竜の惑星

松長良樹

竜の惑星

 ――見渡す限りの広大な砂漠である。


 この上なく美しい地平線と淡い緑の大空。ケンジはその砂漠の中をただ歩いていた。心地の良い風が頬にそよいでいる。


 いったいいつからここにいるのだろうとケンジは思う。

 

 ざっと概算しても十年は過ぎたろう。十年……。


 人っ子一人いない未知の惑星に十年。それを想うと気が遠くなるようだし、よく生きていられたものだとケンジは思う。


 心身ともに鍛えられてきた宇宙飛行士といえ骨身に堪えることはある。

 

 ケンジは十年以上前にこのα銀河の外れにあるケレス第五惑星に不時着したのだ。


 推進エンジンの故障と砂嵐という不運が重なってしまった。小型宇宙艇は砂漠に横たわったままだがそこが今はケンジの家でもある。

 

 大気はほとんど地球と変わらなかった。窒素の値が少しだけ高いだけで酸素は充分にあった。呼吸が出来るのだ。食料は砂漠の中のオアシスの有機物の浮遊した空間から装置を使って合成する。


 それは総合的な栄養素の詰まった食べ物でチーズケーキを薄めたような味がする。水だって大気中から装置で抽出できるのだ。ケンジは明けても暮れてもそれを食べそれを飲んで生きてきた。

 

 しかし忘れてはならないのがキョウコの存在だ。

 キョウコがいてくれたおかげでケンジは今まで生きてこられたと言っても決して過言ではない。

 

 キョウコ……。それはもちろん人間ではない。この惑星で知り合った、はっきりとした形を持たない生物なのだ。


 ケンジはあの時を思い出す。

 

 サラサラで美しい砂漠の中を彼が彷徨っていると、何かが遠方に現れた。

 暫らく見入っているとそれはまるで砂の海を泳ぐ魚のようなもので、近寄ってくると最初は恐怖を覚えたが間近に見るに至ってはその美しさに魅了された。

 

 それはなんと金色の竜なのであった。もしケンジが地球にいる時だったら、まず卒倒でもしていたに違いないだろう。

 竜は蛇のように鎌首を砂中から優雅に突出し、キラキラする砂の粒子を身体から溢しながら彼に優しい視線を送ってきた。呆然とするケンジは竜の言葉を聞いた。


「あなたどこからきたの?」

 

 当惑してケンジが答える。


「……地球と言う星ですが」


「まあ、ずいぶん遠くねえ」


「し、知っているのですか?」


「昔 誰かに聞いたことがあるわ、帰れないのね。あなた、かわいそう」

 

 その時から今までずっと竜はケンジと一緒にいる。

 

 その竜はその場で見る間に形を変えた。ケンジの心を読み取り、ケンジのかつての恋人キョウコそっくりに変身したのだ。

 

 キョウコは今生きていればもうおばさんだろうが、あの時のあの初々しいキョウコが見事に再現されている。


 宇宙開発局にいた彼女は今いったいどうしているのだろう……。


 ケンジはたぶん死んだことになっているだろうから、キョウコはいい相手を見つけたのだろうか? それともケンジを今でも待っているのだろうか……。

 

 ケンジは裸でキョウコを抱きしめた。熱い砂の中で二人はいつでも魚になることが出来た。そしてケンジはいつしかキョウコが竜であることも忘れた。

 

 そしてもう一つケンジが今まで生きてこられた理由、それは救出されるという可能性だった。


 ケンジはそもそも調査隊のクルーでこの惑星を偵察中、惑星大気圏突入後に凄まじい砂嵐に巻き込まれ不時着を余儀なくされたのだ。

 

 この宇宙艇は一人乗りだが母船を離れるとき母船の追跡システムが偵察艇の進路を記憶しているはずだから、いつかここに救助に来てくれるに違いないとケンジは信じていた。


 それに宇宙艇はほとんど無傷だった。けれど科学燃料は底をついていたし、もし離陸できたとしても数時間で燃料は切れてしまうだろう。だから地球への長旅など母船なしには到底不可能だった。


