おれが呪われた日。すでに起きたのは昼前だったから、おれ達は一度自宅へと帰った。

 西野曰く、霊感が弱いおれは具体的にどういう形で呪いという症状が現れるのかはわからず、何かあったらすぐに相談して欲しいとのことだった。

 少なくとも、かなり呪いが進行しない限りは、自分の目でエリナを確認することはできないとも言われた。裏を返せば、おれがこの目で――エリナを確認した時、それはもう呪いの終わりが近いということだ。

 呪いが進行すればするほど、おれとエリナの世界が重なり、例えラバーベイサイドの四○九号室でなくとも、コンタクトを取れるようになっていく可能性が大きいらしい。

 それと西野は、おれが積極的にエリナとコンタクトを取る必要はないとも言った。

 エリナとの対話はある程度の知識やいわゆる霊的な修行をしないと難しく、それをやるにはもう間にあわないし、おれは霊感が弱いから、まったくそういう才能がないとはっきり言われた。

 だから、わかりやすい役割分担。西野はエリナから情報を聞き出す担当。おれはエリナの母ちゃんを捜し出す担当、そして荒事担当。

 仮に母ちゃんが見つかったとしても、はいそうですかとあの場所へは戻らはずがねぇ。はっきりと何をしたのかはわからないけど――何か想像を絶するようなむごいことをしたんだろう。じゃないとエリナがあんな憎悪の塊のような目にならない。今思い出すだけでも軽く震える。

 絶対にシラを切るし、拒む。でも、認める認めないなんて関係ない。ブン殴ってでもおれはあの場所に連れていかなければならない。

 相も変わらず家には誰も居なかった。今日は飯の代わりに二千円がリビングのテーブルの上に置いてある。置き手紙も何もない。

 色々ありすぎて忘れてしまったけど、ブルプラの件で警察に呼ばれるのは厄介だな――。最悪拘束とか鑑別に送られてしまったら呪いはどうなるんだろう。まぁでもそれはその時に考えればいいか、結局、それしかないしな。今考えてもしょうがない。

 そう言えば今日――花ちゃんと話す約束をしていたことを思い出す。どうしよう――と悩んだ時に、家のピンポンが鳴る。そして鳴ると同時に、玄関のドアが開いた。

「おーい時鷹、いんだろ?」

 亮介の声だった。マジで信じられない。ピンポンに反応する前に勝手に人の家に入ってくるその神経。マジでどうかしてる。

「あ――あいつ寝てっかも。いいよ、入っちゃって。そこリビングだから、そこ居ていいよ。親とかいても時鷹んち全然大丈夫だから。母ちゃんもろメローだからさ」

「…で…それ…」

「だいじょぶだよ、とにかく、さ、入って入って。おれんちみたいなもんだし。起こしてくるよ」

 え?亮介が誰かを連れてきている。この感じはヤマではないけど――。連れて来ている誰かは遠慮しているのか、声がひどく小さい。すぐにリビングから玄関まで顔を出す。

「あんだよ、起きてたのかよ。すぐ出てこいよ」

「今帰って来たんだよ。つうか――亮介、お前――」

「い、市井くん。家まですいません――」

 亮介の後ろでもじもじと気まずそうに立っていたのは花ちゃんだった。マジか、そんなことあるか。あの花ちゃんが亮介と一緒にうちに来るなんてミラクルがあるのか。え?マジ?これ花ちゃんだよな?

「きょ、今日――約束したのに学校来なかったから。心配もあったし、どうしてもお話があったから――ごめんなさい」

 あんぐりとするおれに、亮介が花ちゃんの肩をぽんと叩いてからおれを見る。亮介、なぁ相棒よ。お前のような男――害虫が、花ちゃんに触っちゃいかん。穢れなき花園をお前は入るどころか、見てもいけないし、近づいてもいかんのだよ?

「まぁ――おれもさ。急に花ちゃんにお願いされてよ。お前に――話したいことがあんだってよ。おれもちろっと聞いたけど、なんつーか、うん、知っといた方がいいとは思うね。花ちゃんの中学では有名だったみたいだから」

「――は?」

「とりあえずリビング入れろよ、おれコーヒー入れてやっから、後は二人で話しな、私の太陽くん」

「昨日からなんなんだよそれ」

「にひひーん。内緒」

 亮介はそう言うと真っ赤な顔をした花ちゃんの肩を掴んでリビングへ通す。おれもそれについて行った。いや、ここおれんちなんですけどね――。


 テーブルを挟んで花ちゃんと向かい合う。亮介は鼻歌混じりにインスタントコーヒーを作るためにお湯を沸かしていた。ヤカンやインスタントコーヒーがある場所を熟知しているあたり、おれが如何にこいつと長い時間を過ごしたかわかって頂けるだろう。

