■01: どうか、わたしの腕の中で(4)
コンクリートの壁が砕け、その瓦礫とともに、ルイーゼと白いケモノが外に飛び出した。
突進を回避するために、すぐ近くの教室に逃げ込んだものの、そのまま壁を突き破って進んできたケモノに巻き込まれて外に放り出された形だ。
もし躱せずまともに喰らっていたら、壁の模様になっていたところだった。冷や汗が頬を伝う。
月の光を浴びながら、白いケモノが、ゆったりとその巨体を起こす。
身構えるルイーゼ。
甲高い絶叫とともに、ケモノが跳びかかる。
跳び退り躱す。
鉤爪が宙を斬る。
体勢を崩しそうになるほどの風圧。
着地を狙うかのように、腕の薙ぎ払い。
ロールして回避。
距離を詰め、足元から狙おうと。
ケモノは跳び上がり、懐に転がり込もうとしたルイーゼを潰そうとする。
それも躱すが、防戦一方なルイーゼ。
見境なく暴れるように見えて、ルイーゼの動きをコントロールしている。
「――っ!」
強引に攻めに転じる。
固有異能を使って、体感時間を引き延ばす。連撃の隙間を縫うように駆け抜け、一撃を入れる。
一撃離脱の繰り返し。
「浅い……」
傷を負わせたが、それも傷をつけたそばから回復されている。ケモノは無傷だが、地面はケモノの血で染まるという奇異な光景。
やはり、ケモノはクラウディアで、神器も同化した状態である可能性が極めて高い。
「でも」息を切らし気味に呟く。ここまで自分は無傷で済んでいる。相手の動きはなんとかなる、問題はこちらの火力。それさえどうにかなれば。「――イケる」
槍を握りしめる。
槍が鈍く赤い光を纏う。
手に走る灼熱感に、歯を食いしばる。
「点火――」
胸から赤黒い炎が上がった。実際に燃えているわけではない幻の火。
心炉点火――力を限界まで、あるいはそれ以上にまで引き出す神器兵の隠し機能。いわゆるリミッター解除。文字通り命を燃やす奥の手。
身体能力だけでなく、神器の出力も引き上げ、場合によっては神器が破損する危険もある。
ルイーゼは地面を蹴った。瞬間、姿がかき消える。
白いケモノは、眼前から消えたルイーゼを探すように、首を動かしている。
「――はぁっ!」
頭上から、跳びかかり、背から槍を突き刺す。
次の瞬間、ケモノの躰中から無数の赤黒い棘が飛び出した。
体内からの破裂。
〈月光の棘姫〉の名を示す破壊。
槍を引き抜く。
倒れ込む白いケモノ。
「まずは一つ」
どれくらいのダメージを与えたかはわからないが、少なく見積もったほうがいい。このケモノが、クラウディアの神器と同等の能力を持っているとすれば、いまの攻撃でも一つから数個の命を削ったにすぎないからだ。
槍を構え直し、もう一刺し。
一回、二回と繰り返す。
ケモノは呻き一つあげず、再生する気配がない。
倒せたのか。
念のため、もう一度、突き刺そうとしたとき、ルイーゼの胸に衝撃が走った。
下を見る。地面から突き立った〝何か〟が胸を貫いている。
ささくれ立った、四本の棘、あるいは杭や爪牙といったほうが表現としては適切だろうか。
胸以外、一本は横腹を掠め、残り二本は宙を刺している。
「――っぅ」
胸の幻炎が消える。
まずい、とルイーゼは直感した。
心臓は避けているが、肺に穴が空いている。そして、それ以上に危険なのは、血を吸われている、ことだった。
杭を薙ぎ払う。血杭は思ったよりも簡単にぽきりと折れ、液体へ戻った。
即座にケモノから距離をとる。
一転して、ルイーゼが不利になった。
地面には、さきの攻防で多くのケモノの血が流れていた。そして、相手は血を操り、杭状のものを作り出す能力を持っている。あるいは、一定範囲内の自身の血を自分の躰のように扱える能力か。
能力の詳細は不明だが、地面の血の範囲に入れば、同じように杭が来るというのは間違いない。
「ぐ……ごほっえほ」
眩暈と咳。血杭によるダメージとリミッター解除の反動。
ルイーゼは残り時間が多くはないことを悟る。
ふらつきながらも、槍を構え直し、足を踏み出す。
血の爪牙が襲いかかる。
それを、体感時間を引き延ばすことで躱していく。
来るとわかっていれば、対処は容易い。
