■01: 箱庭の少女たち(3)

 頭が痛い。

 昨夜の酔いが残り、その気持ち悪さがなんともいえない心地よさでもある。

 ルイーゼは寝床代わりにしたソファーから起き上がると、小さく伸びをした。


「さむっ」


 空調が効いてはいるものの十二月の朝、冷え込みはそれなりにキツイ。それにいま、ルイーゼは何も身に着けていない。裸というだけで、心理的には実際の室温がどうであれ、いくらか寒く感じてしまう。


 クラウディアは、というと、二段ベッドの下段の自分のベッドで毛布に包まり寝息を立てている。彼女のこういう軽薄で自分勝手なところがルイーゼは好きだった。といっても、本当に身勝手な女というわけでもなく、彼女のこうした振る舞いはすべてルイーゼを気遣ってのことでもあったが、それを知っているからこそ、クラウディアに明確なお返しをできずにいる自分が情けないし、もどかしい。


 少し中身の残っているボトルを空にし、乱雑に脱ぎ捨てられた衣服を洗濯カゴに放り込み、ソファーのラグを交換、床を拭いて、窓を開け放ち、寒さに体を震わせながら寮室備え付けの小さなバスルームに向かう。軽くシャワーを浴びたあと、肩や胸の真新しい傷にガーゼと包帯を慣れた手つきで巻き留め、身支度を整えている間にお湯が沸くよう、一口コンロと小さなシンクがあるだけの簡素なキッチン台でケトルを火にかけておく。豆を挽き、カップを二人分用意し、ドリッパーに湯を注ぐ。豆のコーヒーはどこか遠い都市から運ばれてきた貴重な品だ。抽出が終わるころにはクラウディアが起きてきて、ソファーのサイドテーブルにカップが置かれるのをボサボサの髪をかき上げながら、ぼんやりと待っている。そしてカップを口に運ぶ前に、「おはよう」と声をかけ合う。

 それが二人の朝のお決まりだった。


 それから自室の冷蔵庫のパンか、食堂で温かい食事にするか。このあたりはクラウディアの身支度へのやる気によって変わってくる。

 さすがに、髪はボサボサのまま、よれよれのオーバーサイズのシャツを着たクラウディアを同じ宿舎に暮らしている仲間たちに見せるわけにはいかない、というのがルイーゼの考えだ。もっとも当人は気にしておらず、それどころか「こんな姿を見せるのはキミだけだよ」などと揶揄う姿勢を見せ、わざとだらしなくしている節まであった。ルイーゼもクラウディアの前以外では強くて優秀な聖女でいられるように心がけている。あまり、その心がけを実践できているとは言い難いが。


 そういう意味では二人は似た者同士で、そして決定的に違う者同士でもあった。



「ルーちゃん、今日の予定は」


「今日は観察予備の日だから、特に何かするってことはないなぁ。部屋でゆっくりしてようかな」


「お部屋でゆっくりするつもりなら、そんなきっちりしなくてもいいんじゃない? ボタンだって一番上まで留めてさ」わざとらしく溜息交じりに。


「いつも言ってるでしょ。服装くらいはしっかりしないと」


「だらしなくてもルーちゃんはカッコいいと思うんだけどねぇ」ルイーゼの全身を見回した後、何か思い出したふうに続ける。「あっ、髪やって」


「いつも自分でやってるじゃない」


「今日はそういう気分なの。ほら昨日のお礼」くるりと背を向け、膝を叩き催促する。


「えっ、お礼ってどういうこと」


「お礼はお礼だぞっ」


「よくわからないけど、いいよ、してあげる」


「きゃー」子供のように頬に手を当て喜ぶ仕草。


「でもその前に服着て。あとシャワーしたほうがいいかも」


「あ……、ごめん。ホントに忘れてた……。失敗した」顔を赤くする。「でも髪はやってよね、お願いだよ、ホントだよ」そう言い置きバスルームへ駆け込む。


「さて」


 ルイーゼは、空になったカップを流しに下げ、クラウディアの着替えを用意し、彼女が戻ってくるのを待つことにした。


「あ、お礼ってそういうことか」思い当たる節があったのか、耳を赤くする。「でも、お礼をあげたいのはこっちだって……。ハァ」




   ◆


「いいぞ、来い!」


 自身の槍型神器〈月光の棘姫〉を手にしたルイーゼが声を張り上げる。


 「学校」室内訓練場。腰ほどの高さのバリアが配置された〝実戦〟用の室内ダートフィールド。高い位置に防弾ガラスと防護柵で区切られた観察席があるほか、監視カメラと放水銃座が設置されている。


