2話 デート前

「せんぱい、暑いからデート行きましょー」


 大幅に省略した提案にため息を禁じ得ない。一回経験したことで心理的ハードルが下がっているのは確かだが、昨日も同じようにすんなりと言えなかったのだろうか。


「……どこに?」

「あれ? ……今日はやけに素直ですね」

「僕が軟禁してるらしいから」

「せんぱいが、聞き分けがいいなんて。……なんか気持ち悪いです」


 僕の従順な態度がお気に召さないらしく、訝しげな瞳を向けつつサッと椅子ごと後ろに移動させた。

 そんな大袈裟な反応はさすがに酷くないか。少し傷ついたので、気持ち半分本へと逃避する。


「せんぱい、そんな拗ねないでください。冗談ですから」

「拗ねてない……で、どこ?」

「おやおや? なんだかんだ言って楽しみなんですね。もう、ツンデレさんなんだからぁ〜」

「そう見えるの……」

「私には分かりますよ。せんぱいが積極的になってくれて嬉しいです」


 またしても弄ってくるので帰る支度を始めると、「冗談ですって、帰らないでください」多少なりとも反省したようなので席に座り直す。

 それを認めた彼女は、元から決めていたのか悩むそぶりも見せずに本題に入る。


「実はもう決めていまして……」

「はあ……」


 なら尚更さっきのやり取りは無駄だったようだ。もう呆れて突っ込むのも面倒なのでため息に留めておいた。


「ずばりっ……プールか海にレッツラゴー!」


 昨日家族と行く予定で、プールは僕のせいで不参加になった。そのことでわざわざ僕にアイスを奢らせるくらいなのだから相当行きたかったことがうかがえる。

 プールか海、ほぼ変わらない選択肢を用意しているあたり単純に涼みたいのか。

 

 正直どっちも僕にとっては同じなので、どちらにしようと不満はなくただ付いていくだけ。


「どっちでも」

「……せんぱい、二択にしたのに選ばないって、昨日自分でした発言をお忘れですか?」

「それとこれとは違う。プールか海は実質一択」

「違います」

「……例えば?」


 力強く否定するものだから彼女にとって何か考えがあるのか気になった。


「では、まず……プールと海の違いは何ですか? せんぱいの意見を、そうですね……三十字以内で述べてください」


 国語のテストで出てきそうな形式で答えを求める後輩は、どこか挑発的にこちらを見据える。何故僕を試そうとしているのか不明だが思ったことを簡潔に答えた。


「中か外か」

「五字以内!? もっとロマンのある言い方もできないんですか」

「ロマン…………人工か自然か、とか」

「もっと言い方があるでしょうに……」


 薄々分かっていたのか期待していなかったのか、「せんぱいはそうですよね」と呆れつつ、自分の鞄を漁り始めた。

 

 いつでも帰れるように、昨日とは違って手元に自分の鞄を置いている。

 彼女の頭は、どこか行くと僕に提案する前からどこかに行くと決定しているようで。しかも悲しいことに、僕がどうこう言って争っても、最終的にはまたどこかに連行される、もしくは諦めて付いていく未来が容易に見えてしまう。

 いつの間に調教されたのやら。全く……自由気ままで我儘な後輩には手がかかる。それを易々と受け入れつつある自分も大概だ。

 

 さてと……今は昼前で天気もいい。出かけるなら場所次第では今から計画を練っても十分に行ける。

 もうどうせ行くのが決定しているのなら、どっちでも良いとは言ったが僕はプールを選ぶ。


「なら君から見た違いは?」

「ロマンがあるかないか、です」

「直接的……」

「これは私の感覚でしかないですが……やっぱり自然にはロマンを感んじます」


 アウトドアを趣味としている人が言いそうなことだ。

 彼女は案外人間関係に冷めているから、一人で自由気ままに行動している姿は想像に難くなかった。


「…………海で決まりか」

「いえ、今回は近場の屋内プールで」

「……? 海にロマンを感じるのでは?」

「それはそれ、今回は今回です。だからプール行きましょう!」

「君が良いなら良いか……日時は? 今日?」

「今日は……水着を買いに行きましょうか」


 その考えは当然と言えるから不思議はない。

 ないが……正直理解できない。なぜたった数回の機会にしか登場しない物に数千円もかけるのか。

 

 そもそも水着は夏にしか使用しない。冬にも使用する者がいると言うのならそれはそれで良いと思うので口出しはしない。

 しかし僕は違う。

 夏にしか着用しないし本を読めるような環境でもない上に、前提として滅多に行かない。それに女子の事情は知らないが、年々に伸びる背丈や筋肉量も体格も大きくなるので毎年買い換えなければならなくなる。たかが夏休みの数日で数千円の出費はいかがなものかと思い止まる。

 

 それは例えるなら、『家族とこの後輩としか連絡しない、僕のスマホに数千円もかける必要はあるのか』と言い換えられる。このことを母に言ったところ、何故か憐憫と生温かさが混じった目を向けられたからわざわざ言ったりはしないけど……。

 