腕の振り降ろしをいなし、すれ違うように斬りつける。
すかさず反転し、もう一撃を加えようとすると。振り向きざまに右腕が振るわれた。
とっさに跳び退る。
もう片方の腕が、追いかけるように、振られ、ルイーゼは叩き落とされ。
そこへさらに地面をさらうように、薙ぎ払われる。
槍で受け止めることも間に合わず、まとも喰らい、振り飛ばされる。
地面を転がり、直撃以外の傷も増えていく。
「――ぁ」
息は詰まり、視界はふらつき、耳鳴りもする。そして、なにより全身が痛い。
滲むような鈍い痛みが全身を覆い、どこが傷つき、その損傷の程度も痛覚から推し量れない。
槍は手元になく、離れたところに落ちている。
立ち上がるだけの力はないままに、地を這い、なんとか、そこまで進もうとする。
数メートルのはずだが、果てしない距離に思えるほどの、身体の重さ。
そうしている間にも、ケモノはゆっくりとルイーゼに近づいている。
「クラウ、ディ、ア……」
ふと、口から零れた。
なぜ、そんなことを言ったのかも、ルイーゼ自身もわからなかった。もしかすると命乞いか、あるいは一思いにやってくれという懇願か。
どうにせよ、神器まで辿り着ける気力は残っていない。
力を振り絞り、体の向きを変え、仰向けになる。
こうすれば、こちらから白いケモノも見えるし、向こうもトドメを刺しやすいだろう。
「――?」
死を覚悟したルイーゼの横を何かが通り抜けた。
大きな鎌を手にした聖女。
ウルリカ。
「よく頑張りました」
ウルリカはそう言い残し、白いケモノへと斬りかかる。
一振り二連の斬撃。ケモノは頭を落とされ、胴は肩から腰にかけて斜めに断たれている。一瞬のことだった。
ケモノの腹から、神器〈蒼き導きの誓花〉がのぞき、青い光がちらつく。
「大丈夫ですか」
ウルリカはルイーゼを引き寄せ、近くの壁に寄りかからせると、全身を見回す。ルイーゼの状態は想像以上によくないものだった。
右胸の貫通創をはじめ、全身が傷だらけで、無事なところを探すほうが難しい。腕は折れているし、肋骨や内臓にもダメージがあることは明白なほど。胸の傷を除けば、特に左足の損傷がひどく、文字通り皮一枚で繋がっているような状態。すでに血は出ていない。
内心で、もう助からないと確信。「学校」が正常な状況であれば、いますぐ医療部に担ぎ込めば、助かる見込みもあったかもしれない。
槍を小走りで回収し、ルイーゼの横に立てかける。
腰のポーチから、ペン型の注射器を取り出す。レテオン――L剤と呼ばれている神器兵用の鎮痛・鎮静薬。
白いケモノはその間にも再生し始めている。
「せ……ぱい。うしろ」
「わかってます。でも、あなたのほうが先です」
シャツの胸元を広げ、アンダーウェアを引き裂く。ネックレスとドックタグが見え、同時に明らかに戦闘によるものではない傷跡も目に入った。やっぱりな、とウルリカは一人頷く。心臓の位置を確かめ、注射器を押し当てる。薬剤が注入されていく。
「後は、任せてください」
再生を終え、立ち上がった白いケモノは先ほどまでとは少し異なった出で立ちになっていた。下半身の無数の腕はなくなり、その代わりに足が生え、頭には鹿のような角、手には神器が握られている。
「へー、さすがですね。面白い」感情のない声。「でも、わたしを殺すなら、さっきまでのほうがよかったですよ」
鋸刃の大鎌を構える。
ケモノは手の中にある大鋏を見つめたままで、動く気配はない。
「――憐れみたまえ」
詠唱。
実のところ、ウルリカとこのケモノは相性があまりよくない。彼女の神器〈永久の生、白日〉は問答無用で相手を殺すものだが、通常起動では命が複数あるものに対してはその命を一つずつしか削れない以上、後手に回らざるを得ないからだった。加えて、外征から帰還したばかりのウルリカはすでに消耗しているため、力を出しきることはできない。
相手は結界持ち。しかし周囲を夜にする以上の性質は、まだ獲得できていない。再生能力により、ただタフなだけ。
まずは腕を切り落とし、次に神器を破壊する。そうすれば命のストックは利用できなくなる。そして最後に首を落とせば、それで終わり。
