禍根

力強く扉を開くと、そこは見知った場所だった。

「仁…麗殿…?」

aは抜けそうになった気を慌てて引き締める。

こんな所から姫の御所へ繋がる訳もない。

忽ちに仁麗殿は輝きを失って、ただの質素な小部屋が現れた。

猫の声が聞こえたと思った部屋だ。

何故か窓もなく、小さな机と花瓶があるだけの空間だった。

aはその机を入口へ移動させ、扉が閉まらないようにしてから室内を検めた。


猫は居ない。

取り立てて変わった処も無いので、引き返すべく振り返ると

「………」

机も扉もそこには無かった。

眩暈がするほど嫌気が差して、こめかみを抑えて蹲る。

苛々と眉を顰める事数秒。

「こういう小細工は、キライだッ!」

立ち上がり様、覇気を放った。

小さな振動は次第に大きくなりやがて視界に映る物は砂埃のみとなった。


砂埃と共にaの闘気も静まっていく。

視界が晴れると、そこは最初にaが降り立った場所だった。

…こんなに瓦礫は無かったが。

「も、脆過ぎる…っ」

流石にちょっと罪悪感が過ったが、無人だったようだし、最早それどころではない―


瓦礫に腰掛けている、白っぽい人影を見つけたから。


「グール!!…ッ、」

駆け寄ろうとした足は正面に現れた黒猫によって止められた。

金の鬣が陽に揺らめく。

お行儀よく座った黒猫は立派なヒゲをピンと張って、優美に尻尾を揺らした。

艶やかなエメラルドの瞳の奥に闇が燻る。

「おまえ…」

何を言うべきか、何をするべきかを図りかねてaはただ猫を見ていた。

その小さな口が開いた時aは確かに聞いた。

ヘリウムを吸い込んだような声で発せられた、ヒトの言葉を。

「マルクト人。邪魔ヲスルナ。私ハオ前ニハ用ハ無イ」

「…“私ハ”? 誰ならあたしに用があるって?」

黒猫はただ答えず、aにはその瞳が何処を見ているのか判らなかった。

「忠告ダ。邪魔ヲスルナ。オ前ハ見逃シテモイイ」

「どうも、ご親切に。あんた、ブカフィとやらじゃないの?」

またしても黒猫は答えず、立ち上がった。

去ろうと言うのか。aは焦って引き止める。

「待て、待ちなって!グール返して貰いに来たんだから」

右手を突き出し、返して、のポーズ。

猫は器用にも煩そうな顔をして尻尾を振った。

「出来ンナ。奇跡デモ願エ」

「何…」

言い掛けた時、グールがゆらりと立ち上がった。

「グール!」

今度こそ黒猫を飛び越えて、aはグールに駆け寄った。

グールは小首を傾げて不思議そうにaを見ている。

最後に見た時は金だった瞳も、いつもの月色―…薄い青紫に戻っている。虚ろでもない。

aはほっとして、更に近付く。

「よかったグール、無事だった―…」

言葉は最後まで続けることは出来なかった。

グールの左手が、しっかりとaの首を掴んでいた。

「…ぁ、……ル…」

グールはやはり不思議そうな顔をしたまま。

「どうしてそう、不用心なんかなぁ」

aは思いっきり身体を揺らして、反動でグールを蹴り上げた。

握力の緩んだ隙を突いて距離をとる。

首を押さえて咳き込みながら、こんなに簡単に首を取られた事を不覚に思った。

背後から黒猫のヘリウム声が届く。

「テマーネヲヤリオエタ4人ノ中デ一人ダケ何モ起コラナイ、ソンナ事ガ有リ得ルカ」

「…?」


テマーネ。

Kとa、シールとグールの4人で廻った、aにとっては10年前の、『世界一周旅行』の呼称。

世界セフィロートに十あるターミナルと呼ばれる設備を全て巡ると願いが叶うといわれていた。

その巡礼儀式こそテマーネと呼ばれていたものだ。

実際にはどうしても行けない場所が1ヶ所あり、マスカルウィンと名付けられたその場所には、玄霊が繋ぎ留められていた。

要は鬼神達からの懸賞広告だったのだ。

『玄霊を討った者に望みの褒美を与える』と。


そうか。

aはその時初めて考えた。

テマーネを終えて――いや、「マスカルウィンを救ったご褒美に」だとKは言っていたが―、Kと自分は帝国へ還ることが出来た。

それならば一緒に旅をしていたふたりにも何か特典があった筈だ。


黒猫の言によると、aがシールの得たものを知っていると思われているらしい。

彼らの持っていた望み、若しくは魂の深淵に眠る特性は何だったのか。

グールの得た物は…。


「あんた、アタシとやる気?」

自然とaは構えた。

正面でグールは薄く笑った。

「上…等じゃん」

aが地を蹴る。


黒猫は瓦礫の上に跳び乗って、ゆったりと寝そべりながら退屈そうに観戦していた。

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