なんだかんだと、お茶でもどうぞと西野の家に上がることになった。眼鏡は借りてきた猫のように大人しく座布団に座り、おれもまた座布団上であぐらをかいてはいるけど、少しだけ緊張をしている。

 西野の部屋は本当に普通の部屋。だけど、生活感がないというか――OLの一人暮らしのような部屋。間取りも広くはないし、家族がいるような気配はない。実際、まだ昼の三時くらいだけど、家には西野以外誰も居ないようだった。

「どうぞ、ただのレモンティーで申し訳ないですけど…」

 西野はそんなおれ達にレモンティーを持ってきてくれた。軽く口を付けたけど、まだめちゃ熱いので、そっと戻す。こんなん素面じゃ飲めねえってマジで。

「部長、違うんです。本当に僕は――部長の心配をしていただけなんです。行こうって言いだしたのは市井さんで…」

 この眼鏡、まだ言うか。下を向いてぼそぼそと喋っているので目で殺せない。眼鏡なりに対策をしてきたってことだな。

「柊くん、それはもういいです」

「は、はい――」

 冷たく眼鏡をあしらう西野。つうかこの眼鏡、ヒイラギなんてちょっとカッコいい名前だったのかよ。

「いやまぁ、西野すまんな。たださ、元はといえばおれのせいで色々あって、学校にも来てねぇ、音信不通だって言われたらさ、誰だって心配するだろ?眼鏡だって、おれだって心配でさ」

 あまりにも眼鏡が可哀想なので小さくフォローする。ああ、優しいおれ。

「市井くん、貴方は困った人です。関わって欲しくないと伝えたはずです。待っていてください」

「んなことできねぇよ、なんか進展とかないの?できることありゃ、協力してもらうかもって言ってたじゃんよ」

 おれがそう言うと、西野は軽くふぅっとため息をついた。まるで、言うことを聞かない幼い子に呆れる母親のような仕草。思い出せばおれもママンによくこれやられてたな。

「正直、わかりません。何かをしなければならない時、市井くんの力が必要になれば、その時助けを求めるかもしれません」

「――約束だぞ?」

 おれはここで少しだけ凶暴な面を出した。下から睨み付けるように西野を見つめる。

「――…」

 実は少しむかついていた。おれがなんで関係ないみたいな風にされてるんだ。元はといえばおれのせい。蚊帳の外ってのはちょっとっていうか、かなり違う。

「わ、わかりました。そんなに脅かさないでください」

「脅かすつもりなんかないよ、でも――やっぱおれがさ、関わらないってのはおかしいだろ」

「そうですけど、本当に命に関わるんです。まだ信じることができませんか?――柊くん」

「ふぁ、はいッ」

 急に名を呼ばれた眼鏡は、背筋がぴんとなりつつ変な声を出して反応した。

「柊くんはもう帰って。明日は学校行くから。もう心配しないで。ちょっと市井くん二人で話したい」

「は、はい」

 西野はおれをじっと見つめたままそう言った。前から思っているけど、西野は眼鏡にかなり冷たい。眼鏡はすぐに鞄を持つとそそくさと部屋から出て行き、「お邪魔しました」と大きめの声で言って消えて行った。

「――…」

 訪れるのはちょっと気まずい沈黙。少しぬるくなったレモンティーに口を付けると、西野がやや言いにくそうな調子の表情をしてから、口を開いた。

「本当の、本当に――自分が死んでも構わないと思っているのですか。怖くないのですか」

「――それはちっと違う。死ぬのは誰でも怖いべ」

「それならば、関わらない方がいいです。私だって、この呪いがどうにかなるなんてわからないんです。本当に死ぬかもしれないんですよ」

「だからって、はい宜しくってわけにはいかねぇだろ、巻き込んだのはおれだ。金でお願いしたんならともかく、手伝ってもらっているだけだし。それに――おれは、本当のことを知りたい、最初に言っただろ、おれは、おれは――兄貴の死を感じたいだけ。泣きたいだけ、兄貴の無念を晴らしてやりたいだけ。それは西野の手で、じゃない。このおれの手で」

