祓戸大神ー5ー
ちなみに、決行は次の土曜日となった。
もっと早い方が僕としては嬉しかったけど、高橋さんが仕事を進める準備とか、唯さんが休みのタイミングとか、そういった調整に時間が掛かるので仕方が無い。
もっとも、土曜日までの寝不足と頭痛はあまりいただけなかったけど。
その間の唯さんは――、いつもよりも甘えるようになっていた。
自分で決めた、僕が唯さんを好きになるまで出来ないこと、を、すっかり忘れてしまったかのようにいつでも抱きついてくる。
「なーんか、格はずるいなー」
今日も帰宅後すぐに僕を抱きしめた唯さんが、ちょっとだけ顔を離して拗ねたような声を上げた。分かり易く膨らませた頬に、上目遣いのちょっとだけ責める視線が僕をロックオンする。
「なんでか分からずに――私なんかのになっちゃって、それで、勝手にまた……イロイロ、決めちゃって、さぁ!」
僕の背中に、負ぶさるように飛び乗って、べったりとくっつきながら、そう耳に囁きかける。掛かった息が、少しくすぐったかった。
唯さんを背負えるぐらいの腕力はあるので、そのままリビングへと向かう僕。
「私、ばっか、こんなに大好きにさせといて」
唯さんばっかりってわけでもないけど……。今はまだそれを言えない。最悪の事態になった時の重荷にはしたくなかったから。その代わりに、ごくごくありふれた慰めを口にしてみる。
「まだどうなるか分からないんですから、そんな不安そうにしなくても良いのでは?」
そう、実際問題として、あっさり直るかもしれない可能性も低くは無いと思う。まあ、逆にあの廃屋の時に唯さんが話したように危険な状態になるのかもしれないけど。
いや、そういう予想がつかないっていうのは、確かに不安か。
類似の症例に対する知見が少ないのが問題だよな、と、あの病院の先生みたいに冷静に分析してみる。
あ! そうだ、もしもにそなえて先生にも連絡しておかないとな。……忠告を無視する形になってしまったので、怒られるかもしれないけど。
でも、ここ数日で頭の奥が鈍く痛むあの症状が出ていたし、放っておいたらどんどん悪化するのも目に見えている。心配をかけるから唯さんには黙ってるけど、単に寝不足って感じじゃない。もっと悪いものが蓄積されていっている感覚だ。
「格は、分かってない」
ひょい、と、僕の背から降りた唯さんが、正面に回って膨れっ面で極めつけた。
「私みたいな大人な女子は、年下の恋人のことになると、たいていは悪いことばっかり考えちゃって思い詰めちゃうものなのです」
むう、と、怒っているというよりは叱るような顔をした唯さん。
でも、その一拍後、急に表情を緩め――それを悟らせまいとする拗ねた顔を、上辺だけに貼り付けて続けた。
「ただ、今回以外では、さ。格って、本当に独占欲を満たしてくれるよね」
そういうものなのだろうか? どこまで独り占めすれば唯さんが満足するのか、僕はまだ少し判断し切れていない。だって、唯さん以外に親しい人はいないし。
もっとも、今更、別に、わざわざ親しい友人をつくろうとも思わないけど。
そういう意味では、僕も唯さんだけが近くにいるって状況に満足しているから、ウィンウィンの関係なのかな?
