同衾計画? ー4ー

 車は、十分ほどで住宅地――とはいえ、アパートが立ち並ぶ区画で、一戸建てはあまり見当たらないけど――に入り、そのなかの一棟の駐車場に止まった。

 唯さんの家は青い二階建てのアパートで、二階の角部屋が唯さんの部屋だった。

 ノックもせずにドアを開けた高橋さんに続いて、ドアを覗くけど見える範囲には唯さんはいなかった。勝手に入っていいのかな? と、悩んだものの高橋さんがずんずんと進むので「おじゃまします」と、呟くように言ってその後に続く。

 玄関すぐ横がキッチンになっていて、ドアで隔てられていない八畳程の洋間のリビングが続いている。リビングとキッチンとの間には扉もあるけど、壁じゃなくてバーカウンターみたいな食事テーブルで仕切られていた。リビングの向こうには大きな窓があり、小川が見えていた。

 あ、キッチンと反対側の廊下にもドアがある。ええと、脱衣洗面所で、風呂トイレは別みたいだ。そして――リビングにも、脱衣洗面所それらと同じ方向にドアがあり、引き戸の中から唯さんが出てきた。寝室なのかな?

「おじゃましてます」

 挨拶する僕の頬を、つんつん、と、唯さんがつついて言った。

「おかえり」

 唯さんの希望は、すぐに理解出来た。

「ただいま」

 僕の返事に満足そうに頷いた唯さんは――パンパンに膨れた僕のショルダーバッグを見て驚いたような声を上げた。

「わー、格、いっぱいかってきたね。お金大丈夫なの?」

 大き目のショルダーバッグから、八百屋の袋、ドラッグストアで買った乾物、保存食料、調味料、スーパーで買った常温保管出来て料理にも使いやすい魚肉ソーセージに炊き込みご飯の元、等々――ドラッグストアとスーパーは袋なしだと二円安くなるので鞄に直に入れた――を取り出し、玄関を入ってすぐのキッチンに食品を収める。……本当に棚とかになにも入って無い、ここだけはまるで僕の家のようだ。もっとも、僕の場合は食料はしっかり安い時に買い溜めてたので、ここだけが逆と言った方が正解かもしれないけど。

「今週分ですけど、二千円は使っていません」

 レシートは見ていないけど、一軒一軒で使った金額を頭の中で足し算し、仕舞いながら返事をする。

 ちなみに、唯さんの家の冷蔵庫は、冷凍室が別になっている縦長のだった。僕が持って立方体の冷蔵庫が、玩具みたいに見える。

 ただ、立派な外見に反して、中にはジュースのパックと発泡酒ぐらいしかなかったけど。

 冷暗所で常温保存できるけど冷蔵庫の方が望ましい梅干や――封を開けたら冷蔵保存が基本なマヨネーズにケチャップ、味噌と醤油を順序だてて入れる。

「え⁉ それでやれるの?」

「もしかしたら少し買い足したりする必要はあると思いますけど、四千円はかからないと思います」

 僕が持参してきた米もありますし、と、既にリビングに置かれていた僕の四つのダンボール箱から、食品の箱を開け、使いさしの十キロ袋の米の残り――今は四キロほどに減っている――を、調理台の下の棚に入れる。その隣に、イモ類。根菜は――ああ、冷蔵庫、野菜室があるみたいだ。そっちにしよう。

「わー、野菜。健康的」

 唯さんの安物の国産大根をまるで初めて見たかのような声を上げている仕草に、そこはかとない不安が込み上げてきた。

「いったい唯さんは、今までなにを食べていたんですか?」

 月々の入金が五万円で、後々の学費にとその中の大半を貯金している僕と、社会人として生活している唯さん。食事事情の差は比較にならないほどだろう。

 高級食材は買ったことはないし、そもそも高い食材の調理方法を僕は良く知らない。

 もしかしなくても、唯さんは毎日外食とかしているのかも。ファミレスの幟なんかで、フォアグラとかトリュフのキャンペーンの情報は見たことあるけど、ああいうのを食べてたら……。

 はたして僕の料理が、舌に合ってくれるのだろうか?

「パン、パスタただしレトルトのソース必須、コンビニ弁当、ところにより牛丼だろ?」

 高橋さんがからかうように言うと、唯さんはむきになった声と顔で言い返していた。

「か、薫だって同じでしょうが!」

 ……身体に良い悪いの問題も勿論あるけど、そもそも金が掛かり過ぎないのだろうか? 米なんて、自分で一合炊けば、安い米だと二十円程度の計算になるのに。タイムセールの肉を使えば、百円少々で牛丼は作れる。

 コンビニ弁当は論外。コスパが悪過ぎる。

 ……唯さんって、結構金持ち? そして、ずぼら?

