同衾計画? ー1ー
それから、僕たちは一度外へ出た。長谷川さんが、車を持っている友達という人に電話をするために。家の中では、なぜか携帯のアンテナが立たなかったから。
僕はその会話は聞かなかったけど、ものの数分で彼女は車を出してもらう算段をつけたようだった。
携帯を仕舞いながら、ミニバンで大丈夫? と、訊かれたけど、僕は車に細やかな種類があるということを今まで知らなかったので、正確な返事は出来なかった。
僕にとって車の種類とは、普通の車とバスとトラックの三つしか頭になかった。
「車に興味ないんですか?」
「そうですね。今のところ」
訊かれて正直に答える。
あれば便利なものらしいけど、僕は免許を取れる年齢ではないし、そもそも車を買うのに必要な何百万もの大金を用立てる術もなかったので、わざわざ車について知る必要があるとは思えなかった。
「そうなんだ」
中途半端に会話が途切れ――、ふと、僕の方も疑問に思って問い掛けてみた。
「長谷川さんは?」
僕の呼びかけに、一瞬、ん? と、少し難しい顔をした長谷川さんは、ん――、と、鼻を間延びしたように伸ばして鳴らし「免許取る前に勤めちゃったからね、時間が取れなくて」と、少し拗ねた様子で答えた。
「そうですか」
今度の僕の声は、僕に質問をした時の長谷川さんと同じにした。
そう、と、特に意味のない言葉を返した長谷川さんが、コツン、と、僕の靴のかかとを蹴った後、ぴとっと僕の右肩にくっついた。
右腕は彼女にぎゅっと抱きしめられている。
「一緒に準備してあげるね?」
耳元で囁かれたて素直に頷く。耳にかかった息は、少しだけくすぐったい。
「はい」
「あ! でーも、見られたくないものもあるんじゃない?」
ほんの少しだけ底意地の悪い顔をした長谷川さんに、肘で脇腹をつつかれてしまう。
見られたくないもの?
なにを指してそう言っているのか分からなかったけど――。
「ありません」
思い当たる物も無かったので真顔で答えると、彼女はなんだか居心地の悪そうな顔をして「あ、そう」と、つまらなそうに若干気を落としたような顔で俯いてしまった。
こういうの、なんだっけ? ……ああ、乙女心と秋の空、か。もっとも今は初夏だけど、そういうモノらしいんだと、なんとなく彼女のことが分かり始めた。
一緒に部屋の中を――と言っても、最初に通した部屋と、その左奥に四畳の和室しかないので、見て回ると言うほどの事にはならない。簡易キッチンは窓の下の粗末なテーブルだし、そもそも、その寝室の中にあるごくささやかな物品が僕の全財産だ。それらは、狭い部屋を全て活用するために、あらゆる物は効率的にダンボール箱等にまとめられている。
ああ、あとは少し離れて五右衛門風呂とトイレが建物を別けて作られているけど、そこにあるもので彼女と住むために必要なものはあまりない。
「わあ」
長谷川さんが部屋を見た第一声は、純粋に驚きのように感じた。
「こういう所、初めて入ったけど……」
興味深そうに――といっても、どちらかといえば、感心するというよりも呆れるような調子で部屋中を見渡している。
「なにもないでしょう?」
「うん、これまで、部屋になにもないって言ってる人はたくさんいたけど、本当になにもない部屋って始めて見た」
ものの数秒で部屋の観察を終えた長谷川さんは、困ったような顔で僕を見た。
一体、彼女はどういった代物がここにあると思っていたのだろうか? これから行く彼女の部屋を参考に、余裕がある時にでも推理してみようと思う。
服と入浴セットは、合わせてプラスチックの衣装ケースひとつに収まった。教科書などの本と文房具、鞄類は、小さな冷蔵庫を買った時の古いダンボール箱に収まった。あと、残っているのは少しの食器類と調味料や米などの食品、布団、冷蔵庫、炊飯器、洗濯機だけだった。もっとも、家電製品は彼女の家にあるとのことなので置いていくけど。
大きめな箱に二つプラス布団というのが、僕の次の生活に必要な私物の全てだった。
荷物を運び出した後――元々そうではあったけど、前以上にがらんとした室内を見渡す。
粗末だな、なんて今更の感情か。
ガスと水道の元栓を締め、電気のブレーカーを落とすと、もう家は生きていない。鍵をすれば供養も済む。
「テレビもパソコンもない……。よくこれだけの物で生活出来ましたね」
三十分もしないで全ての私物をまとめ終えた僕に、心底呆れたような調子で長谷川さんは言った。
「まあ、学生ですし。贅沢をしなければ……」
「あ、やっぱり学生さんなんだ。じゃあ、私の方がちょっとお姉さんかな?」
「そうですね」
彼女を社会人とするなら、ちょっとという程の差ではないような気もしたけど、女性に年齢の話題を出すときは注意をしなければならないということをどこかで聞いた気がするので、曖昧に同意するだけに留めた。
……なのに、半目の彼女に頬を抓られた。
こういう態度は、この話題に対する不文律なのだろうか?
それとも、思っていたことを読まれたのかな。それほど不遜なことを考えたつもりは無かったけど。
「あ! でもでも、気を使わないでね? 恩人なんだし、私と、く、る――……格は対等だよ?」
ころっと表情を変え、うきうきした調子で長谷川さんが話している。
来栖って呼ぼうとして止めたことには、すぐに気付いた。そして、そのことを元に比較してみると、さっき僕は彼女を長谷川さんと呼んでいた。
ファーストネームで呼ばれたかったのか。
そう理解した僕は、返事をするついでに名前を呼んでみた。
「はい。唯さん」
嬉しそうに微笑んだ唯さんは、正面から僕の首にまとわり付いて、その後少し頭だけを後ろに引き、目を合わせ、軽くキスをしてきた。
僕の首に手を回すと、頭ひとつ分の身長の差で唯さんが爪先立ち――でも足りないのか、時々足が浮いてしまっている。ふらつく彼女を支えるように腰に手を回すと、唯さんの腕の力が増して、さっきよりも強く近く……まるで一ミリの隙間も許さないように身体を密着させてきた。
自分じゃない体温が温かくて、伝わってくる唯さんを抱きしめた感触が心地よくて――。
不思議な、気分がした。
ずっと、このままこうしていたら、それでもういいような。全部がどうでも良くなるような。そんな、気分。
神社の下から車のエンジン音が響いてくるまで、僕達はずっとそうしていた。
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