いじめの代償

鳥柄ささみ

いじめの代償

 毎日、毎日、ついてくる。

 そいつは近づくでも遠ざかるでもなく、一定の距離を保ったまま、ずっとオレの背後をついてきていた。

 振り返ると必ずそこに奴がいる。

 ヤツは、オレの視線に気づくとニタァと口の端を耳まで歪めて嬉しそうに笑った。

 ヤツのことは知っている。

 いや、正確に言うとヤツだったものをオレは知っていた。


 斑目勇気まだらめゆうき


 同い年の男で、オレがずっといじめていたヤツだった。

 いじめのきっかけはなんだったかなんて覚えてない。

 何かが気に食わなかった、ただそれだけだ。

 だからいじめた。

 最初はからかい程度だったものがだんだんだんだんとエスカレートして、いつの間にかヤツの物を壊したり盗んだり捨てたり売ったりしていった。

 金ももちろん奪ったし、少しでも反抗すれば外から見えない部分を殴った。

 ヤツの歪んだ顔を見るのが好きだった。

 オレに敵わずに抗いたいのに抗えないその様を見るのが好きだった。


 自分は悪くない、殴られるヤツが悪い。

 弱くて、情けなくて、しょうもないヤツが悪い。

 全部全部ヤツが悪いんだ。


 そう心の中で言い訳して、オレは……いや、オレたちはヤツをいじめ抜いた。

 そしてヤツは誰かに言いつけるでもなく、静かに命を絶った。

 遺書なども見つからず、周りから噂が立ったものの決定的な証拠はなく、オレたちはお咎めなしだった。

 それをヤツの親や家族が憎々しげに思っていることも知っていたが、だからと言ってそんな憎悪くらい屁でもなかった。


 ……そのときまでは。


 つい先日、ヤツをいじめていたうちの一人が事故に遭った。

 信号待ちのときに車道へ出て車に轢かれたらしい。

 幸い命に別状はなかったらしいが、轢かれ方が悪かったらしく、半身不随になってしまったそうだ。

 そして、見舞いに行ったときにオレは……オレたちは衝撃の話を聞いた。


「ヤツにやられた」


 ヤツ、というのが誰を指すのか頭の中でわかってはいたが、わかりたくなかった。

 そもそもヤツは死んだはずなわけで。

 それなのに、どうやってヤツがやったのか。

 ヤツが背中を押したというが、そんなことあるわけないだろう、きっと気のせいだ、とそいつを嘲笑った。

 そいつが、本当なんだ、信じてくれ! お前達も気をつけろ! と忠告してくれたが、そんなの気にしないフリをして、オレは強がってみせた。

 バカ言ってんじゃねぇ、そんなことあるわけねーだろ、と。

 みんなしてそいつを嘲笑った。

 自分には火の粉がかからないように、ヤツは関係ないだろう、だからオレたちは関係ないとでも言うかのように。


 だが、そいつの言う通り、被害はそれだけで終わらなかった。


 ヤツを虐めたのは全部で五人いたが、最初の被害を皮切りに、次は川で溺れて意識不明の重体で入院し、その次は部屋の窓から落ちて首の骨を折って一生寝たきり、次は電車に轢かれてしまった。

 残すのはオレただ一人のみ。

 全員が全員、ヤツが関わっていないかもしれない。

 そう自分に言い聞かせながらも、こうも立て続けに仲間がやられていくとさすがにこれはやはりヤツの仕業ではないのか、とじわじわとその思考がオレを蝕んだ。

 みんなやられて誰にも相談できない。

 親や先生に言ったところで信用してなどもらえないし、そもそも元から普段の行いが悪かったため、あいつら以外に相談できる相手などいなかった。


(ヤツもこんな気持ちだったのか?)