あるいは、最大出力で首を刎ねれば、リンクした神器も一緒に〝殺せる〟かもしれない。
呪文を唱えながら、どう動くかを考える。
詠唱自体に意味はないが、ウルリカが首を落とすと決めた相手へのせめてもの祈りであり、礼儀でもあった。ウルリカにとって、これは戦いではなく処刑であり、弔いなのだ。
「彼の者を赦し、私を赦し、その罪穢を清めたまえ。ここに罪はなく――、ってちょっと!」
ウルリカの横を槍が飛んでいった。
槍は心臓があると思われる部位を狙って進むが、ケモノが振るった大鋏に弾かれ、ブーメランのようにウルリカの背後に戻っていく。
「わたしがやります」
ボロボロのルイーゼ。手元に戻ってきた槍を支えに立っている。
黒い結晶がちぎれかかった左足を繋ぎ、心臓を中心に身体中から赤黒い幻炎が立ち揺らいでいる。
「死にますよ、あなた」
「いいです。先輩にクラウディアをとられるよりはずっと」
「自分が何を言ってるのかわかるの――」
槍をウルリカへ向ける。それを見てウルリカは小さく首を横に振り、後ろへ下がった。
「ありがとうございます」聞こえないほどの小声で。
ルイーゼは、決意に満ちた目で白いケモノを見上げた。
ケモノもまた、高い唸りをあげながら、ルイーゼを見つめている。
「いくよ、クラウディア」静かな声。
「――――!!」答えるように咆哮。
瞬間、夜が割れ、元の空が姿を現した。
空は厚い雲が覆い、雪が舞い、雲の隙間から陽が差している。
ルイーゼとクラウディアは、ほぼ同時に動いた。
一直線に突っ込むルイーゼ。それをクラウディアは半身で躱し、斬り下ろす。
跳び退りながら槍を投げる。
巨体はそれを避けるが、槍は空中で軌道を変え、もう一度目標へ飛翔する。
それを弾き落とし、槍が持ち主に戻る前に、大鋏を薙ぐ。
ルイーゼは懐へ潜り込み、足元を抜け、背に乗った。
振り落とそうと、躰を振るクラウディア。
落とされないように、躰に掴まりながら、手元に戻った槍を逆手に持ち、心臓めがけて突き刺す。
「ァァア!!」
槍を引き抜き離れようとしたルイーゼを、腕が捕らえ。
背負った剣を引き放つかのような動きで地面に叩きつける。
「っく」息が詰まる。
クラウディアは、横たわるルイーゼに、刃を突き立てようと腕を振り上げた。
ルイーゼはその隙に、起き上がり距離をとった。明らかにその為に作られた隙。
血を吐き捨てる。
もはや口の傷から出た血なのか、喉の方から上がってきた血なのかも、ルイーゼにはわからなかった。ウルリカに打たれたL剤によって、痛みはない。しかし痛いという感覚はわかる。とはいえ、傷だらけで、どこからの痛みが薬によって緩和されているのかの判別ができなくなっている。
こうしていま動けるのは、神器の機能のおかげだった。ルイーゼの神器は強力な肉体再生機能を持たない代わりに、皮一枚でも繋がってさえいれば、骨が砕けようが肉が裂けようが四肢を動かし続けられる機能がある。
幸い、肺に溜まった血は、肋骨が刺さったことによってできた傷と、さきの血杭が貫通した際の穴から、いくらか排出されていた。そのせいか血が足りなくて、くらくらするが、自分の血で窒息してしまうよりはだいぶマシだ。
仕切り直すかのように、大鋏を剣のように頭の横で構えるクラウディア。
答えるようにルイーゼも槍を構える。
しかし、ルイーゼには予感があった。これでは足りない。このままでは決め手に欠ける。不可避致命の一撃が必要だと。
ボロボロの身体で万全以上の力を出すには。
そのためには。
ここで終わってもいい。
どのみち、もう助からない可能性が高いのだから。
だから。
「――唸れ」呟く。神器と自身に呼びかけるように。
槍が赤い光を湛え、胸の幻炎が赤から紫へ色を変え燃え上がる。
すでに限界まで引き出された力を、さらに限界まで。
搾りかすさえ残さないほどに力を振り絞る。
クラウディアは目を見開き、咆哮、大鋏を振るった。
その叫びは悲憤に満ちているようにも聞こえた。
斬撃が光波となって放たれる。
それを躱し、跳び上がるルイーゼ。