 ふむ。

 腕を組んで考え込む僕に、唯さんはちょっと居心地悪そうな縮こまっていた。

 追求されたく無さそうだったので、それに、日もすっかり暮れていたので、話題転換を図るべく僕は鍋、包丁、まな板、ピーラーと、いつもの調理道具を調理台の上に乗せて確認するように訊いてみた。

「いい時間ですし、作り始めますね?」

 ちょっと恥ずかしそうに目を伏せた唯さんが敬礼し、回れ右をした。

「いえっさ、この荷物はどうするの?」

「置き場所はどこかに――」

「どこでも大丈夫。布団をアタシの横に引いといたから、格の荷物、もうダンボール箱二つしかないよ?」

 押入れかなにかを探す僕に、食い気味に唯さんが被せてきた。まあ、所々、空になってる植木鉢とか細々したものが置かれているので、部屋の隅に段ボール箱ふたつを置くぐらいは気にしないのだろう。

「取り合えず、ロフトに乗せときゃいいじゃん」

 言うが早いか、高橋さんは軽く背伸びし、ポンポンと放るように僕の荷物をロフトに上げてしまった。

 考え中だったし……そもそも鞄と制服は、明日の学校のために取り出しておきたったんだけどな。

 まあ、朝でもいいか。

「高橋さんも食べていかれますか?」

 本当は唯さんにお伺いを立ててから訊くべきだったのかもしれないけど、丁度いいタイミングだったので僕から尋ねてみた。

 高橋さんは、ちょっと驚いた顔で僕を見て――。

「ん~」

 それから、ニヤニヤしながら唯さんを見ている。

 唯さんは、形容し難い顔をしていた。嫌な顔でもないんだけど、好くも思っていなくて、しかも、どことなく悲しそうでしょげているようでもあり、やっぱりなという雰囲気が所々に混じっている。

 高橋さんは、唯さんの顔を満足そうに眺めてから、皮肉っぽく笑った。

「いや、お楽しみを邪魔するわけにもいかないだろうさ――」

 背中を向け、そのままで軽く手を振って、部屋を出て行ってしまう。

 慌てて後を追って廊下に出たものの、お礼を言うタイミングも無かった。

 さっきもそうだったけど、気が早い性格なのかも。


 ガチャンと、ドアが閉まる音がした。

「いっちゃったね」

 と、唯さんが僕の横に並んで手を握った。

「そうですね」

 握られた手に少しだけ力を入れる。

 手を握る力の変化に気付いたのか、唯さんはその手に体重をかけるようにして少し背伸びをし、僕の首筋にキスをした。

「いたる、いたる」

 ちょっと舌足らずに、子供みたいに僕を呼んだ唯さんは……? ちょっと飛び跳ねて、掌を団扇みたいに扇いで――ん? しゃがんで欲しいのかな?

 中世の騎士みたいに、肩膝をつくと、よくできました、と、上から覆いかぶさるみたいにして僕の頭を抱き、それから、自然な流れで頬同士をすり合わせ――、僕のシャツの襟首をちょっとずらし、鎖骨にキスしてきた。

 触れるだけじゃなくて、吸われてる?

 ちゅ、と、微かな音がして離された唇。

 痕が少し紅くなっている。

 行動の意味が分からずに微かに首を傾げると、唯さんはえへへと笑って言い訳するみたいに言って身体を離した。

「私は、明日会社があるから、ね?」

 因果関係はあまり分からなかったけど、僕は彼女に同じことをしない方が良いらしい。

「はい」

 返事をした僕は、再びキッチンへと戻った。

「じゃあ、どうしよっか?」

 流し場の前に着くと、僕が手を洗い始めるより早く唯さんがそう切り出した。

「一時間ぐらいあれば作り終えられますよ」

 米を早炊きして、簡単に三品ぐらいおかずをつくって、半額シール豆腐のシンプル味噌汁を作るぐらいなら、それで充分だと思う。炊飯ジャーは国産メーカーの物なので、早炊きでもきちんとふっくら炊けるし。

