報告会ー1ー

 本音を言えば、少し悩んでいた。

 いや、それはなにも唯さんのアパートへ……帰った際に言うべき挨拶は『ただいま』で良いのかという一番単純なモノから、帰る日取りに関して連絡が出来なかったこととか――僕は携帯を所持していなかったし、他人ではないけれど、血縁ということしか分からない人の家で、履歴が残るのを覚悟してまで電話を借りるつもりもなかった――そして、そもそも、ここに戻って来ても本当に良かったのか、ということで。

 幸いなことに明日は日曜日で学校もないし、手元には簡単なメモ用紙とボールペン程度はある。書置きして、明日改めて神社で再び話す、というのも唯さんが好きな漫画やドラマの展開かもしれない。

 そうは思うのだが、伝えるべき情報が多過ぎるのも問題ではある。

 実は、解釈に悩んでいたせいもあってトンネルで祓った際に最後に見たモノに関しては、唯さんにさえ伝えていなかった。一応、あの後先生に診察してもらって健康状態を確認してもらってはいたけれど、力の使い方に慣れてきたのかもしれない、という非常に曖昧な説明で場を濁していた。

 その中での祖父母の訃報である。

 客観的に、疑われているよな、と、思う。

 ……まあ、疑うもなにも、故意でなかったとしても結果的に祖父母の死の原因をつくったということは事実だろうけど。


 他人と関わった経験が少な過ぎて、正解が導けない。

 明日に、しようか――そう考えて小さく溜息を漏らせば、これが、気が重いということなんだな、と、変に自分自身の感情に感動してしまった。

 短く“これで終わりました、神社に戻っています。”それだけを走り書きして、郵便受けへと差し込もうとした瞬間。

 ……奇声が響いた。

 文字で表すと、うあー、と書くしかないけれど、出会った初期の奇声をなんというか、こう、逆回しにしたような……上手く擬音化できない声だった。

 意図せず目が細くなってしまうが、なにかあったのかな、とか、郵便受けの物音で驚かせてしまったのかなと考えれば、すぐさま合鍵でドアを開け――。リビングへと続くドアも開いていたので、唯さんのつむじが見えた。

 そう、つむじ。

 ソファーの上で玄関に頭を向けて、うつ伏せに……違うな、猫がするみたいに、香箱座りかごめん寝の姿勢をしているらしい。なぜだろう?

 首を傾げながらも、音を立てないようにノブを回したまま玄関のドアを閉めると、僕に気付いていないのか、唯さんはいつもよりもちょっと乱暴な口調で。

「あぁぁ、寂しい、くそう、依存してた……クッションが虚しい」

 どうも、クッションを抱えたまま丸くなっているらしい、ということが分かった。それともうひとつ。

 一応、玄関の鍵を閉めてから「充電しますか?」と、訊いてみる。

 バネ仕掛けのように、勢い良く顔を上げた唯さん。

 目がばっちりと合う。仕事の日には左右のどちらかに流している鋏でひと断ちしたような直線的な前髪は、土曜ということを差し引いても散々に乱れていた。

 う、とか、あ、なんて空気が漏れるような声が唯さんの開けられた口から響いている。でも結局、言葉ではなく、ふた呼吸の間に赤く茹で上がっていく唯さんの表情から追及してはいけないということは理解した。

 ので、冷静に両腕を広げ――。

「ただいま帰りました」

「おかえりなさいませ!」

 必要以上にはつらつとした声と、照れて怒ったような表情。さっきまでの姿勢が姿勢だったからなのか、四つん這いでリビングを駆け抜けた唯さんは、肉食獣の表情の中、ちょっと恨みの篭った目で僕を見上げて飛びついてきた。

 男女の違いもあってそれを受け止めて抱きしめ返すけど、肋骨が折れそうなほど力がこめられているのは、ブランクだけが理由じゃないと思う。


「っは――、しんどかった」

「はい?」

 本当に長い抱擁だったから、腕を解かれた瞬間の唯さんの言葉がなにを指しているのか分からず、反射的に訊き返してしまったけど、抱き締め合っていた数センチの間合いのままで不満そうな表情を突き付けられてしまった。

「連絡のひとつぐらい――」

 瞬きをする。

 多分だけど、そういうことなのだと思って、葬儀中他の人が使っていたモノを持っていないことを証明するように、ポンポンと制服のポケットを叩く。

「ああ、格、携帯もってなかったよね。……そろそろ、不便だし、買おうか?」

 最初こそ苦笑いする唯さんだったけど、『買おうか?』の時の真剣な表情に、頷けば明日……いや、もしかしたら今日これから買いに行くことになりそうだと感じるも。

 五千円を越す唯さんの月額のスマホ代が頭にちらつき、僕は即座に首を横に振った。

「いえ、学生規則にも勉学に不要なものを持ち込まないとありますし、全校集会での修正条項で、やむを得ず携帯電話などを所有する場合は、ゲーム等に課金できないようにすることと……」