「んで、どったの花ちゃん」

「あの…えっと」

 もじもじとする花ちゃん。いやまぁ、正直少しじれったい。マジでおれさ、へらへらしてるけど、呪われてんだよねマジで。今すぐにでもエリナの母ちゃん捜さないと命に関わるかもいれないいだよね、ほんとマジで。

 でもまぁしょうがない。花ちゃんにはお世話になっているし、これから出席簿の件ではもっとお世話になるだろうし。それに、亮介みたいなクソ不良を頼ってここまで来るなんてよっぽどの事があるんだろうから。

「実は、萩原くんが人と話しているのを聞いてしまって」

「――…」

 おれは、その言葉だけで花ちゃんが何の話をするのか、なんとなくわかった。萩原の野郎、人に言うなって念押ししたのに何やってやがる。おおかた人の良い花ちゃんのことだ、何か手伝うことでも――ってとこかな。

 だけど――おれの予想は大きく外れることになる。

「花ちゃん、大丈夫。こっちはうまくやってるから――おれは困っているけど――」

「違うんですッ」

 おれの言葉を花ちゃんは遮った。少し驚く。花ちゃんは顔は真っ赤だけど、必死な表情をしていた。

「あの――多分、多分というか…私少し聞いたり、調べたりしちゃったんですけど…オカルト研究会の西野さんに…何かを相談して、手伝ってもらってますよね?」

「――…ああ、そうだけど」

 ぴくりと、何か嫌な予感がした。花ちゃんはこれから、おれに何か凄いことを伝えようとしてる気配がした。

「それは…どうしても西野さんじゃないと駄目ですか。亮介さんや山下さん、あるいは私では手伝えませんか。何をしているかまでは聞いてないんですけど」

「どうして?」

 花ちゃんのその提案をどうにかする前に、それが何故なのか気になった。花ちゃんは明らかに西野を良く思ってはいない。

 どのみち、呪いを受ける前だって手伝ってもらうつもりどころか、喋るつもりもなかったし、今となってはもうマジで手伝ってもらったらやべぇから無理だよね。あ、いや、エリナ捜すくらいなら手伝って貰えるか。いやでも、駄目だ。亮介もヤマも、絶対全部知ったら呪いの四○九号室行くなこれ。しかも馬鹿にされるか、ガチでやばい薬の心配されるおまけ付き。

「実は、西野さんとは…同じ中学だったんです。でも、すごい…なんていうか、悪い噂がたくさんあって――」

「は?」

 おれは思わずそう言ってしまった。え?あんな女神みたいな子が悪い噂なんかあるのか?眼鏡に関しては軽く崇拝しているんだよ。

「その、あんまり人の悪口を言ってはいけないって思っているんですけど――」

「大丈夫だよ、はっきり言ってみ」

「昔、すごい年上の人と何人も付き合っているとか――いわゆる、援助交際してる、とか。同級生の彼氏をその…寝取ったり、そういうことを平気でする人だって」

「え?おま――いや、花ちゃん…マジで?そんな子にはとても見えないけど――」

「でも、実際に中学のそういう女子不良グループからはすごい…い、いじめを受けてたんです。彼氏に手を出した――とか、そういうことから」

 マジか。でもまぁ仮にそうだったとしても、今の西野からは想像もつかないし、別におれに害があるわけじゃないからなぁ――。援助交際は本当にしていたら少しショックではあるけどね。でも、それでもおれに害はないよな。

「それで――その、西野さんをいじめていた不良グループのリーダー格の女の子が、事故で亡くなってしまったんです。それが、西野さんの仕業って噂になって…」

「――…は?」

 話が飛びすぎて変な声が出る。

「マジで?嘘でしょ?」

「本当です。その人は私も知ってます。すごく怖い先輩でしたから。西野さんて、両親も知っている人は知っているくらいの有名な霊能者で、西野さん自身も有名だったんですよ。それで、西野さんが呪い殺した――なんて話で。それからいじめはぱったりとなくなりましたけど、西野さんとは誰も一緒にはいなくなったんです」

 花ちゃんはそういうとまた俯いた。亮介はそっとテーブルにコーヒーを置くと、花ちゃんの隣に座る。亮介が花ちゃんの肩を優しく撫でると、花ちゃんはまた真っ赤な顔をする。やめろよ亮介。穢れなき花園に触れるな、お前が、害虫が、ゴミ虫が。

「それで、結局ご両親も霊能者まがいの詐欺で何度も訴えられていたみたいで、今も行方不明だそうですし、そんな家庭環境もあって、更に孤立していってしまって。あれだけ噂になったので、家も引っ越しましたし、どこか遠くへ行ったのかななんて思ってましたけど、高校に入ったら居たので――びっくりしました」

