「ここ――だな」

「そうですね――…」

 すぐにラバーベイサドへと到着する。ここはローボンから結構近い場所だ――今頃、ブルプラの奴らは集まってやがるだろうから、奴らにおれの愛車が見つかってもいたずらしないように目立たない馬車へ停車する。

 それから、このふざけた名前のラブホを見上げた――。

「――…」

 うーん、ぼろい。こんなしょっぱいラブホでも、ずっと営業を続けられるってことはやっぱ利用者はいるんだろうな。まぁ、男と女がその気になった時に、場所なんて関係ねーか。ベッドひとつありゃ、やることはひとつなんだしな。

「――行きましょうか」

 西野はそう言うとつかつかとフロントへ入っていく。おれもその後についていって、フロントの部屋パネルを確認する――。おお、よかった、四○九号室は空室表示になっている。西野と軽く何故かアイコントをして頷くと、四○九号室のボタンを押し、フロントのばばぁから鍵を受け取る。まぁそうだな、こういうさびれたラブホの受付はばばぁだと相場は決まっているもんだよな。

 エレベーターに乗って四階のボタンを押すと、西野が口を開いた。

「あの、さっきみたいなことって――よくあることなんですか」

「ああ――ごめんね。暴力なんて見たくないよね。あいつらブループラネットっていうカラーギャング気取りの奴らなんだけど、おれ、仲悪いんだよね」

「でも、ブループラネットって、結構有名なチームですよね?私も名前くらいは知ってますし」

「最後の二人見たろ?向かって来なかった。幹部連中はそれなりだろうけど、下っ端はあんなもん、数だけの烏合の衆だよ。昔はもっと気合い入ってたらしいけど、カラーギャングって時代でもないしね、もう」

「そ、そうなんですか。私達なんかからすれば、すごく怖い集団ですけどね…」

 そうこういう間に四○九号室の前に到着し、ばばぁから貰った鍵でそっと開く。

 そう、ブルプラとおれ――というよりもおれ達、おれと亮介は非常に仲が悪いというか、地味に付け狙われている。昔、うちのオタク集団がブルプラの奴からカツアゲをくらい、それを取り返したのが因縁の始まりだ。花ちゃんの件もそうだけど、おれはいつもそこまで悪いことをしていない。やられたから暴力でやり返しただけだ。いや、手段がよくないのか、いやでも、結局最後は暴力だもんな。国でさえ。

「普通の――部屋だよね、どう?」

「えっと――」

 四○九号室は、本当に普通のラブホの部屋だった。でけーベッドに、簡素なソファーと安っぽいテーブルの上に灰皿とライター。あ、テレビはかなりボロいうか、古い。

「ぶっちゃけ、霊的なもんはどうよ?」

 おれはそう言うと冷蔵庫からビールを取りだして呑んだ。ボタン式の、ぱかんッってなるやつだって言えばわかるよな?あのシステムだ。そんなおれの姿を見て、西野は大きく目を見開く。

「あ、市井くん、帰りもバイクでしょう?お酒はよくないですよ」

「ビールなんか酒じゃねぇって、麦汁だよ、麦汁」

 麦汁を身体に染みこませながら、ベッドにぼすんと座り込む。ベッドサイドに目をやると、小さめのメモ帳と、ボールペンが置いてあった。ちょい古いタイプのラブホにはよくあるやつ。自分たちのラブラブな空気とかを書いちゃいましょう!みたいな日記帳だ。

 不意に手に取る。まぁないとは思うけど、兄貴達が何かを書いている可能性もあるし。ぱらりとめくる、まずは一ページ目。

『お風呂場がなんかおかしい』

 二ページ目。

『何かに見られている感じがする、すごく嫌』

 三ページ目。

『この部屋、絶対なんかおかしい。風呂場から変な臭いがする』

 おいおいおい。ものすごい不吉なことが書かれまくっている。同じような内容の文章のページをぺらぺらめくるっていると、その――ページで手が止まった。

 霊感がない、おれでもわかる。この、不吉な感じ――。

「市井――くん?」

 急に硬直したおれに――西野が心配してそう声を掛けたけど、おれは西野の方向へ向けない。その不吉な言葉から、視線が外せない。そう、それはなんてことはない言葉、誰もが、何度も使ったことがあるだろうし、言われたこともあるはずだ。

