ロスト・デイ・アフター

 僕のお母さんはもうすぐ『処置』される。

 僕には、本当の父と母はいない。生まれてすぐに死んだ、不幸な交通事故だったと、が教えてくれた。


 システム・マザー。

 巨大なAIを母体とした自律型アンドロイド。僕みたいな身寄りを持たない子供に豊かな幼少期を与えるために考案されたシステムだ。

 勿論、誰もがみんな機械のお母さんを持ってる訳じゃない。人によっては別のお父さんやお母さんが引き取ってくれることもある。

 そうじゃない人のところに来るのが、機械のお母さんだ。お母さんは、十八歳になると記憶を外されて、保管はされるものの、普段は会えなくなる。仕方ないんだ。

 お母さん達は有限だ。

 一人の子供にいつまでも関わっていられる訳じゃない。十八になれば選挙にも行けるし、仕事にもつける。結婚もできる。


 寂しくなるとその記憶チップをもって役場に行けば会うこともできる。


 まあ、僕たちのお母さんの説明はそんなところだ。

 そして僕のお母さんはシスお母さんって言う。他のお母さんがどうかは分からないけど、シスお母さんはとっても心配性で、料理が上手で、そして僕の十八歳からその後のことをずっと心配してる。

「お母さんほんと、レンのことが心配で心配で……」

「そんなに心配なの? 僕、成績もいいし、進学先の大学も決まってるから安心してよ」

「でも、ほら、浮いた話とかないじゃない?」

 僕は思わずシチューを咳き込んだ。

「う、浮いたは、はなしって」

「ほらぁ、お母さんを安心させると思って女の子の一人でも連れてきてくれたらいいじゃない?」

 女の子。

 どうやらシスお母さんは心配ごとをしらみつぶしに無くしていきたいようだ。(以前AIに心配とかってあるのって聞いたら『プライベートなことよ! もう!』と照れられた。プライベート?)


 一番いいのは僕がその辺の女の子を引っかけて適当な嘘をつくことだ。僕が十八になるのに、高校卒業まであと二週間。それくらい付き合ってくれそうな女の子を探せばいい。 

 ……まあ、それができたらこうして苦労はしてないんだけど。


 僕には好きな子がいる。

 いわゆる、お母さんが言うところの“女の子”だ。

 相手とはきちんと思いを確かめ会って交際している。問題が。問題が、あるとすれば。

「…………タクミは女の子じゃないんだよあ」

「なに当たり前のことを言ってんだよ」

 タクミは僕の、いわゆる彼女だ。彼氏、かもしれない。どっちがどっちなんていいじゃないか。まあ、お母さんが言う方だと彼女だけど。

「ま、確かにな。レンは女の子じゃねえし」

「……タクミは僕が女の子の方がいいの?」

「まさか」

 タクミのサッカーで日焼けした右手が僕のほっぺを触る。それだけで僕の口の中が唾液で満たされて、ちょっとだけパブロフの犬を思い出した。

「俺はレンならなんでもいいぜ」

 お母さん。

 貴方が心配してるお子さんは、学校で男の子とキスしてるんですよ。


***


 別に同性愛は責められるようなものではない。

 そう言う恋愛個人主義ってのがあって、人によっては男の子とも女の子とも付き合ってたりする。一人と付き合おうが二人と付き合おうが、それは個人の自由だ。勿論、白い目で見られたりお互いの理解がなかったりするけど、彼等は決まってこう言う。

『でもほら、個人の自由だろ』って。

 まるで免罪符みたいに使うから僕は驚いた。


 でもだから、僕らは自由に愛を叫ぶことができる。

 僕が生まれるよりもずっと前に、そう言うマイノリティを正そうって言う運動があったらしい。でも、マイノリティって決めつけるのはナンセンスだ。

 人を愛するのに理由なんて無い、そうでしょう?

 誰であれ隣人を愛しながら生きてきなさいって清い本には書いてある。僕とタクミの関係は清いものだし、たまたま、いっとう特別な愛を僕はタクミにあげたいって思ったんだ。


 でもお母さんが女の子に拘るのはそんなことじゃない。最近世間ではバカな話がある。アンドロイドに育てられた子供は決まって性的マイノリティを持って大人になるんだって。

 タクミはこの話を馬鹿馬鹿しいって言ってる。そう言うタクミもお母さんはアンドロイドだけど。

 エディプスコンプレックスがきちんと起きないから。人が最初に性的に見るのは異性の親だから。だけどアンドロイド相手じゃあそれも起きないだろうって。世間の人たちは決めつける。

 お母さんはあんなに美人なのにな。


 でもだからお母さんは心配してるんだ。

 僕がそう言う、差別的な目に晒されないかどうか。


 でも、と思う。

 きっと僕とタクミの話を誰かが聞いたとして――きっとその人は、この二人の母親はアンドロイドだから可哀想って思うんだろうな。


 僕らの愛は可哀想なの?

 僕らの未来は可哀想なの?

 僕らは、可哀想なの?


 誰かが誰かを好きなのは可哀想なことなの?


