■02: 聖女部隊(2)

 退き始めたケモノを追ってリル、ウルリカ、パルサティラは廃墟エリアに侵入していた。

 なんらかの罠である可能性が高いが、いまここで脅威は完全排除しておいたほうが、後々、利になると踏んでのこと。多少無理をしてでも。

 それができるし、許される面子でもある。



 ふいに三人の下に影が差した。

 それは次第に大きくなって。


 三人は散開。顔を見合わせるでもなく、誰かが指示を出すまでもなく。


 ――そこへケモノが降ってきた。


 四メートルほどの巨体の人型ケモノ。一つ目に三本角。全身を鎧のような硬質外皮に覆われている。そして特徴的なのはその右腕。異常に発達した右腕は爪や骨が変形したと思われる剣状の器官となっていた。仮に名をつけるなら「騎士」や「剣士」が相応しい外見と威圧感。


「なんですか、カブトムシさんですか?」壁面に、ウルリカ。とぼけた声。


「カブトムシ」パルサティラは首を傾げた。


「ふむ」


 鎧の騎士と形容できるケモノを見る。おそらく群れの本体はもう一体のほうだ、とリルは直感。自分が殿を務めることで群れを立て直せる可能性を高めようという考えか。よほど自分の力に自信があるのか、あるいは瞬く間に群れをほぼ全滅にまで追いやった脅威を前に犠牲を最小にしようというのか。どちらにせよ、群れを助けたいのならば出てくるのが遅かった。


「リル。ここはわたしが」


「そう頼もうと思ってたところ」


「じゃあ頼まれました」


「わたしも」パルサティラが続く。


「あなたはこっち」襟を掴んで引き留める。「もう一体をヤる」


 わかった、と頷くパルサティラ。

 瓦礫の路地へ二人は入っていった。

 それを追おうとする鎧のケモノの前にウルリカが立ち、行く手を遮る。


「あなたのお相手はわたし」帽子を脱ぎ、膝を曲げ、身体を沈め、お辞儀。「ウルリカです。どうぞよろしくお願いしますね」


 ウルリカの態度に一瞬困惑するかのような様子を見せるケモノだが、左腕を胸に当て、挨拶のような仕草を返した。


 しばしの間――見合うウルリカとケモノ。


 先に動いたのは鎧のケモノ。巨体からは想像もできないほどの素早い動きで、一瞬で距離を詰め、剣状に変質した右腕で斬りかかった。

 ウルリカは、その一撃を大鎌で受け止めた。一歩も動かず。


「では、始めましょう」淡々とした冷たい声音。空気が変わる。「憐れみたまえ――」


 ウルリカの姿がかき消える。支えがなくなり、体勢を崩すケモノ。

 消えたウルリカを探す。

 彼女は廃墟の壁に〝立って〟いた。

 ケモノは手近の瓦礫を掴み、ウルリカへと投げつけた。

 それを躱し、壁を蹴るウルリカ。まるでケモノへ向かって落ちるように一直線。鎌を振る。

 鎧のケモノ、斬撃を右腕で受ける。

 鋸刃が食い込む。刃が触れていないはずの頸部にも右腕と同じ傷が独りでに刻まれる。神器〈永久の生、白日〉の呪詛。どこを斬ろうとも、その斬撃は首を狙う。断頭によって命を絶つ大鎌の呪い。


「私はその罪人に永き生を祈ろう」


 まずいと思ったのか、ケモノは連続で腕を振り、攻勢に出た。その一撃一撃は当たれば、いくら「聖女」といえども、致命傷になるほどの重さ。そう、当たりさえすれば。


 ウルリカは最小の動作で連撃を躱していく。帽子をおさえながら。ケモノの攻撃は、彼女の髪の毛一本すら捉えられずにいる。

 ふいに、つまずいたかのようによろけるウルリカ。

 それを好機と、ケモノは叩き落すように右腕を振り降ろした。

 誘われた動き。功を急ぎすぎた大振りの一撃。


 ウルリカはひらりと木の葉や蝶が舞うように、横へ回り込み。ケモノが、その腕が振り切ったところに、大鎌の峰尻をハンマーのように打ち込み、剣腕を地面へ沈み込ませた。

 膝を突くケモノ。剣状に変化した筋骨が高い音を立て、ひび割れ、血が噴き出る。


「彼の者を赦し、私を赦し、その罪穢を清めたまえ」


 顔面を蹴り上げ、首の後ろ側へ鎌を振り降ろし峰打ち。振った勢いのまま、空中へ。


 一〇メートルほどし、反転。


 急降下。


「罪はなく、罪人はここにはいない」


 一閃。


 ケモノの首がごとりと落ち、血が滝のように流れ落ちていく。

 血の勢いが収まるのを見届けると、ウルリカは小さく息を吐き、手頃なサイズ感の瓦礫に腰を下ろした。

 腰のポーチの一つから、煙草とマッチ箱を取り出す。クリーム色、鳥のイラストのパッケージ。

 二本取り出し、一本を口に咥え、器用にマッチを片手で擦り、火を点ける。もう一本は、これはあなたの分、とでもいうようにケモノの死体に振って見せたあと、膝の上にマッチ箱と一緒に置く。


