■04: 記憶の方舟(2)

「半分観光のような任務なのはラクでいいですが、ずっと礼装のままというのは気に入りませんね」屋台の串焼きを両手にウルリカは言った。


 それをアネットが横目で流し見ている。ウルリカはすでに同じようなことを何回も愚痴っており、またか、といった様子。


 いまは、彼女たちに割り振られた場所の巡回警備中。任務中ではあるが、本番前の下見と予行のようなもの。

 「聖女」はこの都市に滞在する間、武装解除に加え、常に身分を掲示しなければならない。制服は誰が見てもわかりやすい証明書でもあった。


 巷の女の子たちの間では「聖女」の制服は人気らしく、この日も何度か写真を撮りたいという頼みを受けている。

 ウルリカもこの礼装自体は可愛いと思っているが、自分が着るとなると別の話で、全身白の恰好を一日中しなければならないのは大きな苦痛だった。白は二つある嫌いな色のうちの一つだからだ。もう一色は赤。そういった意味では彼女の髪色は忌むべきものでもあるが、それに関しては意識しないようにしていた。

 「学校」の制服が気に入らないのは色以外にも理由がある。スカートが膝丈であること。スカート自体あまり好きではないが、履くなら長いものがいい、というのがウルリカの嗜好。これ自体は本当にどうしようもないくらいに自分のわがままでしかない。その程度ならわざわざ不満を口にするまでもないが、言葉で表に出した以上は何か引っかかるものがあるということ。


 普段なら特に気にはしないが、去年と比べると街の様子が少し異なるように見えた。示威運動集団がいるのはいつも通り。しかし警備が重装備になっているし、あからさまな狙撃手も配置されている。目に見えてわかる物々しさと緊張感。「学校」勢力には説明一つない懸念材料。


 ウルリカが服装への気がかりを示すのには別の要因もあった。

 制服などの一目見て誰にでも判別できる外見的特徴は単にどの組織や勢力に属しているかを示す以上に敵味方の識別でもある。存在自体が兵器といえる「聖女」の白い礼装は、特定条件下では〝的〟でしかない。アウェーであるこの都市のような場所では。


 終戦記念日という〝意味〟のある日に。法石爆弾という環境を変質させる兵器が使われた場所で。とりわけ反戦派、反聖堂派、脱法石依存派の人間も各地から集まるこの期間においては、なおのこと。

 自分が何かを企む者ならこの機会を狙う、誰でも狙う、そうウルリカは考えた。この都市の警備員以外は、重要人物の近衛であろうと警備上の理由から武装解除されているため、参加する重要人物を狙いやすい。


 神器兵も手元に神器がなければ、少し強いだけの人間にすぎない。

 もっとも「聖女」を暴力的手段で狙うといった行動は通常の主張活動では意味のない行為だ。聖女を対象にした暴力的脅迫や破壊活動でない限り。それさえも、敵軍の持つ格上の戦車や航空機を撃破することに成功したかのような、一過的に彼らの士気を向上させるのに役立つだけで、根本的に何かを変えるものでもない。むしろ勘違いで彼らにとって致命的な判断ミスを誘う。

 それに「平和」のための式典と会議が行われているこの時期を狙うのは、参加するすべての都市や国を敵に回す行為でしかない。それが目的なのかもしれないが。



「ま、どのみちわたしには関係ないことです」


 考えすぎか。多少考え方がリルに似てきたのかもしれないと、寒気が走る。ただ指定の白い服が気に食わないのを飛躍させた妄想にすぎない。人間同士の争いは「聖女」には関係ないこと。


「え、何が?」


「なんでもありませんよ」


「それにしてもあまり気分のいいものじゃないですよね、あれ」


 公園の一角で演説を行っている「反戦」や「脱・法石」を掲げる環境団体。看板に書き記した文句自体は妥当ともいえるもの。しかし、理想を共有する仲間が増えることは意図しない過激化・先鋭化した分派を生みやすい。この場にいるのは、そうした急進的傾向のある派閥。


「ああ、彼らはこの時期の風物詩のようなものです。聞いたところによると、どうやらこの街のそういった思想の方々ではないようですよ。街の人からしても鬱陶しいみたいですけれど、入管の検査を通っていますし、届け出もされていますから違法でもありませんし」


