四
また――これだ。動けない、何もできない、喋れない。エリナの部屋で浮かぶ浮遊霊時鷹状態。
『エリナ、開けろ。開けないと大変なことになるぞ』
この前と同じ男の声が、そう言いながらエリナの部屋のドアを強く叩いている。
今回もエリナの顔には黒くもやがかかっているけど、泣いていることはわかった。恐怖と悔しさ、そんな黒い感情がおれにも流れ込んでくる。
『エリナ、子供が出来たなら産んでもいいし、堕ろしてもいい。この部屋のドアを開けろ、早くッ!』
もう嫌だ、死にたいというエリナの感情がずずんと心に響く。
ベッドで体育座りをしながら両手で耳を塞ぐ、制服姿のエリナの足元には――実物はあんまり見たことないんだけど、いわゆる妊娠検査薬っぽい体温計みたいなやつが置いてあった。
おれは詳しくないから何が陰性とか陽性とかわからないけど、エリナは妊娠してしまったのだろうか。いや、あれ…エリナって――。
『エリナッ』
がぎんがぎんと鈍い音がする。男は鍵が掛かっているドアノブを強く回しているようだ。所詮は家の部屋鍵。いつかは突破されるだろう。ああ、おれが今実体化できたら速効でぶっ飛ばしてやるのにな。
どうして私が。なんで私が。何故私だけこんな目に合うの――。逃げたい。死にたい。殺したい――。
そんな感情が次々に押し寄せてくる。もう見たくないし、感じたくない。おれまでかなり辛くなってくる。
『エリナッ!』
ばぎんと一際強い音。ドアが破られ、男が入ってくる。その手には小さいバールが握られていた。
頭や胸がぎゅうと締め付けられるような痛み。エリナの感情が渦巻き、おれの心を締め上げる。恐怖や後悔、怒り――負の感情が次々とおれを締め上げる。
まさに混沌の坩堝だ。見たくない、もう見たくない。だけど、身体は言うことを聞いてはくれない。
小さいバールを持った男は、それを振り上げてエリナの足に――太ももに落とした。ぎゃっとエリナは足を押さえて蹲る。
『エリナ、大変なことになるって言ったよな、おれ、言ったよなッ』
今度は背中と肩。致命傷にならない箇所を男は叩く――。そう、繰り返し…繰り返し。
そして、やがて蹲ったエリナの足を男は掴むと――その脛に——。
「――…」
起き抜けは相変わらず最悪。前回も相当だったけど、今日のもかなりやばい。
どうしてこんな酷いことになってしまっているのだろうか――。そんなことを思ってもしょうがないとは思うけど、どうしてもそんなことを思ってしまうのは、普通の奴なら仕方ないだろ?
まぁ同情をするのはおかしいのかもしれない。おれの兄貴とその彼女を呪い殺され、西野も――おれ自身も呪われ、命が危険に晒されているんだから。
だけど――同情することを禁じ得ない。素直に可哀想だ。同情どころじゃない、激しい怒りの感情だって沸いてくる。それが、おかしいか?
おれだって多勢に無勢でぼこられたことはあるし、理不尽な暴力だって、一方的な暴力だって受けたことだってある。
でも、エリナの境遇はそれらとはまったく違う。回避できず、その場所で産まれてしまったから被ることになった不運――。
呪いなんてものが実在するなら、神様なんて奴だって本当にいるのかもしれない。
もし会うことがあるのであれば、おれは神様に言ってやりたい。あんたは不公平すぎる。だから、おれはあんたになんか絶対に祈らない。
「くそがよ――」
胸くその悪い中目覚めた今日は、土曜日で学校はない。充電してあるケータイを見ると、萩原からメールが入っていた。「卒業アルバムの件、それなりに集まる予定だよ。一回会わない?」
でかした萩原と思うと同時に、何か大切なことを忘れている自分がいることに気付く。あれ?なんだっけ、すげぇ大事なことだったような気がするんだけど――。まぁいいか。そのうち思い出すわな。
そういや、昨日は結局どうなったんだろうか。廃ボーリング場で待ち構えていたブルプラの皆さんは無事に逮捕されたのだろうか。
まぁどのみち、頭蓋骨をやってる阿久津はもうどうにもならないだろう。
つうか、頭蓋骨割れてて病院出てその後後遺症とか残らないのかな。いや、元から頭狂ってるから、ちょっと後遺症残るくらいが丁度良いのか。
やりすぎたかなぁと思ってたけど、そう考えれば世の中に貢献したと思えるから不思議だよな。
ブルプラの件は後でまた少年課の知り合いに聞くとしても、問題は亮介だ。後であいつとは話さないといけない。怒ったままのあいつを放置しておくのは、ブルプラを放置するよりもずっとやばい。まぁ、西野に危害を加えるようなことはないと思うけどさ。
本当に強い奴は弱者(女)には手を上げない。それはかっこつけとかそういう意味じゃなくて、ただ単に意味ねーから。
弱者に手を上げる優越感ってのは、向かってくる相手をぶっ殺した優越感とは全然違う。あれを知っていれば、弱者に対して手を上げる優越感が実は優越感なんかじゃなくて、ほの暗い鬱屈した感情だと気付く。
リンチなんかもそうらしいけど、ブルーになる暴力はよくない。まぁ――おれが言うなよって話だけどね。
萩原のメールの前に、西野からのメールも深夜入っていた。すごく丁寧なお礼と、自分のせいで亮介との仲が悪くなったら申し訳ないといった内容だった。
この文面だけを見れば――こんなにいい奴はいない。
あれだけの目にあって(おれのせいで)まだこんなことを言えるなんてすごい。
それには当然呪いのこともあるんだろうけど、おれが逆ならもっとダーティーな関係になるんじゃないかなとも思う。
だけど、昨日――わざわざ家まで来ておれを待ち、あれだけお願いというか、懇願をしてきた花ちゃんの姿を思い出す。
おれと西野の関係を切ることは――もう無理だ。せめて呪いが解けるまではどうしても関わらないといけないし、仲を悪くさせる理由がない。信用するもしないも何も、西野を信用しなければおれは死ぬだけだし、信用せざるを得ない。
それに、おれにはどうも信じられない部分もある。そんなに悪い子か?おれの目が腐ってんのかな。マジで悪い子には見えないし、感じたこともない。どちらかと言えばただの苦労人の世話好きっ子だ。
とりあえずベッドから起き上がり、萩原に連絡をする。萩原は長門軍曹の家に来て欲しいとおれに言った。長門軍曹?と思ったけど、萩原は仲の良い長門軍曹に協力をお願いしたのだろう。それを別に禁止してないから、まぁいいか。
長門軍曹の家か。また今日もおいしいカスティラァーさん、出るかなぁ。
そう、おれは甘かった。まるでカスティラァーさんのように甘かった。どうして長門軍曹の家に集合になったのかを、萩原が仲が良いからくらいだろとしか思っていなかった。
おれは忘れていた。長門軍曹には、粗悪な妹がいたことを――。
まぁ、こんな言い回し物語としてのひきが欲しいだけで、大袈裟なんだけどね。
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