「いいこと? なにがあっても、格は私のなんだからね。それを肝に銘じておいてよ」
唯さんは、いまいち理解が追いついていない僕の目の前に人差し指を突き出して――、め、と、子供を叱る母親のような顔で命令した。
頬を緩めた僕は、いつものように返事をする。
「はい、分かりました」
それから、私服に着替えた唯さんと――今日は少し着古した感じのシンプルなワンピースだ。多分、元は外出着で、くたびれてきたとか、デザインが流行後れになったとか、そういう理由で部屋着にしたのだろう――、向かい合ってテーブルに座って夕食を始める。
今日のメインはサバの塩焼き。
鮎の値段がもう少し安かったら、鮎の塩焼きにしたんだけど、まだ多量には出回っていないのか例年よりも高めだった。
増税後に、なんでもかんでも高くなって嫌になるな。政治家って、本当にろくなことをしない。
「そういえば、さ。格の手って綺麗だよね」
夕飯の席で、唐突に唯さんはそんなことを言い出した。
「はい?」
多分、ご飯茶碗を持つ僕の手が視界に入ったんだろうけど……綺麗、なのか? 爪を切る以外に、特に手入れとかしていないんだけど。
全然納得出来ずにいる僕に向かって、唯さんは言葉を続けた。
「家事で水仕事もしてるのに、手も全く荒れてないしさ」
改めて自分の掌を見てみる。
ふつう、だと思うけど……。
いや、そもそも――。
「手荒れって誰でもなるんですか?」
「ふえ? ……ック」
素朴の疑問を口にしたのに、唯さんはご飯が軽く詰まったみたいだった。
慌てて麦茶をグラスに注いで渡す僕。
くっ、と、顎を上げて口につけたグラスを頭ごと後ろに傾けた唯さん。唯さんの細い首――、喉が小さく動いた。
コップを持つ唯さんの細くて白い指先も、綺麗だと思う。
だけど、次の瞬間、ぶは、なんてうら若き女性にあるまじき声を出されてしまい、ちょっと気分が盛り下がってしまったけど。
一息ついた唯さんは、ううん、と少し難しい顔で口に手を当てていたけど、すぐになにか打開策を思いついたのか、なにかを閃いた顔になって訊いてきた。
「あのね? 格、冬場とか、あの神社大変じゃなかったの?」
若干目を細めて僕を見る唯さん。
「冬場?」
本当に思い当たる節が無かったんだけど、唯さんは疑惑の眼差しを僕に向け続けている。
寒いことは寒い家だったけど、凍傷になったりは……しなかったし。
僕が小首を傾げて見せると、唯さんはなぜか引きつった笑みで話し始めた。
「冷たい水に触っているとさ、こう、指の関節のところがザックリと割れたり――」
思い出し笑い……みたいなものなのかな? いや、面白い話題ではなさそうなので、思い出し苦笑いなのかもしれない。
まあ、確かにそうなったら痛そうだけど……。
僕は無言で首を振り――。
「そういえば、手、霜焼けとかにもなったこと無いですね」
なんの気無しに言ったんだけど、凄く不満そうな顔をされた。
「ほんとにずるい子だなー、格は」
「そういう子は、どうされるんですか?」
次の展開は大体予想が付いている。だからこれは質問というよりは、答えの分かりきった修辞語みたいなものだ。
案の定、ニッコリと笑った唯さんが僕の手を取って、今日は中指に軽くキスをした。
「やっぱり、指、綺麗。いつも触ってて、すべすべだなーっては思ってたんだよね。こうしてみると、女の子みたい」
女の子みたい、というのは、褒め言葉なんだろうか?
まあ、声変わりこそしているものの、まだまだ十四歳の僕は完全に男らしいというわけにはいかないんだろう。とはいえ、女子とは別物だから、中性的って表現の方が良いと思う。
ほんの少しの不満を込めて見つめるけど、唯さんには伝わっていないらしく、逆に釘を刺されてしまった。
「私から、この至福の感触を取っちゃダメなんだからね。……今年の冬に、本当に平気かも確認してあげるんだから」
唯さんも、中々困った人だな。
昨日は髪の感触で、今日は指の感触の所有権を宣言されてしまった。
というか、僕自体の所有権を宣言しているんだから、まとめて唯さんのモノといえば一言で終わりそうなのにな。
……まあ、こうしてじゃれたいだけっていうのは僕も分かっているし、嫌じゃないから毎日こんな風な会話をするのも楽しいんだけどね。
うん。
だから、今度の日曜日もこんな会話をするために、決戦の土曜日は頑張らないとな――。
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