力と代償ー2ー

 次の土曜日に、唯さんのアパートまで高橋さんが車で迎えに着てくれた。

 もし仮になにかあったとしても日曜日で治療なりなんなりができるので、曜日の選択は間違っていないと思う。

 ただ、まあ――。

「ピクニックじゃねぇんだぞ?」

 凄みを利かせた高橋さんに、前と同じ運転席の後ろに座った唯さんが、これまた前と同じように僕の手を握りながら上機嫌で答えた。

「そうだよー」

 信号で止まった時、高橋さんに――おそらく、なんとかしろという意思表示だと思う――鋭く睨まれたけど、付き合いの長い高橋さんに出来ない唯さんの制御を僕に求めるのは酷だと思う。

 逆に、唯さんっていつもこうなんですか? と、微かに頭を傾けてアイコンタクトすると、無言で重々しく頷かれてしまった。


 車は、一時間ほどで目的地へと着いた。

 現場は古びた日本家屋だった。閑散とした……とも言い切れない、古い住宅街の一角。空き家もちらほらとあるようだったけど、庭先に人影の見える家の方が多い。だからかもしれないが、あまりおどろおどろしさは感じなかった。

 ちなみに、高橋さんは車で待つそうだ。唯さんがからかっても、頑として動こうとしない。唯さん曰く、物理的には強いけど、霊的には弱いんだとかなんとか。

 まあ、そういう人を無理して連れて行って、いざという時に足が竦まれても困るし、賢明な判断だと思う。

 で、その逆の懸命じゃない判断をした人はといえば――。

「唯さん? どうして車で待ちたくないのですか?」

 高橋さんが待つ車から十分に離れてから訊いてみた。

「どうして、格は私を置いていきたがるの?」

 唯さんは少し苛立った調子で訊き返してきた。

「危ないかもしれないからです」

「格だって、十四歳の癖に」

「危険に対する感覚は鋭いと思います」

「私が鈍いとでも?」

「いえ、そういうわけではなく……」

 そう言われると、強くは出切れない僕の負けが確定してしまう。

 僕としては、唯さんも車で待ってて欲しかったんだけど――廃屋では幽霊よりも、進入して勝手に生活しているホームレスや野生動物の方が遥かに問題で、若い女性をそういう危険な場所に連れて行きたくない――、僕に対しては保護者と言う大義名分を使い、高橋さんには恋人だけをそういう場所へ向かわせたくないと泣きつき、結局、現在の状況になってしまった。

 ただ、まあ、高橋さんから渡された、前回の調査資料を見る限りでは、廃屋になって以来、中に人がいた痕跡はなさそうなので――そうした情報と、前回の調査の際の人の怪我の程度が軽いために高橋さんも唯さんにそこまで強く出なかったのだと思う――、その点では大丈夫なのかもしれないけど……。


 生垣は酷く荒れていて、既に手入れされずに長い時間が経過していることを証明していた。

 が、家自体の傷みは、外から見る限り少ないようだった。

 踏み倒されている――前回に取り壊しの下見に来た人たちがそうしたのだろう――下草と、敷石を踏んで玄関へと入る。

 戸は壊され、壁に立てかけてあり、中を覗くことができた。

 靴箱周辺の埃の状態から、棚などは調査対象外だったのだろう。廊下の上に残る乾いた泥の靴跡は、前回の作業員の痕跡だな、多分。まあ、取り壊す予定の廃屋に靴を脱いで上がりはしないか。

 状況的に、玄関周辺に異常があった痕跡は見られなかった。

 前回入った作業員の足跡に乱れが無い。測量用の計器の痕跡が少しあるぐらいだ。

「そんなに古い家じゃないんですね」

 外観は完全な和風の造りだったけど、入り口の正面――ドアが壊れて見えているトイレは洋式だったし、階段の中段の採光用の窓、右手側の部屋――ダイニングか? ――も洋風な造りだった。

