未完の断片

■05: 対抗訓練(F)

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エピソード「対抗訓練」の断片・プロット

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1053年7月


先日のイリアシュタット事変で、「聖女」延いては神器兵の対人戦闘への課題が浮き彫りになった。

その結果、予定されていたルクシュテルン校との合同訓練の内容が変更される。

主に、敵側にも神器兵がいた、それへの対抗手段の模索と学習。

訓練は、複数チームによる戦闘実習となった。


「学校」とルクシュテルン校の合同訓練の舞台は、「聖都」から北へ三〇キロの地点に位置する演習場。その演習場の丘陵と森林エリアで、模擬戦を行うことになっている。

学校対抗戦で、「学校」、「ルクシュテルン校」の両チームのうち、一班が「重要目標」に指定される。その班を守り切るのが目標。第三勢力のアグレッサーチームも配置されている。訓練とはいうが、競技性のある内容。

 

ウルリカ、イリス、パルサティラ、ロズメリー、アネットの班が重要目標に指定される。

状況開始後すぐに、狙いのルクシュテルンチームに急襲される。

散開するウルリカたち。意図的に散ることで、敵チームを分断させ、誘い込む。


ウルリカは、ノーラという槍剣遣いと相対することになる。遊び気味に、ノーラを下す。


ロズメリーはラルスという名のガンブレード遣いと対峙する。ロズメリーは訓練用の散弾銃と近接格闘で対応し、辛くもラルスを倒す。敗北したにもかかわらず、ラルスの表情と心境は晴れやか。


残るイリスたち。手負いを装ったパルサティラが双剣遣いヤンを引き受ける。イリスとアネットは、狙撃弓兵のアロイスとディフェンダーのシモーネの対処。


高速で駆け回るヤンに苦戦するパルサティラ。多節剣の網罠までも躱される。嗜虐モードに入ったヤン、勝ちを確信した時間潰し。

パルサティラは、慢心したヤンを「重力操作」のスキルで、押し潰し、拘束する。地に伏せるヤンを煽る。


イリスとアネットの前に立ちはだかるシモーネ。

二人がかりで攻撃をしかけるが、光の壁に阻まれる。シモーネの神器は、光の障壁を作り出す機能があった。

光の障壁にアネットが囚われてしまう。障壁で作られた檻は完全な密室、アネットは窒息していく。

シモーネは降参を促すが、イリスは拒否する。

そこへ囚われたはずのアネットが現れ、シモーネへ突っ込む。反応の遅れたシモーネは、アネットに為す術なく圧倒される。シモーネに刃を突きつけるアネットだったが、人間に殺意を向けた精神的動揺から、吐いてしまう。

