■01: 箱庭の少女たち(1)

――一〇五三年十二月。


 機内に流れ始めた荘厳な印象を受ける管弦楽曲の調べを合図に、ルイーゼは目を覚ました。

 この機の乗員は毎回、目的地に近くなると管弦楽や吹奏楽の音源をキャビンに放送する。ルイーゼのように道中眠ってしまっている者も多く、そんな彼女らを優しく起こすためか、はたまた単なる趣味なのかは知らないが。最新技術で機内に伝わる駆動音は抑えられているとはいえ、それでも聞き取りやすい単語と言い回しを用いなければ、向かいの席との会話も難しい機内で目覚まし代わりに使う音量だ、あまり耳と心臓に優しいとはいえないだろう。

 しかし、ルイーゼにとってはそこまで苦ではない。なぜなら、これが聴けるということは、生きて帰ってこられた、ということでもあるからだ。両掌の火傷跡をそれぞれなぞりながら、そうした想いを噛みしめる。


 輸送用の大型回転翼機のキャビンには、ルイーゼを含め五人の少女と三人の技師、そして四つのボディバッグ。加えて樹脂ケースやカーゴバッグなどが載せられている。

 ルイーゼは、この音の割れた音楽と小さな丸窓から見下ろす街の景色が好きだった。


 旧第一九番都市。

 星形の壁が周囲を囲むこの街は、壁の色から市民には白壁の街、聖都、ヴァイスブルクなどと呼ばれている。

 一九番の名の通りかつては大きな国の一つの都市だったが、いまとなっては国家という枠組みは崩れ、いくつかの都市がそれらの名残を留めている程度でしかない。



 街の中心部には二千年以上前の神話の時代からあるとされる塔がそびえ、その足元には塔に張りつく形で聖堂が建っている。

 塔の南側には旧市庁舎と広場、それらを中心として東西南北に大きな通りがある。街を十字に走る大通りは、この都市の成立時から街の大動脈としてあり続ける由緒あるものだ。それとは別に、地下鉄と環状の鉄道路線が各地を結び、多くの市民の足となっている。また、旧市街を周る公共の交通手段として「6」の字型に路面電車が運行されている。広場から少し東には、都市を南北に縦断する運河が流れており、水源としてだけでなく、物流においても都市を支え続けてきた。広場は都市の構成の起点となっており、地図上においても、都市の生活や文化の面においても、街の中心といえる。

 南地区は緩やかな傾斜地で、中央通り沿いは比較的背の高い建造物が目立つが、少し通りから外れると公園や耕作地が多く、古くから街の食を支えてきた地域。

 東地区は広場の東側に商工会議所があることから、かつては商業や工業の中心地となっていた。いまは移転や再開発で商工業中心の地区とはいえなくなったものの、歴史ある商店や工場の多くはこの地域から始まっている。また東門近くの内壁に張りつくように増改築された住居群や廃炉された法石炉といった建造物も特徴的だ。特に住居群は奇妙で冒険心が湧き、それでいて生活の知恵を感じられる工夫に満ちている。

 北地区はかつては倉庫街として有名だったが、いまではこの都市で最も先進的な場所の一つになった。大通り沿いは、かつての工場や倉庫を再利用した比較的新しい商業・オフィス地区として賑わいを見せている。

 西地区は今も昔も都市の運営に携わる施設が多く集まる地域で、煉瓦・石造りの伝統的なデザインの建築と新しい高層建築物のコントラストが独特な景観を作っている。


 この機の目的地は東地区、街の中心からやや北東寄りに位置する森。

 その森の中に開けた場所といくつかの建造物が集まっている。「学校」と呼ばれるこの施設は、ルイーゼたち「聖女」と呼ばれる「神器兵」の管理、育成を行う場であり彼女たちの家、つまりは帰る場所でもあった。




 神器兵――「神器」と呼ばれる旧史時代の遺物の中でもとりわけ武器としての性質が強いものを運用するための兵士。

 神器はそれぞれが固有の特性や機能を持つが、使い手を限定し、そのスペックを引き出せるのは適合者だけ。それ以外の者が扱えば、例えば剣であれば、せいぜい異様なほど切れ味や強度に優れる程度で、最悪の場合は拒絶反応を起こし、非適合者はその心身になんらかの異常を来すこともある。

 神器兵の中でも、そのすべてが身体的には女性であることから「学校」所属の、あるいは出身者を「聖女」と呼ぶのがこの都市での昔からの慣例となっている。

 それはただ単に、聖堂が運営の一部に携わっていることからこの呼び方をされている、というだけでなく〝神話の時代の武器に選ばれた少女たち〟という、もっともらしいイメージが、都市の中心に位置する塔と聖堂の歴史的な正当性を主張するために利用されている、という見方もできるかもしれない。