「おっしゃぁ。カレンデュラ流戦闘術の新戦法を見せてやりますよ」


 栗色の毛をし、左腕に金属製の籠手を着けた少女が、溌溂とした声で答え、眼鏡を直すと、棺桶のようにも見える背丈よりも大きなケースを振り回した。

 ケースの中身があたりにばらまかれる。たくさんの武器だ。剣や槍が多い。


 彼女の名前は「カレン」。ルイーゼと同じ年に神器兵になった「聖女」。

 結局、ルイーゼは自室で大人しくすることは叶わず、クラウディアに連れられ、アンゼリカの訓練をみることになったのだが、そこでカレンに手合わせを申し込まれ、いまに至る。



 突如、ぶちまけられた武器群に困惑しつつも身構えるルイーゼをよそに、先手を打ったのはカレンだった。

 カレンは自身がばらまき、地面に突き刺さったり落ちている刀剣類には目をくれず、背負っていた小銃に持ち替え、発砲。この小銃、三七式六・七ミリ猟兵小銃はワントリガーで二発連続して撃ち出される。

 ルイーゼは自身に銃口が向くや否や、手近なバリアに身を隠した。カレンは構わず遮蔽へ撃ち込む。


 繊維強化樹脂製の本体と追加の衝撃吸収パネルで構成された遮蔽が、模擬弾が中ったとは思えない激しい音を立て、ひび割れ、破片を散らす。着弾の衝撃が背に伝わってくる。このバリアは本来であれば小銃クラスの徹甲弾はもちろん、対資材・対装甲用火器の射撃にも限定的ではあるが耐えられるもの。


 武器強化――彼女の左腕に装着された籠手型の神器〈枷砕きの鍵杖〉の機能。しかし、これでも全力ではない。樹脂製弾頭の訓練用弾でなければ、一発目で遮蔽を抜かれているか、遮蔽ごと吹き飛ばされていただろう。


「――迂闊すぎる」カレンの能力を知りながら、初手で、破壊される可能性のあるオブジェクトに隠れるのは、悪手としかいえなかった。とはいえ反省会にはまだ早い。


 十トリガー目。二十発入りの標準弾倉を撃ち切る。

 ルイーゼは弾倉交換のタイミングで遮蔽から飛び出し、低い姿勢のままカレンに肉薄。勢いのまま、槍を突き出す。

 この攻撃はおそらく届かない。弾倉交換の隙を狙うのは基本中の基本だ。カレンにその程度の見通しがないはずがない。

 それに、これ見よがしに神器を使ったことは、お互い死なない程度に本気でやろうという合図でもあった。

 穂先が捉えたのは、投げ捨てられた空弾倉だった。その一瞬の間で、カレンは小銃の被筒部を握り、銃床でルイーゼを殴りつける。

 それをすんでで躱し、一旦距離をとる。


「なんのために神器ありにしたと思ってるんですかぁ」小銃に替えの弾倉を挿し、レバーを引く。「殺す気で来てよ」


 軽く息を吸い、呼吸を整え、正面から走り寄る。

 カレンのいま手にしている武器が銃である以上、下手に動くよりは筒先を常に確認できる正面からアプローチしたほうがむしろ安全だ。これがヘタクソな射手であったならその読みも外れるが。しかし、カレンの射撃の腕は自分よりもずっと優れているとルイーゼは認めている。

 あっという間に肉薄。その間にカレンは一度も撃たなかった。


 足元を薙ぐ。

 カレンは跳び上がり、薙ぎ払いを回避する。神器兵の脚力では、助走なしでも成人男性三、四人分ほどの跳躍は難しいことではない。

 空中から足下のルイーゼに向け素早く全弾を放つ。体に銃を引きつけて射撃することで連射の反動を制御、また、体で銃口の向きをコントロールすることで素早く目標を捉えることができる。この距離でならきっちりと狙う必要もない。

 対するルイーゼは殺到する二十の弾丸を躱し、頭上の相手に向け、自身も跳びかかった。

 それに対し、カレンは撃ち切った小銃を投げつける。

 空中で体を捻り回避しながら、その回転を槍の払い斬りに繋げていく。

 ガキンと金属のぶつかり合う音と手応え。

 カレンがいつの間にか刀を手にし、一撃を防いでいる。

 「聖女」が持つ神器以外の特殊能力によるものだ。カレン自身の持つ固有の異能は視界内の物体を手元に引き寄せることができるというもの。初めに武器をばらまいたのは、回収して利用するためでもあった。


