Ⅱ
「――くんッ」
真っ白い世界、遠くで声が聞こえる。その真っ白い世界を歩いて行く。
「――いくんッ」
声のする方向へ歩く。自分の身体を見ると、何故か裸だった。おれのマイサンも丸出し状態で、ひたすら声のする方向へ歩く。
「――ちいくんッ」
どうやら声の主は間違いなくおれを呼んでいるらしい。ぐんぐんと進むと、そこには茶色いテーブルの上に、赤いアタッシュケースが置いてあった。海外旅行で使うような少し大きめなやつ。
その隣には、髪の長い女の子が、アタッシュケースを指さしている。
まるで早く開けてみてくれと言わんばかりに、指さしている。
「――市井くんッ」
どうやら、声はその中から聞こえる。おれはアタッシュケースの留め金をばちんと外して、開く。おれのそんな行動を見て、女の子はうんうんと嬉しそうに何度も頷いていた。
ねちゃり――と粘着質な音と共にアタッシュケースは開いた。
その中には、ばらばらになった裸の女の身体がぎゅうぎゅうになって入っていた。
切断面はまだ赤黒く、そして収縮して丸まり、骨が突き出ている。
黄土色や茶色、そして桃色、赤色――色とりどりの臓器もぎゅうぎゅうになって詰まっていた。
そんなばらばらになった手足や臓器にまみれて、女の顔が半分だけ出ていて、おれをじっと見つめてから、おれの名をはっきりと呼んだ。
「――市井くんッ」
アタッシュケースにばらばらにされて詰め込まれていたのは――西野だった。
「うぉぉおおおおおおおおッ!」
飛び起きる。自分の悲鳴で目覚めたのは初めてだった。起き抜けで自分が激しく汗ばんでいることがわかった。
「はぁッ――はぁッはぁッはぁッ」
呼吸が整わない。ゆっくりと息を吸って吐きたいのに、それを身体が許さない。
「はぁッ――はぁッひゅぅぅぅ――」
「市井くんッ」
誰かがおれの背中をさすった。さっきの光景が抜けない、恐る恐るそっちへ後ろを向くと、そこには涙目の西野が居た。
まだここはラバーベイサイドの部屋の中――のベッドの上。おれの最後の記憶は、エリナと目が合ったその時。西野がベッドの上までおれを移動してくれたのか。
「西野――」
おれがそう言うと西野は顔をくしゃくしゃに崩し、大粒の涙を流す。
「どうしてッどうして来たちゃったのッ!?絶対に――絶対に来たら駄目だって言ったじゃんッ!」
「だってお前から着信があって、連絡が――来ないわけには――」
「それでもッそれでもだよッ!絶対に来ちゃ駄目だったッ!市井くんも、もうこれで逃げられないッ!呪われちゃったッ!ごめん、ごめんねッ私がもっと、もっと強く言っとけばッ!」
泣きじゃくる西野は、やがておれの背中におでこをつけてわんわんと更に泣く。
「ごめんねッ本当にごめんなさいッ!」
おれはそんな西野の謝罪を聞きながら、いやいや元はと言えばおれのせいだからと思っていけど口にはしなかった。
ふと、左腕を見ると何かに強く握られたような後が残っていた。
「西野、これでよかったんだ。もう逃げられない」
「駄目だよ、市井くんは呪われるべきじゃなかったッ!」
「いや――これは――」
おれはその先の言葉を飲み込んだ。これは――おれへの罰。
そう、これでよかったんだ。エリナのことを調べるといいつつ、おれはこの三日間ほとんど何もしていなかった。西野にまかせっきりで、ヒントが出るまで待とうなんてお気楽なことを考えていた。しかも我慢できずに、ブルプラの奴らと喧嘩をし、へたしたら拘束されるかもしれないというおまけ付き。
これは――そんなおれへの罰。然るべきして当然の罰。口では関わらせろと言っておいて、なんだかんだ西野に任せてしまっていた――そんなおれへの当然の罰。
間違いない。呪いはある、幽霊もいる。ここからは文字通り死にもの狂いだ。西野と二人でこのエリナの母ちゃんを捜して、ここに連れてくる。そう、どんな手段を使っても。
「ごめんねッ本当にごめん――」
変わりなく泣きじゃくる西野。死ぬかもしれない――。当事者になって初めてわかったのは、これはやべぇ精神的に重圧がかかる。期限付きの命――。
確かに、これは兄貴がおかしくなってもしょうがない。おれだって、もっと呪いというやつがはっきりとし、自分の死が間近に迫ればもっと、本当におかしくなっちまうのかもしれない。今はまだ、西野がいるという希望があるから、落ち着いているだけで。
だからこそ、これまでの西野が本当にすごいと思った。たった一人で、こんな重圧と戦い、たった一人であのエリナに会いに来て、対話を続けていたんだから。
「呪いの期限ってどんなもんなんだろう?」
「――え?」
「どんくらいまで、エリナは見逃してくれるんだろう?」
おれがそう聞くと、西野はきょとんとした顔をする。
「はっきりこうだ――とは言えないけど。そんなに短くはないと思う。ううん、捜そうという強い意思があれば、結構長い時間平気かもしれない。そんな無闇やたらに呪い殺しても自分にメリットはないし…」
「なるほどね、そうか――だから兄貴は逃げようとして、この街から離れようとして死んじゃったのかもな」
「そうかも――」
西野はそう言うと俯いた。そうか、捜そうという強い意志があれば大丈夫――か。なかなか優しい幽霊様じゃねぇか。やることははっきりとしている、おれは諦めない。呪われちまったけど、なんか気分はちょっと清々しい。でもそれはきっと――西野という希望がすぐ傍にいるからだろう。
「なぁ西野――」
「うん?」
「これ無事に解決したらさ、派手に酒飲んでさ、祝杯あげようぜ。おれ、マジでエリナの母ちゃん捜すから」
「――え?」
西野が驚いた表情を浮かべる。まぁ、提案が突飛しすぎて、突然すぎたかな。
「いや、全部解決したら、祝杯あげようぜ。そんな気分なんだ――やっと覚悟が決まった。マジで捜すから。エリナの母ちゃん。どんな手段を使っても」
「わ、私、あんまりお酒飲めないよ。こんな状況でそんなこと言えるなんて、本当に市井くんはすごい人なんだね」
――凄くはない。ごめんな西野、こんなこと今までまかせっきりで。
「もう泣かないでくれよ。元はといえばおれのせいだし、一蓮托生って奴だべ」
「――うん、でも、本当にごめん――」
「謝ることなんかなんもねぇよ。頼むぜ、西野さえ居てくれるならなんとかなんだろ」
「お役に立てれば――いいね」
まぁ――すごいのは西野、お前だよ。こんな生き死にに関わる状態で、おれのことをずっと考えてくれていた。関わるなと頑なな態度を示してくれた。
他人のことを――考えてくれていた。それはすげぇよ。おれならそんなこと考えられないもん。そして、西野がいつの間にか敬語をやめて、タメ口になっていた。
おれの方が年下だから、それは当たり前のことなんだけど、なんだか西野との距離が少しでも縮まったようで――嬉しいような、くずぐってーような、そんな不思議な気持ちだった。
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