 回転翼機は運動場に併設された離着陸場に着陸し、操縦士がなにやら洒落たことを言おうとして失敗した風なキザな台詞を言い、後部ランプが降ろされる。

 ルイーゼはビニール製の密封バッグから取り出した新しい手袋をはめ、収容されてからずっと頭を抱え呻いている名前も知らない同期を横目に、自分の神器が収められた二・五メートルほどの細長いケースと戦闘用のアウターを抱え、キャビンを後にした。

 担任のエゴンと文字通り二、三言事務的な会話を済ませ、医療や技術周りのスタッフたちとすれ違いながら、グランド外縁で野次馬をしている〝生徒たち〟の方をチラと見やると、ルイーゼは彼女を待っていただろう人影をその中に見つける。

 「学校」で日傘を常日頃から差している白銀の髪の人物は彼女の知る限り一人しかいない。同室のクラウディアだ。周りの少女たちの白い制服とは違うワインレッドのショートコートも目立っている。そのクラウディアの隣にいるのは、彼女を姉のように慕う今年「学校」に入ったばかりのアンゼリカ。


「おかえり、早かったね」


「わざわざお出迎えありがとう。どうしたの?」


「別に最初からあなたを待っていたわけじゃないわ。アンゼリカちゃんの練習に付き合ってたらちょうど戻ってくるって聞いたから。休憩ついでにね」


 アンゼリカが頷く。彼女はルイーゼ、クラウディアの一年後輩だが、外見は二人と比べてもだいぶ幼く、年齢が五つかそれ以上離れているようにも見える。


「へぇ。頑張ってるんだね」目線を合わせるべく少し屈んで言う。


 その言葉に頷きと小さな息遣いで答えるアンゼリカ。彼女は発声と言語のアウトプットに関わる部分に問題を抱えており発話が困難。


「で、今日はどうだったの?」


「予定より早く帰ったんだから察しがつくでしょ。やられて逃げ帰ってきたのさ。先輩たちはまだ戦ってるし、結局わたしたちはまだまだだよ」


「お疲れさまだね」


 クラウディアは荷物を受け取ろうと手を差し出す仕草をしながら、血泥の染みた白のアウターと金色の髪、軽く拭ったがまだ汚れている顔とを交互に見つめている。


「これはわたしのじゃないよ」荷物を渡さずに持ち直すと、クラウディアの横を抜けて医療部のある方向へ歩を進める。「摘み食いはさせないよ。これは捨てるやつ」


 吸血鬼とあだ名されるクラウディアには、彼女にその気があろうがなかろうが関係なく、血肉の付着したものを触らせてはいけない。


「でもよかった。ルーちゃんに怪我とかなくて」


「獲物に傷がついたら嫌だもんね」揶揄うようにムッとした口調で返す。


 クラウディアは大事なものに対し食欲に似た感情を抱く傾向がある。もちろん本当に食べてしまいたいと思っているわけではない。とはいえ感情を向けられる側としては、捕食者に睨まれているような感覚を覚える威圧感があるのも事実。


「そうじゃなくて、ホントに心配なんです。ひどいなぁもう」


「てっきりわたしのことなんかどうでもいいんじゃないかと思ってた」


「そんなことないよー。もう二年近く同じベッドで寝てるのに」


「二段ベッドね」


 ルイーゼとクラウディアはもう何度も同じようなやり取りをしてきた。二人のお決まりの確認のようなものの一つだ。まだお互いがお互いでいられているかどうかの。

 戦場に赴くからには、帰ってこない可能性は誰にでもある。同時期に神器兵になったルームメイト同士としては、やはり出撃のたび気がかりなのだ。

 そんなクラウディアの袖をアンゼリカが引っ張る。


「あ、ごめんねごめんね」無言の抗議にクラウディアはアンゼリカの両手を握り謝った。



「そうだ。アンゼリカちゃんも近いうち出撃なんだって」


「そう――」


 早すぎるというのがルイーゼの率直な意見。アンゼリカは「学校」に来てからまだ半年ほどで、戦闘訓練もひと月も積んでいない。

 大きな作戦が近いためか、急ピッチで神器兵の調整が進められていることは関係者ならほとんどの者が知っているが、一年以上教育され、実地訓練を何回も行えた自分たちの世代でさえ大きな損害を受けている。どうなるかは誰でも容易に想像できる。


