Ⅰ
愛車のTW200で学校から家に戻ると、家には誰も居らず、リビングの机の上にはラップが掛かったチャーハンが置かれていた。
がらんとした家。本当であればこの時間には誰かがいるはずだ。そう、兄貴が死ぬまではそんな普通の家庭だった。おれはちょっとグレてたけどね。
おれのバイクの音がうるさいと兄貴と母親に叱られ、「はいはい」と悪態をつきながらおれは自室に戻る。そんな生活だった。そんな生活はもう二度と戻っては来ない。兄貴は確かに死んだのだから。でも――涙は出ない。
両親はまだ色々と忙しいのだろう、兄貴の彼女の親も怒っているだろうし、警察にも何度も呼ばれているみたいだった。
二階の右のドア――自分の部屋のベッドにぼふんと飛び込む。時間は十四時。学校では授業がまだ行われている時間。そして、昼飯を食った後の睡魔に襲われる時間でもあるんだよな。
だけど、おれはそこまで眠くはない。下にあるチャーハンを食べる気にもなれない。
そう、兄貴が死んでからずっとこうだ。まともな食事をした記憶がない。
空腹にして何かを研ぎ澄まさせているのか、はたまた、精神とは別に肉体はダメージを受けていて、食事を受け付けないのか。
ベッドの脇にあるサイドテーブルに置かれた水を軽く飲んだ。やべぇ温かったし、これがいつ開封したペットボトルかすらも覚えていない。確か水は、直接口を付けて飲むと菌が大量に発生してすぐに駄目になるとか聞いたことがある。
まぁ、そんなことはどうでもいいか。悪い水を飲んで腹を壊しても、兄貴のように死ぬことはないんだからな。
ポケットに突っ込んだままのケータイが震える。すぐに取り出すと画面には『山下』と出ていた。出ようかどうか悩んだが、先程の亮介の言葉を思い出し、そっと通話ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもしじゃないよ、なんで電話でないんだよ」
「あ、ああ――」
久しぶりのヤマは、明らかにやべぇ怒っていた。いや、怒っているというよりも、なんというか、有無を言わさない勢いがあった。
「こっちは心配してんだよ?事情は察するけどさ、どーいうつもりかって聞いてんの」
「あ、ああ――すまんすまん。色々まだがちゃがちゃしててさ」
「わかるけど。学校に来たらしいじゃん、なんで私んとこ顔出さないのよ?」
いやいや、やはり怒っている。ヤマは非常にヤンキー的な素質を持っているというか――いや、最早ヤンキーだ。気が強くて姉御肌、そして世話好き、いや、むしろお節介。典型的な姉御系ヤンキー。
「い、いや、なんとなくだよ。なんか、お前に同情してもらうのもなぁって感じだったし。気まずいんだよ、おれだって」
おれがそう言うと、ヤマの怒気がかなり下がったのが、電話越しでもわかった。そうだよ、おれ、兄貴死んでんだぞ。なんでいきなりこんな威圧されてんだ。
「――もう、平気なの?」
ヤマはいきなりそんな優しい言葉を吐息混じりの甘いような、本当に心配をするような声で言った。こういう声を最初だから出してくれよマジで。
「まぁ、大丈夫ってか――なんかまだ実感がなくてね。兄貴が死んだっていうのがホント理解できてねーのかも」
「そう――」
今度はヤマの悲しそうな声。だが、その声が――どこか同情されているような気がして、なんかちょっと嫌だった。
「あんだよ、おれはとりあえず平気だから、そんな心配すんなって。ぼちぼち学校もちゃんといくからよ」
「時鷹、強がりじゃないよね?本当に平気なの?」
「ああ――今は、ね。実感ねーし、マジで悲しくなって泣き出したら、そん時は慰めてくれよ」
「――わかった」
ヤマがそう返事をすると同時に、キャッチホンの音がした。ケータイをちょっと耳から離して画面を確認すると、画面には『西野』と表示されている。おお、さっそくか。行動が早い奴は嫌いじゃない。昔から、考える天才より行動する馬鹿――ってね。西野はきっと馬鹿じゃないと思うけど。
「ちょっとキャッチ入ったからまた連絡すんよ。学校はそろそろでるからよ」
「うん――でも、電話はなるべくでいいから出て、やっぱほら、心配っていうかなんていうか――まぁいいか、またね」
「わーったよ、また」
おれはそう言うとすぐにボタンを押してキャッチを取る。ざざっと軽いノイズの後に、軽い咳払いが聞こえた。こっちが何かを言う前に、向こうから先に声を出す。
「もしもしッあ、あの、市井くんでしょうか?」
「お、おう。そうだよ。さっきぶり、かな」
明らかに電話慣れしていない感じだった。それはもう演技なのか、あるいは花ちゃんが乗り移ってしまったのではないかと心配してしまうほどに。
「すいません、いきなり電話しちゃって――」
「いや、別に全然大丈夫だよ。んで、どうした?」
そりゃあ電話番号を教えたんだ、いつ電話してもらっても問題はないぜ。いきなり電話っていうか、メールアドレスも教えてないから電話しかないんだけどね。とは思うけど口には出さない優しいおれ。
「いえ、その…今日のお話なのですが――」
「ああ、なんかわかった?」
「今日、一緒に行ってくれませんか?場所が場所ですし、一人で入るのもちょっと――っていう場所なので…」
その提案に少し驚いた。ややもやすると少し気の弱そうなお嬢さんだけど、やっぱ行動力はあるんだな。さっきも思ったけど、マジ行動力ある奴はやべぇ。尊敬の念すら覚えるよ。
そうか、今日いきなりか――。そんなことは絶対にないとは言え、一応はラブホ。男女が入れば大概はやることはひとつの場所。うん、なんか少しだけ緊張する。そんなことはない、そんなことはないと思いながらもさ。
「お――全然いいよ。ってか、是非お願いしたいくらいだよ」
「では、今日の七時に、海岸通り添いのコンビニ――あそこのローボンわかりますか?わかれば、そこで待ち合わせできますか?場所として、予約等はできないでしょうから、満室だと空振りになることもあるかもしれませんが…」
「了解。ローボンね、さすがにわかるよ。空振りだったらこちらこそごめん、でも、さびれたクソホテルだから、大丈夫だと思うよ」
「はい、では七時に、お願いします」
「おう――また」
おれはそんな軽く返事をしながら、一応シャワーを浴びていこうと決意した。同時に、ゴムがぼろぼろになっていないパンツも履いていこうと決意した。ああ、可愛いおれ。
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