その隙に、シモーネは信号弾を撃ち上げる。


信号弾を目印にアロイスは、超高密度シャフトによる攻撃を仕掛ける。しかし、その一撃はアネットに斬られ、無力化される。

ちょうどそのとき、状況終了を知られるアラームが鳴る。ルクシュテルン側の「重要目標」が攻略された。


――、

目標を制したのは、アンリースだった。

アンリースは目標チームの「旗持ち」を人質に取った。首にナイフを押し当て、脅しがハッタリでないことを示すために、人質の手首を切ってみせた。

人質のチームメイトは降参する意思を見せるが、アンリースはリーダーである人質本人からでないと受け入れられないと、人質をさらにいたぶる。

ようやく降参するルクシュテルンチーム。

敵味方から冷たい視線を送られるアンリースだったが、泣きたいのは自分だ、と笑う。


――、

一日目は、「学校」側の勝利に終わった。

夜からは、ある意味本番の交流会キャンプが始まる。

ウルリカたちは、対峙したラルスたちのチームと同じ火を囲む。

ウルリカが主導し、料理を作る。さきほどまで戦っていたもの同士だが、少年少女。中々ない野外調理に興奮している。

ノーラはウルリカを「お姉さま」と呼び、舎弟状態。負けた人は何でも言う事を聞くルールがあると揶揄う面々の戯言を信じたロズメリーはラルスを連れて森へ消える。

誰かが持ち込んだ小型のギターで弾き語るウルリカ。想像以上のうまさに、聞き入る面々。

夜が更けていく。


二日目。

二日目は、低級神器兵たちを中心とした合同訓練。上級たちは任意参加。

ウルリカは、宿舎に併設された屋外コートで行われているバスケットボールの試合を眺めながら、煙草を燻らせ、ウイスキーの瓶に口をつける。





――――――――

   ◆


アロイス、ヤン、シモーネのルクシュテルン組。


「二手に分かれたな」

「ターゲットのマーカーを優先する」

「しかし、妙だな。逃げたのは三人のはずだ。探知には二人しか掛からない。どこへ行った」

「逃げたか、死んだんじゃないの? 人数が減ったなら、好都合よ。さっさと終わらせてしまいましょう」



――

林を進むイリスとアネット。

そこへ奇襲をかけるヤン。真っ先にアネットを狙う。刃がアネットに迫る。そこでパルサティラが横から飛び込んでくる。ヤンを思い切り蹴り飛ばす。


「あ、あなたの相手はわたしです」弱々しく声を震わせながら告げた。

「テメエ、またやりやがったな。ちょうどいい、さっきのお返しだ」


自分を蹴り飛ばしたのが、パルサティラだと気付いたヤンは俄かに頭に血が上った。


「死なねえ程度に痛めつけてやる。こっちは新型なんだ、そいつをわからせてやる。旧型のお姫さま方に負けるかよ!」



攻防。

鞭にも似た多節剣対双剣。

周囲の樹木を利用した三次元機動で翻弄するヤン。そのヤンを網に掛けようと剣を展開するパルサティラ。

ヤンは一撃離脱を繰り返す。パルサティラは瞬く間に傷だらけになっていく。


「伸縮自在ってか、だとしても、そんなもんに当たるかよッ」


なおも高速で飛び回るヤン。うねる多節剣の間隙を難なくすり抜けていく。


「うらあッ」


ヤンが刃の檻の中心へ突っ込み、中心のパルサティラへ刃を振りかぶる。

ニヤリと口角を上げるパルサティラ。

パルサティラは、ヤンが斬りかかる瞬間、多節剣を収束させた。


「な――ッ」


緊急回避するヤン。


「これでも、ダメなの……」弱々しい声音。


パルサティラの、剣を握る右腕の前腕と右肩に新しい刀傷ができている。回避の一瞬の間に斬りつけられていた。


「いまのは、ちっとヒヤッとさせられた」


肩で息をするパルサティラ。だらりと垂れた右腕から、血が滴る。

それを見て、勝ち誇ったように告げるヤン。


「もう降参したらどうだ? こっちは何回も攻撃を中ててる、そっちはゼロ。実力差は明らかじゃないか?」


「嫌、絶対に諦めません。何があってもわたしはあなたをここで足止めします」声を震わせながら、剣を構える。


「言ってろ」


降参する気がないなら、気絶させる。これ以上、手負いの雑魚に構っている時間はない。

ヤンは一直線にパルサティラへ正面から突っ込んだ。

パルサティラが剣を振る。

それを躱し、一気に背後に回る。


「遅え」


柄頭でパルサティラを殴打しようと構える。

肉薄するヤンのほうを、パルサティラが振り向いた。

パルサティラの目が光を放つ。


「捉えた――」


瞬間、ヤンは地面に押しつけられた。見えない平面状の何かに上から押されている感覚。全身の骨肉が軋む。


「なん、だ、これは――」


何が起こっているか理解できないまま、パルサティラを見るヤン。

地に伏したパルサティラが、ヤンのほうへ手を伸ばして、笑っている。


パルサティラの異能によるもの。

パルサティラを中心とした数メートルと、〝彼女に傷をつけた相手〟を対象として、重力場を形成する。その重力場はパルサティラ本人にも作用する、いわば自爆技に近いもの。再生機能を有する神器〈果てしなき強き炎への献身〉とは、パルサティラの私見では相性が良い。パルサティラがヤンの攻撃を受け続けていたのは、異能を必中にするためだった。


