祓戸大神ー6ー

 一昔前まで交通事故多発地帯の廃トンネルは、昼なのに鬱蒼とした雰囲気だった。

 トンネルの周辺も含めて、手入れが全くされていない。伸びきった夏草に、細くて硬い蔓性の植物が這い出している。アスファルトは所々割れていて、草の芽が鎌首をもたげている。切っ掛けとなった廃屋での経験もそうだけど、植物って強いな。確か、水の圧力でアシファルトを割って芽を出すとか、唯さんの家のテレビで見た気がする。

 迂回路が作られ、現在この道は封鎖されているので、手入れの必要が無いせいかもしれないけど。

 ただ、遊び半分――というか、主に肝試しで訪れる人の事故が今も少なからずあり、行政としては対策を考えているということだったらしい。

 遊びで来たなら自己責任だろうと思うものの、そのおかげで高い報酬が出るのだから、文句を僕が言うのは筋違いか。

 ちなみに、今回は高橋さんも車から降りてついてきた。もっとも、唯さん以上に怯えている様子を見る限り、本当にこういうのが苦手なんだな、と、ちょっと感心してしまうレベルだったけど。先生の方は、来たがってはいたけど、病院を休めなかったらしいと高橋さんに聞いている。ただ、午後は休診にして、一応、入院準備をしているそうだ。

 無理をされても嬉しくないのでそれは問題ないけど、断ることで心労をかけてしまったかもしれないと思うと、少し心苦しかった。でも、黙ってるのも不義理だったろうし。ううむ。


 廃トンネルは、よくあるコンクリート製の短いトンネルだった。

 多分、上り坂にするには角度が急過ぎ、短くてもトンネルを掘ったのだろう。

 百メートル無い程度の長さで、反対側の景色が――多分、僕以外の二人には見えていると思う。というか、これが見える人間、今日まで居なかったんだろうか?

 人間から感情だけを抽出し――かつ、その中の妬みとか嫉みとか、負の感情を集めたタールのようななにかが廃トンネル全体にこびり付き、中の空気が澱んでいた。

 これまではこんな風に見えることは無かったよな、と、思う。元々、霊感があるとは思っていなかったし、フィクションみたいに日常で幽霊の姿を見たこともない。

 二度の交感が、感覚を過敏にしているのかな? 確証はないけど。

 視覚というか、流れてくる風の僅かな違和感とか、嗅覚、聴覚、そうした五感の相互作用で――もしくは、第六感と呼ばれるなにかなのかもしれないが――、像を結んでいる感じ。そこに、あるのに、定まっていない。そういうモノ。

 唯さんは場所の雰囲気に怯えている様子だったけど、アレが見えたり感じたり出来ている雰囲気は無かった。高橋さんは、半分以上泣きが入っている。

 入り口の末端部分に触れれば事足りるのだろうか?

 少し自信は無い。それに、これまでは幹部に直接触れていたし、今回変に賢しいことをして、かえって面倒にしたくは無かった。

 やっぱり、中央付近のヘドロの山に触れなきゃダメか。

 あんまりいい気分はしないものの、目標をはっきりと認識した僕は、一歩踏み出し――僕の後をついてこようとした二人には、入り口で待っていてもらうことにした。

 一歩一歩確かめるように進む。

 目の前のソレは、特に僕を妨害するよな動きは見せなかった。

 難なく到着した中間地点。澱みの中央部。

 僕がその小山のようなヘドロに触れた瞬間――。

 ざあっと、一瞬で――まるで、今まで見ていたものが書割だったかのように視界の全てが千切れて後方へと流れ去る。


 十人ほどの男が、僕の住んでいた神社の部屋と同程度の部屋に押し込まれて、働いている。長時間の肉体労働だ。食事はみすぼらしく、休息は……手錠!? 刑務として行われていたのか……。彼等自身、そして、彼等の被害者の非難と憎悪が澱んでいる。生き残りはここから更に北に向かい、同じような重労働をしている。真冬の労働で死んだ三人は、そのままトンネルの壁に埋められた。


