女性に暴力はいけません

公血

女性に暴力はいけません

繁華街に設けられた喫煙所。

コロナ禍の昨今でもこの喫煙所には人が集まり、密な状況が形成されていた。



疲れたサラリーマン。

水商売風の女性。

作業着を着た中高年男性。

顔ぶれは様々だ。



その中で、一際派手な雰囲気のカップルがいた。

男はホスト風で、胸元を開いた紫のストライプシャツに白いスーツを着ていた。

女はピンクのニットに丈がかなり短いミニスカートを履き、ギャル風のメイクをしていた。


男がタバコを吸いながら女の至らなさを声高に叫んでいる。

時折髪を引張りながら、女を恫喝していく。


女は頬と口元にあざを作っていた。

この関係性から察すると、どうやら男に殴られた跡らしい。

その後も、男はしおらしく項垂うなだれる女に向かって罵倒し続ける。



「おらぁ樹里亜ジュリア! てめえはなんでいつも当たり前の事が出来ねえんだ!? ああん!?」

「や、やめて流輝ルキ。人前で暴力を振るうのは駄目だって……」

「髪を引っ張ってるだけだろうがッ! 調子乗って口答えしてんじゃねえぞ!? ああん!?」



二人の行動は喫煙所内の利用者から白い目で見られていた。

派手な風貌のギャルとホストのいさかいだ。

誰も好きこのんで仲裁になど入らない。


と、そこに一人の老齢の男性が歩みよってきた。

長身で背筋の伸びた、品のある男だった。



「いけませんな。暴力は」

「ああ!? 誰だてめえは」

「誰だと問われたならば名乗らければなりませんな。斎藤と申します。年は63になりまして、現在は退職し年金暮らしをしております。趣味は……」

「んな事聞いてねえんだよ!! なんで俺らの間に首を突っ込んできてんだよって話だ!」

「あまりにもそちらの女性が悲しい顔をされてましたんでな。僭越ながらお二人の問題に干渉させていただくことにしました」



突然現れた老人の存在に流輝は困惑した。

一見して半グレにも見える自分に、因縁を付けてくる男なんて初めてだ。

おまけにいくら恫喝しても怯むそぶりを見せない。

この男只者ではないのかもしれない。



「んで、なんのようだよ。俺は髪引っ張っただけで別に手は出してねえぞ」

「樹里亜さんでしたか。口元に痣があるようですが、そちらの傷はいつどのような経緯で作られたものですか」



樹里亜は口ごもった。唇を噛んで下を向く。



「沈黙がすべてを物語ってますな。流輝さんに殴られたと見て間違いないですね」

「うるせえよてめえ!! 関係ねえだろうが!」



口角泡を飛ばし激昂する流輝。

その時、街頭の大型ビジョンでは、NHKのニュースが流れ「本日未明、埼玉県に住む23歳の女性が何者かに刃物で刺され死亡する事件が起きました」と報道された。



「他人事ではありませんな」

「ば、馬鹿じゃねえの! どんなに腹が立ってもさすがに殺しまではしねえっての」

「本当にそう言い切れますか? 自分では止めようと思っても近頃暴力がエスカレートしてきているのではないですか?」

「そ、それは……」



図星だった。

最近自分でも怒りを制御出来なくなりつつあった。

昨日も樹里亜と小さな事で口論になり、思わず手が出てしまったのだ。

ばつの悪そうな顔の流輝に、老人は優しく語りかける。



「ある一人の男の話をしましょう。男には愛する妻がいました。互いが互いを思いやり、夫婦生活はとても円満なものでした。ですがその幸せな日々はあっけなく終わりを迎えてしまう事になったんです」

「……一体なにがあったんだよ」

「それまで二人の間には大きな争いがありませんでした。今になって振り返ればそれがよくなかったのかもしれません。ある日、ささいな口論が白熱し、激昂した男が妻に手を出してしまったのです。その後、二人の間には冷たい空気が流れました。どれだけ謝ろうと思っても時、既に遅し。壊れた夫婦茶碗は二度と元に戻る事が無かったのです」



老人の独白を、流輝は真剣な表情で聞いていた。

根は素直な性分らしい。

老人に質問を投げかける。



「あんたは……、いやその男は後悔していないのか? その、愛してた女と別れちまうことになって」

「きっと海よりも深く、地の底まで沈むような後悔の念に囚われている事でしょう。覆水盆に返らず。男は悲しみを背負って生きていくのでしょうな」



その言葉を受け流輝は、叱られた子供の様な表情になった。

やがて、樹里亜を見つめると、蚊の鳴くような小さな声で謝罪した。



「悪い。昨日はどうかしてた。謝る」

「ううん、いいの。わたしも悪かったから。流輝のせいじゃないよ」

「いや! 俺が全部悪かった。じいさんの話聞いて無くしちゃいけないものに気がついた。俺もう一生樹里亜に手を上げない。だからこれからも一緒にいてくれ」

「……うん」



見た目に反して純朴なカップルのようだった。

老人は二人の関係が修復された事を見届けると、足早に喫煙所を離れた。





◇◇◇



――老人は大型ビジョンで流れたニュースを見て、心臓が止まりそうになった。

まさかあんなに早くが見つかるとは。

若者に説教などしている場合ではなかった。


ぼんやりしてはいられない。

一刻も早く高飛びしなければ。

すでに手はずは付いている。

港まで行き、フェリーを乗り継いで沖縄へ向かう。

その後は東南アジア行きの小型船に乗って日本とはオサラバだ。



「早く行方をくらまさないとな。まったく、40歳も下の若い妻なんてもらうべきじゃなかった。壊れた関係は二度と元には戻らん。フィリピン辺りでまた新しい綺麗なでも買おうかね」



老人は姿勢のいい立ち姿でタクシーを呼び止めた。

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