すかさず距離を詰め、斬り上げる。
身体を捻り、追撃をスレスレで回避。
「もっと――」
刃の側面を蹴り、レンジの内側へ。
斜めに斬り下ろし、振った勢いのまま握りを変え石突で腹を突く。
クラウディアは、叫びながらも、空いた片方の腕でルイーゼを掴み、地面に投げ落とした。
ルイーゼの身体が跳ねる。
大鋏の斬り上げ。
斬撃を柄で受け止めるも、そのまま打ち上げられる。
衝撃で、ダメージの蓄積していた腕の骨と筋肉が、ほぼ使いものにならなくなったのがわかった。
空中で槍を投げる。
右腕の肘から先を投擲の勢いで、喪失。
迎撃態勢のクラウディア。
飛来する槍を叩き落さんと、巨鋏の刃が触れようという瞬間、槍は軌道を変え、胸部を穿った。
槍は貫通時に炸裂し、クラウディアを内側から串刺す。
「――――ァアア!!」
絶叫をあげながらも、踏み留まる。
膝を突くことなく、大鋏を支えにすることもなく。
その目はルイーゼだけを、相対する者だけを追い続けている。
ルイーゼは帰還した槍を手に、再び地面を蹴る。
右腕を失くしたいま、できることはそう多くはなかった。
速く。
一直線に。
ただ一直線に。
クラウディアも大鋏を振り上げる。
お互い、刺し違えようともこの一撃で最後にする、という気概。覚悟、血盟。
「クラウディアァアアッ!!」
赫槍が胸に突き刺さり――
爆ぜた。
◆
見せつけてくれるな、ウルリカはそう思った。
危うく口にしてしまいそうだったが、それは二人の戦いに泥を塗る行為だ。
だから、こうしようと、手を叩いた。
左手のせいで、あまり綺麗な拍手の音にはならなかったが、こういうのは気持ちが大事だろう。
二人を見下ろす。
こうなることはわかっていたし、わざわざ二人の行く末を見届ける必要もなかった。
後々、他の場所へ応援へ行かず、ここに留まったことを追求されることがあるかもしれない。そのときには、どう釈明すべきだろうか。
ルイーゼが負ける可能性を考慮して?
それなら、初めから自分がやればいいだけの話だ。
じゃあ、どうして、となる。
身も蓋もないことをいえば、ただ単純に興味があったからだ。
ルイーゼはあのまま放っておけば死んでいた。最後に〝親友〟を倒せず、静かに眠るように。誰にも知られぬまま。
それは彼女の望んだ死に方ではないだろう。
だから自分は〝観戦者〟として、彼女たちを見届けようと思ったのだ。
ここを死地と定めた者を邪魔しないように。
二人の望みを歪な形で、実現させただけでしかない。
手を合わせ、小さく頭を下げる。
砕けた両者の神器の破片に混じり、何かが光っている。
ネックレスとドックタグ。クラウディアのもののようだ。
それを拾い上げ、ルイーゼの胸の上に置く。
再度、手を合わせ祈る。
二人から離れ、煙草に火を点ける。
雪がしっかりと降り始めてきた。このまま止まなければ、明日の朝には積もっているだろう。
ウルリカは雪が嫌いだった。
雪というより、その白さが。
白は最も不自由な色だから。
その白さが、静けさが。
全部を覆い隠してしまうような気がして。
でも、いまだけは。
すべてが終わるまでは。
彼女たちを隠しておいてくれないか、そう願ってしまう。
クラウディアは、死に。
彼女の仇をルイーゼが取った。
それでいいのだ。
わたしが駆けつけたときには、もうすべてが済んでいた。
そういうことにしておこう、とウルリカは考えをまとめた。
ルイーゼには悪いが、よくある話の一つでしかないのだ。
どんな劇的なものだとしても。
それが劇的と表現できる以上は、その範疇に納まる。
ましてや、ケモノに身をやつしながらも正気を取り戻した友と対峙し、戦士として戦い果てようという物語など、陳腐に他ならない。
結局、どうあろうと、彼女たちの欲しいものに手が届くことはない。ウルリカ自身も。
「聖女」とはそういうものだ。
短くなった煙草を投げ捨て、肩の雪を払う。
「……嫌に、なりますね」
ウルリカは煙草の二本目に火を点けた。
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