同衾計画? ー7ー

 目が覚めた僕は、少なからず混乱していた。

 物心ついてからずっと見ていた同じ夢が、変化してきている。

 原因は分からない。昨日あった出来事が多過ぎて、切っ掛けを特定できない。場所が変わったから? 唯さんの呪いを祓ったから? ファーストキスを経験したから?

 でも――。

 所詮夢だ、と、それ以上の事を考えずに、僕は布団から起き上がり――唯さんを見てみるけど、規則正しく胸が上下しているので、眠ったままなのだと判断して、物音を立てずにリビングへと抜け出した。

 我ながら、いきなりの同居は思い切りが良すぎたのかな、なんて、少し反省しながら身支度を整える。

 でも、蚊の季節に入って、あの家はそれなりに辛くなってたし……。

 洗顔、髪型、歯磨き、等々を済ませながら、思索の糸を伸びるに任せた。

 確かに、元から僕に有利過ぎる話だったよな。折半が食費だけだし、光熱費の対価が家事だけなんだから。

 学校へ行くのに問題ない格好になった後、パン、と、頬に気合を入れ決断する。

 遅くとも夜までには、唯さんに、本当に一緒に住んでいいのか、最終確認をしようと。


「おふぁよう」

 身支度を終え、朝食用の目玉焼き――サニーサイドアップで黄身は半熟――を焼き始めたところで、そんな声が聞こえて来た。

「おはようございます」

 肩越しに振り返ると、パジャマのままの唯さんがふらふらしながらリビングに出て来て、椅子にとすんと、倒れこむようにして座った。

「いたる、あさ、はやーいね」

 寝惚けているのか、かなり甘ったるい声を出す唯さん。

「そうですか?」

「まだろくじはんじゃな、い」

 携帯のディスプレイを確認しながら、唯さんはテーブルの上に身を投げ出した。

「唯さんは普段は?」

 料理の手を止めずに訊いてみる。

「しちじ、じゅうごふんにおきて、さんじゅっぷんで、かんぜんぶそうして、ぱんをながしこんでしゅっきんするの」

「あ、ごめんなさい。お米炊いちゃいましたけど……」

「んーん、だいじょうぶ、きのううしろすがたみててそういうのかなぁとかもおもってたから」

「二度寝しますか? 四十分後に起こしますから、寝ていても大丈夫ですよ?」

「うーん」

 質問に、明確な答えは返ってこなかった。

 唯さんは、寝室に戻らずに、でも、特に意味のある行動もせずにぷらぷらリビングを歩いたり、僕の料理している姿を眺めたり、伸びをしたりしている。

 ふと、昨日唯さんがよくしていた行動を思い出して尋ねてみた。

「抱きしめたいですか?」

「たいです」

 素直に返され、こちらも丁度一通りの準備を終えた所だったので、手を拭いて水気を取り、腕を広げていつでも唯さんが飛び込めるように準備する。

 ふらふらと僕の腕の中に飛び込みかけた唯さんは、急に完全に目を覚ましたようにハッとした顔になり、飛び退いた。

「……ちが! ダメ! そういうの、外でも言ったらダメだからね! もう、キスもダメなの! したくても!」

 がー、っと、凄い剣幕で捲くし立てている。

 したいことを我慢するのは大変じゃないのだろうか? もしかして、そのストレスでこんな剣幕なのかな? 僕としては、唯さんがしたいなら全く問題はないんだけれど。

「そうなんですか?」

「そうなんです……あ!」

 なにかに気付いた顔になった唯さんが、目を細く引き絞って僕の服装を頭の天辺から爪先まで確認している。

 ありふれた短くも長くもない髪から始まって、学校指定の靴下で終わる僕の姿に、特に珍しい部分はないと思うけど……。

「ご近所に、恋人と同居を始めた、とは説明出来ないよね……学生服じゃあ」

 そういうものなのだろうか?

 学校で交際宣言をしている人はたいてい制服だし、稀に教師と付き合っているとか話している人もいるので、然程気にする必要はないと考えていたんだけど。

「ううん……薫以外の人には、親戚で通してね?」

「はい。高橋さんにはなんと?」

 当然の疑問を訊き返すと、ぼっと瞬間的に唯さんの顔が赤くなり……若干迷いながらではあったけど、ポツポツと話し始めた。

「こ、恋人です。許婚とか、そういうの。でも、そのかわり、中学生だって事を隠してね。最悪の場合でも、高校三年生で押し切って」

「はい」

 頷いた僕と、頷いた僕を見て頷き返した唯さん。

 でも、その直後、不意に唯さんはなにかを考えている様子になり――。

「格は、さ、抱きしめられたりキスされたりするの、その、どうなの?」

 どうなの……って?