「ううん、新しく見えるのはリフォームしたからで、元になってる家は戦前からあるみたいだよ」

 僕の背中にぴったりと張り付いている唯さんが答え、高橋さんから唯さんが預かった紙の資料を、今度は僕へと手渡してきた。

 ちなみに唯さんは、自由になった手で僕の服をぎゅっと握っている。……そこまでして付いてこなくても良いと思うんだけどなぁ。


 資料の一枚目。

 家の構造を見ると、一階部分は長方形で縦長で広く、その中央部分だけが二階建てになっている。二階部分は、昭和になってからの増築らしい。

 とはいえ、二階に上がるのは危険と資料に補足されていた。壁や柱の傷み具合から、建築基準が古い時代の設計の二階の床は、屋根裏を改修している関係上、」抜ける可能性が高いとのことだ。それに、階段の状態もあまり良くないように見える。

 ちなみに、前回も危険を鑑みて、一階を中心とした測量を行い――その途中で怪異にあったらしい。

 パニック状態で家を後にした作業員。

 行方不明者なし、負傷者三名。負傷の程度は足に軽度の裂傷。添付された写真を見る限り、唯さんに生じたとのは全く別のモノのようだ。変色や肉が盛り上がるといった変化は見られない。逆になにかでえぐられたような、窪んだ傷跡だ。

 個人的な見立てとしては、鋭利な刃物というよりは、どこかのささくれた金属で引っ掛けたような傷だと思った。

 最後の一枚の資料。

 事後は、作業員達の話は一貫していないので、誤って床を踏み抜いたとして処理、また、アスベスト材は確認できないため、場合によっては強制撤去も可能、か。

 玄関は図面の中央からやや左前の位置にあり、勝手口が大黒柱を軸に線対称の位置にあるらしい。出入り口はその二箇所。

 まずは、前回同様に出入り口を確認してみるか。


 足跡の痕跡を辿って家に上がる。

 唯さんは、かなりおっかなびっくり後を付いて来ているようだった。肩に、ずっと小さな掌が乗っている。

 畳が水を吸って膨れたのか、畳が波打って歪んでいる和室や、床が抜けている洋間、天井の角材かなにかが落ちている台所。

 台所は、途中までは普通の一般家屋にあるような造りだったが、勝手口付近は土間を残しており、そこには、今時珍しい竈があった。

 竈の中の土の状態を確認する。

 熱も炭も、灰もない。使われなくなって長い時間が経っているのは間違いなさそうだ。ガスも元栓は残っているものの、流石に流れてはいないだろうし、ここで煮炊きするのは不可能だな。

 呪いは、小動物には影響しないのか、鼠やカマドウマ、蛇にヤモリは元気一杯に動き回っている。

 完全に荒れていると言い切るのにいささかの躊躇いもない。不法侵入している何者かが根城として使っている可能性は無いと判断する。

 ……しかし、おかしいな。

 作業員の足跡はここで酷く乱れている。

 引き返した足跡、勝手口から逃げた足跡。怪我をしたのもこの場所か? 完全に黒くなっているけど血の跡がある。

 勝手口のドアの木の傷みは、蹴った後か。

 ただ――、そもそもの原因はどうもここじゃなさそうだ。

 切っ掛けは別の場所にあるのか?