「この街の人じゃないんだ」


「ええ、普段この街でああいった主張をしている方はこの時期は大人しいらしくて。外から見れば同じ革命的勢力でも、彼らとは一緒にしてほしくないのでしょうね」


「そういうものなんですか。面倒くさい」


「ま、そんなことはどうでもいいんですが。それよりあなたも食べたらどうですか」


 串を差し出す。さきからアネットの視線が屋台やウルリカの手元を行ったり来たりしているのに気付いていた。物欲しげな目。


「いえ、任務中なので」


「あら、わたしも任務中ですよ。武器も持たず街を巡回することが仕事に入るのなら。それに、先輩の奢りなのだから、ありがたく受け取っておくべきだとは思いませんか?」プレッシャーをかけるように、静かに迫る。


「それは、その。じゃあ、いただきます」


「よろしい」


 手渡された串を受け取り、じっくり観察するように見つめ、口に運ぶアネット。


「あ、おいしい」表情が明るくなる。


「ああ、可愛いですねぇ」頬張るアネットを見て、うんうんと頷く。「何か食べたいものとか欲しいものがあったら、言ってくださいね。お姉さんなんでも買っちゃいます」


「そんな、やめてくださいよぉ」アネットは表情を和らげながらも、焦ったように返した。



 そんなときだった。


「歩き食いとはいい御身分ですねぇ」


 ウルリカとアネットは、ふいに声をかけられた。

 二人の少年と一人の少女の三人組。金髪、黒髪、ストロベリーブロンドの中大小。

 臙脂色、ダブル、六つボタンのジャケットの制服。ルクシュテルン校の神器兵。「学校」から技術供与を受け、イリアシュタットの衛星都市に設置された姉妹校。


「あら、ごきげんよう。ルクシュテルンの方々かしら。いいお天気ですね」


 ウルリカは笑みを浮かべながらも、サッとアネットを自分の背後に下がらせた。


「ごきげんようだってさ」


「本校の連中はこんなに緊張感のないやつばっかりなのか?」


「『聖女』なんて呼ばれてるけどさ、どうせ聖堂のお飾りだろ」


「こんなんじゃ、実力も高が知れるよ」


 ウルリカはただ微笑を浮かべたまま、言葉を聞き流している。内心では子犬が吠えているな、くらいにしか思っておらず、むしろ可愛いとさえ。

 とはいえ、買い食いに関しては程度が低いと思われても仕方ない部分はある。もっとも、彼らも自分たちの持ち場を離れている以上説得力に欠けるが。


「そうそう、なんだっけ本校って女の子しかいないんでしょ。気になるんだけど『お姉さま』とかやってんの?」作った声で、馴れ馴れしく質問。そのあとで、小さく吐き捨てる。「だいたいさ、いいように〝使われ〟てるから待遇がいいんでしょうよ」


「違いない」小声で賛同。


「ちょっと――」アネットが口を挟もうとするが、ウルリカに制される。


「んー? 何か言いたいのかなー?」


「そっちのお嬢ちゃんはどっちが格上かわかってるみたいじゃないか。少しは見る目があるよ。このラルスは、なんたって一年最強だからね」


「よせ。あくまで一学年で一番なだけだ。それもルクシュテルン校と本校じゃレベルの違いがあるだろ。なんでそうすぐ喧嘩腰になるんだ、少しは自重しろ」ラルスと呼ばれた黒髪の少年は満更でもなさげな顔をしながら、表面的に苦言を吐き、続けた。「ああ、名乗るのを忘れていた。これは失礼した。ラルス・ヴァイスだ」


「アロイス。アロイス・グラーフ」金髪の少年がぶすっとした顔で言った。


「ノーラ・レッシュです」語尾に星マークが付きそうな声音。


「わたしたちも名乗ったほうがいいかしら」


「名乗りたいのなら聞く」


「では遠慮しますわ」


「ま、あんたら全員の名前を覚えるのは無理な話だ。次会うときにはいなくなってるやつも多そうだしな」


「というわけでね。お気楽に楽しんでいればいいさ。わたしたちだけで十分。あんたたちみたいな時代遅れは、せいぜい捨てられないように媚びてな。お人形さん?」


「生きていれば、また」


 三人は去っていった。


「何だったんでしょうか?」


「他人の管轄にわざわざ顔を見せに来るなんてずいぶん余裕があるようでしたが。まぁ大方、今度の交流会の事前の挨拶回りでしょう。彼らは確か新型の神器兵だとか。そんなことはどうでもいいですが、あなたはああいうことしないでくださいな」


