■04: 記憶の方舟(4)
ウルリカとアネットが連れていかれたのは、レンガ倉庫。
一階部分の窓はすべて鎧戸や木板で塞がれている。
長らく使われていないようで、床面には鉄骨の梁から剥がれ落ちた塗膜や土埃が積もり、天窓からの光線に照らされている場所には草花が根を張っている。
ザっと見た限り三十人ほどの「聖女」や別の都市の神器兵が集められていた。みな拘束されている。その中には先日ウルリカに絡んできた三人組の金髪の少年の姿もあった。
人質以外には武装した襲撃者が九人。
七人が全身を硬質の防弾装備で身を包み、銃火器で武装しており、戦闘員といった様子。彼らはウルリカ達を捕らえた襲撃犯と同じ防弾装備で自動小銃や散弾銃を提げている。ヘルメットを含めた防弾装備は最新鋭のもので、小銃も一世代前のものだが全自動射撃が可能な軍用グレード。そういった装備の様子から大きな支援者がいることが窺える。
残る二人は恰好が異なっていた。一人は飛び抜けて大柄なガスマスクの男で、他の面々とは頭一つ以上大きい。もう一人は顔を晒しており、背に柄の長い剣を担いでいる。
内心で大きく息を吐き、どうしたものかと考えるウルリカ。
見たところ、人質として集められているのは一般人ではなく神器兵ばかり。しかし神器が目当てというわけでもなさそうだ。となると、交渉材料か、あるいは素体自体に目的があると考えられる。
もしかすると、ただの暴力的示威行動ではないのかもしれない。終戦記念式典の日を狙ったのは、〝そういう主張〟の下に行った襲撃だと思わせるためのブラフ的意味合いが強いと思える。だとすれば、多少面倒なことになりそうでもある。そこまで考えを巡らせてから、ウルリカが出した結論。
――暇、退屈。
このあと、自分たちがどうなろうと、襲撃者たちの真意がどうであろうと、拘束された自分たちの状況が動くのはしばらく経ってからのこと。
なら、少しばかり場をかき乱してみようか、と悪戯心が頭をもたげる。
周囲の様子を目と耳で探り、窺う。
ウルリカが座らされた場所の近くにいる武装犯がなにやら話している。
「しっかし、ほんとダンナの言う通り、大人しく集まったもんだ」
「人間相手だと何もできないってのは本当だったんだな」
神器兵が人間には逆らえない、危害を加えることはできない、というのは厳密ではない。正しくは、対人に特化した訓練や経験を積んでいないのと、対人戦闘を仕事だと教えられていないために適切な行動をとれないといった形。人間は守るべき対象だという教育や、人間に対して危害を加えることへの緩い条件づけもされている。また、対人戦闘の結果に対する精神的な用意もほとんどできていない。
「こうしてみると可愛い子多いよな。男も結構美形多いし」
「逆らえないとは言うけどよ、動かない人形とはわけが違うだろ。下手に手を出して噛まれても知らないぞ」
彼らにウルリカが余所行きの声で呼びかける。
「あのー、ちょっといいですか」
「え、ちょっとウルリカ先輩。何する気ですか」アネットが小声で突っ込む。
声をかけられた武装犯は怪訝そうな目でウルリカを見たあと、ヘルメットのバイザーを下ろし彼女に近づいた。
「あのぉ、少しキツく縛られてしまって、痛いのでなんとかしてもらえませんか。お礼はしますので」上目遣いで身体をくねらす。
武装犯は、まごついたように辺りを見回す。
「おい、何やってる」背に剣を担いだ武装犯が様子に気付き、声を投げた。
「あ、いや。コイツが縛り方がキツいって言って。どうしたらいいっすか」
「お前は檻に入った猛獣が狭いから出してくれと言ってきたら、言うとおりにするのか」
「しないっす」
「そいつはこっちに連れてこい。注意してな、そいつはそこら辺の犬猫とは違う。縛られていようが、武器がなかろうが危険だ」
「了解」
立たされ、連れられるウルリカ。人質たちの視線が一斉に彼女へ向く。その際、片方の目を瞑ってアネットへ合図をしてみせる。
ここまではウルリカの狙い通り。
「足も縛っておけ」
指示を受けた武装犯が、新しいロープを取り出しウルリカの足首にそれをかける。
「縛るだけでいいんですか? 何を隠し持っているかわかりませんよ」ウルリカは余裕な態度を見せつけるように、揶揄うように、囁き気味に言った。「もっと強くしてもいいんですよ?」
「なんだコイツ」武装犯は少し困惑したように言った。頭のおかしい人間を前にしたかのような反応。
彼にしてみれば、キツいから緩めてほしいと呼びかけられたのに、もっと強くと言われどうすればいいのか、といったところ。
「こうすりゃあいいんだよ」
もたつく武装犯の横からガスマスクの大男が口を挟んだ。マスク越しでもはっきりと聞こえる声量。声をかけられた武装犯は一瞬竦んだ。大男の手には大柄な裁断鋏とナイフが握られている。
