四
エリナの母ちゃんをどうやってラバーベイサイドまで連れて行くか悩んだけど、結局は西野と一緒にタクシーに乗り、その後ろにおれがバイクで追従する形で無事に到着した。
エリナの母ちゃんを乗る前にかなり脅したし、本人もエリナを殺したという事実があるせいか、降りてからも特別暴れたり抵抗することはなかったけど、精神がぶっ壊れたようにぶつぶつと何か呟いていた。
仮に四○九号室――部屋が開いていなくても、どれだけ待つことになっても今日ですべてを解決する。ぶつぶつと何かを呟くエリナの母ちゃんを西野と挟んで、ラバーベイサイドへ入ると、四○九号室は空いていた。すぐにボタンを押して、鍵を貰い、金を払った。
ここは三人までなら追加料金を払えば入れるタイプのラブホテルなので、追加料金を払うとしなびた手がルームキーを差し出された。
受け取るとすぐにエレベーターに乗り、四階を目指す。三人で乗るには少し狭かったけど、そんなことはどうでもいい。四階に着いてエレベーターを降りると、エリナの母ちゃんがその場で膝をついた。
「やっぱり、いッ行きたくないッ行きたくないッ」
エレベーターの中でガタガタと震えるエリナの母ちゃんは、そう駄々をこねるように言う。今更どうにもならないとエリナの母ちゃんの腕を掴んで、エレベーターから出した。
「おれだって行きたかねぇよ、でも、お前のせいだろうがッ」
「いやだッいやッ――」
エリナの母ちゃんは尚も抵抗する。あんまり騒がれて通報とかをされても迷惑なので、無理矢理に四○九号室に引きずって入れた。嫌がるエリナの母ちゃんを廊下に転がしたけど、這いつくばって部屋から出ようとする。それを止めようと髪を掴もうと前に出た瞬間、すっと後ろに居た西野が前に出てきた。
「彼氏の刑期は長いの?」
「――えっ?」
「あなたの元彼氏の刑期。詐欺で捕まってるんでしょう?」
え?とおれは思った。今ここで、それを聞く理由――?それがまったくわからなかったからだ。そう言えば、自称二中の番長・新山くんと話した後、それを報告した時もそれを気にしていたような気がする――。
「わかんないけど、六年くらい――仮釈が出ても――」
「そう、もういい――」
冷たくそう言い放った西野はふぅっとため息をついから、何か吐き捨てるように言葉を呟いた。
「え?」
「ううん、なんでもない」
それがなんだろうと気になったけど、もうそれは後でいい。マジで時間がなさそうだ。
エリナの母ちゃんを廊下から部屋の中に押し込むと、エリナの母ちゃんはバランスを保てずに、ベッド前に転がった。
時間がない。そんなことはわかってる。だけど、おれは――時間がないとわかりながらも、どうしてもエリナの母ちゃんに聞きたいことがあった。
「最後だ。教えて欲しい。どうしてエリナを殺したんだ。あんた、この部屋のノートにごめんなさいって書いただろ。そんな謝る気があったのに――どうして殺したりしんだよッあんたな――ッあいつがあんたの彼氏だかなんだかにされてたこと、知らなかったのかよッ」
おれは多分、かなり怒っていたのだと思う。エリナの母ちゃんのおれを見上げる顔が、恐怖で曇った。
エリナの母ちゃんからすれば、そんなことお前に関係ないだろうという驚きに不意を突かれたかもしれない。でも――おれからすれば関係なくなんかない。おれは見てきた、そして、エリナのやりきれない思いを確かに感じた。
おれはには――関係ない、知らなかったらしょうがないなんて思えない。もしもその時おれがその場所にいることができたらなら、間違いなく救うことはできた。いや――…救ってやりたかった。
滅茶苦茶な理論だと、そんなのは偽善だと笑われるかもしれない。
だけど、これはおれなりの贖罪、そしておれ自身がはっきりとさせておきたい。
「どうなんだよ、はっきり教えてくれよ」
おれはそうトーンを落とした。威嚇ばかりでは喋りたいこともしゃべることはできないだろうし、もう過度な暴力を加えるつもりもない。
「あの子が――あの子がいけない」
「なんでだよ」
「私のッ――私の彼氏に手を出したから、それで、妊娠なんかしてッ警察に言うって脅かすからッ自分から、自分から誘ったくせにッ」
「――…ッ」
エリナの母ちゃんからその言葉を聞いた時、そのあまりのおぞましさに胃液が逆流して吐きそうになった。同時に、再び激しい怒りもこみ上げてくる。臍の下から、ぐぅぅっと怒りという熱が込み上がってくる。
「それで、あんた――殺したのか、そんな思い込みでッエリナが自分から誘ったわけねぇだろうッ」