 だがルイーゼは口には出さなかった。

 早すぎるというのはアンゼリカ自身が一番わかっていることだし、戦うことは自分たち神器兵の使命であり、遅かれ早かれ戦いに向かい、死ぬことが運命づけられている。それに、自分たちの相手が脅威だけでなく資源でもある以上、誰かがやらなければならない「仕事」だからだ。


 近いうちに来るとわかっている大きな嵐を越すためには、その多くが無駄になるとわかっていても、たくさんの備えをしなければならない。その嵐が自分たちが戦いに敗れれば、世界を更地にしてしまうほど強大なものであればなおのこと。


「――そう、すごいね」


「でしょ」


 彼女へ先輩としてかけられる、気の利いた励ましなど何一つ浮かばなかった。それはクラウディアも同じで、できることといえばルイーゼの言葉に相槌を打つことと、出撃までは可能な限りかわいい後輩に寄り添い不安を受け止める役を引き受けようと、より強く心を固めることだけだった。

 そんな二人に、アンゼリカは控えめに頷きながら親指を立ててみせた。




   ◆


 ルイーゼはクラウディア、アンゼリカと別れ、医療部のある建物の廊下を進んでいる。

 帰還者用の一方通行路。蛇腹状のシートで覆われた壁面とやけに眩しい天井灯、やたらキュッキュと高い音を出す床はあまり気分のよいものではないが、次の外出許可時にどこへ行って何を食べようと考えるにはちょうどいい時間でもある。

 思索に耽りながら歩いていると、ほどなくして検査室に着いた。

 第三検査室、帰還した神器兵の簡易検査を行う場所。

 本当は、すぐにでもシャワーを浴びてベッドに飛び込んでしまいたいところだが、こればかりは規定ゆえに仕方のないことだった。



 ルイーゼはビニールカーテンを潜り、部屋に備え付けられた床面積の半分ほどを埋めるコンベアに神器の入ったケースを置き、ネックレスとドッグタグ、拳銃をホルスターごと透明な樹脂ケースに収めた。服を脱ぎ、制服のジャケットとスカートを「クリーニング」と表記のあるコンテナへ投げ、「廃棄」とラベルの張られたコンテナに戦闘用のアウターからハイネックのインナー、タイツ、下着、ブーツに至るまで衣類を入れていく。それからしばし迷ったのちブーツをクリーニング行きのコンテナに移し替え、それぞれコンベアに載せていく。


 そして「注意――法石技術」「断層撮影」「管理区域」などと表示のある二重扉から次の部屋へ進む。


 次の部屋はシャワールームのような部屋で、全方位からの霧状の水を浴びせられ体を洗われ、それが終わると同様に全方位からの送風で水気を払われる。


 そしてまた次へ進む。

 次の工程は五メートル程度の白い通路をゆっくりと歩くもので、先ほどのシャワールームとこの通路を進んでいる間に、機械で身体の情報を読み取っているらしいが、ルイーゼは技術的なことは知らない。初めてここに来たときは、恥ずかしさで早足で進んでしまい、もう一往復させられたりもした。その頃に比べると、ずいぶん身体に傷が増えた。


 通路を抜け、自動ドアを潜ると、次は小さな机と椅子、いくらかの飲料の入った小さな冷蔵庫がある部屋で、ここで用意された検査着を着て休憩できる。

 ルイーゼは、せめてワインとチョコレートがあればいいのにと思いながら、ソーダの瓶を手に取った。



 一〇分ほどで呼び出しがされ、部屋を出て検査室に向かう。

 そこで簡単な問診と採血などが行われる。さきの自動検査で問題があった場合や自己申告でより詳しい検査がされることもあるが、ルイーゼには今回異常は見られなかったし、自分でも気になるところはなかった。

 一通りの工程が終わり、出撃前に用意し預けておいた衣服に着替え、退室時に最初の部屋で預けた荷物と並行して検査が行われていた神器を受け取り、帰還時検査は終了になる。




   ◆



 メディカルチェックを終え、ルイーゼが宿舎の自室に戻ったのは三時を回った頃だった。「学校」を夜明け前に出撃し、昼過ぎには戻ってきたことになる。日も傾き、もう一、二時間であっという間に夜になる。

 同室のクラウディアはまだ戻っていない様子。


「はぁー、さむっ。なんかなぁ。寝るって気分でもないんだよなぁ。ディアもいないし」溜息を吐き、独り言。疲れているとつい出てしまう。


 帰還してすぐの段階ではシャワーを浴びて昼寝でもしようと考えていたが、いまはそういった気分ではない。夕食の時間にも早すぎる。


「よし、ちょっと歩くか」確認するように口に出す。


 ルイーゼは拳銃を腰に差し、中綿入りのジャケットを羽織ると、自室を後にした。

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