首にナイフを突きつけ、襟へ鋏を入れる。礼服の白いワンピースが、見る見るうちにただの布切れに変わっていく。ポーチやホルスターの革ベルトも裁たれ、腕に切れ端が残らないよう袖も切り開かれる。ウルリカより頭一つ以上背の高い大柄かつ筋骨隆々な見た目、声の大きさからは想像できないほど、器用で素早い仕事。
残ったインナーのカットソーも切り裂かれる。
下着姿にされたウルリカ。紫黒色の上下。
武装犯の何人かが「おお」と感嘆するように声をあげ、手を叩いた。
ウルリカは、ただ薄っすらと笑みを浮かべ、何事もないかのように立っている。
対し人質。すすり泣いたり目を閉じたりしている者もいるが、多くは下を向き地面を睨みつけるように見ることでただ時間が過ぎるのを待っている。
「ほう、ほお」
大男は腕を組んで頷いている。ガスマスクの向こう側の下卑た表情がありありと浮かぶ。
「あら、ヤりたいのなら、そう言えばいいのに」挑発するような声音。「でもいいんですか? わたしは構いませんが、この場にいる全員に見られながらでもできるような根性のある方には見えませんが。ふふ、立派なのは図体だけですか?」
後ろ手に縛られ、身に着けていたものをほとんど脱がされているとは思えない態度。
安い挑発に乗って手を上げる大男。
頬を打たれたウルリカ。表情を変えず、ただ男を見上げている。
「ほどほどにしてくれよ。生死は問わないとは言われているが、好き勝手していいということではないからな」リーダー格の男が呆れたように顔を背けて言った。
「ちょっと楽しむだけさ、コイツもそうみたいだしな」
大男はグローブを外し、ウルリカに向き直り、首から下を舐め回すように見る。ついと乱暴に胸をわしづかみ、こねくり回す。しばらく弄ぶと、今度はブラを正面から引きちぎり、放り投げた。
ウルリカの周囲をゆっくりと回りながら、腰や胸に指を這わせる。先ほどとは打って変わったねちっこい手つき。
顔色一つ変えず、声もあげないウルリカ。
一周すると、ウルリカの顎を指で持ち上げた。
「なにが『聖女』だ、人間兵器だ。さっきまでの威勢はどうした。喋ってみろよ」
「ヘタクソ。あなたモテないでしょ。マスクを脱いだらどうですか、確かめてあげましょうか。これで顔も悪かったらモテないのも当ぜ――」
ウルリカが言い終わらないうちに、大男は彼女を突き飛ばした。一瞬予想外というようにきょとんとするウルリカ。
ウルリカの身に着けていたものの中から拳銃を持ち出し、倒れた彼女に近づく。
男が馬乗りになり、ウルリカの首に左手をかけ、開いた口に拳銃の先をねじ込んだ。身体をくねらせるウルリカ。
「か、ぁ……」
しばらくし、男は身を起こし、ウルリカを持ち上げるように立たせた。
唾液を垂らし、顔を赤らめ、浅い呼吸のウルリカ。
「いい面になったじゃねぇか」
「……つまらない趣味してますね」
「言うじゃねえか」平静を装い続けるウルリカに苛立っている。「じゃあ、別のヤツを選ぶとするか」
「それはダメ」
急に真面目な口調で反応したウルリカを見て、鼻から息を漏らす大男。ガスマスクの奥で、大きく顔を歪めているのが透けて見える。
「ほお、じゃあどうすればいいか、わかるよなぁ?」
拳銃が下着越しに押しつけられる。
吐息が漏れる。
小さく頷くウルリカ。目に涙が溜まっている。
大男は拳銃を腰のベルトに差すと、またウルリカの身体を触り始めた。
執拗に、より直接的に。
男の手が左胸の傷痕をなぞる。俄かにウルリカが顔を歪める。それに気付いたのか、重点的にそこに触れ続ける。
「やめ、ろ」嫌悪感に満ちた声音。これだけは本音。獣のような目で男を見上げる。
跳びついて喉笛を噛み切らんばかりの殺気が漏れる。
大男の手が止まった。自分が猛獣の気まぐれで触らせてもらっていることに俄かに気付いた。とんでもない女に手を出してしまったのではないかと、頭に悔いが浮かびかける。
「あら、女の子にやめろって言われて、本当にやめるなんてちっちゃいのね」男にしか聞こえほどの小声で囁いた。
「このクソ女が」耳打ち。
再び、手が動き出す。
嫌悪感溢れる表情を作って応えるウルリカ。
手が下へと移動していく。
下着の中に入る。かき分ける。
「やだっ」声をあげる。
力なく、足を閉じようとする。阻まれる。
弄る手の力が強くなる。
「っん、やっ」
「嫌なら抵抗してみろよ。ああそうだった、聖女サマは人間様には手ェ出せないようにできてんだったよなぁ!」
吹っ切れたように声を張る大男。
「やめ……て」
「やめろっていう割にはよ、誘うような声出しやがってよ。慣れてんなぁ、おい」
二人だけで妙な盛り上がり。