 暗い風景の中、断片的な幾つかの映像が目の前に走り――。

 それらは、これまでよりもはっきりと意味のある像を結んだ。

 犯罪被害者の憎悪が、過酷な労働の末に死んだ加害者の怨嗟にこびり付き、更に近くに来た人を呑んで、増幅していったのがこの念の塊のようだ。

 理解した時、僕はもうあの海へといないことに気がついた。

 風が、強く背中を押している。

 水飛沫が、頬や顔――いや、霧雨のように全身へと降り注いでいた。

 気吹戸主いぶきどぬし

 事前に調べたとおりなら、この風で根の国へと送られ、罪や穢れは流離い失われるはずだ。


 ……本当は、夢について調べた時から予感はしていた。罪を祓う神の船の上に僕自身が居たことの意味を。僕が住んでいたのが、下界から隔絶されたような神社だったこと。

 家族、というものが崩壊した理由は分からない。でも、事実、両親の消息は不明で、祖父母も僕を金の掛かる厄介ごととして見ていることは明らかだった。

 家に掛かる厄――僕――が、消え去ること、きっと親族は望んでいるんだろう。

 ただ、神様の目には、果たして僕自身が、祖父母が言っていたような罪や穢れの結果と見做されるのか否か。

 短く目を閉じ、心を強くしてから再び開ける。

 流れ着いた場所から見上げた根の国は、黄泉という言葉やイメージとは大きくかけ離れていた。明るくも暗くも無い、逢魔時の色の世界。どこまでも広く深く広がり、夜を待たずに現れる一等星のような光が無数に散りばめられていた。

 どこまでも深く、落ちていきそうな――いや、上下の概念が無いので、昇るのかもしれないが――空間の中、それ以上僕は進めなくなる。

 黄泉戸大神。

 黄泉比良坂を塞ぐ大岩の神様の結界なのだろう。

 留まる僕の中から、ぞるっと、なにか黒い――さっきのあの廃トンネルにあったような、怨嗟の塊が、まるで脱皮していくみたいに抜け出て根の国へと向かった。

 その黒く凝ったなにかが僕を見ている。

 その顔には、うっすらと覚えがあった。

 ずっと昔に見た祖父母の顔。

 僕が罪なのではなくて……、肉親の呪いから守ってくれていた、のか? いや、僕に向けられていた悪口や呪いの言葉が、ただ善意も悪意もなく、返っていっただけなのだろう。そもそも呪詛とは、悪口や妬み嫉み、そういった負の感情と悪意を元に害を成すものであったらしいし。

 何歳までを子供とするかは、ちょっと難しいけど、古い考え方では成人するまで子供は神様のものという考え方もあった。そして、人と接する機会の少なさは、僕を人形たらしめるのには十分だったのだろう。

 罪や穢れを、人を模るものに付して流す。もっとも今回は僕と言う本物の人間を使ってはいるが、だからこそ、その神話の故事の再現だ。

 留まっていれば、堆積していただけだったのだろう。

 でも、残念ながら僕は生きた人間だった。いつかはあの小さな神社から離れて行く。

 人形のままだったら連れて行かれたのだろうけど……、幸か不幸か、最早僕は一人の男として歩き始めていた。まだ未熟だけど、たくさんの感情を知った。想いが――、心が、あの人に向かって傾いている。

 贄となって、他人の穢れを背負わされて、流されるわけにはいかない。

 心が定まった瞬間、天も地もなかったその世界が開闢したように感じた。

 すっと、とても薄くて透明な壁越しに、人とは全く違う、なにも欠けていない美しさを湛えた女性が、あの真っ白な旅装束で僕の前に現れ、葦で織られた笠の裾に手を遣り、そのまま奥へと向かって進みだしてしまった。

 ――速佐須良比売はやさすらひめ

 御名を心で唱えた瞬間、僕は水を触媒にして穢れを祓うこの力の使い方をはっきりと理解した。水は流れ循環する。だから、帰れるはずだ。あの場所に。

 薄く目を瞑り、僕は流れる水の気配を追った。鼓動、そして、体内を流れる血液。なぞって辿れば、あの神社の慣れ親しんだ水の気配に手が届いた。


「ただいま」

 ゆっくりと目を開ける。

 僕は、何事もなかったかのようにあの廃トンネルの入り口に立っていた。

 一拍だけ間があって、唯さんが胸の中に飛び込んできた。懐かしい甘いスミレの花の香りの髪、腕の中にすっぽりと納まる唯さんのこじんまりとした身体。

 それから――まだどこか不安そうな顔をしている高橋さんに目配せして、大丈夫、と伝える。


 その日の夜に風呂場で確認すると、肩から背中にかけての痣は消えていた。

 祖父母の訃報は、その更に五日後、念のためにと転送をお願いしていた、あの神社宛の郵便物で知った。

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