第5話
ある日、彼が消えた。
そう思ったのはいつもの時間に彼が来なかったからで、一日や二日じゃなく、一週間、二週間と待っても来ないから。
看護師さんに聞くと、
『空は……何者なの……?』
『僕は僕だよ』
あの時の違和感はこれだったのだろうか、段々と不安になって胸が苦しくなる。
病院内を駆け抜ける私。
看護師や医者の先生に走るなと声を掛けられた様だが私に聴こえるはずもなく、ひたすら走り回って彼を探す。
どこに行っても見当たらなくて、
私の部屋だ。
朝からずっと探したけれどここには一度も戻ってきていない。
ここが最後だと、険しい表情で勢いよく戸を開ける。
窓が開いて風に揺れるカーテン、それ以外何もない静かな部屋。
窓……開けた覚えないんだけどなぁ……
窓を閉めようと近づくと、拙い字で『ごめんね』と書かれた紙、そして彼が好きだと言っていたゲンノショウコという小さな白い花がベットにいつの間にか置かれていた。
ゲンノショウコの花言葉は『心の強さ・憂いを忘れて』。
彼は私に少しでも音の聞こえない世界から抜け出して欲しかったのだろうか。
しかし私の耳にそんな可能性はないはず─────
「
人の声が聞こえて勢いよく振り返る私。
彼以外の声だ!
振り向いた先には私を担当する医者の先生がいた。
先生は手話をしながら喋って私に近づいて来る。
「今日はどうしたの? 病院中走り回ってたって聞いたけど……成月ちゃん? 聴いてる? って聴いてるは違う ─────」
きっと先生は聴いてるは違うかって言おうとしたんだと思う、私の涙を見たから止まって目を丸くしてしまったけれど。
治る見込みがない、そのはずだった耳は少しだけ、本当に少しだけ、治っていて、音を脳へと響かせていた。
「せ……せんせ……」
「大丈夫? 成月ちゃん!」
「せんせ……き、きこ、える……声が……聴こえる……」
泣きながら言う私の言葉に驚き、先生は硬直してしまう。
私と同じ様に耳を直すことに先生も
聴こえると知っては支える人として嬉しいのと、医者としてあり得ない事態で困惑するのもわかる気がする。
聞こえないはずの私の耳からは騒がしい
うっすら、うっすらだったけれど、治って嬉しい。
「聞こえてるんだね……!」
「は……い……聞こえて……ます……。聞こえて、ます……! 聞こえてます!」
自分の声で確かめながら私は答える。
嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!
嬉しさで涙が溢れる、音を失った時以上に。
駆けつけた看護師たちと両親は一緒に喜んでくれ、両親に関しては涙を流して私を抱きしめ、歓喜した。
普通の人よりは聞こえにくいけれど、全く聞こえないよりずっといい。
ふと気がつくと、彼がくれたであろうベットのゲンノショウコが赤く染まっていて、その後ろに彼がいた気がした。
微笑んだ顔で、自分のことのように喜んだ笑顔でそこに立っている気がした。
その時分かった、彼が耳を直してくれたのだと。
私は彼を忘れない。
私に光をくれた彼が、もしも幻だったとしても。
事故にあって私は音を失い、自分の声さえも聞こえない。
それなのに、聞きたく無い音や声ばかりが聞こえてくる、そんな気がした。
でも今は……声が聴こえる。
少しの声、少しの光。
私の世界は悲しいものだけじゃない。
大切なものになっていた。
光《こえ》 朏 天音 @tukitune
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