第一章 人財①

『私たちパシフィストグループの仕事は、人と人をつなぎ、平和で生産性の高い社会を実現することです。私たちは常にこの志を胸に抱きながら、圧倒的当事者意識を持ち、グローバルな人財として、社会課題に挑戦し続けることを使命とします』

 六畳一間のアパートの一角。北原は年季の入ったノートパソコンに向き合い、新入社員研修を受けていた。画面の向こうでは、北原のメンターでもある人事課のかやがパシフィストグループの「コーポレート・ミッション」をよどみなく暗唱している。茅野は長いまつが印象的なそうぼうを画面に向けると、華やかな声で呼び掛けた。

『それではみなさま。ご唱和ください』

『ひとつ、一人ひとりが役割を持ち、百年幸せに働くことができる社会を築く

 ひとつ、一人ひとりが他者を尊び、ダイバーシティにあふれた社会を目指す

 ひとつ、ワンチームの精神を忘れず、全社一丸となって社会課題に取り組む』

 スピーカーから、気味が悪いほど調子の揃った男女の声が響く。液晶画面には「人財紹介事業本部」へ配属された新入社員三十名の姿が表示されていた。自宅でスーツを着こんだ男女が「パシフィストの三戒」を高らかに斉唱する中、その様子を黙って見守る顔が一つだけある。オールバックの髪、黒々と日焼けしたエネルギッシュな顔。WEB会議の「上座」である左上に映っているのは、ぐもしんぞう会長だった。

 入社から約二カ月。パシフィストグループの新入社員研修では、この奇妙な儀式が毎朝行われていた。茅野によれば、かつては本社ビルの大部屋で企業理念を斉唱する朝礼集会が実施されていたそうだが、この集会は、北原の入社以前に「新型感染症対策」のため廃止されたらしい。その際、出社して行う業務も大幅に削減されたが、南雲会長の強い意向から「パシフィストの三戒」斉唱だけは社内の慣習として残り、たとえテレワーク研修であっても、業務前には「三戒」を斉唱することが義務付けられていた。

『北原さん。……北原直人さん?』

「はいっ」

 唐突に名前を呼ばれ、やや上擦った声で返事をする。茅野は、口元に不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。

『ポジティブセンサーの点数がずいぶん低いようです。どうかされましたか?』

「あ、いえ……少し考え事をしていました」

『気を引き締めてください。来月からはもう、業務が始まりますからね』

「申し訳ありません」

 まゆゆがめて反省の表情を作った後、画面に向かって深々と頭を下げる。本社から貸し出された研修用のノートパソコンには、カメラに映った表情筋の動きを感情認識AIが採点するアプリ「ポジティブセンサー」が搭載されていた。斉唱の際に口を大きく開いていなかったことが、アプリに低評価を受けたらしい。茅野は北原の謝罪に小さく頷くと、全員に向かって通告する。

『本日は研修最終日ということで、南雲会長から特別にお言葉をいただきます。滅多にない機会ですから、みなさん心してお聴きください。では会長、お願いいたします』

 茅野が恭しく言うと、南雲会長のエネルギッシュな顔が画面に大写しになった。南雲会長は大仰なせきばらいをしてから、重々しい口調で話し始めた。

『……現在、この国はの不況下にある。厳しい就職活動を経験した諸君は、それを身にみて感じていることと思う。このような苦境を乗り越えるためには、日本中の企業が社内の無駄を徹底的に削減し、筋肉質な組織へと生まれ変わる必要がある』

 PC画面に映る新入社員たちは、南雲会長のありがたい訓話を微動だにせず聞き入っている。間近にあるインカメラから一人一人の顔が映し出されるため、重役がWEB会議に現れた際は、出社時よりも気を抜けないのが厄介だった。

『我々パシフィストグループは、組織が新陳代謝を進め、グローバルな環境での競争力を高めるための事業を行ってきた。人財紹介事業本部は、その本丸ともいえる組織だ』

 南雲会長はスクリーンの中央にどんとかまえ、自信に満ちた表情で話す。

『不況下では、社会の中で大規模なとうが起きる。淘汰とは、変化を恐れるばかりで努力しない者は倒れ、強い意志を持って果敢に行動する者だけが生き残るということだ』

 淘汰。企業の今後や人材の採用を論じる文脈で、最近はこの二文字を目にする機会が増えていた。南雲会長は画面を真っ直ぐににらむと、太い声で続けた。

『わが社の転職サービス「パシフィスト転職」には、この危機で立ち尽くす古巣に見切りをつけ、自らの意思で新たな機会をつかみ取ろうとする人財が訪れる。諸君の使命は、こうした前向きなマインドセットを持つ利用者とともに、より洗練された美しい社会を作っていくことだ』

 南雲信蔵会長は浅黒い顔に笑みを浮かべると、ぐっと画面に近づいた。

『優れた人財が、より良い仕事に巡り合う機会を創出することは、社会全体の生産性を高めることにつながる。今後もわが社の三戒を胸に、圧倒的な当事者意識を持って課題解決にまいしんしてもらいたい。私からは以上だ』

『南雲会長、本当にお忙しいところお時間をいただき、誠にありがとうございました』

 茅野が半ばあがめるようにそう言うと、南雲会長は満足げに頷き、動画会議の画面から消えた。しっかり数秒の間を置いた後、茅野が再び口を開く。

『気持ちの奮い立つような、素晴らしいお言葉でしたね。それでは、本日の研修をはじめましょう。本日は、パシフィスト転職を運用する上で重要な概念、「N人材」について学習していきます』

 茅野が歌うようにそう口にすると、液晶画面の右側に今日の資料が映し出された。

『N人材(Not for me人材)

・一定の容姿を整えていない人材

・二年以上の正社員経験がない人材

・三社以上の転職経験がある人材

・四年制大学を卒業していない人材』

 茅野は資料が表示したことを確認すると、口元に笑みを浮かべたまま説明を続ける。

『私たちが運営するワンランク上の転職サービス「パシフィスト転職」では、経歴がこのいずれかの条件に当てはまる応募者をES提出の段階でスクリーニングにかけ、人材プールから除外することになっています。一定の容姿を整えていない人材のことは、社外では「清潔感がない」と表現することになっていますので、覚えておきましょう』

 茅野は料理の手順を説明するような気軽さで、自社サービスから排除する人材の条件を解説していた。その内容はとても社外に公開できるような代物ではなかったが、不況下の過酷な就職活動を経て、北原はこうした「スクリーニング」が大手企業で当然のように行われていることを、骨身に沁みて分かっていた。

『来週からは、みなさんにもいよいよ現場で活躍いただきます。本日の研修では、その予行演習として「パシフィスト転職」応募者のES千枚の中から、「N人材」をスクリーニングするトレイニングを受けていただきます。準備はよろしいですか?』

『はい!』

 再びスピーカーからぴたりと揃った男女の声が響き、その音が耳鳴りのように自分の鼓膜へと残る。ビデオ通話が終わり、「トレイニング」が始まってからも、その耳鳴りが消えることはなかった。

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