015 第3話 第二次世界大戦 を投稿し終えました。

 本エッセイは拙著「はじめさんが はじめから はじめる! ~タイムスリップ歴女コスプレイヤーはじめさん~」の最新話のネタバレを多分に含みます。エッセイの題もしくはエッセイ冒頭の表記話数をまずご確認いただき、ご自身の読書進捗度と照らし合わせて読み進めるか止めるかを予めご判断ください。

 では、以下から新規部分です。どうぞ。




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 はじめさんがはじめからはじめる、第3話いかがだったでしょうか?


 戦後75年ですからね。2020年に生きる若者の祖父が75年前に成人しているっておかしいと思われた方は第1話の読み込みが足りません。

 父親は1945年に生まれ、一度結婚した後に妻に先立たれ、その後再婚、1995年に主人公を授かっています。主人公が生まれた時には父親は50歳だったんですね。

 その父親の父です。劇中にはその描写はありませんが、1920年生まれの、1945年時点で25歳になります。


 25歳主人公の父親が仮に30上としたら55歳、祖父がその30上としたら85歳になります。2020年に85歳だったら終戦時は10歳ですね。従軍できません。本作では、どうしても主人公の祖父が戦時中に成人である必要がありました。

 ではもう少し間隔を広げれば届きます。ですが父が幼少時にあまり遊んでくれなかった設定は早くからあったので、いっそここを極端に広げてやればその設定に説得力が生まれるかなと思い、そう決めました。


 そんなに年齢で無理をせずに曾祖父にしたら? というご意見が聞こえて来そうです。

 私もそれは悩みました。しかし、どれだけの人が物心ついた後に曾祖父と会話をした事があるかを想像して止めました。もっと身近な人物の話にしたかったのです。

 従軍経験をされた方々はまだ多くご存命ですし、明治時代生まれの方々もまだまだご健勝。あの最後の世界大戦をまだ昔話にしたくなかった私のわがままです。


 曾祖父の「曾」一文字を取るための整合に色々と苦労しました。そのために最初は主人公を1980年生まれにしたくらいですから。

 最終的に主人公は1995年生まれに定まったので、そのしわ寄せは全て父親に背負ってもらう事になりました。


 副題の「祖父の出撃」。これ、曽祖父の出撃だったらどう感じますか? 遠い昔話には見えませんか? 比較的身近に感じる祖父だからこその重さがそこにはあります。

 これを父にしてみたら。あら不思議、なぜだか自衛官か何かに思えてしまいます。ただし個人差のある感想です。

 祖父の話としての発表は今年辺りがギリギリだったかもしれません。戦後百年とかになってしまえば本当に昔話です。それまでも、それ以降もずっと平和が続いてほしいものです。




 長崎の原爆は当初小倉に落とすつもりがあったのはご存じですか? 雲か霞、それと地上からの煙幕で弾着観測には不適と判断されて、長崎に変更になったそうです。もし小倉に落ちていたら私は生まれていなかった可能性があると聞いています。それが元にあってこの物語は生まれました。


 ただ、それだけを元に物語を書き進めると感じました。何かが足りないと。

 フィクションですから勝手につけ足せば良かったのに、私はそうはしなかったんですね。ある程度は史実に基づいて描きたかったのです。第二次大戦ですから、今の時代調べればいくらでも情報は出て来ます。

 そうして探していたら見つかりました! 大分県にある宇佐海軍航空隊基地が、前日の8月8日に空襲を受けているのです。

 これだ! と思いました。その日付と場所で閃いたのです。


 太平洋上のテニアン島の米軍基地から、豊後水道を経て小倉へ至るルートを考えた時に、宇佐海軍航空隊基地は戦略上邪魔です。そのままにしておけば8月9日の当日に、小倉上空で後背から襲われる可能性を米軍が考えたと妄想しました。果たして事実かどうかは私は知り得ませんが、その前日に露払いをしたんだと捉えています。

 それがB29にとって奏功したのか、8月9日は小倉上空まで何ら反撃はなかったと記録されています。


 しかし、対空戦闘のない中で悠然と飛ぶ2機のB29にただ追いついて、どれにしようかなで決めた機体に攻撃では、想像してあまりに味気なく思いました。そこでB29は実際の2機から3機へ増やし、ないはずの護衛機もたくさん付けました。