「誘ったんだよあの子はッあの人がそう言ってたんだからッ!ああそうだよッ殺したッばらばらにして、アタッシュケースに詰めて、そこの排水溝に捨ててやったよッ!内臓はほとんど生ゴミの日に出してやったっていうんだよッ時間をかけてねッ」
「――…ッ」
世界が回る。ぐるぐると景色が回るような感覚――狂ってる。この女が今――自分の口で何を言っているのか本当に理解しているのだろうか。嘘だとか本当かとかではない。この状況で狂ってしまったのか、もう、頭が…理解が追いつかない。吸った息が、うまく出てこない。
「あんた――どこまで――」
「もうやめよう市井くん。こういう人もいる。親に――恵まれない子だっている。私だってそうだよ。この人程じゃないけど」
西野がそう言っておれを制し、おれを見つめてからゆっくりと首を振った。その顔はもう何を言っても、聞いても無駄だよという意味と、もう時間がないという意味だと感じた。
おれは素直にそれに頷いた。これ以上の押し問答は無駄だというよりも、もう、この女から何も聞きたくなかった――という方が正解かもしれない。
「さぁ、行きましょう。排水溝を外して――エリナに謝って」
西野はそう言うとエリナの母ちゃんの腕を掴む。かなり抵抗したので、おれが西野に変わって、腕をぎゅうと掴んだ。
「いやッいやッやっぱり嫌ッ」
嫌がるエリナの母ちゃんを、風呂場へと押し込んだ。ドアから出てこようとしたけど、おれもまた中に入って、ドアを閉めて立ちはだかる。
「諦めろッほらッ謝れッ」
おれがそう言ってエリナの母ちゃんの肩を押すと、エリナの母ちゃんはエリナがばらばらにされて捨てられたという排水溝の近くに尻餅をついた。それと同時に、西野も風呂場へと入ってくる。じたばたとするにエリナの母ちゃんに、西野は冷静に言う。
「排水溝の蓋を外して、ちゃんと頭を下げて」
「いやぁッいやだぁ――やっぱ嫌、なんか、なんか嫌なんだよぉッ」
「早くッ」
西野がさすがにそう強く言うと、エリナの母ちゃんはその言葉にがくがくと頷き、震える手で排水溝のゴミを取るような蓋を外した。
そして、排水溝の前に正座をすると、地面に両手をつき、がたがたと震えながら嗚咽混じりの声を出す。
「エリナ、ごめん、ご、ごめんねぇ――」
エリナの母ちゃんがそう言って頭を下げた時――またあの強烈な腐敗臭がした。そして――排水溝の穴からにゅるりと何かが――。
「あきゃッ」
エリナの母ちゃんがそう叫んだのも無理はない。おれだってそう叫びたかった。その場面から目が離せず、西野の表情を確認することすらできない。身体全体は固まってしまったけど――ごくりと唾を飲み込むことだけはできた。
排水溝の穴から、にゅるりとエリナの腕が出てきて、その次に頭が出てきた。それは、一番最初に見た時と変わらない。艶がない汚れた髪、半分取れた鼻、裂けた口、割れた額。
そして――負の感情をすべて吸収してしまったような――真っ黒い瞳。
だけどその瞳は今回はおれではなく――。
「ああッああああッ」
エリナの母ちゃんを――見据えていた。
「ああ、ああああ――」
ぱくぱくと口を動かすエリナの母ちゃんは立ち上がろうと、逃げようとするけど、あわてすぎて滑って立ち上がれない。エリナはそんな自分の母親をじぃっと見つめているだけ――。
『死ね』
そして、くぐもった声でそう言うと、急ににぃっと笑い、エリナの母ちゃんの頭を掴んんで、排水溝の中へ引っ張り込んだ。
「は?」
掴んだ――というよりも引っ張った――ような。釣られたような――。エリナの母ちゃんはそのまま排水溝の中に頭を突っ込んだ格好になる。
「あかッ――かかッ」
エリナの母ちゃんの首筋に浮き出る血管、大きい排水溝とはいえ、頭と首が丁度入る程度で、そこまでしか入らない。肩が排水溝の淵に食い込み、血が滲んでいる。
「かかッかか――」
今度は、頭を突っ込んだまま足をついて四つん這いのような状態のままぐるぐると回り始めた。排水溝の淵に首元を削られ、どくどくと血始めた。
「お、おい――」
やっと動いた身体で西野を見ると、西野は大きく目を見開き、驚愕といった表情でその光景を眺めていた
おれだって驚いている、いや、それどころじゃない。運が悪かったとか、そういう状態じゃない。まさしくエリナに頭を排水溝の中に引っ張られて、もがき苦しんでいるような姿だった。排水溝の淵削られたエリナの母ちゃんの首から出た血が、少しずつタイル張りの床に広がっていく。
「こ、こんな――おいッ西野、こんなのお前ッ運が悪いとか、そういう次元じゃ――」