自らにもかかった重圧に耐え、立ち上がるパルサティラ。


「さっきまでのは演技。弱々しい感じだけど意志がしっかりしてそうな女の子のね。あなた、そういう子を虐めるの好きそうな雰囲気あったから。食いついてきそうかなって」

「――あ、が――」意識が遠のいていく。

「でも、ちょっと敵意が眠いかな。わたしに実力差をわからせてくれるんでしょ? あと何歩か踏み込みが足りないよ」険しい表情で告げた。


そこでヤンの意識は途絶えた。

パルサティラは、異能を解除し、地面に落ちた眼鏡を拾った。



   ◆


「逃がさないわ」


イリスとアネットの前に、一人の少女が立ちはだかった。

ルクシュテルンの新型神器兵、シモーネ。微笑み、傘型神器をくるくると回している。


「見逃してくれないか?」


イリスは、隣のアネットに目配せした。


「『賞金首』が目の前にいるのに? 見逃してもわたしの得にならないでしょう?」

「――だろうなッ、と」


言うや否や、イリスは戦術刀を抜き放ち、勢いのままシモーネへ斬りかかった。

激しい衝突音。

光の壁に刃が阻まれている。


光の障壁――シモーネの神器〈幽光の憐花〉の機能。戦車砲の直撃に耐える強力な盾。


「へぇ」イリスが笑う。


微動だにしないシモーネ。

イリスは、障壁を圧し斬ろうと体重を乗せていく。

そこへアネットが背後から、封印布の巻かれた神器で殴りかかった。

またもや、衝突音。防がれるアネットの奇襲。

飛び退るアネットとイリス。


「すみません」アネットが謝る。

「構わない、それより――」

「なんでって顔してるわね」したり顔のシモーネ。「教えてあげる。わたしには死角からの攻撃は通用しないの。後ろからかかってきても、見てから余裕で防げるわ」


シモーネの異能――俯瞰視点。周囲を肩越しの三人称視点で見回せる。

加えて、神器による防御。鉄壁の守り。


「それで、質問なのだけど――」顎に指を当て、上を見る。「神器ソレ抜かないの?」

「コイツは格上専なんだ。あんた相手じゃあ、一ミリも鞘から動いてくれないぜ」

「あ、そう」


シモーネはつまらなそうに、イリスとアネットに背を向けた。

その瞬間、アネットを光の壁が取り囲んだ。



   ◆


ロズメリーとラルス。

ロズメリーは後頚部から「第三の腕」を展開する。なめらかで赤黒い腕。ロズメリーの神器〈篤き憶いの焦がれ〉

ラルス、ガンブレード型神器〈裁定の赫星〉の射撃も併せて、攻める。

攻防。

第三の腕は機動と防御の補助。ラルスのガンブレードの射撃にも耐える。

ロズメリー、装弾数の四発を撃ち切る。第三の腕でショットシェルを込めながら、拳銃を撃って牽制。


互いの攻撃は、防がれるか躱されるかで、切り結ぶことさえもない。

膠着。決め手に欠ける。

ラルスの異能は「直感」。欲しい結果に至る条件や道筋を直感的に理解する。いわば未来予知のような能力。

その異能を以ってしても、膠着止まり。


ラルスが地面へ向け、ガンブレードの射撃。

土煙。俄かに視界が遮られる。

反射的に煙へ向かって発砲するロズメリー。

突っ込むラルス。被弾も構わない。訓練用の樹脂散弾は、そう簡単に致命傷にはならない。当たり所によっては骨が折れるかもしれないが、頭さえ守っていれば、ダメージは許容範囲に収まる。