「はぁ!」


 空いた右手に引き寄せた剣を振り払う、ルイーゼからはカレンの背に隠れて見えない死角からの、回避不能な一撃。

 ルイーゼは弾き飛ばされたように壁面へ叩きつけられる。


「さすが。あれも防いじゃうんだもんなー」地面へ降り立ったカレンは呟く。剣は中ほどから折れてしまっている。


「いまのは効いた」


 よろよろと立ち上がり、手をひらひらと振るルイーゼ。とっさに槍の柄で受けたことで真っ二つになるのは避けられた。普通であれば間に合わないが、ルイーゼには体感時間を引き延ばす固有異能がある。それによってなんとか対処が間に合った。先ほどの銃撃を回避できたのもこの能力のおかげ。


「でも、バケモノの相手ばっかで鈍ったんじゃ、ないの、っと!」折れた剣を投げつける。


 剣は、身構えたルイーゼの目の前で光を放ち爆発した。見せかけだけの爆発。殺す気で来いとは言うものの、こうしたところで手加減をするあたり、カレンも甘い。


「っ!」


 一瞬の隙をついて一気に懐に潜り込み、斬り上げるカレン。

 それを身を低くすることで躱し、蹴りを入れる。

 カレンは後ろへ跳び退りながらも、追撃を防ぐべく、新たに引き寄せた手斧を投擲し牽制。

 ルイーゼは、ジグザクに動き、フェイントを入れながら肉薄。柄を握る位置をずらし、リーチを変えながら動き続け、一撃の機会を窺う。

 カレンも武器を変えながら、ルイーゼに喰らいつく。

 お互いが決定打にならない攻撃の応酬を繰り返す。

 カレン、勝負を決めようと、大剣を下段に構える。

 対し、短く持った槍をサッと返し、逆手で薙ぎ払う。

 斬撃を放つほんの一瞬の間を捉えた一撃はカレンを頭上高くに打ち上げた。もしカレンが元から大剣使いであったなら入らない一撃だった。


「くはぁっ」腹部への強烈な一撃に息が詰まる。仕込んでおいた衝撃吸収型の補強材が破裂したのがわかった。しかし、まだ終わったわけではない。

 天井へ叩きつけられながらも即座に体勢を整え、大剣を振り投げる。そして空中で起爆。傷つける気のない爆発だが、それでもそれなりの音や煙は出るし、光熱や衝撃も伝わる。


「ちっ、またか」熱を帯びた粉塵を払う。


「来いっ!」


 戦闘開始時に振り回した、体よりも大きなケースを引き寄せ、振り下ろす。

 ケースを引き寄せた際に同時に再格納された武器類が一斉に投射される。

 振り抜いた反動を利用、さらにケースを蹴り、後ろへ跳ぶ。

 放たれた武器はルイーゼに向かい飛んでいく。

 ルイーゼは冷静にそれらを躱し、受け流す。

 しかし、ヤケクソの悪あがきに見えた投射もすべてが計算づくだったようで、ルイーゼは周囲をぴったりと地面に突き刺さった剣や槍に囲われてしまっていた。


「ははっ」思わず笑いが零れるルイーゼ。


「カレンデュラ流戦闘術――」刀を引き寄せ、天井を蹴る。


 カレンを見上げ、ルイーゼは引き延ばされた時間の中で悩む。

 ここで神器を投げれば、投擲時の特殊機能が発動し、確実にカレンのバイタルパートを刺し貫くことができるはずだ。

 カレンもルイーゼの首を狙っている。

 どちらの攻撃も繰り出されれば、ほぼ間違いなく相手の命を奪うだろう一撃。

 カレンはおそらく、ルイーゼが回避行動をとった場合のパターンも考えているはずだ。むしろ、避けるものと思って攻撃を仕掛けているだろう。

 狙いが明確な攻撃への対処は比較的簡単な課題だ、お互いに。

 ならば――。


「――唸れ」


 槍の穂先が赤く鈍い光を湛える。ルイーゼの神器〈月光の棘姫〉の解放第一段階。

 手に熱が伝わる。槍自体は発熱しておらず、操者にのみ熱傷を与える力の代償ともいえる機能。


 助走もとれない状況ゆえに石突側を掴む。

 そして振り上げるように投擲。

 手を離れた槍は、吸い込まれるようにカレンの胸部へ向かう。

 カレンはとっさにケースを引き寄せ、盾にした。しかし、鋼板をやすやすと貫く槍の前にはあまり効果があるとはいえず。


 赫槍はケースを貫通し、カレンを捉え――。


 そして、ルイーゼの手元に戻って。


 ……来なかった。


 本来であれば、投擲後は自動で使用者の元へ回帰する機能が働くはず。


「うはっ、マジなの」立ち上がるカレン。声が震えている。「死ぬとこだった」


 その左手にはルイーゼの神器が握られている。さらには右手の刀も鍔に近い位置から折れている。ケースを盾にしても削り切れなかった勢いを、刀と、槍自体を掴むことでなんとか止めようとしたのだろう。


