■01: どうか、わたしの腕の中で(2)

 ルイーゼはクラウディア、カレンと一緒に少し早めの昼食を済ませたあと、講義棟エリアのデッキに面したテラス席で一人コーヒーを飲みながら、ゆっくりとしていた。クラウディアは技術部で用事、カレンは警備部と装備課を回って武器の調達交渉や新装備のウインドウショッピングをしに行っている。

 少し雲は増えてきたものの、いまだ快晴と呼べる範囲の天気で日差しが温かい。

 この日、行われている「師団」主導の作戦も、順調に進んでおり、ほとんど終結状態にあるらしかった。

 コーヒーを飲み終わり、うとうととしながらも、図書館に行くか、眠気覚ましに散歩でもしようかと席を立つ。


 そのとき、警報が鳴った。

 非常事態。


 ルイーゼはこの警報を聞くのは初めてだった。それどころか、この場にいるほとんどの人間が初めてだろう。そもそも警報の存在を知らない者もいる可能性すらある。待機中の聖女であれば、街の警戒域に近づくケモノがいるというアナウンスを受けることもあるが、それも防衛任務にあたっている人員に向けてのもの。ラインを突破したとしても、警備担当の神器兵や車両部隊によって処理されることが多く、応援が必要な場合は早い段階で連絡がなされる。もし仮に敵が即応部隊の手に負えない規模だったとしても、段階と手順を飛ばしていきなり非常事態の警報というのは、限りなくゼロに近い。ケモノの足が航空機より速いのであれば話は別だが。


 それゆえに最初に疑うのは、誤報だった。しかし、この可能性はすぐに低くなった。

 街の方からも警報の音が、波のように時間差で押し寄せてきたからだ。


 ケモノが都市の防衛ライン内に侵入したという内容に続いて、ほとんど間を置くことなく、外壁が突破され緊急事態が発生したことを示す警報が重ねられた。警報に混じって爆発音も聞こえ、雲とは異なる影が空にかかるのが見えた。市民に避難を呼びかける勧告や、緊急車両のサイレンの音が、「学校」まで聞こえてくる。


 構内も俄かに慌ただしくなった。

 放送によって、警備部や聖女の招集、講師や技術者の避難が促される。

 その直後「学校」の敷地内にもケモノが侵入したことを告げる自動警報が発せられ、同時に特別行動規定も発令された。構内での武器の無制限使用許可。

 さらには市内全域に、「学校」および「師団」による特別令の限定的発動が宣言された。これは、破局的な緊急事態時に現場へほぼすべての権限が委託されるもので、都市の意思決定機構がすでに機能喪失、または短時間で機能を失う可能性が極めて高いことを示していた。



 構内の人々は「何が起きている」、「(ケモノの構内侵入が)早すぎる」などと、状況を飲み込みきれないものの、自分たちのすべきことの為に行動し始めていた。

 誤報の可能性も否定できないが、誤報なら誤報でその原因を探さなければならない。


 ルイーゼも早く集合し、適切な指示を受ける必要があった。しかし、低学年組はどうすればよいのだろうか。ウロウロと辺りを見回す後輩たちを見かねて避難を促しつつ、通りがかった講師や施設スタッフも一緒に行動させ、避難する際にばらばらにならないようにさせる。


 一行の後ろにつく形で、講義棟エリアの北側にあるバンカーと中央棟に向かおうとしたとき。

 ルイーゼから見て後方で、悲鳴があがった。


 声のした方へ向くと、そこには奇妙な人型実体が立っていた。ケモノだ。

 ルイーゼは、その近くで尻もちをつき怯えている悲鳴の主を引き摺り、ケモノから引き離し、後輩と近くにいた講師に任せる。


 その間もケモノはふらふらとその場に揺れるだけだった。こちらの様子を窺っているのか、それとも動けないのか。


 目の前の存在は、ルイーゼにとって、初めて見るタイプのケモノだった。

 人型で二足歩行し、白く濁った皮膚は鉛のような鈍い光沢で、見るからにブヨブヨした触感だろうと想像できる。手足には長い爪が生えているが、足のものは歩行の邪魔になっているように見える。頭部にあたる部位は、形こそ人間の頭だが、口と思われる大きな穴が一つあるのみで、通常の生物のように脳などの器官があるとは思えない。総じて、奇妙で気持ちの悪い見た目。加えて、皮膚はところどころ爛れて腐り落ち、体液が滴ってもいる。

 この状態では、それほどの脅威とは思えないが、ミシミシと音を立て体表が裂け、そこから新たに触手状のものが生えたり、手足が徐々に太く筋肉質になっていく様子が確認できる。時間を置くと、成長して手がつけられなくなる可能性もゼロではない。


 ルイーゼは拳銃を抜くと、ケモノに向けて素早く全弾を撃ち放った。胸部を中心に着弾し、ケモノはよろよろと数歩、進んだあと、倒れた。


 死んだようにも見えるが、微かに痙攣し、声のような音を発している。完全にトドメを刺そうにも、拳銃は予備の弾倉はないし、倒れているといっても不用意に近づくのは、未知の相手に対しリスクが大きすぎる。そもそも、相手の性質が不明の状況で発砲するのでさえ、本来は危険な行動だった。