 船の燃料はもうほとんどなかったが船の発信機からは常にあらゆる角度に遭難信号を送り続けていた。

 

 淡い緑の夕陽が砂を照らしていた。何度見てもそれはこの上なく美しい光景だった。

 それにしても竜はなんにでも変身できた。


 だから時には彼の両親になったり、弟になったり或いは親友になったりして、彼を勇気づけてくれた。でもやっぱりキョウコでいる時が一番多かった。


 今夜もケンジはキョウコを抱いて寝るのだ。竜の食事は正直ケンジにも良くわからなかった。時々竜になって砂深く潜るからその時に砂の中にいる生物でも食べているのかと思った。

 

 そんなわけでケンジはこの惑星で十年以上も奇跡的に命を取り留めこうして生きてきたのだ。でもケンジは心の奥に巣食う寂しさを完全に追い出すことはできなかった。

 

 やはりケンジは地球の地面をもう一度踏みしめたかった。あのなつかしい、家族の待つ地球の大地を。

 


 ケンジは暖かい砂の上に寝そべってぼんやり空を眺めていた。もちろんキョウコも一緒で彼女は服も着ないで砂に潜ったりして遊んでいる。無邪気な少女のようだった。


「ねえ、ケンジいま何考えてる?」


「別に」


「ねえ、きょうはあのオアシスに行って遊ぼうよ」


「ああ、でももうあそこには何回も行ったじゃないか。食べられる植物はない」


「まだまだ、わからないわ。全部まわってないもの」

 

 それはケンジが生返事をした時だ。


 視界の彼方に一点の黒い塊を発見した。それは最初小さな黒い点でしかなかったがケンジが瞬きする度に大きくなりやがて銀色の光を放ちだした。

 

 ケンジは何度も確認した。キョウコにもそれを見せて夢でない事を再確認した。

 

 ――それは宇宙船だ。小型の宇宙船が現れたのだ。


 ついに救助艇がやってきたのだ。ケンジは立ち上がりありったけの声で叫んで、大きく両手を振った。


 宇宙船は何回か上空を旋回してケンジの目の前に着陸した。白い宇宙服の男が二人降りてきた……。それにしても、あまりにあっけない救助艇の出現だった。


 唖然としてケンジに見入る救助隊の隊員にケンジはこう言った。


「夢じゃないのだね。ああ、夢じゃないんだ。どれほどこの時を僕は待っていたかわからない。あなたたちに心から感謝します、そして神にもね」


「……信じられない」


 二人のクルーが呟くようにそう言った。


「言っておきたいのですが、少し我がままなのかもしれませんが、僕はキョウコ…… いや、この惑星の竜みたいな生き物だけど。これと一緒でなければ絶対地球には帰らないつもりです。なぜってキョウコは僕の命の恩人みたいなものだから……」


「そうなのか。そうか、わかった。そうしようじゃないか」

 

 二人の救助隊の男は顔を見合わせながらケンジを丁重に扱ってくれた。サイトウとソノダという背の高い隊員だった。


「しかし、よく生きていたものだ。君は……」

 

 ソノダが言うとサイトウもおおきく頷いた。


「まったくだ。奇跡に違いない。偶々この付近を通らなかったら発見はもっとずっと遅れていた」


「もう十年以上も僕はここに居たんだ」


「十年?」

 

 ケンジがそういうとサイトウはちょっと顔をしかめた。


「君の宇宙艇から基盤の一部をこの宇宙艇に持ってきたんだが、それを照合してみると十年どころじゃない」


「そうか、僕の計算間違いなんだな。本当はほんの二、三年しか経っていなかったのかもしれない」

 

 サイトウとソノダは顔を見合わせた。そして言った。


「いや、君がここに不時着したときからもう百年以上が経っているんだ」


「ま、まさか冗談でしょう。そんなに僕に寿命はないよ」


「……とにかく地球に帰ろう、そして治療を受けるんだ」

 