「――…」

 西野はおれのそんな言葉を聞くと、下唇を噛みながら少し俯いた。

 誰だって死ぬのは怖い。幽霊なんて、呪いなんて――完全に信じたわけじゃねぇけど、兄貴も、兄貴の彼女も間違いなく死んだ。西野の言う通り、これは生き死にが関わっている問題なんだろう。

 だけど、死ぬからって、危ないからって関係ない、関わらないなんて言えるはずがないし、本当にそう思わない。西野はおれが巻き込んだ。それは事実。逆に、西野がおかしい、自分の生き死にの問題であれば、誰かに頼るのが普通だ、ましてや、それがこの問題を持ってきた当事者ならば。

「確かによ、おれは役に立たねぇのかもしれねぇよ。それに、死ぬのも怖ぇよ。でも、おれのせいで西野が万が一死んだりしたら、それが一番怖ぇ。どうあがいても、償うことができないから。例えおれが死んで詫びたって、釣り合わねぇ」

「本当に――」

 西野がそこまでを言って言葉を止めた。そして、少し涙ぐんだ。

「本当にそんなことを思っているのですか」

「思ってる。おれをもっと使って欲しい。なんかの役には立つかもだろうから」

「――わかりました」

 西野はそう言うと、しっかりと座り直した。おれもそんな西野の仕草に、少しだけ向き直る。西野はおれの目をまっすぐと見つめ、真剣な表情をすると、ふぅっと一息をついた。

「あの日から、二度、あの場所――ラバーベイサイドの四○九号室に行きました。そして、対話をしてきました。ほとんどお話にはなりませんでしたが」

「まじかよ、言えよ。なんで一人で――」

「何も言わずに、聞いてください。まず、あの子は市井くんの存在に気付いていた。そして今も――探しているということ。ただ、あの時は市井くんもまだ霊なんて信じていなかった。だからお互いに見つけることができなかった。でも――次はきっと違う。だからこそ頑なな態度を示してでも、もう市井くんを尚更関わらせたくない。あの場所に行かずさえすれば、呪われるということはないでしょうから、絶対にもう行っては駄目です。彼女からすれば、呪っている人数という分母は――大きければ大きいほどいい。自分の願いが達成される可能性が高くなるから。呪いは受けるだけこっちにメリットはありません。手伝ってくれるのであればそれは尚更です。本当に手伝ってくれるのなら、デメリットは極力排除したいです。それはわかってくれますね?」

 おれは西野が黙って聞けというので、黙ったままそれに頷く。すげぇ気になる。

「あの子は探している。自分の母親をあの場所に連れてきてくれる人間を。そこにどんな事情があったのか――まだはっきりとはわかりません。でも、ただそれを望んでいる」

「母親――?」

 うっかり口を開いてしまったけど、西野はその言葉に頷いた。

「そう、母親です。あの子の名前はエリナ。あの子の名前は教えてくれた、でも、母親の名前はわかりません。母親のことを聞くと怒りや憎悪といった負の感情から酷く取り乱します。それだけのヒントから、母親を捜すなんて難しい、だから私は、何度でもあの場所にいくつもりです。少しでもヒントを得るために」

「――一人でかよ。それって危なくねぇのか」

「危なくないと言えば嘘になります。この前みたいに気絶することはあるとは思います。でもとりあえずは死にはしないと思います」

「おれも行こうか」

 そう言ったおれに、西野は首を振った。ゆっくりだけど、その仕草には強い意志を感じる。

「駄目です。市井くんは二度とあの場所へ行ってはいけない。今度は確実に呪われます。もうあの子の名前を聞いてしまいましたし、まったくの無干渉というわけにはいかないでしょう。少なくとも、重なってしまう」

「重なる?」

「エリナの世界と、市井くんの世界が、です。そうすればもう逃げられない。私と同じように、確実に呪われます。市井くんの気持ちはわかりますが、そんな無駄なことをする必要はないです、わざわざ、呪いなんて受ける必要はありません。市井くんが本当に協力をしてくれると言うのであれば、お願いがあります」

「なんでも言ってくれよマジで」

 おれの口調はそんな調子で軽かったけど、それは本心だった。

「その、エリナについて調べて欲しいのです。この街で何かあったはず、私はエリナと直接話す。市井くんはエリナについて調べる。それで、どうでしょうか――?」


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