肉薄するラルス。

刃が散弾銃を擦る。

一太刀目がロズメリーの胸先を掠める。返す刃で、散弾銃を破壊される。

ロズメリー、神器を布状に変形させ、閃かせる。

紙一重で避けるラルス。髪の毛の先が切れる。

壊れた散弾銃を捨てるロズメリー。


「銃壊れちゃったから、わたしの負けでもいいんだけど。あなたはそれじゃ納得してはくれないよね」

「ああ」

「うん。それにね、わたしもちょっと楽しくなってきちゃったから……」


風が吹き抜けた。

ラルスが横に跳んだ。その瞬間、地面に三本の線が入った。巨人が刃物を振るったかのような跡。


「ははッ、ギリギリ躱す未来しか掴めないとは……」思わず笑いが零れる。


ロズメリーの背には、ヒレのように三本の赤黒い帯が揺らめいている。


「面妖な――」


再び、ロズメリーとラルスの攻防。

なおも決め手に欠ける、拮抗状態。


タイムアウト、終了を知らせるアラームとチャイム。

ぴたりと、動きを止めるロズメリーとラルス。

ロズメリーの拳はラルスの腹に触れ、ジャケットを巻き込んでいる。打撃が打ち込まれる寸前。

ラルスの刃はロズメリーの「腕」に掴まれ、振り降ろす直前で止められている。


「俺の負けだ」



   ◆


光の壁に囲まれたアネット。


「え、なに……これ?」


外からはアネットの姿は見えているが、内側にいるアネットからは何も見えない。内外の音も、すべて聞こえない。真っ暗な狭い箱に閉じ込められているのと同じ状態。逃れようと壁を叩くもビクともしない。


「助け――、あっ」


アネットは、差し迫った異変に気付いた。この箱の中は完全に外とは隔絶されている。それは空気も同じ。

早く抜け出さなければ。


「でも、わたしにできるかな――」




「槍持ちがいないのであれば、この障壁を破るのは容易ではないわ。可哀そうだけど、あっちの子は窒息して死ぬかもね」シモーネが楽しそうに言う。 「――不幸な事故」

「なら、あんたをぶちのめせばいいだけだろ」イリスが言う。

「あなた、状況わかってる? あなたの攻撃じゃ割れないの、さっき見たでしょう?」

「わかってないのはそっちさ。あんたをぶちのめすのはわたしじゃあない」


障壁破壊において、特効機能のある槍型や鎚型の神器が有用なのは事実。しかし、唯一の手段ではない。力押し以外で壁を崩せる手段、それを有する「聖女」がこの場に存在する。

白い影が走った。

両手に小剣を握った白い影――アネットが、シモーネの側面方向から肉薄する。

シモーネの異能〈俯瞰視点〉ではアネットの姿は視えていなかった。つい数分前の同じ状況では視えていたのに。


「は? どうやって――」動揺しつつも、障壁を展開。


察知が遅れたが、すんでで間に合う防御。しかし、


「――掻き毟れ」低い声で告げるアネット。


キィィィ、とアネットの呼びかけに答えるように高い音を発する双剣。

ささくれ立った刀身が障壁を噛む。喰いちぎられるように、泡が割れるように、光の膜が溶けていく。戦車砲砲弾の直撃にも耐える光盾が、いともたやすく取り払われた。


アネットの神器〈時荒びの謡眸/翅韻〉の機能――腐食。万物を朽ち崩す、滅びの剣。


光壁を突き崩し、突っ込むアネット。両手の剣を地面に刺し、それを軸にバネのように蹴りを放った。

 シモーネはとっさに頭を庇ったが、蹴りは頭部ではなく、腹へと吸い込まれていった。

受け身もままならず、地面を転がった。

シモーネは、嗚咽を漏らしながらも、アネットを睨み、傘を振り上げようとした。その右腕を、アネットが跳びかかり、踏んだ。骨を折らぬ程度には加減がなされているが、シモーネの腕力では抜け出すには至らない。


「くっ」抵抗を諦めず、左手で拳銃を抜いた。


しかし、狙いを定める間もなく、アネットの空いている右足に銃把を握る手が踏み抑えられた。

 それでもなお、

「黒……いや紫」アネットのスカートの中を仰ぎ見て告げた。「意外と大胆ね」


アネットは呆れた様子で溜息を吐き、頭の横に剣を突き刺した。挟むように、頭を動かせば刃が触れるように。

シモーネの顔が強張った。いまのいままで崩さずにいた微笑みが消えた。断崖から突き落とされたかのように、一瞬のうちに目の奥に絶望と懇願が浮かぶ。全身が硬直し、冷や汗が噴き出る。