 そこへクラウディアが、ケースを背負い、散弾銃を手に駆けつけた。

 倒れているケモノを見下ろすと、無言で散弾銃を向け、発砲。頭部から股下まで、順々に計四発を撃ち込んでいく。釘打ち機で板を留めるかのような、小気味よい念入りな所作。


 もの言いたげなルイーゼを横目に、淡々と消費した分の弾薬を装填しなおす。それから、無線機と散弾銃、シェルホルダー付きベルトをルイーゼに手渡すと、背のケースを降ろした。一緒に持ってきた制服のジャケットを羽織る。



「ちょっと、それ」 


「放送は聞いてたでしょ、急いで」


 樹脂ケースから神器を取り出す。刃が外向きについた大鋏。一メートルほどのブレードは角度によっては青や紫にも見え、刃の中ほどからグリップにかけて睡蓮の花の彫刻が刻まれている。

 それを不安そうにルイーゼは見ている。


「大丈夫だよ」クラウディアは自分とルイーゼに言い聞かせるように言った。彼女自身、自分でも驚くくらいに、いままでの人生で一番優しく穏やかな口調だった。


「わたしは、こっち。ルーちゃんは早く集合を」


「それなら、わたしも」


「ダメ。ルイーゼはこんなところで力を出すべきじゃない。無線と銃は渡したけど、それでもちゃんと、神器も持って、体勢を立て直すべき」


 敵は外からやってくる、自分がここで食い止めれば、構内のバンカーへ人員は避難できるし、有力な聖女たちや首脳陣が体勢を整えられるうえ、彼女らの不必要な消耗も避けられる。無線で警備部の保安員と連絡も取れる。実動部隊が状況を把握して動き出すまでの時間稼ぎと情報収集の助けができればいい。そう考えてのこと。


「でも」


「全部言わせないで。わたしが『聖女』として役に立てるのは、いまくらいしかないの」


「……わかった」


「うん、外周を回って、敵を倒して、逃げ遅れたり、街から逃げてきた人を助けるだけだから。すぐ、そっちに行くよ」


「こっちも、済んだらそっちに行くから」


 互いに頷き合い、ルイーゼは駆けていった。


「さて、と」


 建物へ逃げ込もうとする人々を縫って、彼らとは反対方向へ進んでいく。


 叫び声や怒声、警報に混じり、引き摺るような音と水音が聞こえる。さきほど倒したケモノと同種の異形が群がり、人間だったモノを弄んでいた。

 彼らにも予感や恐怖というものがあるのだろうか、クラウディアが近づくと頭部をもたげ、ギィギィと声をあげ始めた。怯えに似た感情を含んだ声音。


 クラウディアは、下段に大鋏を構えると、一息に手近な一体に詰め、胸に突き入れた。刃はケモノの躰を貫き、それ自体が致命の一撃。しかし、これはただの剣による刺突ではなく、大鋏によるもの。次なる暴力がケモノに加わる。

 ゆっくりと、鋏を開いていく。外向きの刃が腹を裂き、骨をへし折り、その肉を、内臓を、ボトボトと零れ落ちさせる。

 ケモノはすでに絶命していたが、肺や胃にあたる臓器を圧迫されたことで、叫びともとれる音がその口から漏れた。


「あはっ」思わず、笑いが零れた。


 大鋏を閉じ、大剣のように構え、次々とその場にいるケモノに斬りかかっていく。ケモノたちは為す術なく、その身が裂かれ、砕かれるのを待つしかできなかった。



 自分の神器に触れるのは、およそ八ヶ月ぶりだった。

 〈蒼き導きの誓花〉。

 この光がわたしを導いてくれる。そんな安心感に高揚感、底知れぬ仄暗い不安感。そして飢餓感。



 クラウディアは肉塊を見下ろしながら、真っ赤に染まった手を舐めた。


「あ、どうしよう。最悪」


 マフラーが血で汚れたことに気付く。マフラーのみならず、ほぼ全身が返り血で赤黒く染まっているが、マフラーが汚れてしまったことがなによりショックだった。

 腹いせなのか、地面に倒れるバラバラの死体を突き刺す。


 周囲を見回すと、見える範囲には、敵も味方もいないようだった。あちこちから銃声が聞こえてくる。無線の報告と銃声の位置を比べ、警備員のいない場所をカバーすべきだろう、とクラウディアは考えた。

 そこへ、近場から二連射の独特な銃声が聞こえてきた。銃声から、おそらく聖女が交戦しているものと思われる。警備員なら無線機を常時携帯しているからなんらかの報告があるはずだし、この銃声の銃は警備員の標準装備ではないからだった。


 クラウディアは、死体に突き刺さった神器を引き抜き、走り出した。



 聖女が二人、ケモノの群れから逃げながら、銃を撃っている。

 クラウディアはその二人に見覚えがあった、クラウディアと同じ年に〝入学〟した聖女だ。名前は知らない。たぶん、あまり好きではないタイプの人たちだが、生き残る意思を見せる者を助けないわけにはいかない。