 アネットは頷いた。


「でも、あの様子だと他の子たちにも同じことしそうですね」長めに息を吐く。「そうなると面倒ですね。うちの子も大人しい子ばかりではありませんから」


「はは……」苦笑いしつつも、同感といった様子のアネット。



 巡回監視という名の散歩を続ける二人。五分と経たないうち、ウルリカの懸念通り無線機に連絡が入った。


『ポイントPO9‐1にて、問題発生。AS同士の衝突のようです。現場に近いチームは急行し確認を頼みます』


「あらあら。まったく」


「POってここから近いですね」


「エクリプセ、ポイントPO9‐1、了解」


 ウルリカは返答したあと、不安そうな目のアネットに声をかけた。


「さ、行きましょう」


「あ、はい」




 数分後。

 現場に着いたウルリカとアネット。

 ちょっとした人だかりができている。

 さきの三人組と「聖女」が揉めている様子。上品ではない言葉もいくらか耳に飛び込んでくる。「聖女」側の人数も三人で、いかにも気が強そうであったり、気位の高そうな顔ぶれ。


 おどおどするアネットを横目に、ウルリカは事もなげに野次馬に交じる「学校」の白い礼服へ声をかけた。ウルリカよりも高い背、浅黒い肌、一つに束ねた銀の長髪、色の薄いサングラスをかけた人物。


「イリスちゃん、どうなってるんですか?」


「ああ、ウルリカか。わたしの班の新人がさ、ちょっと目を離した隙に喧嘩を買っちまったみたいで」


「止めないんですか」


「ガキ同士の戯れだ、好きにさせとけばいい。本当にやばけりゃ止めに入るよ。っていうのを向こうの引率者と腹を合わせたところ」


 イリスは隣に立つ男を親指と顎で示した。


「あら」


「どうも」


 赤みがかった明るい茶髪、線の細い男。いかにも軽薄で軟派な雰囲気の人物だが、見た目に反して隙がない。高い戦闘能力、あるいは心得があることが見て取れる。


「あなたもルクシュテルンの生徒さんですか」


「ああ、そうだよ。そういうキミは本校の『聖女』だよね。ははっ、見てわかるって? いやぁ、やっぱレベル高いなぁ」


「初対面なのにずいぶん馴れ馴れしいですね」


「変に真面目気取って舐められても困るからね」


「さっきあの子たちに絡まれたんですが、あなたを見てなんとなくわかった気がします。……あなた、強いでしょう?」


「まあ、それほどでもあるかな。キミに勝つのは難しそうだけど」ウルリカの全身を見回し、続ける。「にしても、キミにも声をかけたって? ウケるね、それは。まったく交流会が楽しみだよ」


「血の気が多いですね」


「それはウチも同じだろ」イリスが突っ込んだ。


「それもそうですね」


「あのー、でも止めたほうがいいんじゃないですか。あんまり問題を起こすと……」アネットが控えめに手を上げながら言った。


「ちょっと騒ぎを起こしたほうがうまくいくこともあるからねぇ」ふわふわとした軽い口調、明らかに含みのある言い方。


「ああ、そういうことですか」


 何かに合点がいったというふうに軽く頷くウルリカとイリスを横に、アネットは首を傾げる。疑問符が頭の上に浮かぶ表現が似合う顔。


「どういうことかは知らないけど、祭りは賑やかなほうがいい。こういうのも街の賑わいの一つとして認められるべきだよ。……ま、こっちにはそれ以外の理由もあるんだけどさ。それを話すほどキミらを信用していないよ」


「それはお互い様」


「思わせぶりなことを言う男はあまり受けませんよ」


「ああ、違いない。俺も潔白ぶってる血に飢えた獣みたいな女の子は好みじゃあないよ」頷く。「さてと、そろそろか――」


 軽薄男とイリスが、騒ぎに割って入る。


「おーい、キミたち!」「お前ら、そのくらいにしとけよ」



 後に残されたウルリカは小さく独り言。

「言いますね」

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