 要するに、勿体ないと感じるからこそレンタルで良い、と既に僕の中では決定されている。


「なら行くのは明日か」

「せんぱいの都合は大丈夫なんですか? 私はオッケーですけど」

「空いてる」

「では明日はプールに行って、今日はこの後水──」

「じゃあ明日に」

「ええ、また明日──ってせんぱいストーップ!」


 手早く荷物をまとめ早々に帰ろうとしたのに、右腕をガシッと両手で掴まれた。

 彼女もそのまま僕を帰そうとしていただけに、変な流れではないはず。何か不備があったのだろうか。


「……?」

「何で不思議そうな顔してるんですか! 減点対象です!」

「何か不備でも?」

「ありますよ!」

「どこに」

「……この後一緒に水着買いに行く流れだったと思うんですけど?」


 不満を隠そうともせずにジト目で僕を見上げる後輩は、器用にも僕を睨みながら机上を片付けている。


「僕はレンタル派だ」

「だとしても、です」

「はあ……」

「何で呆れてるんですか……」

「いや……数回しか着ないのに数千円も使うって、高校生は大変だなと」

「せんぱいも高校生なのに何でお爺ちゃんみたいなことを……勿体ないと思うなら何回も行けばいいだけです」

「そんな何回も行きたくない。家で読書したい」

「またそれですか……」

「ゴリゴリ君片手に」

「またそれですか!」


 もう帰ることに関しては異論がなく、施錠してすぐスタスタと昇降口を目指す。

 昨日と同様に、この時期にアイスの話題が出れば当然その手の話になった。


「せんぱいはもっとこう……ロマンがないんですか」


 独り言のボリュームで呟かれたそれは隣を歩く僕に届いた。

 人間関係にドライな彼女は、よく『ロマン』と口にする。今日だけで何度登場したかは分からないが、そんなに重要視することだろうか。しかもアイスまでにもロマンを求めていたらキリがない。


「アイスにもロマンか……サーティーンアイスとかタピオカの写真をSNSにアップ、とか?」

「何ですかそのモテない男子が考えそうなJKならこうだろ、みたいな決め付けは」

「実際、JKの生態はよく知らない」

「とびっきりの美少女JKなら左を向けばいますけど?」

「……君が言う、アイスに求めるロマンとは」

「無視ですかまあ良いです……ゴリゴリ君は確かに美味しいですけど、ロマンはありません」


 キッパリと格付けするように言い放つ彼女に少しの苛立ちを覚えた。やんのかこら。

 彼女にそういう意図がないのは理解しているものの、どうしてもゴリゴリ君をバカにされたと思ってしまい、僕の思いを主張する。本や読書、ゴリゴリ君のことだけはどうしても譲れないから。


「ゴリゴリ君にもロマンはある。かき氷にもできるのだが?」

「何で喧嘩腰なんですか……」

「食べ物の中で至高の一品だからだ」

「温厚なせんぱいがここまで攻撃態勢になるとは……ゴリゴリ君推しがすごい……」

「そこまで言うなら君の好きなアイスは? ゴリゴリ君か?」


 ゴリゴリ君も好きですけど一番ではありません、と告げた後輩には今度ゴリゴリ君を奢ろうと決意した。絶対にゴリゴリ君が好きになるまで帰さないからな。覚悟しておけ。

 

 それは良いとして……聞けば彼女はタピオカやスタバのようないかにもな流行り物は友達と行く時だけにしか口にしないと言う。

 特に変だとは思わない。ドライではあっても多少の友達付き合いをしているのは窮屈そうだな、とただ他人事のような感想を抱いた。


「ダブルソダーはロマンもあるし、私は好きです」

「ゴリゴリ君と同系統では?」

「せんぱい、分かってませんね」

「……何が?」


 ゴリゴリ君の方が下位互換とでも言いたいのだろうか。その場合、僕も脳をフル活用して君を論破させてもらう、小一時間ほど。


「確かに類似品ではあります……ですが! その二つの決定的な違いを考えてみてください」

「決定的な違い……」

「そうです。この点はかなり大きいです」

「………………味」

「そんなのは違って当たり前でしょう。両方とも美味しいのは当然として、二つには違いがあるんです」

「…………シェア、できる、こと?」

「最近日本語を覚えた宇宙人みたいな言い方ですけど、正解です」


 酷い言われような上に、その説明では納得できない。


「それのどこにロマンが?」

「それを聞いてもまだピンとこないとか……せんぱいの頭はバグってるんですか?」

「至って正常。ゴリゴリ君と本しか考えてない」

「十分バグってますってそれ」

「…………結局、どうして?」


 もう僕の感覚がおかしいってことでいいから、早く言え。なんかすごく引っ張られて気になる。


「全て、とは言えませんが……やっぱり誰かと何かを共有するのは、素敵だと思いませんか?」

「アイスは一人で食べたい」

「アイスは極端な例ですけど、そうは思いません?」

「共有……」


 だって割り箸と同じで、ダブルソダーをうまく二つに割れない。しかも量が多い方は毎回姉に取られるから、共有を超えて略奪されている。だからあまりいいイメージが湧かない。

 故に、ゴリゴリ君が最強だ。異論は認めん。


「まーた変な方向で考えてる……ダメだこのせんぱい」

「ゴリゴリ君と全面戦争するか? 『ゴリゴリ君の会』が黙ってないぞ。SNSで呼びかけるが?」


 かつての『ダブルソダーの会』との全面戦争を思い出す。

 数ヶ月に及んだ議論は未だに記憶に新しい、歴代の中でいい思い出だ。

 ちなみに『ダブルソダーの会』にいたメンバーも今は数多くいる。全面戦争の結果は、つまりはそういうことだ。


「なんですかそれ!?」

「構成はゴリゴリ君愛好部と研究部、それに向上委員会、後は──」


 うわーと少し否、かなり引いた反応を見せた彼女は、この流れを余程変えたいのか、強引に当初の予定へと思いっきり舵を切った。


「よしっ! 水着を買いにいきましょー!」


 右手を上に突き上げた彼女は駆け足で進み始めた。

 

 つい熱くなり余計なことをベラベラ喋ってしまった。愛するゴリゴリ君布教のためとは言え、今更ながら恥ずかしくなる。布教はいつだってあの後輩にできるのに……。

 

 その場で身悶えても置いていかれるだけなので、家で読書して中和させようと思い至った僕は小走りで彼女を追いかけた。

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