観衆の武装犯たちも手を叩いて歓声のような声をあげている。
リーダー格の男は茶番に背を向けている。彼は自分たちがウルリカの相手をさせられていると勘づいていた。人質側に主導権を半分握られているのは不都合ではあるが、想定していた〝暇つぶし〟の方法の中では比較的平和に事が済んでいる。そうした意味では、この頭のおかしい人質には感謝していた。
人質のおよそ半数ほどもウルリカの意図に気付いていた。気付いたところで、彼らには、ただ状況を眺めたり床を睨みつけ、いつ来るかわからない助けを待つことしかできずにいた。
アネットもウルリカが時間稼ぎをしていることを察してはいるが、この状況は精神の健康にとってあまりよいものではなかった。拘束を解こうと、力を込めたり手足や身体を捻って隙間を作ろうとささやかな抵抗を試み続けている。この場の意識がウルリカに向いているいまならば、多少動いても気付かれないだろうと。拘束から逃れた後のことも考えずに。
大男の手が下着にかかる。
「それだけはお願い、やっ」強く抵抗。
場に緊張が走る。
そんな中。
「や、やめろっ!」
人質の列から声があがった。少年の声。
武装犯らが一斉に声のした方を向く。声の主は視線に耐えきれずよろよろと立ち上がった。
金髪の少年、アロイス。ウルリカに絡んできたルクシュテルン校の生徒。
「ち、余計なことを……」小声で毒づくウルリカ。
自分が彼らの遊び道具になっていれば、誰も大きな被害を受けずこの場を凌ぐことができる。「異能」によって、彼らにどんなにいたぶられようと傷を負うことのない自分が耐えていれば、救援までの時間稼ぎになる。そうウルリカは考えていた。
誤算があるとすれば、彼女の意図が人質全員に伝わらなかったことと、堂に入った演技が人質の正義感を煽ってしまったことだった。
大男もウルリカに弄ばれていることは百も承知だった。それも彼の怒りを買う類の行動ではあったが、思った以上に楽しんでもいた。そのお楽しみに水を差されたことは、どうしようもなく癇に障った。
「男は別に要らねぇって話だったよな」身体を揺らしながら大男は言った。
返答を口にするのも面倒といった様子で頷くリーダー。
大男は、ふん、と鼻を鳴らし、人質に近い位置に立つ仲間にアロイスを連れてくるように指示。
「好きにしろ。だが、責任は取れよ」
「わかってるって」
アロイスは布を噛まされたうえで、引き摺られるように椅子に座らされ、さらに縄で縛り留められた。
短い間、抵抗し縛めから逃れようとしたが、すぐに諦めたのかぐったりと項垂れた。力ない目で、ウルリカを見ている。
それを見て、ウルリカは心の中で溜息と悪態を吐きそうになった。
しかし、こうなってしまった以上、何もしないわけにもいかない。このままでは襲撃犯と戯れた挙句、余所の人員を目の前で見殺しにしたという誹りを免れない。最悪はイキり散らして仲間を売った尻軽女などと侮蔑されかねない。
「これから起こることをあなたは見なかった。いいですね?」
目配せし小さく呟いた。その言葉が聞こえてか否か、アロイスはわずかに顔を振った。
「……憐れみたまえ」
ぶつぶつと、この場にいる誰もが知らない言語で呟き始めるウルリカ。
「祓いたまえ、清めたまえ――」
それに構わず、アロイスの首を落とそうと大男が大鉈を振り上げる。
「お仲間に祈りでも捧げようってか。薄情なんだか、信心深いんだか、壊れちまってるのか、わからねえ女だな」武装犯の一人が呟いた。
リーダー格の男は、ウルリカの呪文を聞き、何か考えているのか顎を触り軽く首を傾げている。彼女の顔を、全身を見回す。違和感。目立った汚れも傷もない。謎の詠唱が、東方の言語に似ているようだと思い至る。
「朝の御霧、夕の御霧を、朝風夕風の吹き払うことの如く――」
背後の死の気配にアロイスは思わず目を瞑った。
振り下ろそう、というとき。
「おい待て、その女を黙らせ――」
ハッとした様子でリーダー格の男が口を開き、ウルリカに詰め寄ろうと手を伸ばした。
それとほぼ同時に、大鉈と大男の頭が砕け飛んだ。
パシンという軽い音。続けてパチパチという小石を投げたような音が室内に響いた。鉄製の鎧戸に指で突いたかのような小さな穴が開き、一筋の光が建屋に差し込んでいる。先ほどまでは存在しなかったこの穴が、事象を起こしたのは一発の銃弾であることを示していた。
時間が止まったかのような静寂が場を包む。
大男の身体が崩れ落ちる。その音と合わせるように、扉が勢いよく蹴破られた。鉄の引き戸がひしゃげ、地面を跳ねた。
現れたのは、黒いスーツ姿の人物。青灰色の髪に、閉じられた右目と傷――リル。
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