 僕は昼間はタクミと健全なお付き合いをする。そして家に帰ってからはお母さんに今日あったことやタクミの話をする。

 その度に、僕の胸はチクチクといたんだ。

 シスお母さんは、もうすぐ、いつでもは会えなくなる。家に帰ればそこにいる訳じゃなくなる。


 なのに僕は、僕はタクミが恋人だって言えないで嘘をついてる。僕は平然と嘘を話して、僕の中の良心は話すたびに違うって、今日こそ告白しないとって言う。でもさ、でもさ。


「…………僕は、お母さんをがっかりさせたくないんだ」

 ある日、僕の具合が悪いって気がついたタクミに問い詰められて、ボクはとうとう白状した。だってこれ以上はもう無理だった。

「僕、最低だよ。お母さんの前では僕は優等生なままでいたいんだ、お母さんの、理想の僕でいたい。でも、タクミと別れたくない……」

 ぎゅうって掴んだ髪が痛かった。

 タクミがどんな顔をしてるのかを見るのが怖かった。だってこんなの、僕がタクミを好きだってことを後悔してるみたいだ。

「…………おう。そうだな」

 タクミの暗い声に僕はますます顔を上げられなくなる。


 タクミが言ってくれる。レンはレンのままでいいんだって。それは特別な呪文だ。僕が男の子であることを許してくれる、特別な。

 ああ、僕は最低だよ。

 僕は、僕は、駄目じゃないって分かってても、男の子のタクミが好きなことが悪いことのように思えてるんだ。女の子ならもっと堂々としてられたのになんて思ってるんだ。


「なあ、レン、キスしようぜ」

「…………え?」

 制服のワイシャツの下、日焼けた肌が透けてるような気がした。タクミの黒髪が、日焼けてもしっとりと黒い黒髪が、さらりと落ちる。

 いつもみたく触れる。ごつごつの指先が。優しい優しいとび色の瞳が、僕を見てる。

「いつもみたいにキスして、今日は早帰りしよ。早退だ」

「ぶ、部活は……?」

「サボるよ。たまにはいいだろ」

「さ、さぼって、どうするの?」

「お前ン家に行く。シスさんの記憶処理、もうすぐだろ」

「な、なんで」

「うるさいなあ」

 嫌われたのかと思ったけど、タクミの目が僕を見てる。

「お前の全部、俺ももらう。俺の全部、お前にやる。だから、俺はお前が出ない勇気の、その一歩になってやる」


 唇が触れた。

 ああ、ねえ、誰か、教えてよ。

 タクミは僕の一生を背負おうとしてる。そして僕にタクミの一生を背負わせようとしてるよ。それが、それが僕にはすごく嬉しいんだ。

 ねえ、ねえ、誰か。

 これはいいこと? わるいこと?


 早退をして、僕らは学校を飛び出す。

 白いお昼の中を走ってく。電車にのって、僕の家に。僕は不思議と怖くなかった。いつもいない電車にタクミが一緒にいるからかな。


 でも、家の前に来て、急に怖くなった。

 お母さんを幻滅させるんじゃないかって、怖くなった。だけど、僕が何かをするよりも前にタクミがインターフォンを押す。押した。

「すみません。伊東です」

『あら、タクミくんですか? えっと、あら? なんでレンが? 具合が悪いのかしら』

「とりま、家に上がってもいいですか?」

『ええ! 勿論よ』

 シスお母さんが顔を出した。

「シスさん、すみません。俺、シスさんがもうすぐ記憶処理だって聞いて、レンに聞いてきたんです」

「ええ、ふふふ、この子本当に、素敵な子に育ってくれて、私も嬉しいわ」

 ごめんなさい。そのいい子は全部嘘なんです。

「シスさん。レンは、俺がもらってもいいですか?」


 僕は何が起こったのか全然分からなかった。

 え? そんなドストレートに訊くことある? そんなまさか、て言うかそれは結婚の挨拶では、って思って唖然として、なのにタクミは正々堂々としてた。

「俺、レンが好きなんです。こいつの細ェ腕とか、意外と愛嬌のある顔とか」

「なんでのろけるの!?」

「あと、悩みすぎるところとか、シスさんのこと大事にしてるとことか、言うと収まらないんですけど。だから俺、レンと付き合ってます」

 だからもなにもなかった。

 シスお母さんはきょとんと目を丸くして、それからふふふっと笑みを溢した。

「そう。良かったわ……レンには、私がいなくなっても一緒にいてくれる人が、いたのね」

「………………え?」

「タクミさん。レンのこと、お願いね。きっと、ずっとかは分からないけれど、傍にいる間は、幸せにして。この子はね、優しいから。私がいなくなったときが心配だったの」


 お母さんの手がそっと頭を撫でる。人工の手。でも慣れ親しんだ、熱を持った手。

「レンが一人にならなくて良かったわ」

 涙がこぼれて落ちた。

「……おかあさん」

「なあに?」

「…………ありがと」

 お母さんはなにも言わなかった。

 反対の手をタクミがずっと握っていてくれた。


 十八才になって、大学に入学してお母さんは誰かのお母さんになりました。どこかの町でお母さんはきっと、優しいお母さんになってるんだと、思ってる。

 僕は大学をきちんと卒業して、タクミときちんとお付き合いをしてる。


 ねえ、お母さん。

 僕は、きちんとお母さんの息子でいられたかな。


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