 訊かれている内容の範囲が分からなかったので、真意を問おうとしたところ、唯さんは自分から訊いてきたのに、会話を打ち切ってしまった。

「いや、いいや、ごめんね」

 横顔が……少し悲しそうだったから……分からないなりの答えを口にする。

「触れた事実を認識するだけでしたが――唯さん以外に、僕をそうした人はいませんでした」

 ありのままの考えを述べると、唯さんは困ったような苦笑いを浮べた。

「いや、まあ、それはそうだよ。普通はいきなり抱きしめない。勘違いがあったとしても」

「ですので、唯さん以外には、もう、そういうことを望まれても行いません」

 これまでの唯さんの反応から総合的に判断するに、多分、そういうことなのだろうと理解している。

 もっとも、唯さん以外にそういうことをされて嫌じゃない人のイメージは全く出来ないけど。まあ、無いとは思うけど、警戒だけはしておくことにはしようと思う。

 急に絶句し、目を瞬かせた唯さんが、どこか呆然とした様子でようやく口を開いた。

「私、だけ?」

 頷く。

 ふむ、と、ちょっと偉そうに腕組みして考えた唯さんが妙にニュートラルな顔で近付いてきた。

「これは、可愛い過ぎることを言った罰なのです。なので、いいのです。私、悪くない」

 そう言いながら、結局は胸の中に飛び込んできて額をぐりぐりと押し付けてきた唯さん。可愛いという表現は、きっと僕に向かって言われるよりも、唯さん自身に向けて言うべきだと思った。

 唯さんはしばらくの間くっついていたけど、急に顔を上げて僕の耳に息を吹きかけ、悪戯っぽく囁いた。

「あ、でもでも、私以外の人にこういうことをするのもされるのも禁止なのは、当然なんだからね。格が悪人になっちゃう」

「はい」

 素直に返事をした僕に、作為的な拗ねた顔をした唯さん。

「なんか、格って余裕があるんだよなぁ」

 なんて呟きながら、腕を話して僕から一歩離れた。

 唯さんが手を離すのを見計らって、昨日の夜から考えていたことを提案してみる僕。

「あの、唯さん」

「うん?」

「大きな問題があるなら、僕はすぐに出て行きますけど?」

 トン、トントン、と、難しい顔になった唯さんは、自分の眉間を人差し指で叩いて、少し僕を見つめ――。

 がばっと身を翻して頭を下げてきた。

「昨日は取り乱してごめんなさい」

 意外な反応に戸惑っていると、少し照れたような顔で、でも、真っ直ぐに僕の目を見た唯さん。

「一緒に、いよ?」

「いいんですか?」

 念を押すと、唯さんの手が、僕の頬に伸ばされた。

「私は、色々悩んだし、今後も悩むけど……やっぱり、そうしたいかなって」

 昨日ならキスされたと思うんだけど、今日はゆっくりと僕の頬を撫でただけで手は離れていった。

「ありがとうございます」

 なんだろう?

 少しもやもやする。

 ほんの少し肩透かしをされたような気がした。

 だけど、唯さんはそんな僕の様子に気付かなかったらしく、ぽそっと「逆光源氏なんて、ありえないと思ってたんだけどなぁ」なんて、呟いていた。


 それから――。

 短くはない時間抱き合っていたために時間が押していたので、慌しく朝食を済ませ、唯さんの身支度を待ってから二人で同時に玄関を出た。

 走るほどではないけど、のんびりともしていられない時間。

 ただ、ひとりで先に行くのも気が引けたので、唯さんが鍵を掛けているのを、後ろから見つめていると……。

「あら? そっちの子は?」

 性別が少し読みにくい――男性と言われればそうだけど、女性だと言われても納得出来る容貌――中年の太り気味の人が、僕達に話し掛けてきた。

 げ、と、背中を向けたままの唯さんの微かな声が聞こえる。

 恐る恐る振り向いた唯さんは、首を傾げた僕に、大家さん、と、耳打ちしてくれた。

 ふむ。

 重要人物か。

「ご挨拶が遅れてしまって申し訳ございません。唯さんの従兄弟の格と申します。両親が急に海外出張をすることになってしまい、同じ町ということで、昨日、唯さんの所にお邪魔させて頂きました」

 隙を感じさせない態度で、無難……というよりは、丁寧すぎる態度で僕は挨拶をした。

「そ、そうなんです」

 明らかに不審な態度の唯さんが、一応、僕に同意して相槌を打っている。

「しばらくこちらでお世話になっていてもよろしいでしょうか?」

 四十五度の角度で腰を曲げて頼み込む。

 大家さんは、恵比須顔で軽く笑って――。

「しっかりしてるねぇ、キミは。うん、まあ、他にも何人かで住んでるとこもあるし、大騒ぎしなきゃ……って、キミにそんな心配はないか。うん、大丈夫大丈夫」

 想像以上にあっけなく、とても軽く請け負われてしまった。

 無用心だな、と、思う。

 あのひとりきりの庵でも、僕は施錠をしっかりと確認し、滅多に来ない参拝客にも――唯一の例外を除けば――声を掛けず、関わりを持とうとしなかったのに。

 そういえば、なんで僕は唯さんだけは特別にしたのだろう?

