夏を後輩と

カダヒロ

1話 夏の図書室

「せんぱーい……暑いですぅ」


 力なく言った彼女は太陽に溶かされたように、机にぐでぇ〜っと上体を乗せた。

 エアコンの壊れた図書室は、もう拷問部屋と嘆きたくなるくらい暑い。ただでさえ夏休みゆえに少数だったのが、それのせいで利用者数はほぼなくなった。

 

 しかし、それはゼロに至っていない。

 僕らが毎日のようにいるからである。


「なら帰ればいい」

「図書委員会があるので無理です」

「今は君だけなのに?」

「せんぱいが帰ろうとしないので施錠できません」

「では僕が施錠しておくので、どうぞお帰りになってください」


 再び本へと目を向けようとしたら、彼女が上目遣いでこちらを見ているのが分かった。ただ獣みたく「ううう〜」と唸っているせいで上目遣いにロマンを感じなかった。少し残念だ。


「そういう問題じゃないんです……本来だったら今頃は家族でプールに行っていたのに……」

「今からでも行けば?」

「誰のせいでこうなってるんですか……しかも私だけ図書委員って……ほんとに誰のせいだと思ってるんですか?」


 自業自得、と切り捨てようとしたが咄嗟に飲み込んだ。

 この話題は何度も小言を言われている。

 

 委員会を決める際に、「せんぱいは何するんですか?」「図書室で読書」「なるほど……参考にします!」と勝手に誤解した。それを毎回僕が悪いと愚痴るのを知っているので、素直に謝っておく。


「ごめんごめん」

「最近それ言っておけばいいみたいに使ってません?」

「使ってない」

「……信用ならないので、言葉だけではなくて行動で示してくださいっ!」

「行動で…………帰る、また明日」


 手早く本を鞄にしまい、さっと席を立ち上がると、彼女も大慌てで立ち上がった。


「ちっがーう! なんでそうなるんですか!」


 先程僕が帰れないせいで帰れないから帰れ、みたいなことを言われた気がしたのだが、どうやらそれではお気に召さないらしい。扱いづらい後輩だ。


「せんぱい、座ってください」


 有無を言わさぬ圧力で着席させられる。


「いいですか、せんぱい。私はプールに行けずにこんな暑苦しい図書室に数時間も束縛されている。つまりせんぱいに軟禁されていると言っても過言ではありません」

「過言でしょ」

「口答え禁止です」

「……」


 一応指示通りに口を閉ざすと、彼女は満足そうに頷いた。


「もうここまで来てしまっては、せんぱいが帰って解決するほど簡単な話ではありません」

「はあ……」

「せんぱいが私に何かを施さないと解決されないんですよ」


 何を、と疑問に思っていた僕を見越したように提案してきた。


「具体的には……私とデートしてください」

「はあ……」


 どうしてそうなる。

 つい呆れのため息をこぼしたことに彼女はバカにされたと解釈したらしく、机をバンバン叩いて抗議の声を上げる。


「はいそこ、なんですか? 不満でもあるんですか?」

「不満というか、思考回路に疑問がある」

「……それは不満では?」

「君はプールくらいの施しをしろと主張している」

「ええ、まあ」

「ならさっさと鍵を僕に預けてプールに行けば解決する」


 また強く反発されるかと思いきや、彼女はわざとらしくやれやれと肩を竦めた。なんだかこちらを小馬鹿にしているようで暑さも相まってイラつくがなんとか抑える。


「それだけじゃ私を満足させられないとも主張しましたよ」

「……じゃあもう満足はしない、と」

「いえ、デートで満足してあげるので行きましょう」


 上から目線すぎてありがたみを感じないし、余計に行きたくなくなる。ここで「一言多い」と指摘するとさらなる面倒事を押し付けられそうなのでそれは流す。


「それ以外で満足は?」

「えー……まあ、あるにはありますが現在取り扱っておりません」

「在庫切れじゃあるまいし、それはどうしても?」

「あー……今じゃないというか、旬ではないので」

「魚じゃあるまいし……」


 ならばもうデートしか選択肢がないことになる。

 満足させる義理もないから「帰る」と見捨てることも可能だが、その後の絡みになんらかの毒を混ぜてくることは予想できる。そのため現実的ではない。

 

 となるとやはり、デートをするしかないのだが……。

 ああいう言い方をされるとどうしても……そこが可愛くはあるけども。


「とにかく、行きましょうよー」

「行くとしてもどこに?」

「んー……どこでも良いです」

「どこでもが一番困る」

「どうせせんぱいも『今日何が食べたい?』って聞いたらそう言うくせにー。いいからい行きましょっ、ね?」

「…………」

「……ね?」

「………………」


 懇願するような眼差しに敢えて返事をせずに帰り支度を進める。それを見た彼女は、見捨てられた小悪魔もとい子犬のように悲しげな表情を浮かべた。

 

 余程行きたかったのか落差が激しいな。苦笑してから肩に鞄をかけた。


「……プールは行けないけど、アイスは奢れる」

「──えっ」

「ゴリゴリ君なら五本買ってやる」

「………………私も準備してきます!」


 美味しい餌に釣られた彼女は、きょとんとしていた顔をキラキラと光らせてカウンターの奥へと走っていった。

 

 やけにニコニコした彼女は図書室を施錠すると、さっさと行きますよと言わんばかりに前を歩き出した。


「タピオカなら五個買ってもいいんですよね?」


 こちらに振り返った彼女は機嫌が良さそうに笑っていた。幾度と見せてきたその無邪気な笑みに、僕は弱いらしく、わざと大きなため息を出しながら俯いて視線を逃した。


「タピオカって、太ると聞いたけど」

「はい減点です、そういうの。否定しないってことは奢ってはくれるんですか?」

「ゴリゴリ君なら奢る」

「なんでそんなにゴリゴリ君推しなんですか」

「コスパがいい」

「確かに安くて美味しいは反則級ですけど……」

「食べながら読書、至高」

「そっちですか。まあせんぱいらしいですね」


 いつも通りの帰り道で、いつものテンポでこの後輩と喋る。

 結局、屋台のアイスクリームを一つだけ奢ることになった。

 

 早速頭痛い、と悶える後輩を僕は以前に比べて微笑ましく捉えている。

 こんななんとも形容し難い暖かさ。それはこの後輩といる時だけに感じる温もり。なんなのだろうか、考えてもまだ答えが見つからない。

 

 けどこのもどかしさは、小説を読む時と同じで苦しくはない。物語の登場人物達は、必ず現れる苦悩の壁を乗り越えてこそ成長する。ならば自分は最後まで彼らを見守り、最後を見届けるべきだと思っている。

 

 今度は自分がその体験をしているかもしれない、と思えばこの気持ちの正体が悪だろうと善だろうと、見極めるのが楽しみでもある。

 

 どちらにしろ、今はまだ分からない。

 だからこの光景がいつまでも続けばいい、とアイスにかぶりつく彼女を見てそう思った。

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