「え⁉ すごい。本当にお願いしちゃうけどいいの?」

 驚いた声を上げた唯さんは、その後、ちょっと申し訳無さそうに確認してきた。

「勿論です」

 軽く請け負い、メニューを考える。

 今日買ってきたもの、そして、持参した食材で丁度いいものは――。肉じゃが、かな。まあ、特別な料理という感じはしないけど、嫌いな人も少ないと思う。

 他に、おひたしかなにかと、魚肉ソーセージか干物で焼き物を作れば良いかな。

「リクエストとか、苦手なものはありますか?」

「なんでも大丈夫」

 そう言った唯さんは、僕の背中に飛び乗った。

 唯さんは、くっついているのが好きみたいだ。僕は、どうだろう? 少なくとも、唯さんにくっつかれるのは嫌じゃなかった。

「そんなに手の込んだものじゃないですよ?」

 背中に唯さんをくっつけたまま、調理を始める。

 手早く白米を研いでジャーにセットし、炊飯開始。

 ジャガイモとニンジンの皮をピーラーで向いた後、適当な大きさに切ってボウルに入れ、水にさらす。玉ネギは、皮の食感が残るのが嫌いなので、少し深めに剥く。そして八等分に。

 安かった糸こんにゃくは、切らずにそのままでいいか。……いや、唯さんは女性だし、一応半分ぐらいにしておくか。

「……い、いえ、充分以上に手が込んでおります。はい」

 肩越しに僕の作業を見ていた唯さんが、ちょっと慄いたように僕の耳に向かって囁いた。

 僕の頬にくっついている唯さんの頬。

 唯さんの表情を窺おうと、右目だけの視線を向ける。

 楽しそうに下がった目尻が見えた。


 ふと見上げると、調理台の上にも棚があるようで、つい気になってそこを開けると――。

「あ! 圧力鍋。唯さん、これ使ってもいいですか?」

「え? うん、いいよ。どうせ私は使えないし。でも、そんなに喜ぶようなことなの?」

 ちょっと不思議そうな顔をした唯さん。

 喜ぶ? 僕はそんな様子だったのだろうか? まあ、そう、嬉しくなくはないかな?

「作業が早くなりますので」

 小学校の調理実習で使って、軽く感動したのを覚えている。短い時間で芯まで煮えるから。

 洗った圧力鍋に油を引き、サッと肉を炒め、残りの材料を追加し、軽く火を通してから蛇口から目分量で水を加える。

 醤油と砂糖と味醂、顆粒の昆布だしを加え、煮込みながらあくを取る。

 出てくるあくが充分に減ったら、蓋をして火加減を調整して蓋をして圧力をかけた。

「部屋割りとか、どうします?」

 一度手を止め、ぴとっと背中に張り付いたままの唯さんに向き直り尋ねてみる。

「ん~。使える部屋は、キッチンと半分一体化したリビング。その上の四畳のロフト、リビングから続く洋間ひとつなんだよね」

 同居を持ちかけたのに、狭くてごめんね、と、謝る唯さん。

 僕の家よりも遥かに大きくて立派だと思うけど、これでも彼女にとっては狭いのだろうか?

 ふむ、価値観の違いはやっぱり難しいものだな。

「もうね、寝るのもなにもかも一緒にしちゃお? 追々、必要に応じて――使ってないロフトとか、そういう部分も使えるようにしていって、さ」

 頬を紅く染めて――でも、それを僕に気付かせたくないのか、なんとも思っていないふりで、顔を澄ましている。

「元々四畳で生活していたので、ロフトだけ宛がわれても問題無いですよ?」

 これまでの唯さんの生活の質を落としてしまっては申し訳ないので、提案してみると――。

 ちょっと拗ねた顔をした唯さんに、ついばむように何度もキスされた。口を開こうとすると、それをさせまいとするかのように。

 反論する意思は元々なかったけど、返事をするのさえ諦めるほどにたくさんキスをされてしまう。

 僕が完全に沈黙したのを確認してから、ようやく唯さんは口付けを中断した。

「意地悪なこと、言わないの」

 子供を叱るような顔をした唯さん。

 気を使ったつもりなんだけど、それは意地悪なんだろうか?

 まあ、唯さんがそれで良いと言うなら、僕は反対しないけど。

「はい、一緒に寝ますね」

 十センチの間合いで同意すると、嬉しそうに唯さんは笑って――それから、病的なほどに顔を赤くした。

「わ、わわ、私、さ、……その、先にお風呂入っちゃうね」

 慌てた様子で、つかえながら――しかも早口で言った唯さんが、まるで逃げるみたいに寝室へと飛び込んで行く。

 時計を見る、女性の入浴は長いものらしいので……まあ、上がった頃には丁度食べごろになっているだろう。

 そんな事を考えていると、寝室から首だけを出していた唯さんと目が合った。

「上がったら、食べましょう」

 コクコクと、無言で――しかもかなりの速さで首を振った唯さんは、ふと考える表情になり、僕に問いかけてきた。

「ど、どっちを」

「はい?」

 詳しく訊き返す間もなかった。

「ば! な、なんでもありません!」

 そう叫んだ唯さんが、脱衣所へと飛んでいってしまったから。

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