『ごめんね』

 か細い字で、たった一言。それだけが書いてあった。震える手でその次のページをめくると、そこからは普通のいちゃいちゃ日記だった。この『ごめんね』の後から、この日記帳の内容が大きく変化する。

 おれにはまったく霊感がないだろう。実際、そんなものを感じとったことなんかないし、当然見たこともない。兄貴のことがなければ、一生信じることもない。

 だけど――。そんなおれでも、今は、ちょっと信じる気持ちになってしまう。何があったのかなんてわからないけど、確かに――この『ごめんね』を書いた奴は、その日、この場所で、何かをやましいことをしたのだ。

 それだけは何故か確信できた。そして、確信できてしまうほど、不吉だった。

「これは――」

 日記帳を見た西野も眉をしかめる。気持ちはわかる、霊感少女と呼ばれている西野であれば、この不吉さを感じるレベルはおれとは全然違うレベルだろう。なんていうか、うん、一言で言うなればマジやべぇんだろう。

「風呂場――ですか」

 西野はそう言いながらおれが持っていた日記帳を優しく奪うと、閉じてまたベッドサイドに戻した。何故優しくって言ったかっていうと、これは持ってはいけない、危ないよと少年だったあの日、おれから優しく親父の部屋にあったエロ本を奪った母ちゃんの姿に重なったから。

 西野がそっと立ち上がり、風呂場へと向かう。おれもそれについていき、西野の前に出て先に風呂場のドアを開いた。マジでなんかあった時、おれが前に立っていた方がいいだろう。市井時鷹十七歳、体力とタフネスだけには自信がありますッ!

 むわっと湿気った空気。鼻につくなんか変な臭い。風呂場自体はなんの変哲もない普通の変な形をしたバスタブと、少し大きめの排水溝がある風呂場だった。

「――なんてことないな、普通の――風呂場?」

「ええ――」

 風呂場からそっと離れて再びベッドへ腰掛ける。西野はそのままソファーへと座った。なんの進展もない。このまま朝までここにいるかどうか――。西野へと視線を移しながら口を開く。

「どうす――」

 そこでおれの言葉は止まった。西野の表情が大きく目を開いたまま硬直し、一直線に風呂場を見つめていたからだ。

「おい――」

 咄嗟に立ち上がり風呂場の方向を見るが、何もない。だけど、西野は風呂場をその異様に見開いた目で凝視していた。

「おい、まじでどうしたんだって」

 西野はおれの言葉になどまったく反応しないまま、風呂場から自分の足元へ首と眼球をゆっくりと動かすことで視線を移動させた。

 それはまるで――風呂場からおれの目では見えない何かがゆっくりと移動してきて、西野の足元までやってきたのだということを連想させた。膝に手をおいたまま、西野の視線は足元から胸元、そして、眼前の虚空にまで移動する。

「西野ってば――」

 西野の肩を掴むと、その身体は小刻みに震えていた。その表情はぐっと硬直していたけど、やがて――恐怖の色に染まった。くしゃっと崩れるように、その表情が文字通り、歪む。

「――…ッ」

 そして、おれは初めて見た。大きく見開いた人間の眼球が、ぐるりと上へ回転するのを。西野は眼球を反転させるとそのままソファーから崩れ落ちるように失神した。ふしゅうと大きく息を吐きながら。

「まじかよ」

 おれは何度も人間が失神する瞬間を見てきた。この失神は演技じゃない。ガチだ。脳震盪系の失神ではなく、呼吸器系?血管よくない系?の失神。いわゆるチョークスリーパーとか、おれがガキの頃に流行った失神ゲームとかでオトすとこうなるタイプのやつ。

「――たくッマジかよッ」

 すぐに西野の身体を掴んでソファーから完全に引きずり降ろすと、上半身だけを起こして、肩胛骨の間を鉄槌の部分で強く叩いた。かはっと西野が息を吐く、よし、もう一度。

「はぁッ」

 西野が覚醒すると、まずは自分の両手を眺めていた。そして、おれの存在に気付くと、いきなり強く抱きしめられた。

「はぁ――ッはぁ――ッはぁ――ッ」

 耳元に西野の荒い呼吸の吐息がかかる。おれも軽く西野の背中に手を回すと、軽く撫でた。ブラジャーのホックが指に当たった。

「出よう」

 おれがそう言うと、西野はうんうんと強く頷く。すぐにおれ達はその場からマジで言葉通り逃げるように立ち去った。

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