 必死に回避行動を取るB29に加え、猛然と応戦して来るP51編隊。そのP51の弾幕を避けながら決めたB29に攻撃を敢行するんです。そこに物語の熱量が宿ると思いました。


 こうして整合は取れる範囲では取ろうとする努力をしました。

 後に残るのは。

 フィクションらしい味付けです。なにせあの日あの場所では本来何も起きなかったのです。次の日はただの空襲があった翌日というだけの認識。まさかたかだか二百キロ離れたところに、世紀を揺るがすほどの爆弾が炸裂しようとは考えもしなかったでしょう。


 やはり何らかの抵抗しかないと思いました。

 あの日。米軍機に対して最も効果のあったのはコールタールを燃やした煙幕だったそうです。その煙幕が時間の経過か風向きで晴れないかと、数十分間も上空で旋回しつつ粘り続けていたとの記録があります。

 ほぼ無抵抗です、重要拠点のひとつである小倉上空。防御すらできていません。飛行機の一機も上がらずにただそれを眺めていたんです。子供から大人まで。日頃訓練で威張り散らす軍人も。そんなので勝てる訳がないんです。


 でもフィクションなら。

 たった一機、戦闘機が上がってもいいじゃないと思いました。誰が乗っているかも分からない、どこの基地から飛び立ったのかも分からない、人々の切望が結晶となった戦闘機がたったの一機上がってもいいじゃないかと。その結果は、あたかもそれが米軍機を追い払ったように映ります。真実はそうでないのだとしても。

 しかし勝ってはなりません。それでは三文芝居どころか金返せです。かくしてあのような結末へと繋がりました。




 どうせ九州が舞台なら震電で描きたかったです。でもその機は昨今、色々な作品で語り尽くされた感があります。ここで使えばまたかと言われそう。それに最新鋭のテスト機が片田舎にあっては整合どころではありません。だからと言って舞台を福岡に移して、B29が来たから最新鋭機が迎撃に飛び上がったでは普通な気がしまして。でも史実ではそれすら実施されませんでした。


 同じ試作機でも、もはや見放された失敗作を運用する方が熱いと思いました。破壊され見放された基地から、すでにほぼ戦死と考えられている兵士が、もはや忘れ去られた旧型の試作機に乗って単身飛び立つ。これで燃えない日本人はいません。

 ここで勘違いしていただきたくないのは、何も米軍が悪いと指摘したいのではないと言うことです。自分の与り知らぬ襲いかかる理不尽に対して、抵抗する人々の姿勢を描いたまで。


 整備士の山下は、宇佐に居たら小倉上空は距離が遠すぎて見えないと思いますけどね。特に牛乳瓶の底のようなメガネをかけた山下にはね。この場合、実際に現地で見えるかどうかは関係ありません。山下が見えたかどうかです。彼が見えたと言うのなら、それが全てです。私は見えたのだと思うのです、彼にはその光景が。




 戦後を生き抜いた方々は、あんな光景を目の当たりにしながらよくも復興されたと感服いたします。それがネガティブな刺激になったんでしょう。今に見てろ、と。

 そこで本作です。見た目には追い払ったように見えました。それを見た人々の心情はいかほどでしょうか。あの飛行機に救ってもらった命と、より一層ポジティブに励まれたとは思いませんか?


 想いが違えば自ずと結果も異なって来るはずです。良かれ悪しかれ。

 これ、もうすでにバタフライエフェクトが発生していますよね。北京の蝶の羽ばたきが、遠くまで伝わる過程で徐々に大きく変化して、ニューヨークに着くころには嵐になってしまうというあの比喩の慣用句です。後で色々とやってしまう主人公に対し、もうこの第3話の段階でタイムパラドックスの整合を捨てざるを得ませんでした。


 最初の構想では、何か行動するけど何も変化を与えられない、あるいは変化しなかったと記録される流れでした。そうなるともう、何も楽しみにならない方が出てきます。特に歴史に詳しい方などは。それに、先が気になってwikiでも見ればいくらでもその先が記されてありますから、詳しくない方でもいくらでも情報は取り放題。

 それが根底にあって、歴史は変化を与え得るものという考え方を本作では採用しました。

 本作の主人公は人死にを黙って見ていられなくて行動しているだけですけどね。盲目的でよく理解できていませんが、そこが憎めないと思っています。


 よって本作のタイムスリップに対するスタンスは、世界が分岐する解釈でお願いしたいです。

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