 ソノダが慰めるように言った。


「そうだ。君には休養が必要なんだ。暫らく眠るんだ」


「キョウコは……」


「心配ない、ここに居るから安心しなさい」

 

 ケンジは深い眠りに落ちていった。睡眠薬が使われたのだ。そして静かに救助艇船内に運び込まれた。



   

   ◇     ◇




 彼の寝顔そしてその姿……。 それは実に恐ろしいものだった。


 眼は落ち窪み顔色は土気色で体もやつれ果てている。肋骨が露出し皮膚は蝋のように固い。そしてなにより酷いのは彼の右横腹から脇、背中に這い上がるように、得体のしれない生き物が寄生していることだった。


 ケンジの皮膚は所々が透き通って見える。そしてそれはケンジの脊髄まで触手のような異様な管を伸ばしていた。


「しかし、これはなんだ。酷いものだ。これで彼は良く生きていられたものだ」

 

 ソノダがすっかり意気消沈してそう言うとサイトウが答えた。


「いや、逆に彼はこれの為に今まで生きてこられたのかもしれない。これは彼の身体の栄養素を彼が死なない程度で吸収していたんだ。だから彼が食料を合成して食べている限り、こいつも生きられるんだよ。あの砂漠に食べるものなんてほとんどないのさ」


「そうか、なるほど。そうかもしれない。しかし恐ろしいな」


「ああ、あの砂漠の中にこれの仲間が沢山いるのかも知れん。近づかないほうが無難だ」


「しかし、彼はこれに夢を見させてもらっていたようだな。キョウコとか訳の分からないことを言ってたじゃないか」


「ああ、俺もそう思うよ、見たまえこれの神経が彼の脳にまで達している」


「まだ推測の段階だが、これは寄生の代償に夢を提供していたのじゃないかと思う」


「夢? そうか、むしろ幻覚と言ったほうがいいかもしれないな。しかし、こいつをケンジから引き剥がせると思うか」


「……わからん」


「俺は正直、彼のこのありさまを最初に見た時、こいつごと焼き殺そうと思ったよ」


「――ああ」


 その寄生生物は生きていた。そしてそれはケンジと一つに溶け合おうとしていた。彼の腹から肩にかけてちょうどそれは竜が這うように見えた。


 そうだ、それはまるで金の竜が鎌首をもたげるようにケンジの背中に畝っていた。

  

  

  

   ◇    ◇


 


 見渡す限りの広大無辺な砂漠であった。この上なく幽玄で美しい地平線と淡い緑の大空。砂上にケンジが眠っていた。 


 二人の男が沈痛な様子で彼を見下ろす。


「サイトウ本当にこれでいいと思うか……。本当に」


「ああ。地球に連れて帰れば彼は研究材料にされると思うよ。興味本位の科学者達にとっては絶好の標本だよ。それにこいつを無理に引き離したら彼は間違いなく死ぬ。だからせめて夢の中で最後は――」


 長い沈黙の時間が二人の心を決定した。


「……わかった。ソノダ、彼はいなかったことにしよう。そうしよう」


 サイトウが手を合わせて合掌するとソノダも同じ事をした。二人は数分間の深い黙祷を彼に捧げたのだ。



 

  ◇    ◇

 

 

 

 ――宇宙船が見えなくなるとケンジはむっくりと起き上ってキョウコをしっかりと抱きしめた。


「キョウコ、俺、今変な夢を見たよ!」


「どんなの?」


「ついに救助艇がやってきたんだ。それがまぬけでさ、救助艇は肝心な俺を忘れて置いて行ってしまったんだ。笑えるよな」


「なにそれ?」


「まったく、なんて夢だ」


 キョウコが甲高い声で笑っているからケンジも大声で笑った。


「でも、正夢ってこともある。もうすぐ本物の救助艇がここに来るんだよ。きっと」


「ええ、そうね。希望は捨てちゃいけないわ」

 


 ――キョウコの笑顔は、輝くようでとても素敵だった。   



                  



                   了

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竜の惑星 松長良樹 @yoshiki2020

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