 一人がつまずき転んだところに、ケモノが襲いかかる。そのタイミングで、割って入る形で斬りかかった。胴体を横薙ぎに、真っ二つ。

 しかし、もう一人が襲われる一人を助けるべく撃った弾が、運悪くクラウディアに中ってしまっていた。弾は背から胸に抜け、射出口側の衣服が大きく裂けている。


「あ……」


 撃たれたことに気付いたクラウディアが、裂けた部分をつまんでその下を覗いたときには、すでに傷は塞がっていた。


「ク、クラウディア――」


 少女たちは、クラウディアを見るなり、怯えた表情で去っていった。


「ま、そうなるよね」


 クラウディアは、ルイーゼとカレン以外の同期から快く思われていない。その原因は自分にあるのだが、それでもここまで怖がられると、どうでもいい相手とはいえ少し寂しく感じてしまう。



 吸血鬼クラウディア。

 彼女がそうあだ名され、一部から疎まれている所以は、彼女の神器と固有異能にあった。


 彼女の神器〈蒼き導きの誓花〉は、対象の血を神器に吸わせる、または対象の血肉を適合者が摂取したり浴びることで、生命力を蓄積する機能を持つ。たとえ、致命傷を負ったとしても、十分な命の蓄えがあれば、即時回復できる。

 そして、食べたものの経験や知識を得る、というのが彼女の固有異能。ケモノや人間、神器兵を食べることによって効果を発揮する。


 彼女が、戦場へ立てないのは、神器が弱かったり、不具合があるからではない。初出撃時に、ケモノと友軍の死体を損壊した――具体的には、食べた――ことで、その行動が問題視されたためだ。それだけなら注意で済むはずだったが、彼女の精神診断の結果、大きな脆弱性が発見され、これが最も大きな理由になった。そして、廃棄される予定だったが、実験の被検体として生かされることになるとともに、実力は高かったために表向きは訓練の指導役の一人として、一線を退く形に落ち着いたというわけだ。


 そして、ある意味では、クラウディアという名前すら、呪いの一つだったが、それは彼女の知るところではなかった。




   ◆



 講義棟エリア、三号館南棟西側四階。

 クラウディアは、踊り場からケモノの下半身を蹴落とした。外から微かに聞こえてくる銃声を除けば、音のしない静かな校舎内にはその音がイヤに響く。

 階段を登りきった廊下に椅子や机でバリケードが構築されている。それもケモノによって半壊状態だった。クラウディアが来るのがもう少し遅かったなら突破されていただろう。


「あ、あの、ありがとうございます」声をかけられる。恐る恐るといった様子の声音。


「いえ、それより状況は?」バリケード側からは見えにくい壁の陰に隠れながら尋ねた。血塗れの姿を見せて不必要に怖がらせないため。


 生存者の数や、負傷者はいないかを聞き出す。外の様子を尋ねられれば、それも隠さず答える。


「この建物は安全です。いまのところは」匂いを嗅ぎ、言った。



 クラウディアは、この短期間で勘を取り戻してきていた。匂いでおおよその判別がつくようになった。いまでは、誰がケモノで誰がケモノでないか、がわかるまでになっていた。


 しかし問題もあった。自分の鼻を信じるならば、すでに多くのケモノが〝学校〟構内で〝発生〟していることになるからだ。

 結局は、自分が外周部に残って、食い止めようという行動は無意味に近いものだった。というのも、倒してきたケモノは、すべて市民や聖女、学校関係者だったからだ。食べたものの情報を得られるクラウディアならではの視点。

 感染するケモノ。そうなるとバンカーも必ずしも安全とはいえなくなる。もちろん自分もだ。条件がわからない限り。

 だから、「いまのところ」というのは、建物内にケモノが侵入するかもしれない、というだけでなく、バリケードの向こうでケモノが発生する可能性があるという意味合いもあった。



「こちら、ヴィジル68。三号館南に生存者。数は一二。軽傷者一。四階にバリケード。南棟はクリア。応援と確保をお願いします」バリケード内にも聞こえるように、少し大きめの声で報告を入れる。


「ティンバー11、三号南……ロア四。了……」


「教い……本か……交信途ぜ、部隊あ……。コード……BOBの可能性。ちゅ……よ」


 無線に混じるノイズや音飛びが増えてきた。こんなことで直るはずもないと、わかってはいるが、トントンと端末を叩く。


「東……ゲート……、……つ」


「ま、いっか」


 階段を降りながら、クラウディアはスンスンと鼻を鳴らした。敵の多い方向を嗅ぎ分け、そちらへ向かうことに決める。


「ふふふ~、ふふふん、ふ~」


 鼻歌交じりに、足取りは軽く、飛び跳ねるように歩を進める。まるで、遊園地の次のアトラクションへ向かうように。

 すでに彼女は、敵を倒すことに暗い悦びを感じ始めていた。


 本来であれば、近場の生存者を優先するか、警備部の主要区画奪取に加わるべきで、そうした判断力も鈍りつつあった。


 クラウディアは、たちこめる生と死の、血の匂いに酔っていた。

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