 煙を吐く。立ち昇り、薄く消えていくそれを無心に眺める。




   ◆



「どこへ行こうというのかな」芝居がかった口調。「逃げられるとでも?」


 ふいにかけられた言葉に、ケモノは振り向いた。


 蜘蛛のような八本の脚、人間の女性の造形をした上半身。頭部には冠のように無数の目が蠢いている。

 肩と尾の部分に真新しい傷が見えた。リルたちが到着する直前の戦闘により、傷を負ったことで、このケモノと騎士のケモノは最前線から退いたと考えるのが筋。

 蜘蛛のケモノは、自身も傷を負い、群れもそのほとんどが狩られてしまったいま、いそいそと落ち行く準備をしていたといった様子。


 一人佇む少女に驚き、キィキィと、声を発している。


「残念だけど、あなたの群れはおしまい」


 リルは地面に落ちている細剣を拾い上げた。神器。

 この蜘蛛のケモノが率いる群れと戦い敗れた神器兵のもの。リルにはこの細剣に見覚えがあった。五二年組の「聖女」のもののはず。

 光熱を発し、毒の雷火ですべてを焼き尽くす剣。適合者以外が扱えば、その者の血液を水銀へと変える拒絶機能があると記憶。


「あなたは自分が死んでも、群れの子供が生き残れば次の世代に引き継げると思っているようだけど」細剣を指揮棒のように振る。パチパチと小さく火花が散った。「それを許すとでも?」


 鎖鋸のような銃声と絶叫が響いてきた。廃墟街のどこか、そう遠くない場所から。

 ケモノはギョロリと目を剥き、リルを睨んだ。


「彼も来ないわ、今頃あなたたちが想像できないほど惨い死に方をしているでしょうね」挑発するように。ウルリカに敵の死体をいたぶる趣味はないことを知ったうえでの発言。


 蜘蛛脚の女王は、唸りながら頭を抱えた。いくつかの眼球が潰れ、弾けることも構わず。何歩かふらつくように脚を動かし。

 天を仰ぎ、金切り声をあげた。

 その瞬間、廃墟は一変し、劇場へと塗り替えられた。豪華絢爛な四階席まである大劇場。

 その舞台の上に、リルとケモノは立っていた。


「上位、いや準上位といったところか」


 リルは目の前のケモノの実力について推し量ろうとしている。

 固有の現実改変領域を展開できるということは、それなりに高い位だ。

 蜘蛛のような形態から、おそらく糸で絡めとる、あるいは糸で操ることができる、と考えられる。もし集団でこのケモノを狩ろうとしたら同士討ちをさせられた可能性が高い。

 あるいは、劇場内の対象に何かしらの演目を強いるか。

 もしかすると、毒を使うかもしれない。


 しかし、自分自身が戦うことには慣れていない、もしくは想定外の事態に頭が回っていないのか、敵意の割に動きがぎこちない。

 脚をカチカチと鳴らし、歌うように声をあげている。


「うるさいな」


 歌をかき消すように発砲。わざと外す。


「下品。歌うならもっとマシなものにしてよ、女王様?」


 二発目、頭を狙って撃つ。

 発砲と同時にケモノはリルに突進。結果、銃撃は外れた。

 リル、脚の下をすり抜けながら、細剣を振る。

 浅い。毛で覆われた皮膚は思ったより硬く、刃の通りがよくない。

 すかさず、振り向こうとしたケモノを背後から刺す。

 細剣の機能を使えていれば、いまので終わっていた。リルはすべての神器を拒絶反応なしに扱えるが、自身と適合したもの以外の神器の特殊機能を無条件に解放して使いこなせるわけではない。


 ケモノの背を蹴り、剣を引き抜き。

 跳び退りながら、ボルトハンドルを操作し、着地とともに引き金を引く。

 銃撃は腹を穿った。

 絶叫し、腕を振り回す蜘蛛。


 リルは、この蜘蛛のケモノは戦い慣れていない、と確信。これ以上はいたぶるようで悪いと、追撃せず。下手に手負いにして、暴走させるのは危険だ。いくら戦い慣れず、自身の力を自分でも把握できていないとしても。わざわざ、これから殺す相手に戦闘経験を積ませてやる必要もない。