「ねえ、ちょっと、負けだって、それ以上は」地面に刺さった剣を引き抜くルイーゼを見て、焦ったように声をあげる。


「誤解だよ誤解。だいたい、あんただって殺しに来てたじゃないか」両手を上げてみせる。


 ルイーゼは、自身の周囲を檻のように囲む武器の一本を抜いて、囲いから抜けようとしただけだった。


「はぁ。ねぇちょっと手伝って。左手さ、力入れすぎちゃって戻んないんだ」


「わかった」


 遮蔽の一つにカレンを座らせ、指を一本ずつ開かせていく。


「あの、もうちょっと強くして大丈夫だよ。それこそへし折ってくれても。だってコレ、あんまり他人に触られたくないでしょ」手元と槍を指差して言う。


「ごめんね」耳元で小さく呟く。


「平気だよ」合わせるように声を抑えて続ける。「ルイーゼにだったらあのままヤられても全然。バケモノに喰われるくらいなら、ルイーゼに殺されるのは、むしろ幸せというものだ」


「わたしが平気じゃない」泣きそうになる。


「おいおい、やめろよ。泣き虫は卒業したんだろ」


 ルイーゼは手に力を入れた。


「ちょっと痛いって。折れちゃうって。折っても構わないって言ったけど、ホントに折っていいとは言ってないから」大袈裟に反応する。


「あんたとクラウディアくらいしか知らない昔のこと言うから」


「ディアって言わないんだ」


「本当にあんたたち二人そろって、わたしのことすぐ揶揄うよね」


「可愛いからね。しっかし、まー、あの冴えない女の子が急にキレッキレの優等生になったのはそういうことだったんだなって。あー、やめてー」


「はい、終わった」


「うん、ありがと」


「ああ、こっちこそ。手合わせありがとう」余所行きの顔を作ったあと、表情を崩す。「で、結局新戦法って何だったの。武器散らかすのがそうなの、もしかして」


「ま、そうだけど。やっぱ思った通り、こういう対人の果し合いみたいなのじゃないと意味ない感じだね。それすら微妙だけど。全部地面にちゃんと刺さってくれれば見栄えはいいんだけどなー」観察席を見上げ、続ける。「それにしても、いつの間にかギャラリーすごい増えてる」


「武器を辺りにぶちまける変な奴がいたら、面白半分に見物する人くらいいるよね、そりゃあ」


「いや、親友を躊躇いなく殺そうとする学年トップの優等生サマがいるからでしょ」


「それはそっちも」


「いや、最後のはホントに焦ったから」


「カレンなら避けるか受け流してくれると信じてた、半分くらい」


「ふはっ」なんともいえない表情で笑うカレン。



「はーい。お二人ともお疲れさまー」


 フィールドに入ってくるクラウディア。アンゼリカと彼女の同室のネリー、他にも何人か〝新入生〟を引き連れている。


「次はこの子たちが使うから」


「だいぶ荒れてるけど大丈夫?」カレンが目を泳がせながら尋ねた。


 バリアのいくつかは破損し、地面は何ヶ所か抉れているうえ、武器類の破片が散乱、壁にも何振りか刀剣類が突き刺さったままになっている。


「実戦により近くていいんじゃないかな」訓練場のドアを潜りながらそう言ったのは今年の〝新入生〟担当の教官であるシェパード。「でも、カレン君は片付けをしてから退室してくださいね」


「あ、えーと」誤魔化そうと考えを巡らせている様子だが、すぐに諦め。「はい、やります」


 ルイーゼはクラウディアから樹脂ケースを受け取ると、神器を収め、訓練場を後にしようとする。


「じゃ、あとで」ルイーゼは言った。


 頷くクラウディア。


「え、ちょっと待ってよルイーゼ」カレンが呼び止める。


「わかった」観察席を顎で示す。「あっちで見ててあげるから」

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