 ヤツのことを考え出して首を振る。

 ヤツの心情なんて今更どうでもいいだろう、ヤツは死んだんだ、今更もう関係ないじゃないか、とヤツのことを考えることをやめる。

 だが、無意識にヤツのことを考えてしまい、頭から離れない。

 気持ちが悪かった。

 考えたくもないのに考えてしまう自分を恨んだ。


 そして、とうとう先日からヤツはオレの前に姿を現した。


 毎日の通学路。

 なぜかヤツは毎日毎日オレが登下校するたびについてきた。

 そして、一定の距離を保ったままずっと黒い笑みを浮かべたままついてくる。


(いつヤツに襲われるのか、オレは殺されるのか)


 常につきまとう恐怖で苛まれた。

 正直、毎日生きている心地がしなかった。

 だから学校に行きたくなくて、いつぞやか仮病を使って休んだことがある。

 家では今までヤツが出たことがない。

 だから安心だと、オレは布団の中で引きこもってひたすらゲームをしていたのだが、気づいたらいつの間にかオレはいつもの通学路にいた。

 訳がわからなかった。

 たった今まで布団に転がってゲームをしていたはずなのに、どうしてここにいるのだろう、と。

 そして、初めてヤツの声を聞いたのだ。


 逃がさないよ。


 恐怖で頭がおかしくなりそうだった。

 何度だって抗おうとしたが、気づけば通学路に立たされている。

 どこからが夢で、どこから現実で、どこからが妄想かなのさえわからなかった。

 ヤツに攻撃しようにも実体がないわけで。

 オレがヤツに罵詈雑言を叫ぼうにも傍目からはヤツが見えず、オレが気狂いのように扱われるだけで。

 周りからどんどん人は離れ、家族すらオレを敬遠するようになっていった。

 一人ぼっち。

 ボッチはボッチになるやつが悪いと言っていたにも関わらず、オレは今一人ぼっちだった。


 こんなはずじゃなかった。

 こんなはずじゃなかったんだ……!


 誰に言っても届かない言葉。

 つらくて苦しくて、どうしてオレがこんな目に合わねばならないのだと、自分の行いなど省みることすらせずに、ただただヤツを呪った。

 だが、呪ったところで事態が好転するはずもなく、オレの人生は悪化の一途を辿っていった。

 家族はさらにオレの存在を疎ましく思うようになり、友達も遠巻きに「因果応報」だの「自業自得」だの好き勝手に言って離れていった。

 誰からも嫌われ、誰もオレを相手にしてくれず、仲間のようにいつ殺されるかわからない恐怖。

 毎日毎日、頭がおかしくなりそうだった。


 いっそ一思いに殺してくれ!


 そう願ったこともあった。

 いっそ死んだ方が楽になれる、ずっといつ死ぬかもわからない恐怖を抱えながら生きていくには、あまりにもつらすぎた。

 だが、ヤツは簡単には死なせてなどくれなかった。

 自分に刃を向けようと包丁を持つも、いつの間にかその手にはバナナがあり、首を吊ろうと縄を括れば気づけばトイレにいるなんてこともあった。

 窓から身を乗り出せば、いつの間にか玄関に立っていたし、線路に飛び込もうとしたら、気づけば電車に乗っていた。

 何度もそんなことが繰り返され、もはや自分の人生が自分のものでなくなっていることに気づいた。

 自分の意思は簡単に覆され、ヤツの意のままに操られる。

 それはとても屈辱的であり、死すらもヤツの管理下にあることは恐怖以外の何者でもなかった。


 逃げるなんて許さないよ。


 今日も今日とて、信号待ち。

 ここで押されて轢かれるかもしれないという恐怖を抱きながら、脚を震わせて待ち続ける。


 死んだら楽になれるかもね。


「だったら死なせてくれよ!」


 そんなの楽しくないだろう?


 かつてヤツに向けた感情が自分に戻ってくる。

 楽しいか楽しくないか、気に食わないかどうか、自分の感情のままにいじめていたのが、そっくりそのまま返されていることに今更ながら気づいて、絶望した。


 大丈夫、そのうち死ねるよ。……僕の気が済んだらね。


 ヤツの高笑いが聞こえる。

 涙と恐怖で顔はぐちゃぐちゃで、いつしか青になっていた信号の前でオレは気狂いのごとく泣き叫んだ。


「お願いだから、助けてくれぇ!」


 はははは、ダメだよぉ。僕だって何度も言ったのに許してくれなかったのはそっちでしょう? キミは、最期までじっくり、僕が満足するまで、……生きてね?


 いつ殺されるかわからない恐怖と共に、オレはヤツが満足するまで生き続けなければならないのか。

 あまりの恐怖に脚が竦んでその場に崩れ落ちる。

 じわりと湿る下半身。

 血の気が引き、もう立つことすらできなかった。

 オレはとんでもない過ちを犯したのだと、今更ようやく気づいたのだった。






 終

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いじめの代償 鳥柄ささみ @sasami8816

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