 蜘蛛のケモノは崩れ落ち、すすり泣くような声、懇願するような目でリルを見ている。

 リル、細剣を地面に刺し、小銃を肩にかけ、ケモノに歩み寄る。

 その間にもケモノは、命乞いや弁明のようにも聞こえる声をあげ続けていた。


「泣けるね」シースケースから剣を抜く。刃長一〇センチほどの折れた剣。リルの神器〈耀う堅き悲憤〉。「でも、無意味だ」


 一瞬、ケモノの目に反抗の意思が宿ったが、蜘蛛の女王が動くよりも早く、リルはその胸に折れた剣を突き入れた。

 捻り込みながら。深く、深く。

 法石の結晶に覆われた心臓が、砕け、潰れ。

 背から刃が抜け、柄を握った手も突き出るほどに。

 蜘蛛のケモノの全身から力が抜けていく。主を失った〝劇場〟は霧散。



 リルはこの、生き物を刃物で刺し殺す感覚を、気持ち悪く思っている。しかし、それと同じくらい心地よくも感じていた。

 それだけ聞くと快楽殺人者のようだが、そう思わないとやっていけない仕事ともいえるかもしれない。実際、「聖女」の引退理由の二割ほどが、異形の化け物とはいえ生きているものを殺すことへの苦痛によるものだ。そうならないように感情適応が施されているにもかかわらず。

 生き残り続けている聖女は、よっぽど仕事熱心か、そうでなければ異常者ばかりだ、リルはそう思っている。少なくとも自分は異常者に分類されるだろうとも。


 蜘蛛のケモノの胸を開き、心臓の破片を摘出する。黒い鉱石が表面に張りついている。「法石」、神秘なるエネルギー鉱石。

 鉱石をポーチに収め、細剣を拾う。


「さて、と。もう一仕事」




   ◆


 リルとパルサティラは白い糸で巻かれた三つの塊を見下ろしていた。

 長辺はリルの持つ〇八式短型騎兵銃より少し長く、短辺は肩幅よりいくらか大きいくらい。中身に関して嫌な推測をせずにはいられないサイズ感。


「これで全部?」


「うん、逃げてたのが運んでたのはこれで全部。おかしいところが?」


「いや、想像通りならこれで合ってるはず」


 道中発見した四つの神器と一人の遺体。

 遺体は「師団」の神器兵で、神器の一つは彼のもの。残る三つの神器は「学校」所蔵のもの、つまりは「聖女」のものだった。

 あるはずの三体の遺体が見つからない。

 喰われたという可能性もあるが、師団の神器兵の遺体がさほど損壊していないことから、その可能性は排除できる。女子供しか捕食しないとなると話は別だが、それよりも有力な可能性が目の前にはあった。


「さすがに気が重い」


 ナイフで塊を切り開いていく。

 それをパルサティラが、リルの肩越しに観察しようと覗き込む。おっかなびっくりといった様子。

 ボロボロかつ血塗れの服に、血生臭い匂いを纏った彼女のほうがよっぽど恐怖されそうな状態ではあるが。

 思いのほか、繭ともいえる包みは強度が高く、フルセレーションのナイフ一本を使い潰してしまった。


「――うっ」


 顔を背けるパルサティラ。

 包みの中身は人間だった。

 今回の輸送護衛に就き、戦闘中行方不明になった「聖女」の一人。五二年組、リルの記憶が正しければ今回が正式な初任務だったはずだ。


 残りも開封していく。

 今度は神器を使って。折れた剣は刃物として使いものにならないように思えるが、腐っても神器、超常の武器。装甲板へ投げつければ突き刺さるほどの、異常なまでの鋭利さと頑丈さを持っている。

 リル自身、本当はあまり神器をこんなことに使いたくはないと思っている。しかし、自分のつまらないこだわりで無駄な労力を使うのは、頭のよいやり方ではないことも理解していた。


 繭の中身の一人は五二年組で、彼女もさきの聖女と同様、今回が初任務。もう一人は五一年組。二人の新人の指導や補佐のため組んでいた聖女。五一年組はパルサティラと同じ学年だ。

 三人は皆、衣服を剥ぎ取られ、手足を切断された状態だった。繭状にされた状態で持ち去られようとしていた、ということは〝そういうこと〟だ。


「生きてるの?」


「この子知ってる?」


「うん、そんなに親しかったわけではないけど、同学年だから、そこそこ交流は」


「ウルリカと先に合流してて」


 位置指示装置の電源を入れ、優先度をクワイナリ以下に設定。本隊到着後に遺体回収を行うためのマーカー。

 リルにとってみれば、セカンダリ目標の神器回収を達成できたので、〝死んだ〟聖女には価値はないも同然だが、遺体は回収できたほうが同じ戦死にしても士気を維持できる。また、今回は検体として意味を見出せそうでもあった。


「……えっと、あの。リルさん……」


 彼女たちはまだ生きてはいるが、生かしてはおけないということはパルサティラにもわかった。そのうえで、リルがこれからすることを見ておきたい。しかし、それを言い出せず。


「どうしたの?」


「…………はい」


 パルサティラは、その場を後にした。


 見届けることは選ばなかった。それを選んでしまったら、今後同じようなことが起こったとき、リルと同じことをしなければならないと思ったからだ。自分にはその役目は重すぎる、そう思ってしまった。

 こういったことは、実は今回が初めてではない。何度か機会はあったが、そのたび尻込みしてしまっていた。


 もう助からない人間の線引きをするだけでなく、介錯まで行うのは普通の「聖女」の権限を越えているし、もし初めからそれが任務として教育されていたとしても、実行するのは難しいことだ。

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