女も動揺したらしく、「ひゃっ!?」と変な声をあげた。いや、いくらなんでも驚きすぎ。自分から言っといて。


 文句を言うなよ、と言う意味を込めて隣に視線を送ると、


「……恥ずかしいけど…………いい」


 スライダーの音に掻き消されるボソボソとした声。

 不覚にもその声と発した時の表情を見てしまっては、到底文句など口には出来なかった。


 ああ、情けない。

 プールに可愛い後輩と来ている。しかも二人っきりで。

 その事実が僕をソワソワさせるのか。それともこの空気にあてられたのか。


 なんだか、後輩の嬉しそうなはにかみを見て、喜ぶべきなのか悔やむべきなのかも分からない。

 どうしてというか、なぜかポワポワする。


 こんなのはおかしい。

 非常に言語化しづらい。僕が僕じゃないみたいだ。本当に僕かこれは。

 僕はどうしてしまったというのだ。


 先の見えない思考に悩んでいる僕には目もくれず、係員はこめかみに青筋を浮かべたまま大声を出した。


「楽しんでくださいね!」


 言葉と表情が噛み合っていない係員に押し出され、僕達と僕の思考はスライダーの波に飲み込まれていく。


「せんぱい、来ましたよ! きゃあああー!」


 このスライダーはそれなりに長い。

 しかも思いの外スライダーの勢いが強く、今この場では僕達の叫び声と僕達をさらう激流の音しか響かない。


 隣を見れば珍しくはしゃぐ後輩。その光景がとても新鮮で思わず笑ってしまったが、スライダーに夢中の彼女には気付かれない。


 彼女が楽しそうなので一緒に乗った甲斐もあるかもしれない。


 そう思えば思うほど僕も無性に気分が昂ってくる。

 今はこの二人しかいないわけだし、ちょっとぐらいはいいかと声を出してみた。


「おおおー」


 二分弱くらいか、スライダーで叫びながら滑っていた僕達。


 最初は後輩に言われたからと渋々乗っていたが、満足感ゆえの落差。終わったら終わったで寂しい感じがする。

 これは確かに楽しいと言ってリピーターができるのも納得だ。


 スライダーの評価を改めていると、後輩が終着場のプールを出た。


「せんぱいせんぱい! どうでしたか!」

「悪くなかった」

「おお! せんぱいにしては高評価なのでは?」


 僕も楽しめたと彼女には映ったようで、「ならもう一回もう一回!」と子どもがおもちゃをねだるように僕の腕をぐいぐい引っ張る。


「よし。もう一度だ」

「はい!」


 その後の大行列に待たされながらも、スライダーに乗り続けた。途中からカウントはしていなかったが十回は乗ったと思う。

 それだけ僕も彼女も楽しめたし、とても満足したということ。


 だが率直に言って、してやられた感じがしてとても悔しい。

 数回も乗って感じる心地の良い疲労感も、後輩の満足そうな笑顔も、それらを良いものと捉えている僕も。


 これをもし計算していたならば、後輩を小悪魔と認めるのも吝かではなかったと思うが……彼女を見る限りそうではなさそうだ。

 まだ小悪魔認定は先になりそうだな、と僕が見当違いなことに勝ち誇っている時、


「そろそろお昼食べましょうー!」


 そんな彼女の提案で休憩することになった。

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