殺される――、シモーネは思った。


「――ぇ、嫌……」


アネットのあどけない顔が、却ってシモーネを恐怖させた。この瞬間、アネットはシモーネにとって死の化身だった。

目を閉じる。あり合わせの死の覚悟とともに、処刑の一太刀を待つ。

一方、眼下で一人勝手に覚悟を終えた少女を見つめ、アネットは強烈な吐き気と悪寒に耐えていた。緊張と忌避感からくる強烈な不快感が、悪い酒のように五感を揺らす。


「うっ――」口を抑える。


長くは堪えられず、小走りにその場を離れるアネット。

うずくまり、藪の下へ吐いている。ひとしきり吐き出したあと、声をあげて泣き出した。

シモーネも異常に気付き、目を開けた。目の前には銃口、シモーネの拳銃は奪われ、イリスの手にあった。チラと横目で、アネットの方を見る。アネットは項垂れ、苦しみに喘いでいる。


「ぁははは」力なく笑いが零れた。


シモーネには、あまりにも自分が惨めに思えた。想像以上の屈辱だった。


「大丈夫か?」


イリスの視線がアネットに向いた隙を逃さず、シモーネは腰のポーチに収めていた信号拳銃を取り出した。


「こいつッ、まだ――」


信号弾が撃ち上げられた。青白い閃光が、彩煙の尾を引きながら、昇っていく。


「アネット、退避だ――何か来るぞ!」

「ふぇ?」


 げっそりしたアネットが振り返る。



――

アロイスは信号弾の合図を、樹上から確認した。指示された地点に、「砲撃」するのが、アロイスの役割だった。

宙に手をかざす。燐光を放ち、矢が現れていく。アロイスの身長ほどの長さの漆黒の矢。「杭」と言い表したほうが適切だろう無骨さと無機質な圧力。

呼び出した矢を弓に番え、引き絞る。狙いを空へ向ける。

大気が震える。


「僕は要請に応えるだけだ。悪く思わないでくれよ」


閃光とともに、矢が放たれた。



――

一筋の光が空に煌めくのが、イリスとアネットの目に映った。

退避が間に合わないと悟ったイリスが刀の柄に手をかける。


「来る――!」

「ははは、そんなんじゃ打ち落とせないわ――」シモーネが言う。


漆黒の矢が空気を裂き、降ってきた。

ふっと、アネットがイリスの前に躍り出た。くるくると、舞うように剣を振る。

矢と刃が触れる。

超高密度の矢が、砂で出来ているかのように崩れていく。切り刻まれ、瞬く間に塵と化した。


「でき、た」天を仰ぎ見、感じ入る。「できた――」


あの矢は砲撃に匹敵する火力。地面に命中して、その衝撃で一帯を吹き飛ばすはずだった。直撃すれば、人体は当然耐えられない。


「……何が起こったのよ、いま。嘘でしょ、これが『本校』の聖女の力だっていうの」

とんだバケモノじゃないか、とシモーネは思った。


「よくやった」

イリスは、アネットに近寄り、肩に積もった塵を払った。

「はい」


そのとき、訓練終了のアラームとサイレンが鳴った。


「え、わたし失敗しちゃいました?」

「いいや」

「じゃあ――」安堵の表情。

「他のチームがやってくれたってこと」

「よかったあ」


アネットは、ぺたんと、その場にへたり込んだ。ケモノに殺されるかもしれない実戦よりも、緊張するものがあった。それから、解放された。さっき、吐いていなければ、いま吐いたかもしれない。



   ◆


開始前、「聖女」別チーム。

メンバーは、


アンリース――五一年度組。青緑の長髪に、赤色の目。ぴっちりしたシャツに、着崩したジャケット。波打った刃の剣型の神器。腿にナイフシース。


エーディト――五一年度組。束ねた栗色の髪、緑色の目。ショートパンツにタイツ、黒いブラウスにリボンタイ、制服の白いケープ、ロングブーツ。戦鎚型神器。


ティナ――五一年度組。薄桃色の髪、右目に眼帯、セーラー服、ベレー帽、デザートブーツ。ライフル型神器、右手利きの左構え。


ルイーゼ――五二年度組。金髪、青目。常服と戦闘服を兼ねた白色の制服、黒の手袋。槍型神器。


エルネスタ――五二年度組。黒い髪に、紫の目。常服と戦闘服を兼ねた白色の制服。杖型神器。



このうち、エーディトとティナはアンリースの同期の「聖女」だったが、集合時の自己紹介までアンリースは思い出せずにいた。顔に見覚えはあるし、名前も聞いたことがあるが、興味がないために記憶から抜け落ちていた。