なんとか声を出す。西野にはおれの言葉が届いていないのか、変わらず、目を見開いたままエリナの母ちゃんを見つめている。
「かかッ――」
「おい西野ッどうにか――」
さすがに目の前で死なれるのは面倒なことになるだろうと思い、エリナの母ちゃんの足を引っ張ってやろうと近づいた瞬間、エリナの母ちゃんは動きをぴたりと止めて、次は手をついて逆立ちをした。いや、逆立ちをしたのは一瞬だった。そのまま――頭はすっぽりと排水溝の中に突っ込んだまま――。
「あ、おい――ッ」
おれは必死に手を伸ばしたけど、間に合うことなく、前に、仰向けに――。まるでこれが走馬燈かと理解できるほどにゆっくりとした時間の中――。
「あ――…ああ…」
――…倒れる。一瞬跳ね返った身体が、びくんと更に跳ねた。
「ああ、お…おい――」
どくん、どくんと――心臓が内側から思い切り胸を叩く。言葉は出ない。からっからに乾いてしまった喉は、言葉を発することを許さない。何か言葉を出そうとする前に、胃液か何かが登ってきたからかもしれない。
今まで、色んな暴力を見てきたし、振るってきた。だけど、今目の前にある光景は、そのどれとも違っていた。
エリナの母ちゃんは頭を排水溝の中に突っ込んだまま――首は、ぐにゃりと伸びていた。指は軽く開き、脇は締めたままの状態で微かに震えてはいるけど、昆虫を潰した時のような――ぴく、ぴくという最後の動きをしている。
これは間違いなくこのまま死ぬ。首の骨が折れているどころじゃない、伸びきっている。そりゃそうだ。排水溝の中にあんなに深く頭を突っ込んでそのまま仰向けになれば、折れるだろう。とてつもなく伸びた首を見ながら、おれも軽く震えながら、吐き気をなんとか抑えた。
この震えや吐き気は、一歩間違えれば、おれもああなっていたのかもしれないという恐怖からなのか。
運が悪いとか、そんなレベルじゃない。明確な殺意――呪いによる死。色々見てきたおれだけど、さすがに人が目の前で死ねば――言葉を失う平凡な高校生なんだと理解した。
「マジかよ――」
やっとそんな言葉を口にすると同時に、これからどうすればいいのか、悩んだ。いや、悩んだと言うよりも、パニックになった。
目の前で人が死んだ。
このままにしておいてもすぐに警察に通報されるだろう。異常な死に方だ、マジで捜査が始めれば、すぐにおれにたどり着くはずだ。
そして検死すれば、おれがエリナの母ちゃんを結構殴ったことがわかるだろう。それで捕まるのは構わない、だけど、そうなれば――エリナの母ちゃんの彼氏はヤクザだ、そっちの報復がだりぃ、親にも迷惑がかかるし、ヤクザにはおれのせいじゃないなんて――ましてやエリナのせいだなんて通じるはずがない。まぁそれは警察も同じだろうけど――。
それにヤマや亮介にもどう説明すればいいもんか――。
「市井くん、行こう」
「え?このまま――で?こんな状態で、人が死んだんだぞ、通報とかしなくて――」
「うん、通報なんかしたってしょうがない。もし警察が来ても、私達は何も知らないで通そう。実際に死因には関わってないわけだし」
「え、あ――」
確かにそうだけど、このままにして逃げても、結局は警察に追われるんじゃないかと思った。確かに、直接の死には関わっていないけどよ、そういう問題じゃ――。
「行こう、早く。後のことは、なんとかなるって願うしかない。それにこれは自殺、そして自業自得。市井くんだってわかってるでしょ?そもそも、私達には関係のないことでしょ?」
西野は焦っているようだった。でも、それはおれも同じ。焦っているし、パニくっている。軽い吐き気を押さえながら、西野の言葉に返す。
「でもお前、警察はそれでなんとかなっかもだけど、こいつの彼氏は――そう思わないだろ、キンタマ潰されて女連れてかれて死にましたじゃぜってー大変なことになんぞ。おれはどうなってもいいけど、お前は――」
「それは今話してもしょうがない。とにかくここから離れないと」
「でもお前――」
「行こうッ」
西野はそう言うとおれの手を掴んで強く引いた。おれはそんな西野の強い意志に押し負けてしまい、引かれるがままに部屋を出る。おれも多分、どうすればいいのかわからなかったんだ。西野の言う通り、本当はここからいますぐに逃げ出したかったんだろう。
無言のまま、早足でおれ達はラバーベイサイドを後にした。
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