「ほんとは、悪い子の癖に」

 自分自身の唇をつつきながら、なにかを期待するような唯さんに「本当の悪い子でも、唯さんはいいんですか?」と、考えていたタイミングじゃなかったけど、流れで訊くには丁度良かったので、率直に疑問をぶつけてみた。

 けれど――。

「ん~、ふふふ」

 唯さんは、軽く笑って、自分から口付けただけで答えてくれなかった。多分、折り畳んだ意味に気付いてくれていないんだろう。

 切り出し方に悩んでいると、唯さんは僕の手を引いてリビングへと向かいながら、背中越しに問い掛けてきた。

「ちなみに、格は御両親とは住まないの? そういう話は出なかった?」

 歩くたびに揺れる肩から、唯さんの不安と緊張が分かった。

 そして、全然別の問題をお互いに気にしているってことも。

 物心ついた時からそうだったから、すっかりと忘れていた。普通の人は、多少条件が悪かったとしても家族と住むものなんだってことを。

「そこを気にしていたんですか?」

 肩越しに振り返った顔は、拗ねたように膨らんでいた。

「格、最初にご両親のこと、分からないって言ってたでしょ。やっぱり、いつかどこかで格の両親が来ちゃうんじゃないかな、って、不安はあったよ」

「ごめんなさい」

 素直に謝るも、つんつん、と、僕の鼻をつついた唯さんは、言外に、責めるつもりはないのと伝えるように――。

「“不安があった”の。取り返されるんじゃないかなって、まだ中学生なんだから、本人の意思で突っぱねられないでしょ?」

 鼓動のリズムみたいに、きゅっきゅっと唯さんが引いている僕の手を強弱をつけて握っている。

 絶対にありそうにない未来に、僕は笑ってしまい、それを誤魔化すように視線を横に逃がした。

「それはないでしょうね」


 中途半端な金髪の短髪で、若いつもりでそういう格好をしている痩身の中年男性。父親だというその人は、写真家、と、めんどくさそうに渡してきた名刺にあったけど、葬儀中の周囲の話を聞くに、自称がつく可能性がある。なんでも、僕が生まれた頃には母親以外の女性を連れて海外へ渡って、写真の勉強をしつつ、絶景の写真を撮っていたとかなんとか。

 そして、母親のことは、父親以上に分からなかった。父親がそんなだったから、僕が一歳の時には祖父母に子守を押し付けて、適当に離婚――慰謝料は祖父母が払ったらしい――していたようなので。

 そして祖父母は、元々は地位の高い公務員だったということを葬儀の際に僕は知った。

 父親は家の恥だが、だからこそ世間様に迷惑をかけないようにと、今や四十代にもなるというのに適当にお金を渡し、芸術の勉強と銘打てるものならば多少怪しい講座でも放り込み、可能な限り遠ざけつつもある程度は束縛される環境に父親を置いていたらしい。

 ただ、僕に関する認識は奇妙なほど、親戚一同で一致していた。

 詳しくは知らないが、可哀想なので引き取って育てている。父親はアレだが、その御両親の二人なら大丈夫だっただろう? 現に立派になって、と。

 だから、相続に際し、遺産の一部を僕の養育費名目で自由に使えないようにさせ、かつ、僕自身が浪費しないように一定額ずつ支給される運びとなった。

 祖父母の家は処分せず今後は父親が住むとの事だったが、父親に僕が感化されるのを嫌がったのか、現在の環境で十分である旨を伝えれば、それがどこかも訊かれずに、逆に安心されたぐらいだった。



「……いじめられなかった?」

 さすがに廊下だけで終わる話ではなかったので、リビングに着いてから、僕が椅子に座り、その上に横向きで唯さんが座っても普通に話は続いた。

 いや、うん、僕としても最近はここが唯さんの定位置なんだと思う。なんというか、しっくりくるから。

「普段通りです。学校と同じ。基本的に座っていて、挨拶で当たり障りのないことを話して相槌を打つだけですから」

 特に表情を変えずに答えたら、唯さんの方が困った顔になったので「あ! それに振り込み額も増えるですよ。普通の一人暮らしなら、八万程度だろうと親戚でまとまったようですので」と、嬉しい情報も付け加えてみる。