アンリースは、敬愛するウルリカと、ウルリカの同期で同室のリル、同業(ストーカー)のガートルードくらいしか、他人に対して意識を割いていない。他の「聖女」への仲間意識こそあるが、せいぜい敵ではないくらいの認識。



――、

防御を固めるルクシュテルンの旗持ちチーム。

対し、その守りを崩そうと試みる「聖女」チーム。

防衛向きの神器持ちで固めていることもあり、突破は難しい状況。「聖女」たち攻撃側が出し惜しみしなければ、防御を破壊することは可能だが、そうなると防御側の無事は保証できなくなる。

この戦いは模擬戦であって、殺し合いではない。構造的に、防御に徹したほうが有利になる。


「えっと――」

「エーディト」

「そう、エーディト、さん。何か作戦はあるの? ないのであれば、わたしが後ろに回って掻き乱すわ」

「わかった、任せるわ」


アンリースは頷き、後方へ下がった。その姿はすぐに木陰に消えた。



――、

「このまま持ちこた――」赤い腕章を着けた少女が言う。何か違和感。「え? ――身体が動か、ない」


気配を感じ、かろうじて動かせる首と眼球で、後ろを見やる。

いつの間にか、アンリースが少女の背後に立っていた。

少女の影に、波打った刃が突き刺さっている。


アンリースの神器〈揺月〉――影を斬りつけることで対象の動きを止める。影を渡る機能も併せ、奇襲・制圧に適している。


少女の首に、ナイフの背を押し当てる。


「降参しなさい。でないと――」アンリースが告げる。

「やれるもんなら、やってみなさいよ」声を震わせながらも、気丈に言う。

「あ、そう」目を伏せるアンリース。


動けない少女の右手を取り、本人の顔の前に挙げる。そして、その手首に刃を滑らせた。

少女の絶叫が響く。

戦線が一瞬にして凍りついた。敵味方全員が、叫び声の主のほうを見た。

切られた手首から血が流れる。臙脂色のジャケットの色が濃くなっていく。致命傷ではないが、衝撃を与えるには十分な傷と出血だった。



「何しやがるッ!」

「アンリースさん、何を――」エーディトが呼ぶ。


アンリースは微笑み、血を流す少女の手を振らせた。


「さあ、降参しなさい」

「わかった、降参する、降参するから。彼女を放してくれ」


アンリースは首を振り、ナイフの切先で少女の腿を啄んだ。歯を食いしばり、顔を歪める少女。


「わたしは、この子に言ってるの。リーダーはこの子よね?」

「おい! やめろ!」


刃が食い込んでいく。


「痛い、やめ、もうやめて……降参、するから。もうやめて、お願い……」


アンリースは少女から手を離し、影に刺した剣を引き抜いた。少女は糸が切れたように、崩れ落ちた。

仲間が駆け寄り、傷の手当てをする。

敵チームだけでなく、アンリースのチームメイトたちも、アンリースの行動に動揺や不快感、憤りを抱いた。距離を保ったまま、遠巻きにアンリースを見るしかできなかった。勝利した、という喜びや達成感など微塵も感じられなかった。

冷たい視線に気付いたアンリースが、


「ああ、泣きたいのはこっち。他所の人とはいえ、同じ神器兵の仲間を傷つけるなんて酷いことしなくちゃいけなかったんだから」口角を上げた。


悪びれる様子がない、というよりも、もっと歪な感情がアンリースの目の奥で光っていた。



   ◆


ウルリカの口走った冗談を真に受けるロズメリー。


「えっ、倒した相手は舎弟になるっていうルールがあるの?」俄かに目を輝かせる。声音が明るくなる。「だったらさ……ええっと、ラ、なんとか君」

「ラルス」

「そうラルス君。ラルス君、付き合って」ぐいぐい行くロズメリー。ラルスの腕を引く。

「ロス、そんな男の子がいいの? 意外」パルサティラが言う。

「いや別に」

「それはそれで傷つくんだが」

「女の子にボコボコにされて、いまさらでしょ」


「肉食聖女」

「風紀が乱れる」


「別にいいんじゃないですか。こんな森の中、若い男女が集まっているんです。少しくらいはしゃいでも、誰も気にしませんよ」


いつ死ぬかわからないのだから。

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