 足を止めた僕を、唯さんが不安そうな顔で――いや、むしろ泣きそうなと言った方が正確か――、見つめている。

 推理を話そうとした瞬間、放置されたままの冷蔵庫の方から小さな物音がした。

 唯さんは肩を強張らせ、物音に敏感に反応した。

 その場所周辺に視線を巡らすけど、大きな異常は無い。小動物かなにかが僕等を避けようと冷蔵庫の後ろに潜り込んだといったところだろう。

 ただ……、良い機会なので、再び最初に却下された提案をしてみた。

「唯さんは、車で待っていても……」

「ヤダ、こんなところから、一人で帰れない」

 なぜかドヤっとした顔の唯さんは、しかしながら、次の瞬間に飛び上がった。

「ひゃっ! ヤダヤダヤダ! 足元なんかいた」

 僕の首にまとわりつき、たたらを踏んでいる唯さん。まあ、唯さんの歩みに合わせるとペースがかなりゆっくりだし――、折角なのでお姫様抱っこしてみた。

 小柄な唯さんはやっぱり軽い。

 簡単に抱え上げることが出来てしまう。

 唯さんは、最初こそ驚きすぎてニュートラルな顔をしていたけど、すぐに照れ臭そうになり、最後はいつも通りにへら、と、頬を緩ませた。

 泣いた子供がなんとやら。

 やっぱり、こういう場所でも唯さんってちょっと単純で、危機感が足りない気がする。

「車に送りますね」

 最も現実的な提案をすると、唯さんは僕の言に反対するかのように首に回した腕に力を込め、僕にしがみついてきた。

「格が行く場所には、私も行くのです。ひとりだと危ないかもしれないんだもん」

 はたして、その危ない場所についてきた唯さんは、適切な行動が出来るのだろうか? ちょっと想像出来なかった。

「多分、次で遭遇しますよ?」

 脅すつもりじゃないんだけど、状況から推察される当然の帰結を述べ、心変わりを期待してみたけど――。

「なんでわかるの?」

 不思議そうな顔をした唯さん。

 ……今まで僕と一緒にいて、僕が調べているのも見ていたのに、逆になんで分からないんだろう?

「足跡なんかから、前回の大体の様子が分かりますので……」

「名探偵?」

 あんまりに場違いな発言に、つい緊張が緩んでしまった。

「いつかなれたらいいですね」

 そう語りかけると「じゃあ、私は助手かなー」なんて、妄想モードに入った声がどこか楽しそうな調子で返って来た。


 来た道を戻り、前回は廊下を通り過ぎただけだった広い和室の破れた襖を開け放ってみる。

 大黒柱、というものかな。屋台骨を支える大きな柱が中央にあり、重厚な存在感を醸していた。

 この柱が原因だと――、根拠はないけど、感覚的に理解していた。

 ただの木材のはずなのに、生き物の気配がする。

 息遣い?

 鼓動?

 違う、これは……水の音だ。動物は血管の中を、植物は維管束の中を巡る。体内を流れる水の音。

 唯さんを降ろし、部屋の中に入るのを手で制する。

「格?」

 不安そうな声が背後から聞こえた。

「下がって」

 唯さんの肩を軽く押して二~三歩下がらせ、慎重にその広間へと足を踏み入れる。前回の負傷が足元に集中していたことから、足場をしっかりと確認しながら、軋まずに体重を支えられる場所だけを選ぶ。

 ざわ、と、既に切り倒され、加工されているはずの木から、風に梢が揺られたような気配がして――。根や新芽が一気に噴き出した。

 噴き出す?

 いや、今まで見えていなかっただけで、それらが急に視覚に認識されたのだと思う。

 これらは、元々ここにあったものの記憶だ。

 流れる景色は、元々はここに立っていた木を……切って作られた屋敷だったことを伝えようとしている。芯を大黒柱に、枝葉も無駄なく。とても、とても長い時間、ここで生きてきた――。

 どこか神々しさを感じる反面、腐臭のような立ち上る嫌悪感も抑え難くなってきている。

 不意に足元の地面が、ぐに、と、踏み応えが変わり、それに気付いた瞬間、右足が滑った。左足で踏ん張ってなんとか踏みとどまるも、姿勢の安定感はさっきよりも悪い。

 足元にあるのはなにかの動物の一部のようで、僕の足の圧力に耐えかねた腐れた皮が、肉から剥がれたようだ。所々、肋骨のような尖った骨も突き出している。

 資料を見て警戒していなかったら、多分、僕も怪我をしていた。

 人の死体? ひとつじゃない、足元を埋め尽くさんばかりの――。

 いや、そんなものが急に湧き出てくるはずがない。

 これも、目の前の木と同じような、なにか……!

 江戸時代のような、和服と髷の人物。庭に植えた木のひとつが大樹となって、この家へと変わっていく映像。うん? それだけじゃなくて、根元……いや、庭にあるのは、墓!? 桜の都市伝説のように、人を養分とした大樹なのだろうか……。いや、利用するだけじゃなくて、循環、していた? 過去形でなにかが語りかけてくる。

 溢れ出す根と新芽が増えた。

 身動きが出来ない。

 僕も捕まるってしまう! しかし、逃げ場所が無いのを悟って強張ってしまった身体。

 木の生命の噴出点との間合いは、もう無い――!

 弾き飛ばされる、と、思った。なんとか、受身を……。

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