 家事こそしてはいるものの、家賃の半額分を唯さんは受け取ってくれていないんだし、それがやっぱり心苦しかったんだけど……。

「それなら、スマホ買おうよ。授業中でも繋がるよ?」

 真顔だった。

 僕としては、さっきの話に繋げるつもりではなく、唯さんだけがお金を出している部分をきちんと二人で等分したいという意思表示だったのに。

 ほら、すぐ、とでも言いたいのか、僕の胸をたしたし叩く唯さん。

「いえ、残業にならないようにしっかりとお仕事には集中してください。連絡があって一人で待つよりも、早く帰って二人ですごす方がはるかに重要です」

 唯さんは、すごく複雑そうに口を~の字みたいに波打たせていた。

 多分、一緒にいる方が重要という部分には同意して、同意した後で僕がそう思っているということを率直に伝えたことに照れて、でも、スマホ自体は持たせたいって気持ちで嬉しくないように振舞いたいんだろう。

 一緒にいた時間の中で、ちょっとずつちょっとずつ唯さんを問い詰めて、ようやくここまで理解が追いつくようになった。

「ずるいなー、格は」

 結局は、いつもの一言で落ち着くと、離れていた時間で滞っていたなにかがようやくまた流れ出した気がした。



「……他にも、訊きたいこと、ありますよね?」

 お葬式の案内の葉書が来ていて、唯さんもそれを確認している以上、因果関係を明らかにする必要がある。少なくとも、僕はそう思っていた。

 だから、いつまでも二人でくすくす笑っている場合でもない。

 だがしかし、唯さんはちょっとセンチメンタルな表情をしつつも、ごくあっさりとした雰囲気で答えてきた。

「ないよ、私は」

 正直な言葉だったのだと思う『私は』と言う唯さんの顔が、他の二人から追求があったことを予見させる表情だったから。確かに、先生と高橋さんにも説明は要るよな。実際問題として、しでかした出来事をどう解釈するかについては、相談する必要もあるし。

 けど、唯さんがそれを訊かなくても平気と言っている理由が分からずに、頭をひねってしまう。

「……私は、大人なんだから、格が思っている以上に格のこと、分かってる。つもりだぞ」

 付け焼刃の子ども扱いを僕にする唯さんは、背伸びしているようにしか見えなかった。元々、目が大きくて丸顔だから、真っ直ぐに顔を覗き込まれても、構って欲しがってるようにしか見えなくて。

「だとすれば、やっぱりきちんと説明しないといけませんよ。妙齢の女性なんですから、警戒はしないと」

 僕としてはする必要のあることは早めに済ませないと気持ちが悪いんだけど、唯さんはどうも今日は難しい話はしたくないのか、むにむにと僕の頬を摘まんで、恨めしそうな目で僕の瞳を覗き込んできた。

「やっぱり、格が、一番分かってない」

 頬を好き勝手されているので、喋るのは諦めて視線と首の動きでどこがですか? と、訊ねる。

 いい? と、念を押したいのか、唯さんは額と額をこつんとぶつけてきた。

「この歳までお付き合いしていない年上女なんだから、色々あるの。でも、訳あり品は、返品がきかないんだからね?」

 僕が頷くと、頬を抓っていた唯さんの指は離れたけど、色々の内容まで話してくれるのかと思って待っていたら、唇を尖らせられた。

 だから僕は、同じように唇を尖らせ、自分の口内で上顎に舌をくっつけてチュッと音をさせ、キスする真似だけをする。

「イケナイ年下だ」

 こういう不文律を仕込んだのは、間違いなく唯さんなんだけど……、まあ、いいか、そこは。

 一呼吸だけ間を挟んでから、改めて口を開く僕。

「最後の話は、唯さんではなく僕の方が当てはまります。ここ以外に、帰る場所はないですから」

 それもそうか、と、唯さんは納得はしてくれたみたいだったけど、消去法みたいな言い方が気に障ったのか、眉はまだ不満そうな形をしている。

「だから、唯一帰りたい場所に置いといてくれますか?」

 こくこくと、唯さんは喜びきれていない表情のまま、そういう置物みたいに首を上下に振って頷いていたので、ぽそっと付け加えるように「一生」と、呟いてみた。

 こくこ……く?

 恐る恐るといった調子で上げられた顔。ばっちりと視線を重ねれば、沈黙が流れ。

「……証拠として、録音したかった」

 額を僕の胸に押し付けて、唯さんが表情を隠してしまう。

「なにに使うんですか、本人がずっと側にいるっていうのに」

 逃げた唯さんを追い打ちすると、耳まで赤くなっているのが見えたので無言のままの唯さん抱きしめ続けていた。夜が更けても。

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