 なんとなく、としかいえないけど……。あんな風に、縋る顔を向けられたのは初めてだったので、それを上手く頭の中で整理出来ずに流されたのかも。

 ただ、今の状況から逆に辿って考えると、唯さんを特別だと感じたことは――とても、その、適切な言葉が見当たらないけど、簡潔に言うなら、凄く、よかったと思っている。

 うん、唯さんで良かった。


 目の前の通りを真っ直ぐに進んで、右に折れ、大通りに出たところで唯さんがへにゃっとくたれて、詰めていた息を吐いた。

 大家さんは、アパートの階段辺りを掃除していたので、もう見えない。

 そんなに緊張する相手だったのだろうか? かなり安易に誤魔化せたと思うのだけれど。

「超、焦った」

 かくん、と、僕の肩に額をぶつけた唯さんが、心底疲れた声で言う。

 僕の背中を、寄り掛かるようにして押していた。

「……格、機転利き過ぎ。ちょっと悪い子みたいだよ」

 僕の肩に顎を乗せた唯さんが、半目で咎めるように――だけど、冗談だと分かるだけの愛嬌も込めて睨んでいた。

 顔を向けたらキスしてしまいそうな距離だったから、右目だけで唯さんを見つめて言い訳をしてみる。

「唯さんが、朝のうちにそうするようにお話されたじゃないですか」

 そうだけどさ、と、なぜか疲れた顔をしたままの唯さん。

 ふと、昨日の話も思い出し、あと、高橋さんへの説明のことも思い出したので、この不機嫌を直すために、それを口にしてみた。

「婚約を前提にしたお付き合い、とか、許婚の方がお好みでしたか?」

「不覚! ふかく、ふかくふかく!」

 地団太を踏むように足音も高く大地を蹴って唯さんが僕の背中から離れ、横に並んだ。

 どうやら、機嫌を損ねてしまったらしい。似たような台詞でも、使う場面によっては反応が違うようだ。覚えておこう。

「格はいいよね。なんにもぶちまけていないし、そもそも――」

 話している途中で唯さんの表情が暗くなった。

 昨日、分からないって答えたのを根に持っているのかもしれない。今後を考えると、それはあまり良いことではないと理解しているけど、なぜか僕のそういう嘘は全て唯さんには見破られてしまうので、僕も好きですと言うわけにもいかない。

 だから、正直に僕は尋ねてみた。

「好きってどういう感情ですか?」

「す、好きッ!? ど、どういう!?」

 唯さんは声を裏返させ、とても慌てた様子で、途中で――しかも、何回か噛んだ。

 その後も、口を開けたり閉じたりしているけど声は出ていなくて、さっき僕の言った言葉を語調を変えてリピートした以上のなにかはこのままでは出てこないようだ。

 もう少し自分の事を話す必要があるのだと理解した僕は、唯さんに最初に感じた気持ちを正直に告げてみる。

「僕は、最初に会った時、唯さんを可愛いと思いました。それが好き?」

「それは違うかな」

 ちょっと引きつった苦笑いで、困ったように唯さんが答える。

「でも僕は、今まで生きてきて、可愛いという感情を抱いたのは唯さんが初めてでした」

「う、う~ん……」

 唸っているけど、顔色がさっきと随分と違っている。困っているのは相変わらずみたいだけど、唸っている声もどこか明るい。

 表情から判断するに、これは嫌がっていないらしい。

 ……ふむ。

 もう少し訊いてもいいのかな、と思い、話し続けてみる。

「それがもう少し強くなったものが――」

「す、ストップストップ!」

 不審な動きで周囲を――周囲のサラリーマンや学生や主婦の多種多様な人波を見渡し、余計な視線を集めた後で、こっそりと僕に耳打ちしてきた。

「そういう話は、家に帰ってからしよ? ね?」

「分かりました」

 僕としても不要な注目を集めたくなかったので、その一言で会話を終わらせた。


 T字路に差し掛かると、一度立ち止まり「格はあっちだよね?」と、唯さんは上り坂になっている方の道を指差して訊いてきた。

 確かに中学はこの坂を上りきった場所にあるので、すぐに頷くと、ちょっと残念そうな声が返ってくる。

「私はもう少しこの道だから、ここまでだね」

 そう言いながらも、唯さんは直ぐには歩き出さなかった。微かに指先が迷っていて、ちょっとだけ上目遣いに僕を見ている。

 一秒、二秒、三秒……。

「……ここじゃ、なにもするわけにはいかないかぁ」

 しばらく見つめあった後、拗ねた子供みたいな声でそう呟く唯さん。

 そして、僕がなにか返す前に、ぺしん、と、僕の背中を叩いて小走りに走り去ってしまった。

 ふむ?

 なにもしてはいけないと言ったのは、唯さんだったと思うんだけど……。

 色々と難しいものなのだな、と、少しだけ達観し、僕も学校への道を急いだ。

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