第二章 出港①

「……大丈夫ですね! 問題ありませんので、かぎをお預かりして退去完了となります」

 背中に「MKセレクト みずばやし建設」と書かれたジャンパーを着たスタッフが、振り返って笑顔を見せる。北原は愛想笑いを浮かべると、大学時代から苦楽を共にした自宅の鍵を不動産屋に手渡した。

 大きめの家具を軒並みリサイクルショップに売り払い、取っておきたい私物はいつたんまとめて実家に送りこむことで、北原はアパートを三日で引き払うという荒業を成し遂げていた。島に私物を持ちこめないのは心細かったが、東條によれば人財島の社員は移住後に荷物を取り寄せることがほとんどらしく、北原もそれに倣うことにしていた。

「このまま、どこかお出かけですか?」

 北原の持つスーツケースに目をやりながら、MKセレクトの男性社員が尋ねてくる。

「あぁ、はい。赴任先に。明日から業務が始まるので」

「明日から! 大変ですねぇ。ここからはずいぶん遠いんですか?」

「そうですね。瀬戸内海のあたりで働くので、これから飛行機です」

 人事課から届いた航空チケットにポケットの中で触れながら答える。飛行機は修学旅行以来だったが、見栄もあって普段から乗り慣れているような言い方をしていた。

「へぇ! 南の島で働くみたいなこと、電話でおつしやってましたもんね。いいなぁ。リゾートバイトとか、昔あこがれたんですよね」

 男性は心底うらやましそうに言いながら、慣れた手つきでアパートの鍵を閉める。言われてみれば、住み込みで島を拠点に働くという条件だけ見ると、人財島PFIでの仕事はリゾートバイトと似ていないこともなかった。余裕のある社会人に見えるよう、北原が軽く笑って応じると、男性は顔一面に平たい笑顔を浮かべた。

「それじゃあ、お立会いありがとうございました。リゾートのお仕事、楽しんで」



『スターアライアンスメンバーぜんにつくうをご利用頂きありがとうございます。この飛行機は、行き全日空693便でございます。離陸後、宇部までの飛行時間は一時間三十五分を予定しております。ただいまの到着地の気候は、晴れ。気温28℃でございます』

「機内モード」に設定したスマートフォンをしまい、椅子の背にぐっと体重をかける。東條に辞令を告げられた直後はどうなることかと思ったが、北原は無事、指定された飛行機の便に乗り込んでいた。手元には航空チケットと、なぜかそれとセットで人事課から送られてきた昨年発行の週刊誌『AGERエイジア』の八月号がある。東條によれば、この号の巻頭特集で人財島の様子が丁寧に紹介されているらしく、「移動中にしっかり読んで、イマジネーションを膨らませておくといい」ということだった。ネットも使えず他にちょうどいい暇つぶしも思いつかなかった北原は、若手俳優が思慮深げに虚空を見据えている『AGER』八月号の表紙をいちべつし、巻頭特集を読み始めた。



離島×AI 次世代人材を育てる異色施設「人財島」レポート


 あおおきしまは、瀬戸内海に浮かぶ自然豊かな離島だ。

 その歴史は古く、時代の文献には、荷船やぐり船など大小さまざまな船が、天候が悪くなった際に風よけをする「風待ち港」として、青沖島の港を利用していたことが記されている。

 1890年代から1960年代にかけては海底炭鉱で栄え、一時は千人を超える住民が暮らしていたが、1973年の閉山にともなって人々が島を離れてしまってからは、地元住民すらほとんど訪れることのない寂れた無人島と化していた。その青沖島が今、誰もが予想しなかった形で活気を取り戻している。

 今号では、異色の地域活性化プロジェクト「人財島」の謎に迫った。


    *  *  *


 ある晴れた土曜日。JR駅前のバス停に立っていると、見慣れない車両が車道脇に停車した。長方形の白い車体、中央部に設置された両開きの黒いドア。車高は地面すれすれの高さで、一見した印象は乗用車というより路面電車に近い。だが、目の前の車両には、そのどちらの乗り物とも異なる特徴があった。運転席がないのだ。


「『人財島』では、運営業務の生産性をあげるため、島への送迎にヨコタ自動車が開発した自動運転バスを実験的に活用しております。島内では無人フォークリフトも稼働中で、島への往来に使用しているフェリーも、いずれは自動運航船への移行を検討中です」

 そう語るのは、株式会社人財島PFIの若き女性社長、富士ゆりか氏(39)だ。昨年までは大手人材会社、パシフィストグループの最年少取締役として活躍していたが、同社会長の南雲信蔵氏(72)の強い推薦もあり、今年発足した人財島PFIの代表取締役に就任した。「PFI」という耳慣れない単語について尋ねると、富士氏からは、クイーンズ・イングリッシュで返答があった。

「Private Finance Initiative、PFIは、公共事業に市場メカニズムを導入する手法の総称です。これまで税金で運営されてきた公共施設にもコスト・ベネフィット分析を導入し、効率性を追求することが特徴ですね。当社は『人財島』を単なる箱モノ施設で終わらせず、利益を生み出す拠点として運営するために立ち上がった組織なのです」

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