「そ、そんな噂になってたの?」

「ええ――まぁ…そうですね」

「花ちゃん、はっきり言った方がいいぜ」

 いきなり亮介が口を挟む。

「亮介、お前知ってるのか?」

「いや、まぁ花ちゃんから聞いてね――。おれもちっと調べてさ。お前覚えてる?一年の時に辞めちったんだけど、カナって花ちゃんと同中の奴に電話して聞いたんだよ。死んだのはその不良グループの女だけじゃなくて、その西野って女の周りの奴、結構死んでるらしいよ。あくまで噂程度だし、そのいじめてた女ヤンキーも含めて、死んだ死なないなんてのは偶然だとは思うけどよ。まぁはっきりヤンキーに憧れる真面目系性悪クソビッチだっていってたね」

「――はい。私も、性格がいいとか、そういう風にはとても思えません。だから、市井くんが利用されてるんじゃないかって心配で――それに…私にも――」

 花ちゃんはそこで言葉を止めた。何かを言い出すのかなと思ったけど、花ちゃんは言い難そうに口を結んだ。

「ん――まぁどうあれ…」

 なるほど話はわかった。でも、それらがすべて事実だとしても、もうこの流れは止められないし、こいつらに手伝ってもらうわけにもいかない。

 いやーでもなんていうか、腑に落ちないな。そんな悪い子には見えないし、むしろマジですげぇ良い子じゃねぇかなって思うんだけど。だって、おれの為に命張ってくれてんだよ?こいつらには言えないけど、マジでおれ呪われてるし。

「んで時鷹、お前こそこそ何やってんだよ。この前ローボンでブルプラと揉めた時だって、そいつと居たんだろ?おれじゃ力になれねーのか?兄貴のことなんだよな?それでもまだ、その西野ってのとつるまないと駄目なのか?」

 疑問系多いよ亮介――。と思ったけど、今は黙っておく。

「全部終わったら亮介には話すけど、まぁちっとな。今はどうしても言えないんだ。それによ、西野は確かに花ちゃんが言うくらいだから悪い子なのかもしれねぇ。でも――今回は逆におれが迷惑かけちってさ」

 おれがそう言うと、亮介は「お前ほんと馬鹿だな」と苦笑いを浮かべたけど、花ちゃんは真剣な表情でおれを見つめていた。

「市井くん――」

 そしてびっくりした。花ちゃんはテーブルの上に置いたおれの手をぎゅっと握りしめる。すげぇ手汗がすごかった。言えないけど。

「私、本当に心配しているんです。市井くんに限って、無い、無いとは思うんです。でも、もしも市井くんがほんとに居なくなったり、それこそ――死んだりなんかしたら私――」

「でーじょーぶだよ花ちゃん。おれだよ?おれがんなよくわかんねーもんに殺されるかつーの。でもありがと、わかったよ。心には留めとくから」

「でも――」

 食い下がってくる花ちゃん。すげぇなマジだなこれ。

「じゃあ花ちゃん、こうしよう。もしもおれが死んだら、葬式で笑ってくれよ。あと、中途半端に生き残ったらマジで殺してくれ。事故とか病気とかさ」

「そんな…笑えないよ、そんなこと。絶対無理だよ」

 花ちゃんのタメ語。必死になるとタメ語になるのかな。全然いいし、そっちのがおれ好感もてるし、そもそもおれなんかに敬語使う必要ないからね。

「頼んだぜ――」

 おれがそう言って笑った瞬間、テーブルの上に置いてあったおれのケータイが鳴る。西野かもと思って画面を見ると、長門軍曹だった。なんだ?こんな時間に珍しい、まだ学校やってる時間だよな。あれ?そうすっと花ちゃんこれ抜けてきたのか。そういうのが不良の始まりなんだよ、駄目だよ花ちゃん。君は駄目。

「おーいどしたよ、この前結束バンドありがとね」

「もしもしッ市井さんですかッ」

「あれ?お前だれ?」

 声が長門軍曹じゃなかった。いやでも、どこかで聞いたような声だな――。

「自分です、柊です、眼鏡ですッ番号わかんなかったんで、長門くんにケータイ借りて――…」

「お、おお。なんだよ眼鏡、どうしたよ」

 眼鏡の慌て振りに少し勘ぐる。なんだよ、まぁた西野がなんかあったのか――?ついさっきまで一緒に居たんだけどね。

「いやッあの、助けてくださいッ部長がッはぁッはぁッ!」

「あんだよ、つーかあいつ学校行ったのか。落ち着けって」

「いえ、あのッ市井さんの元彼女の山下さんに酷い目に合わされててッ学校に来れませんかッお願いしますッ」

「――…」

 マジか――。胸がドッキンドッキンと大きく鼓動する。そのままがちゃがちゃと叫ぶ言葉は聞かずに、亮介に言った。

「あの…亮介さん。この件――て、ヤマ知ってるの?」

「――まぁ、ね。花ちゃん、ヤマといる時にこの話しちゃうんだもん…」

 ――亮介。マジで先にそれを言ってくれよ、なぁマジで。面倒ごとを増やさないでくれよ、ただでさえおれ死ぬかもしれねーんだから。

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