万寿菊-1

メイドが持ってきた聖水を手に神殿へと向かう。家で一番小さく、汚いこの馬車は、私が唯一自由に使える馬車だ。ガタガタしていて、私以外には使ってもらえないこの馬車はどこか私に似ていて、わたしは不思議とこの馬車が気に入っていた。

神殿に着くと慌てたように神殿の人が会話の用意を始める。というのも普段神と会話するための部屋は閉じられていて、話す時のみ開けるのが慣習となっているからだ。

そういうわけで待たされること15分。ちょっと疲れた様子のメイドが呼びにくる。私の身の回りの世話をするためのメイドを別に呼ぼうとする彼女を手で制し、一人で準備を進める。神殿のメイドの数は決して多いとは言えない。自分のためだけに呼ぶのは申し訳なかった。そして準備が整い、みんなが外に出たのを確認したのち扉を施錠し、聖水を軽く撫で自分の魔力を少しずつ注ぎこむ。注ぐ魔力の量はいつもまちまちで、多い日もあれば少なくて済む日もある。注ぎ始めて間もないのに、水が揺れ、だんだんと光りだす。今日はどうやら少なくて済む日のようだ。

「久しぶり、でもないか?」

透き通っているはずなのに、声が聞こえる時は底の見えない青い水を覗き込む。静かに揺れる水から聞こえる声はいつも不思議な響きをしている。

「私は義母の許しがないとここには来られないので。」

「そういえばそうだったな。」

神はそう呟くと、しばらく黙った後に思い出したかのように話し出す。

「ところでお前、国を追い出されるのか?」

まるで雑談でもするかのような軽い調子で、私の心の奥深くを抉ってくる。いつもそうだ。一方的に私の感情なんて無視をして、よくわからない雑談をする。人間じゃないから、知りたいのだそうだ。なぜ今私にその話をするのか。神は、残酷なほどに無邪気だった。私がこの2年、どんな思いをしてここで生きてきたか、どんなに気をつかって生きてきたかを知らない神は、次から次へと話し続ける。

「婚約破棄と関係があるのか?」

「お前が何か事件を起こしたのか?」

段々とペースを増す質問にどうしてか涙が溢れ、水盤に落ちる。

「泣いているのか?」

驚いた声が響く。ここで泣くのは私としても不本意だった。しかし感情は止まらなかった。神が悪いわけではないのに、それでも言葉は止まらなかった。

「なんでなんですかね。私の何がいけなかったんですか?私が何をしたっていうんですか?ただ、生まれてきただけでこんなにも蔑まれて、ぼろぼろになって。」

いけないとは思ったが、言葉は止まらなかった。

「私より不幸な人はたくさんいると思います。でも、だから私が文句を言ってはいけない理由になんてならないと思うんです。お腹すいたって言ってる人に、世界には飢えに苦しんでいる人がいるんだから、って言うのと同じですよ?」

珍しく饒舌な私に、神はしばらく黙り込む。部屋には、私の嗚咽だけが響く。

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